before_42
図書館。大きな建物。行き交う人々。
平日だから心なしか親子連れが多い気がする。その次に老人。
私が子供の頃にリニューアルを終えたばかりの近代的なデザイン。
私は重い足を前に進めて、自動ドアを潜る。玄関ロビーは石畳で、灰色のソファがあった。壁際にはコンサートなんかのチラシ。
センサーを通り、受け付けを過ぎる。図書館に顔を出すなんて久しぶりで、勝手が分からない。
でも迷う必要はない。彼女は暗い場所にいけば必ず会えるから。
「でも、ちょっと広すぎるわよこれ……」
日本文学のコーナに彼女はいた。近くで老人がソファに背をもたれて寝ている。
擦りガラスの薄い光に照らされた彼女は似合わないサングラスをして、本を読んでいた。
伸びっぱなしの白い髪の毛。ウェーブの掛かった長い癖毛。
髪と髪の開いだから文字を追う彼女の横に立つ。
「隣り、空いてるかしら?」
「空いてない、と答えたらどーするんですか?」
「それでも座るわ」
「なるほど」
丁度読み終えたのだろう彼女は本を閉じて、顔を初めてこちらに向けた。そしてゆっくりとした手つきでサングラスを外した。
彼女の赤い瞳は光の量を上手く調節できない為、明るい場所ではサングラスを掛けていないと眩しくて周りが見えない。
同時にそれは周りからアルビノであるということを隠す意味合いもあった。優月は瞳を見なければその容姿のせいもあってか、外国人にしか見えなかった。
「夕香さんがスカートなんて珍しいですね。とても似合っています」
クリーム色のロングスカートと黒のタートルネックを交互に見て彼女はいう。
ファッションなんて彼女には分からない。だからこれは適当なお世辞だ。
だけど彼女がお世辞をいうなんて、とても珍しい。表向きでは平常を装いながらも私は内心驚いていた。
「そういう優月はいつも同じ格好ね。黒い制服に黒いタイツ。それじゃ逆に目立つわよ」
「別に周りがどうこう言おうが私には関係ありません。それで要件は?」
そうだ。呑気に世間話している場合じゃない。
私はその為に来ているんだ。
どちらから話そうかと思い、私はまず現状について言うことにした。
「優月、あなたは私が今どういう状況に置かれているか知ってる?」
「父親は行方不明、母親は死亡。小さな家で質素に兄と暮らしている……ということですか?」
「違う。学校での私の状況」
「知りません。わたし、学校はどうでもいーので」
「…………私、ある先輩を半殺しにしたわ」
「あなたから手を出すなんてよっぽどですね。兄を侮辱でもされましたか?」
動かない表情。眠た気な表情。見透かすような表情。
「まあ、そんなところ。そいつらは三人組で誰に命令されたのかって問いただしたら優月の名前を出したわよ」
本当は分かってる。
優月はそんな下らないことをしない。させない。
優月はやるならもっと徹底的にやる。
あの先輩たちの発言が嘘だと分かっていて私は優月にいう。責任を被せる為、この後のやりとりをやりやすくする為。
「わたし、知りません」
「……そう。で、まあ私は停学中なんだけど、このままじゃ十中八九退学」
「だから、コネクションのあるわたしにそれをどうにかしてほしい、ということですか?」
「そうよ」
「わたしがあなたの停学を解いて、あなたの退学を阻止してなんのメリットがあるですか? 別にわたしはあなたが退学しようが停学になろうがどうでもいいです。わたしは何も変わらない」
「あなたの知り合いがあなたの名前使ったんでしょう。あなたにも責任はあるわよ」
「ありません。その理屈でいくと強盗があなたの名前を使い、犯罪を行ったらあなたも責任を取らなくてはいけません。姑息に罪悪感を植えつけようとするのはやめて下さい」
「……で、でも優月。あなたの名前を出したってことは少なからずあなたの関係者よね? それって何かおかしくない?」
「彼女たちはわたしに喧嘩を売ってきたので、返り討ちにしてやったです。ただ、それだけの間柄ですよ。ただそれだけの……」
優月の表情は変わらない。瞬きをした程度の変化しかない。
沈黙が場を包む。
私は話題を変えることにした。
「……あなた、私の優と会ってるでしょう?」
「あなたのじゃない、優さんとなら会っていますよ」
「なに、してるの」
「何してると思いますか?」
挑発。
分り易い挑発。
「…………優に手を出したら私、承知しないわよ」
「そうやって優さんを囲い込んで、苦しめてあなたは楽しいですか? 優さんは自由を望んでいるとわたしは思います。それはあなたも分かっていますよね」
「そんなの……わかんない」
嘘、嘘だ。
本当は分かってる。でも、分かっていても私は優が必要なんだ。
優月は私の顔をじっと眺めながら口を動かす。
「あなたに彼は相応しくない」
「……な、何を言ってるのよ。じゃあ! じゃあ自分には相応しいっていうの?」
「ここ図書館です。静かにして下さい。…………優さんはわたしにも眩しすぎます。世間の悪意、過去の絶望が彼をあそこまで純にさせているのでしょーね」
兄さんはもっと前から純で優しくて、かっこいいわよ。
そう叫びたいけど、私はぐっとそれを飲み込んで我慢した。
苛立ちに冷汗が額を走る。
「優月、私の優にちょっかいを出した代償として私の停学を撤回してちょうだい」
「ノーです。わたしにメリットがありません。それにわたしがちょっかいを出しているわけじゃありません。優さんが自分からわたしに会いに来るんです。わかりますか、この意味」
「……なっ、あっ」
わたしには。
私には。
私には、兄さんから求めてくれるようなことなんて何一つなかった。
体も、気持ちも。
なのに、それなのに……。
胸が痛い。呼吸が上手く整わない。
震えが、寒い、怖い。
捨てられるのが怖い。優がいなくなるのが、怖い。遠くにいってしまうのが。
優が私から離れて行くようなそんな感覚が私を包み込む。溶けて消えてしまうような感覚が包む。
優から私が消え去られてしまうような、そんな。
どうしようどうしようどうしよう。
どうやって。
この女を殺そう。
「その手、何ですか。わたしを殺すんですか?」
「黙れ」
興味深そうに微笑む優月。
憎ったらしい笑み。
嘲笑。
「母親を殺した時のように? 今と同じ顔で薫さんを殺したんですね。臓物を床にぶちまけて、喉を掻き切った。あなたは優さんにずうっと前から性的な嫌がらせをしていた。優さんは我慢していたけど、ついに耐えきれなくなって悲鳴を上げた。そこに母親が入ってきた。あなたは前々から母が憎くて、優さんが大好きだった母が気に喰わなくて、丁度いいと思って、優さんを脅すために使っていた包丁で薫さんを……」
「黙れ……!」
細首に手を掛ける。しかし赤い瞳はどこまでも淀まない。
真っ直ぐ私のどす黒い瞳を見続ける。
やめろ。
私を見るな。
私を笑うな。
私を私を私を私をわたしをあたしを。
そんなめでみるな。
哀れむような目で見るな。同情した目で見るな。見下した目で見るな。
「わたしを殺しても何も変わりません。あなたが母親を殺して何も変わらなかった時と同じように。それは優さんを傷つけるだけです。ここでわたしが死んで一番傷つくことになるのは、後悔するのは、悲しむのは、あなたじゃない。優さんです。あなたに絶望して、また彼は自分の殻に篭ることになる。それでもいいですか?」
「構うものか……」
「骨の髄まで寄生虫ですね。わたしはどーでもいいですが、次は優さん自殺しますよ」
「…………兄は私を置いて死なない。どこにもいかない」
「だと、いいですね。大切な人を守れなかったから、夕香さんのことがあったから、優さんは今こうしてあなたに付きっ切りなわけです。わたしを殺すということは付きっ切りだったことの意味がなかったということになります。優さんの存在は意味がなかったということに。彼は自分はいない方がいいと考えて自殺するでしょう。彼のことです、きっとそういう可能性も考慮して遺書みたいなものを残しているのでしょーね」
「…………」
意志に反して。
手が。
緩んだ。
首筋から離れ、だらしなくその手は膝に帰る。
優のベットの下のカバン。その中に入っている手紙。
それが脳裏に浮かんだ。
畜生。
畜生畜生畜生畜生畜生畜生畜生畜生畜生畜生畜生!
こんな白子の出来損ないに、馬鹿にされて、侮辱されて、黙っているなんて。
人間の癖に人間の癖に人間の癖に。
歯を食いしばり、掠れるような声で私は言葉を紡いだ。
「ゆ、づき……このままだと、兄さん、また、仕事にでないといけなくなる。また負担が掛かって、無意味に時間が消費されてしまう。だから……助けてちょうだい」
「いいですよ」
彼女は静かに立ち上がり、サングラスを掛けた。
そしてじっと自分の靴の先を眺めている私に言った。
「わたしも優さんに会える時間が減るのはイヤですから」
ちくしょう。
今日の話が面白かったら、1クリックお願いします
+注意+
・特に記載なき場合、掲載されている小説はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
・特に記載なき場合、掲載されている小説の著作権は作者にあります(一部作品除く)
・作者以外の方による小説の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。
この小説はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この小説はケータイ対応です。ケータイかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。
小説の読了時間は毎分500文字を読むと想定した場合の時間です。目安にして下さい。