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before_3
 妹はきっと俺のことを嫌いなのだと思う。
 それはそうだ。それ相応のことを妹に課してしまった。だから彼女は俺を責め、毛嫌いする。
 こういう行動も妹が俺のことを憎んでいるからなのだと思う。もしも妹が俺のことを憎いならそうすべきだ。俺はそうなることを既に覚悟している。

 優は妹のことを考えた。
 母親の死を見たというのに、気丈にも母が死んだその家に住むといった妹を。そして自分と一緒に住むことを選んだ妹を。
 今も定期的に通院しているが、学校までいってる妹。背が高く、まるで姉のようにしっかりした自慢の妹。昔のことを一切口にせず、昔のことを一切省みず、強く生きている妹。
 それに比べて矮小な自分。
 子供のような自分。
 犯罪者で人殺しの自分。
 祖父が死んで、一人ぼっちの自分を拾ってくれた母。それを仇で返すようなことをした自分。
「我慢すればよかったんだ」
 裸を見られること、目隠しされること、声を押し殺すこと。
 優はゆっくりと起き上がると鏡に映った自分の顔を見た。頬が赤く腫れ上がっていて、鼻から赤々とした血が滴り落ちている。
 妹に殴られた兄の無様な表情を鏡は冷静に映し出していた。
「変な顔だなぁ」
 優は思う。
 自分だったら事件のあった家に住み続けるなんて耐えられないと。同じ町に暮らして、よく知った者のいる学校に行くことなど耐えられないと。
 父が帰ってくるための家を守ろうとするその芯の強さに頷く。
 父に言われた通り、俺が妹を守ってあげないと。
 彼はそのまま冷水で顔を洗い流し、脱衣所を抜けて直ぐのトイレからトイレットペーパーを千切る。そして鼻に詰めた。
「ごめんなさいって謝らないと」

 だし巻き卵に大根おろしを乗せたもの、ナスの漬物、パックの納豆に味噌汁とご飯。そして妹の好物である苺のヨーグルト。
 彼はそれらを四角い盆に乗せて、彼女の部屋の前に立つ。盆を扉が開いても当たらない位置に置いて、扉を叩いた。返答はない。
「夕香さん、さっきはごめんなさい。あの、朝食なんですけど……」
「…………」
「学校はどうするんですか?」
「休むわ」
 間髪(かんぱつ)入れずにその声は優に届いた。いつものように冷えていて、凛とした声。
「最近、よく休んでるようだけど大丈夫? ちょっと兄的には心配的な何かだったりするんですけど……」
「休むと言ったのが聞こえなかった?」
「……分かりました。じゃあ、学校に連絡しておきますね。ご飯は扉の側に置いてあるんで、冷めないうちに食べて下さい」
 優はそういって階段を下りた。後ろで妹の部屋の扉が開くのを感じて、静かに彼は微笑んだ。
 怒っていても、お腹は空くものだ。
 妹にもそれは例外ではないらしい。

 洗濯機に洗い物を入れて、洗剤をカップですくい、落とす。
 年頃のはずの妹は、自分の下着を分けるように言うでもなく、面倒だからそのまま一緒に洗えと言っていたことを彼は思い出していた。
「ドライ……っていうかリアリストなのかな? 引っ越すにもお金が掛かるって怒ってたし」
 合理的に見えるようで酷く感情的な一面もあるような気がする。
 彼は洗濯機のボタンを押して、風呂場の掃除を始めた。風呂場の掃除が終われば、やっと朝食にありつける。
 季節が季節なためかシャワーから出る水は指先を赤くなるほど凍らせた。ひと通りの掃除が終わり、彼は自分の息で指先を温めながらリビングに入る。
「あっ」
 テーブルでは夕香が黙々と食事を取っていた。盆のまま、料理をテーブルに乗せている。ヨーグルトの器は既に空だった。
「お醤油……お醤油頂戴」
 優は醤油差しを取って彼女に手渡す。味噌汁の椀が空なのに気がつき優は首を傾げて言った。
「あの、お味噌汁、お代わりいりますか?」
「……もちろん」
「火にかけるんで、少し待って下さいね」
 優はそういって微笑む。夕香はそれをチラリと見るとそのまま食事を再開した。
 緩やかな朝日の中、石油ストーブだけが静かに音を発していた。

「本、図書館に返しにいくんですけど……、夕香さんなんか必要なものありますか? 買ってきますよ」
 優は食器をまとめながら夕香に聞いた。ソファに座った夕香は、流し見していたテレビから視線を外し、振り返る。
 黄色いひよこがデフォルメされたエプロンを着た自分の兄。
「別に何もないわ」
「そうですか」
 夕香はいそいそと食器を運ぶ兄の後ろ姿をじっと眺めて、爪を噛んだ。
 優が食器を洗い始めると、彼女は何かに突き動かされるように席を立った。冷蔵庫に向かい、中を確認するフリをして優の匂いを嗅いだ。
 ギリギリまで近づき、首筋の匂いを嗅ぐ。肌から空気に伝う温もりに手をかざし、ゆっくりとねぶるように舌なめずりをした。
 触れるか触れないかの距離を手のひらは行き来する。
 そして、その手は。
 肩を掴んだ。
「わ、何ですか?」
 驚いて優は振り向く。ゴミでもついていたのだろうかと、自分の肩を見るがそれらしいものはない。
 視線を妹に移す。夕香はじっと押し黙り、額から汗を滑らした。口が何かを伝えようと動くが、それは声にならない。
「…………ほっぺ、赤いけど風邪ですか?」
 優は夕香の肩に手を置いて背を伸ばすと、髪を捲り、額を合わせた。夕香の頬は更に赤く染まり、瞳は優の唇を捉える。優は額を離すと笑った。
「漫画とかじゃ、こういうので熱測ったりしますけど……分かんないや。まあ、ちょっと調子が悪そうに見えますよ。今日は部屋で寝てて下さい」
「あ……の“優”」
「どうしたの、夕香」
 彼女は下唇を噛み、視線をさ迷わしたあとに静かに言った。
「帰りに、ヨーグルト、買ってきて頂戴」
「うん、さっきのは苺だったから今度はブルーベリーにしようと思うけど、それでいいかな?」
「任せるわ」
 そういって夕香は優から離れた。優はくすりと笑い、皿洗いに戻る。
 夕香はソファにしなだれると優の肌に触れた指を嗅ぎ、そして舐めた。
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