六.それと小さな幸せ
凪は菊に言われた通り、吉光の部屋で正座したままじっと待っていた。
先程の菊の姿を思い出すと、笑みがこぼれる。
なにを笑っているのか理解出来ず、武蔵は淡く輝いて見せた。
『なんぜよ。気味悪いぜよ。何がそんなにおかしいぜよ?』
「おかしくないわけがなかろう? 人間が妖魔のために、ここまで世話を焼くかえ? しかも嫁が旦那に愛人を紹介するようなもの、まったくおかしくて、おかしくて」
凪がくすくす笑っていると、部屋の戸が勢いよく開き、吉光が入って来た。
相当急いで来たのか、呼吸は荒く、肩を上下させている。
吉光は凪の前に座ると、頭を下げた。
「すまない! また、お前を離すところだった! お前を信じなんだ私を、許してくれとは言わん! ただ……」
そこまで言うと、吉光は顔を上げた。真剣な表情に、真っ直ぐ過ぎる視線。
なにもかもを見透かすような視線に、凪は顔を背けそうになったが、頬を二回強く叩くと、少し強張った笑顔を向けた。
「気にするでない。わらわも本心を試すような事をして、悪かったの」
互いに微笑むと、凪は立ち上がり部屋の戸を引き、廊下に出た。
見上げる空は雲一つ無く――とまではいかないまでも、晴天である。
「良い天気だのう。良い天気過ぎるくらいだのう。別れの時は雨が似合うが、こればかりは仕方ないのう」
「別れ?」
吉光は立ち上がると、凪に駆け寄る。
本日ニ度目の泣き笑い顔を向ける凪に対し、吉光は笑顔を浮かべると、手を強く握った。
「凪、もう離さない。お前は私がもらう。お前が嫌だと言っても絶対に離さないぞ」
「馬鹿を言うな。わらわを嫁にでもするつもりかえ? そんな事をしたら、」
「私は大馬鹿者だ!」
凪の話を遮るように吉光は急に大きな声を上げ、それに驚いたのか凪の体がびくっと震えた。
「久瀬と戦になろうと知らん! 好きな者と一緒に暮らしてなにが悪い! 凪、一緒に暮らそう。私の嫁になれ」
凪はぽろぽろ涙をこぼしながら、くすくす笑うと、吉光に抱き着いた。
「第ニ婦人なのが気になるところだが、まあいいかのう。末永く頼むえ、吉光――様」
こうして凪は吉光の第ニ婦人として、城で暮らす事になった――のだが、落ち着いているわけがない。
凪は祝言の翌日、武蔵と小次郎を連れてさっさと城を出て行った。
「ああ、やはり外は良いのう。城は窮屈でいかん」
凪は飛び去る鳥を横目に、両手を翼のように広げて空を滑空していた。
眼下に広がる木々は青々と生い茂り、ところどころ目にする桜の木が、春である事を伝えようと咲き乱れている。
『祝言の翌日、早々家出とはとんだ奥方ぜよ』
『勝手が過ぎると、吉光様に嫌われますよ?』
「うっ、嫌われるのは困るのう。し、しかし菊には言ってあるし」
妖魔嫌いの菊ではあったが、相手が友好的であれば人間同様に接する寛大さがある。
出会って僅かの凪とも、面倒見の良い性格も手伝って、あっという間に仲良くなっていた。
『菊様ですか。あの方は信用出来ますが、あまり仲良くするのはどうかと』
「なぜだ? 信用出来るのであれば問題あるまい」
『わかってないぜよ。お姫様に子供が出来れば、あんたなんぞ見向きもしなくなるぜよ。跡取りを産めん者など城には無用。それがお偉い様の住む世界ぜよ。仲良くし過ぎると別れが辛いって事ぜよ?』
純粋な妖魔は世界各地に存在する鬼門と呼ばれる霊穴に、罪を重ねた魂が集まる事で産まれる。
そのため、人間と違い子孫を残すという種の保存意識はない。
だからと言って、妖魔にはそう言った器官は存在しないかというと、そうではなく、人の形だろうが醜悪な妖怪形だろうが、生物と同じ箇所にそれは存在する。
しかし、妖魔同士でもどうなるかわからないのに、妖魔と人間の血が交わった場合どうなるか? そう言った記録はないが、恐らく奇妙な生物が産まれて来るだろう。
これでは子供が産めないのと大差ない。
武蔵の言葉に凪は表情を暗くさせたが、それを払うように首を振ると、流れる風を感じながら微笑む。
「そうだのう、菊に子が出来たら祝いの言葉でも贈って、再び放浪生活、気ままに生きるだけ。何百年もそうだったのだ、今更悲しむ事もなかろう? 例え数年でも温もりを感じられる。わらわは最高に幸せな妖魔え?」
凪は晴れやかな笑顔でそう言うと、上昇気流に捕まり高く高く飛び、仰向けに体を回転させると、枕代わりに首の後ろで腕を組み、目を閉じる。
照らす太陽が暖かい。
『そうですね。一瞬でも人の温もりを感じていられる妖魔など、本当に僅かなもの。あなたは幸せですよ、凪』
『高松を追い出されたら、この大陸を出て、別の大陸に渡るのはどうぜよ? きっと、こんなちっこい大陸より面白いぜよ』
「悪くないのう。自由気まま、気の向くままがわらわの生き方よ……」
◆
季節は流れ、五年後。菊に跡継ぎが産まれたのは三年前、それから一年後、凪は城から度々姿を消すようになった。
菊は、どこに行ってしまったのかわからない凪を思いながら、溜め息をつくと、腕に抱えた赤子をあやした。
「凪には困ったものね。あなたにも、どこへ行ったのかわからないの?」
菊は帯に差した黒い扇子に声を掛ける。すると扇子は声に反応して、ふわふわと浮き上がり、赤子を覗くように顔の前で止まった。
『さて、凪は風ですから。自由気まま、気の向くまま、今頃武蔵と一緒に空を飛んでいるのでしょうね』
「空、か」
つぶやき仰ぎ見る空は、雲一つなく晴れ渡っている。これ以上ないと言った感じの晴天、日本晴れだ。
とその時、抱いていた赤子が泣きはじめた。
「あー、よしよし。どうしたの? 寂しいの? 子供が出来ても放浪癖が治らないなんて、あなたのお母さんにも困ったものよね」
赤子が泣き出してすぐ、物凄い勢いで何かが菊の前に降下し、抱えていた赤子を奪い取った。
「ほれ、泣くな。母が戻ったぞ」
現れたのは、成人女性と大差ない程に背が伸びた凪だった。顔付きも幼さが無くなり、美人だ。
しかし、妖魔は成長しないはずなのに、なぜこんなに成長したのか? 実は単に妖術を使い変化しているだけ。吉光と二人でいる時と、城を出ている時は小さな格好なのだ。
「あなたねえ、もうあちこち行くのやめなさいよ。子供も出来たっていうのに、暇さえあれば飛んで行って。それに、何よその格好。あなたにはチンチクリンな格好がお似合いよ」
『おお、ワシもそう思うぜよ。どこで覚えた妖術が知らんけど、小さい方が凪らしいぜよ』
凪は二人の言いたい放題に頬を膨らませると、菊に赤子を渡し、目を閉じる。 なにやらつぶやくと、一瞬まばゆい光が辺りを包む。光が落ち着き、菊が目を開けるとそこにいたのは、見慣れた幼女姿の凪であった。
「これでは子供を抱けんではないかの? そうであろう?」
そんな話をしていると、そこへ吉光が姿を現した。吉光の腕には赤子が抱かれ、静かに眠っている。
「あまり大きな声を出すな。吉幸が目を覚ます」
すまんのう、と凪が小さな声で謝ると、吉光の下に歩み寄り、吉幸の顔を覗いた。
「吉幸、なかなか可愛いらしい顔をしておるのう。だが、刹の方が更に可愛いがのう」
刹というのは凪の子供。名前は男っぽいが女子である。そして吉幸が跡取りとなる菊の子供だ。
「何言ってんの? 吉幸の方が可愛いわよ」
「いいや、刹の方が可愛いのう」
「あんまりしつこいと、この子、落とすわよ?」
「お、お前、怖い事言うのう。妖魔でもそこまで非道なのは珍しいえ?」
空を見上げると、雲一つない青空が広がり、そこを妖魔が一人優雅に滑空している。
本日も快晴にて候。
終
|