11:封印
左腕を身体に沿うように曲げてその上に拾い集めた沢山の特大金貨を抱えた邪神像は、一つ、また一つと特大金貨を拾いながら封印の魔法陣へと近付いてくる。
私達五人は魔法陣の中に入った邪神像を一斉に囲むため、それぞれ離れた位置に待機していた。
私自身は、アンリルアーマー弐号に搭乗し、邪神像の進行方向から見れば右手にある家の陰に身を低くして隠れていた。
──残り五枚。
魔法陣を挟んで丁度反対側に、テナが私と同じようにアンリルアーマー壱号に搭乗して待機しているのが見える。生身ではないため当然その表情を見ることは出来ないのだが、きっと緊張に息を潜めているだろう。
──残り四枚。
私から見て左手近くにはレオノーラが聖剣を持って身を隠している。思えば、本来魔王と戦うための武器である聖なる武具を魔王の娘にして次期魔王のレオノーラが持っているというのは皮肉な話だ。
──残り三枚。
左奥には、教皇が聖槍を持って立っている。って、なんで堂々と立っているの!? 隠れないとダメでしょうが。
私が慌てて手で隠れるように合図を送ると、彼は渋々と身を隠した。
──残り二枚。
右手側、邪神像の進行方向の先には今回の作戦で最も重要な任を担うオーレインが彼女の代名詞とも言える聖弓を持って隠れている。
このメンバーの中で光魔法が使えるのは彼女だけであり、ソフィアから封印魔法を授けられたのも彼女。当然、封印魔法の術者は彼女が担当する。
──残り一枚。
魔法陣の外側に設置した特大金貨を全て回収した邪神像が、かつて立っていた台座へと登った。最後に残った一枚は当然、円形に敷かれた魔法陣の中央だ。
魔法陣を見た時に罠に気付かれてしまうのではないかという点が心配だったのだが、金貨に目が眩んでいるのか単にそれが何か分かっていないのか、邪神像は特に警戒した様子も見せずに最後の特大金貨へと近付いてゆく。
後は邪神像が最後の金貨を拾ったら囲んでオーレインが封印魔法を発動させれば、全てが決着する。しかし、これはタイミングが非常に重要だ。
もしも飛び出すタイミングが早ければ、邪神像が魔法陣の中央に来る前に異変に気付いてしまい、逃げられてしまう恐れがある。かと言ってタイミングが遅れれば、封印魔法を発動する前に魔法陣の外に出てしまうかも知れない。
この非常に重要なタイミングを計る役目は私が担うことになっている。アンリルアーマーの右手を上げて、その瞬間を待つ。
邪神像が魔法陣の中心に向かって歩いてゆく……まだ早い。
ほぼ中心に着いた……あと少し。
最後の特大金貨を拾うために手を伸ばした……今!
私がアンリルアーマーの右手を振り下ろすと、オーレイン、レオノーラ、教皇がそれぞれ身を潜めていた場所から飛び出した。彼女達は魔法陣の円周上の予め決められた位置に立ち、聖なる武具を高く掲げる。
それと同時に、私とテナも魔法陣の近くギリギリの場所まで走り、邪神像がどう動いても対処出来るように身構えた。
「──────?」
金貨に気を取られていた邪神像も此処に来て異変に気が付いたのか、困惑した様子で周囲を取り囲んだ私達を見回した。しかし、まだ罠には気付いていない様子で、その場から移動しようとする気配はない。
それならそれで、好都合だ。
私が操縦するアンリルアーマーの顔をオーレインに向けると、彼女もしっかりと頷いて構える。
「いきます!」
オーレインが詠唱を開始すると、台座の上に描かれた魔法陣が光を放ち、陣の円周に沿うように半透明の光の壁が出現した。
光の壁の中に居るのは邪神像のみ。オーレイン、レオノーラ、教皇が円周上に立ち、私とテナが搭乗するアンリルアーマーは壁の外側だ。
「──────!?」
邪神像は事態に理解が追い付いていない。その表情は像であるが故に分からないが、私には驚愕している様子が何となく分かった。
もしもこの時、邪神像が素早く事態を把握していれば、封印魔法の要となっているオーレイン達──正確には彼女達が掲げている聖なる武具──を排除してこの場から逃れることが出来たかも知れない。
しかし、彼女は反応出来なかった。
如何に私の行動パターンが影響を及ぼしているとはいえ、つい最近意志を持ったばかりであり不測の事態に対する判断力が圧倒的に欠けていたのだろう。
そして、その反応の遅れが致命的となった。
封印魔法が邪神像の活力を奪い、その動きを鈍らせる。
初動が遅れたことで力を失い動けなくなった邪神像はその場から動くことが出来なくなった。如何なる重圧を受けているのか、蹲りそうになりながら必死に抗おうとしている様子が見て取れる。
そんな状態なのに、抱えた特大金貨を落とさずしっかり持ち続けているのはある意味感心だけど。
しかし、封印魔法を行う側である私達も余裕があるわけではない。
「お、重いな」
「これはきついですね」
「ぐ……うぅ……」
邪神像の力は強大で、封印魔法との見えないせめぎ合いが展開される。気を抜けば魔法が解けてしまいそうな危うい状態のようだ。
聖なる武具を掲げている三人は邪神像による反発の影響を受けているのか、必死に重圧に耐えていた。特に、術者であるオーレインは負荷が大きいらしく、脂汗を流し呻きながら必死に魔法を維持し続けている。
◆ ◆ ◆
しばらくの間、目に見えない激闘が続いていたが、次第にその天秤は私達の方に傾いてきた。
邪神像はいよいよ耐えられなくなったのか、あれほど大事に抱えていた特大金貨すら取り落として苦しげにもがく。
「いけるぞ、もう少しだ!」
「は、はい!」
レオノーラの激励に、汗を流しながらもオーレインが答えた。
「申し訳ございません、アンリ様……」
その一方で、教皇はもがき苦しむ邪神像を見ながらさめざめと泣いている。なんだか彼だけ随分と余裕があるな。
あと、それは私じゃない。
邪神像は動きを鈍らせながらもなんとか魔法陣の上から逃れようとしていたが、ついに立っていることも出来なくなったのか、両膝を台座に突いて動かなくなった。
逃れようとしていた方向が丁度私が待ち構えている方向だったため、もしも陣の外に出そうになったら私が止めなければいけないとアンリルアーマーを身構えさせていたが、どうやらその心配はなさそうだった。
動きが取れなくなった邪神像は、私のすぐ目の前で座り込んでいる。時折もがくような動きを見せてはいるが、それも次第に小さくなっていった。
それはまるで、断末魔を迎えているかのように見えた。
私はいつの間にか、搭乗しているアンリルアーマー越しに見える邪神像の様子に目を奪われてしまっていた。
突然降り掛かった災厄からなんとか逃れようともがき、けれど逃れられずに弱ってゆくその姿に、感じるものが無かったと言えば嘘になる。
このまま、封印してしまって本当に良いのだろうか……。
思えば、邪神像は別に悪意を以って何かを為したわけではなかった。
周辺各国に混乱を齎したかも知れないが、それは結果であって意図的だったわけではない。私の過失によって加護を付与され、意志を植え付けられ、周囲のこともろくに理解出来ぬままに彷徨っていただけだ。前回私達が落とし穴を仕掛けて攻撃した際だって、散発的に反撃をしてきたに過ぎない。
「……………あ」
私が自身を見ていることに気付いたのか、へたり込んだ邪神像もこちらをジッと見詰めてきた。
それはまるで私に向かって助けを求めているようでもあり、あるいは別れを告げているようでもあった。
「──────ッ!」
私は内から湧き上がる何かに居ても立っても居られなくなり、搭乗していたアンリルアーマーから外に出る。
「アンリ、何を!?」
頭の中では分かっている。
邪神像は既に人族領にも魔族領にも混乱を齎し、広くその存在と脅威を認識されてしまっている。
ここで助けることは不要な重荷を背負うことになり、下手をすれば教国にも迷惑を掛けることになりかねない。いや、間違いなく迷惑を掛けてしまうことだろう。
このまま封印してしまうのが賢い選択だ。それは重々承知している。
それでも、私はどうしてもこのまま邪神像を封印するのが正しいことだとは思えなくなってしまった。
私は半ば衝動的に、私と邪神像の間に存在する封印魔法による光の壁に手を伸ばす。勿論それは、封印魔法が邪なる者を封じるものである以上、かなり危険な行為だ。下手をすれば、私まで封印されてしまう恐れすらある。
しかし、私は何となく直感的にこの封印魔法をそれほどの脅威ではないと感じていた。こうして間近に居ても、怖さを感じない。リーメルの街の教会に張られていた結界よりは強力かも知れないけれど、それでも私が封印されるようなものではない。
それを裏付けるように、私の指が触れたところを中心に光の壁の表面に空間ごと罅が入ってゆく。反発して私を弾こうとする力を感じはするものの、やはりそれほど大きな衝撃は存在しない。
私は目の前の封印魔法の脅威度を警戒には値しないものと判断し、思い切って右手を薙ぎ払うように振るった。
あっと言う間に罅が光の壁全体に広がり、僅かなタイムラグの後に風船が割れるように弾け飛んだ。
散り散りになった光は火の粉のように舞いながら消えてゆく。それはまるで無数の蛍が飛んでいるかのような、儚くも幻想的な光景だった。
光の壁が消え去るのと同時に、台座の上に敷かれて光っていた魔法陣も掻き消える。
そして私は、魔法陣の消えた台座の上で、へたり込むように座ったまま硬直している邪神像と真っ直ぐに向き合った。
「アンリ様!?」
「そこから離れろ!」
「早く逃げてください!」
封印魔法が消えたことで、私と邪神像の間を遮る物は無くなった。加えて今の私は、アンリルアーマーからも降りてしまったため生身の状態だ。もしも邪神像がその気であれば、容易く潰されてしまうことだろう。
そのことを心配してくれたのかテナ達が悲鳴のような声を上げたが、私はそれを手で制した。目の前のこの邪神像は決して私を害することはないと、何故だかそう信じることが出来たのだ。
私は前に一歩進み出て、邪神像を見上げる。座り込んでいるものの、その顔はまだ結構な高さにある。
ジッと見詰め合ったまま、私は諭すように語り掛けた。
「私の言葉が伝わっていたら、右手を挙げて」
それは一つの賭けだった。もしも邪神像が私の言葉を理解することが出来なければ、どうしようもない。
しかし一方で私は自分の言葉が伝わると半ば確信していた。こうして真っ直ぐ向き合うことで、改めて私とこの像の間には特別な?がりがあるのを感じていたのだ。それはおそらく、像の額に浮き上がった眷属印が関係しているのだろう。
たとえ言語自体は理解出来なかったとしても、額の眷属印による繋がりがあればきっと意志は伝わる筈。そう思って告げた言葉に従い、邪神像は右手を挙げた。
「なっ!?」
「つ、通じたのか!?」
レオノーラ達が驚愕の表情を浮かべる。
実際、これまでのやり取りでは意志疎通が出来そうな気配など無かったのだから、それも無理はない。私だって、自分の行動パターンが反映されているという事実が無ければ、意志が通じるなどとは考えなかっただろう。
「もしも私の話を聞いて周囲に迷惑を掛けないことを約束出来るなら、私達はこれ以上貴女を傷付けない。理解出来たら右手を挙げて」
邪神像は暫く私の方をジッと見ていたが、やがて再び右手を挙げた。
「………………」
レオノーラ達も最早言葉を出すのをやめて、固唾を呑んで私と邪神像のやり取りを見守っていた。
「自衛以外で人を傷付けないこと」
邪神像は躊躇うことなく手を挙げた。どうやら、これは抵抗なく受け入れられる条件だったようだ。
「決められた場所に居て、勝手にそこから外に出ないこと」
今度は暫く反応しなかったが、やがておずおずと手を挙げた。渋々と受け入れたのが見て取れる反応だったので、此処は今後何かフォローすることを考慮した方が良いかも知れない。
「私が指示をしたら従うこと」
すぐに手が上がった。三つ目の条件は、特段問題なく受け入れられるようだ。
「最後に、スカートの中を覗かれないように気を付けること」
手が挙がらない。といっても別に受け入れられないという感じではなく、意味が良く分かっていないようで首を傾げている。
「隠して」
私が自身のドレスのスカートを押さえながら告げると、漸く意味が理解出来たらしく右手が挙がった。
よかった、これで穏便に決着させることが出来る。
私は肩の荷を降ろすようにふぅ、と溜息を吐いた。
と、そんな私の肩がツンツンと突かれる。
私は何事かと思ってそちらを振り向く。
するとそこには……満面の笑みを浮かべたレオノーラとオーレインが立っていた。しかし全く目が笑ってないのが怖い。気のせいか額に青筋が浮かび上がっているようにも見える。
そして、二人は笑顔のまま一言放った。
「「正座」」