08:撤退
私とテナが搭乗した二体のアンリルアーマーが駆け付けた時、まだ戦いは始まっておらず、お互いに睨み合ってる状態が続いていた。
いや、よく見たら睨んでいるのは主にレオノーラとオーレインだけだった。邪神像の表情はよく分からない、教皇は背を向けているのでよく分からない。
「おまたせ。状況は?」
「やっと来たか。見ての通りだ。仕掛けて来ないので、お前達が合流するまでは手出しを控えていた」
アンリルアーマー弐号で横に並んでレオノーラに尋ねると、彼女は邪神像の方へと警戒を傾けたまま答えてきた。ロボットとは異なるので、集音と発声は自前の魔法でやらないといけない。
なお、陣形は杖を構えた教皇が最前列、中列に徒手のレオノーラ、後列に聖弓を携えたオーレインといった形だ。徒手のレオノーラが中列に居るのは、彼女が魔法も使えるためだ。
彼女の片手を占有していた人形は流石に邪魔なので、一時的に私のアイテムボックスへと放り込んでおいた。抜け出してくるのも時間の問題だと思うけれど。
そしてその横に、二体のアンリルアーマーが就く。私が左でテナが右だ。
人族や魔族と比べると巨大なアンリルアーマーだが、邪神像の大きさは更にその上をゆく。アンリルアーマーの背丈はせいぜい邪神像の膝くらいまでなので、見上げるような形になる。
「倒し切れるとは思えないけれど、せめて動きを鈍らせるように足を集中的に狙って」
「ああ、分かった」
「任せてください!」
「はい、アンリ様」
「………………」
あれ?
最前列の教皇から返事が無かった。珍しいこともあるものだ。集中していて聞こえなかったのだろうか。
私が疑問に思って彼の方を見ると、何故かブルブルと震えている。
そんな風には見えなかったけれど、もしかして戦闘を怖れているのだろうか。もしそうだとしたら、こんなことに巻き込んでしまって申し訳ないと思う。
「わ、私は……」
いつものはっちゃけた雰囲気が消え去って震えながら何かを呟いている彼の姿に、私の中の罪悪感が膨れ上がる。その姿はとても戦えるようには見えない。このまま戦闘に入れば、真っ先に大怪我を負ったり命を落としてしまいそうだ。
幸いにも邪神像はまだ動きを見せない。今の内に戦闘から外れて貰った方がいい。
そう考えた私が教皇に話し掛けようとした時、彼は杖を持ったまま苦悩するように頭を抱えてしまった。
「やはり、私には出来ません! アンリ様に攻撃を仕掛けるなど──ッ!」
「………………」
「………………」
「………………」
「………………」
「………………」
心配した私が莫迦だった。私やレオノーラ達だけでなく、心なしか邪神像すら唖然としている気がする。
どちらにしても戦力にはなりそうにない。
私はそう見切りを付け、アンリルアーマーの手を伸ばして彼の後襟を摘んだ。
「? アンリ様?」
首を捻って怪訝な視線を向けてきたが、私はそれを一言で切り捨てる。
「退場」
「ほわああああぁぁぁぁーーーーっ!?」
前を向いたまま肩越しに後方の先程まで私達が潜んでいた藪の方へポイッと投げ捨てると、彼はドップラー効果と共に退場していった。
「おいおい」
「む、無茶しますね」
「戦えないなら邪魔」
実際、戦えないならこの場に居るのは危険なだけだ。
というかむしろ、彼の場合下手をすると邪神像に味方しそうな勢いだったし。
流石に私がこちらに居る以上はそんなことはないと思いたいところだけど、言い切れない部分が恐ろしい。
「ま、まぁ気を取り直していくぞ」
そのレオノーラの声に反応したのか、それとも教皇を後ろに放り投げたことに反応したのか、どちらかは定かではないけど、動きを止めてこちらを見ていた邪神像が前に手を伸ばしながら近付いてきた。
「気を付けてください!」
後方から戦場を俯瞰していたオーレインが警告を発し、私達は瞬時に気持ちを切り換えて邪神像の攻撃に備えた。
私が操縦するアンリルアーマーが右手に、テナが操縦するアンリルアーマーが左手に、それぞれ持った大盾を併せるように掲げて邪神像の手を受け止める。
金属同士がぶつかる甲高い音と共に、恐ろしい程の重圧がアンリルアーマーの盾を通して伝わってきた。流石に巨大なだけあって、重量も力も凄まじい。
「ア、アンリ様!」
「耐えて!」
悲鳴に近い声を上げるテナにそう短く告げる。
実際このままでいけば押し切られるのは時間の問題だが、残りの二人がきっと動いてくれる筈。
「ハッ!」
そんな私の希望に答えるかのように、後方から幾本もの光の矢が飛んできた。オーレインの聖弓による援護射撃だ。
光の矢は全て邪神像の頭部へと着弾する。しかし、ダメージを与えたような感じはなかった。
「効きませんか」
どうやら、彼女の矢では邪神像の防御力を貫くことができないようだ。
これが生物であれば目などの急所を狙うという手段が取れるのだが、全身金属の邪神像相手ではそれも難しい。
しかし、これでいい。
ダメージはないものの攻撃を受けてそちらに注意を割いた分、他が疎かになった。盾越しに感じる重圧が心なしか軽くなったような気がするし、何よりも足元に踏み込んだ彼女に反応出来ていない。
「喰らえ!」
本命であるレオノーラが拳に闇魔法の威力を乗せた渾身の一撃を邪神像の右足に叩き付けた。鐘を鳴らすような音が辺りに鳴り響き、邪神像は一瞬バランスを崩してたたらを踏むように後退した。
「痛っ!」
邪神像に一撃を加えたレオノーラだが、顔を歪めて先程攻撃に使った手を押さえた。邪神像を攻撃したことで拳を痛めてしまったらしい。
全身金属の相手を殴れば、それも当然だと思う。
先程のレオノーラの攻撃は大きなダメージとはなっていないが、少なくとも邪神像が体勢を崩した以上はダメージがゼロということはない筈だ。
あれを繰り返せば邪神像を歩行不可能な状態まで追い詰めることが出来るかも知れないが、レオノーラの様子を見ている限りそれは難しそうだ。
「すまん、そう何度もやれそうにない」
「無理しないでください、レオノーラさん」
何度も何も、これ以上彼女に素手で戦わせるのはなしだ。テナの言う通り、無理はしないでほしい。
でもそうすると、攻め手が……と思ったところで、私はある物の存在に気付いた。
そうだ、あれなら……。
咄嗟に、アイテムボックスから目的のものを取り出すように念じる。
私のアイテムボックスは私自身の影なのでこの場合は何処に出現するかと思ったが、アンリルアーマーの影からニョキッと飛び出してきた。好都合だ。
私は影から突き出たそれをアンリルアーマーの二本の指で摘まむと、レオノーラの方へ向かって投げた。
「レオノーラ、これを」
「!? こ、これは父上の!?」
レオノーラは私が投げたそれを見事に両手で掴み、自らの手中にある物に驚いた表情を浮かべた。
そう。私が取り出したのは、彼女の父親である魔王のおじ様がダンジョン攻略の際に使っていた魔剣だ。
アーク達の聖なる武具と同様に、彼らがダンジョン攻略に失敗した時にペナルティとして回収していたものである。
聖剣、聖槍、聖弓についてはそれらを勇者達に返却するための対価を神族の「私」から譲り受けて持っていたものだけど、魔剣は返すように頼まれて同時に渡されていただけで、本当はさっさと返しておかなければいけなかったものだったりする。魔族領を訪問した時におじ様に返せばよかったのだけど、すっかり忘れてしまっていた。
拳士であるレオノーラが何処まで使いこなせるかは分からないけれど、この魔剣は魔王の血脈に受け継がれている剣だと聞く。次期魔王であるレオノーラなら、適性としては十分な筈だ。
剣を受け取ったレオノーラは、それを両手に持って構えた。その姿は凛々しく、姫騎士という呼び名が相応しい。
「いけそう?」
「……任せておけ」
頼もしい言葉に私は微笑むと、再びアンリルアーマーを邪神像へと向けた。
◆ ◆ ◆
魔剣を振るうレオノーラの攻撃は最初の素手の時よりも強力で、邪神像に対して確実にダメージを与えている。私やテナも隙を見て防御から攻撃に回り、四人掛かりで邪神像の足に集中攻撃を加えていた。
陣形は適切だったし、戦術も嵌まっていた。
にも拘らず、敗北の魔の手はゆっくりと私達の足元に忍び寄ってきていた。
「はぁ……はぁ……」
「ま、まだ……まだ斃れないのですか?」
敗因は、巨大な邪神像の耐久力を測り間違えていたことだ。
勿論、耐久力が高いことは外見や素材からも容易に想像出来ていたため、倒し切れるとは最初から思っていなかったのだが、歩行不可能な状態まで持っていくぐらいであれば可能な範囲だと思っていた。
しかし、相手は想像以上にタフだった。高い耐久力に加えて、疲労することもないため戦闘開始時点と殆ど変わらない動きを見せている。
その一方で、私達の方はそうはいかない。
アンリルアーマーに搭乗している私やテナはまだいい。魔力を使用してはいるが、そこまで消耗してはいない。
問題なのは、レオノーラとオーレインの二人だ。
最前線で大剣を振るうレオノーラは目に見えて消耗しており、肩で息をしている。慣れない武器に一瞬の油断さえ許されない戦況は、彼女の体力をみるみるうちに奪っていった。最早ほぼ気力のみだけで立っている状態だ。
また、オーレインについても消耗が激しい。
彼女の場合は使用している武器に原因がある。彼女の代名詞でもある聖弓は光の魔力を矢にして放つことが出来るというもので、弓兵でありながら矢の残数を気にせずに戦うことが出来る。
しかし、当然ながら一矢放つごとに魔力を消費しているため、雨あられと撃ち続ければあっと言う間に魔力が尽きてしまう。勇者として戦ってきた彼女ならその辺りのペース配分も普段から行えている筈なのだが、邪神像が想像以上に強力だったために牽制にも全力を注ぐ必要があり、手が抜けなかったのだ。
「あ……」
疲労が足に来たのか、邪神像に向かって攻撃を仕掛けようとしていたレオノーラが足を縺れさせてバランスを崩した。咄嗟に手に持っていた魔剣を地面に突き刺してなんとか転倒を免れるが、それはこの状況下で致命的な隙となってしまう。
「し、しま──ッ!?」
「レオノーラ!」
「レオノーラさん!」
「逃げてください!」
レオノーラの消耗を見て予測していたのか、はたまた偶然か、邪神像はその隙を逃すことなく彼女に向かって右手を伸ばし、その身を掴み上げた。
邪神像は巨大な分、手の大きさもとても大きい。レオノーラは全身をすっぽりと邪神像の手に片手で握られて、首から上だけが見えている状態だ。このまま握り潰されれば、彼女の身は一瞬にして肉塊へと変わるだろう。
私もテナもオーレインも、そしてレオノーラ自身も次に起こる防ぎようのない惨劇に身を固めた。
………………。
………………。
………………。
………………が、何も起こらなかった。
不思議に思って邪神像の方をよく見ると、レオノーラの身を握り締めた手をぎゅっぎゅっと握ったり緩めたりを繰り返している。といっても、それは彼女の身を潰すようなものではなく、レオノーラは無事だ。その仕草は、軽く握って感触を確かめているようにも見える。
邪神像の謎の行動に誰もが身動き出来ずに固唾を呑んでいた。そんな私達を尻目に、邪神像は左手を持ち上げて人差し指を伸ばし、右手に掴んだままのレオノーラの豊満な胸部をつついた。
「あ、ちょ、何をする!?」
甲冑ドレスの紅い布地に包まれた彼女の生肉が、遠目に見ている私にも分かる程ぶるんぶるんと揺れていた。
邪神像の指に神経が通っているのかは分からない──多分通ってないと思うけど──が、もしも触覚があるのなら柔らかくしかも弾力のある素晴らしい感触を得ていることだろう。
「こ、こら! やめろ! やめないか!」
全く想像していなかった行動に、レオノーラが顔を真っ赤にしながら叫ぶ。勿論、その声が聞き入れられることはない。
それにしても、何故あの邪神像はあんなセクハラをレオノーラにしてるんだろう?
あの像に性欲があるとはとても思わないし、仮にあったとしてもあの外見で変な行動をするのはやめてほしい。
ひとしきりレオノーラの胸をつつき回した邪神像は、今度はその掌を自らの胸部に当てた。当然ながらモデルがモデルだけに、揺れることはない。
いや、待った。金属だから誰がモデルだったとしても揺れる筈がない。揺れないのは決して私のせいじゃない。
あと、純粋なバストサイズで言えば邪神像はレオノーラのそれを遥かに上回る。数メートル単位だ。
しかし、そんな慰めは届かなかったようで、邪神像は掴んでいたレオノーラを投げ出して、大地に両手と膝を突いた。
落ち込む気持ちは少し分かるが、これは好機。これ以上戦いを続けても敗色が濃厚である以上、今の内に逃げるのが正しい選択だ。
私は空中に投げ出されたレオノーラを抱きとめると、地面に落ちていた魔剣を回収しながらテナへと指示を出した。
「撤退する、テナはオーレインを抱えて走って」
「は、はい! 分かりました!」
こうして、邪神像との一度目の接敵は私達の敗走という形で幕を閉じた。