記念SS:自伝「アンリと愉快な仲間達」
「……暇」
思わず、そんな言葉が口を突いて出た。
しかし、それも仕方ないと思う。とにかくやることがないのだ。
神族として神殿に残った自分から分けて貰った金銭は結構な額があり、当面の間は生活の心配をする必要はない。故に、しばらく働く必要はない。
ダンジョンマスターをやっていた時と異なり、誰かが命を狙ってくることもない。
望んでいた平穏……でないこともたまにはあるけれど、それでも概ね穏やかな日常が続いている。
願ったり叶ったりの状況である筈で、これに対して文句を言うのは間違ってるし贅沢だと思うけれど、それでもやはり暇だった。
あまりに暇なものだから、普段では決してしないようなことに思わず手を伸ばしてしまった。
「そうだ、自伝を書こう」
後から冷静になってみれば、もう少し冷静に考えるべきだったと思う。
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着の身着のままどころか一糸纏わぬ生まれたままの姿でこの世界に放り込まれ、冒険者ギルドに登録したり、ダンジョンマスターになったり、邪神になってしまったり、光神や闇神と争ったり、それでいて結局は人に戻ったり、思えば波乱万丈と言う言葉がこれ以上無いほどピッタリの人生だった……と生涯を振り返るのには年齢的にまだ早い気もするけれど、この一年の出来事だけでも十分過ぎるほど濃いものだったと断言出来る。
「………………」
今思い出すと微妙に頭痛がするようなことが多かったりもするけれど──と言うか、殆どすべてそうだけど──これだけ濃い経験をしてきたのだから、私が自伝を書けばさぞかし内容に富んだ書籍が出来上がるだろう。
そう思って以前経典を書いた時にも使用した執筆道具を引っ張り出してきたのだが、そこでふと忘れていた重大なことを思い出した。
「加護付与、どうしよう?」
以前も道徳的な経典を書き上げようとして取り組んだものの、出来上がったのは世界最凶最悪の呪いの書だった。
原因はこの世界に来てからずっと呪いのように付き纏う加護付与スキル。任意なら一瞬、自動でも一時間程で邪神の加護を付与してしまう強力にして厄介なスキルだ。
生物であれば相手が受け入れなければ発動しないが、執筆道具は非生物であるため一時間触れていたら加護付与が発動してしまう。
道徳本ですら呪いの経典にしてしまう加護だ、私の自伝に付与されたらどんなことになるのか想像も付かない。想像も付かないが、少なくともろくなことにならないことだけは断言出来る。
前回の反省を活かすためにも、加護付与が発動しないように気を付けて執筆しなければならない。
「……むずかしい」
そう思って、両手が紙面に触れないように気を付けてペンを走らせようとしたのだが、これが中々に難しい。
紙を押さえる左手やペンを固定するためについている右手の小指側の側面、普段無意識に紙に触れているそれらを宙に浮かせた状態で字を書くのは想像以上に苦行だった。嘘だと思うなら、試してみるとよい。
どうしても手がプルプルと震えてしまい、ミミズがのたくったような文字になってしまう。
しかし、ここで諦めたら「呪いの書再び!」となるのが目に見えているため、何度も何度も書き直しになりながらも何とか文字を書き連ねていく。
「何をやってるんだ、お前は……」
プルプル震えながらも真剣に紙面に立ち向かう様子に、たまたま部屋を覗きこんだレオノーラが呆れたような声を投げ掛けてきたが、気にしないことにしておく。
私自身も何をやってるんだと思わなくもないが、ここまで来たら諦めると負けのように感じて後には引けない。
「あたらしいあそび?」
違う。真剣な執筆活動だよ、リリ。傍から見ると罰ゲームか何かに見えるかも知れないが、そこに突っ込んではいけない。
「あまり無理なさらないで下さいね、アンリ様」
テナの優しさが心に沁みて、紙面が滲んで見えなくなった。
そんな皆の温かい声援を受けて、私の自伝は何とか完成した。
タイトルは──
書籍版「邪神アベレージ」発売記念ショートショートでした。
本日2015年9月7日、宝島社様よりいよいよ発売となります。
皆様からご評価頂けた結果であり、感謝しております。
書店などで見掛けられましたら、是非ともお手にとって頂ければと思います。
なお、もう一つお知らせがあります。
本話と同時刻に本作のスピンオフにして続篇に当たる新作を投稿開始致しました。
折角なので、この(個人的な)記念日に投稿日を合わせました。
タイトルは「召喚アトランダム」
こちらも併せて、よろしくお願い致します。
「召喚アトランダム」:http://ncode.syosetu.com/n3048cv/
北瀬野ゆなき
余談ですが、アンリさんはぷるぷる震えながら必死に執筆しましたが、実際には一時間に一度休憩を取って紙から手を放せば加護付与は発動しません。