外伝06:ある魔王の会食
お宅訪問第二弾
(第三弾の予定はありません)
黒薔薇邸には現在、四人の少女が住んでいる。
館の主人であるアンリ、アンリの眷属であり家事を統括するテナ、幼いながらに家事を手伝うみんなの妹分のリリ、そして居候のレオノーラの四人だ。
このうちアンリとテナ、そしてリリは館の定住者であるが、レオノーラはあくまで一時的に滞在しているに過ぎない。
魔王の娘であり後継者である彼女は、モラトリアム期間でもある旅の終わりの時が来れば、魔族領に戻る定めとなっている。
そもそも、彼女の旅に明確な期日は無いが、いつまでもずるずると続けるわけにはいかない。
彼女が自分自身で立てていた期限設定は「何らかの功績を上げるまで」というものだ。
そして、客観的に見ればそれは既に達成されている目標だ。
隣国の国家建設に関わり、その国家の要人と深い関わりを持つ。加えてその国家は、これまで敵対していたフォルテラ王国の国土を削り、間に挟まるように築かれている。また、その国家を通してこれまでは不可能だった人族領との交易すら行う話が出始めている。
魔王として即位するための功績としては十分過ぎる程だ。
故に、その連絡が来たのは当然の帰結であったと言える。
「国に戻る?」
「ああ、そろそろ戻ってこいという打診があってな」
レオノーラは本国からの定時連絡で帰還の打診があったことを、夕食の場でアンリ達に告げた。
「随分突然の話」
「いや、そうでもない。以前から匂わすような話はあった。
私もハッキリと言われるまでは放っておいたのだが、今回は流石にもう引き延ばせそうにない」
「そう……」
それはつまり、レオノーラ自身もまだここに居たいと言っているようなものであり、彼女は少し照れくさそうに顔を赤らめていた。
「それで、いつ戻られるんですか?」
「そうだな、明日には発つつもりだが」
「あ、明日ですか!?」
「ああ、ここから魔族領までそれなりに距離があるしな」
質問に返ってきた返事を聞き、テナが驚愕の声を上げる。確かに、随分と急な話だ。しかし、レオノーラの言う通り、馬車で移動するとしても魔族領まで数日は掛かる。しかも、そこから魔王城までは更に日数を要するのでなるべく早く発つべきだと言うのは理に適っている。
「で、物は相談だが……一度魔族領に来てみないか?」
「? 私達が?」
「ああ。友人として招待したいのだ。
無論、隣国の重要人物なので国賓として遇する予定だ」
アンリは今のところ神聖アンリ教国の公権力には携わってはいないが、実質的なコネクションを考えれば重要人物というのも強ち間違ってはいないだろう。
が、それなら本来は国を通して打診すべきことであり、直接誘いを掛けるようなものではない。
結局のところ、友人を家に招いてみたいというのが本音なのだろう。
レオノーラ=ロマリエル……魔王の後継者として生まれた彼女はずっとぼっちだった。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
翌日、アンリとレオノーラは邪神殿を訪れていた。
レオノーラはアンリ、テナ、リリの三人共を招くつもりでいたが、幼いリリを魔族領まで連れ回すのは流石によろしくないという話になり、それならばリリの面倒を見るテナも不参加とならざるを得ず、最終的にはアンリだけが同行することになったのだ。
「なぁ、アンリ……本気でアレに乗ってく気か?」
「そっちの方が早い」
「それはまぁ、そうなんだが。しかしだな……」
二人が邪神殿を訪れたのは、魔王城までの交通手段の確保のためだ。
まともに徒歩や馬車で行けば往復で一月近く掛かることになるが、テナとリリを黒薔薇邸に残している以上はアンリとしてもそこまで時間を掛けるわけにはいかない。
そのため、もっと早い交通手段を選んだのだ。ここにはそれがある。
しかし、その交通手段を聞いたレオノーラの顔は渋いものとなっていた。
本国には今日戻ることは伝えていたが、その交通手段までは連絡出来ていない。何しろ、それについてレオノーラが知ったのは本日になってからだったからだ。
その日の内に着く手段があると聞かされて、転移魔法か何かを駆使するのだろうと安易に考えてしまったことが裏目に出た。考えてみれば、神族であるアンリならば兎も角、人族のアンリにはそこまで自在に移動するだけの力はなかったのだ。
定時連絡の時間も過ぎてしまっているが、緊急連絡をしてでもそのことを事前に伝えた方が良いのでは……と悩んでいるうちにタイムオーバーとなってしまった。
諦めたレオノーラは、溜息を一つ吐くと儚い願望を呟いた。
「魔族領が大混乱に陥らなければ良いんだが……」
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
魔族領、魔王城。
魔族領の奥深くに存在するその城は、魔族の頂点に立つ魔王の居城にして魔族の本拠点でもある。
長年、人族と魔族は対立し戦い続けてきたが、その戦いは概ね国境付近で展開され、魔王城まで攻め込まれたことは一度もない。
しかし、だからと言って警戒を疎かにするようなことはない。
魔王城を中心として広範囲に幾層もの警戒網が敷かれ、ひとたび敵軍の影が見えればたちまちのうちに迎撃態勢が整えられるようになっている。
そしてその日、その警戒網のうち人族領に最も近い地点から緊急の報告が入った。
「陛下! 大変です!」
「騒々しい、一体何事だ?」
当代魔王であるエリゴール=ロマリエルの執務室に衛兵が駆けこんできた。
「たった今、国境近くの砦から巨大なドラゴンが魔王城に向けて一直線に飛んでいると報告が入りました!」
「ドラゴン、だと?」
「ハッ! 禍々しい漆黒の体躯のドラゴンとのことです」
報告を聞いた魔王は何かを思い出しそうになり考え込んだ。しかし、その考えが纏まる前に衛兵より問いが投げ掛けられ思考は散ってしまった。
「如何致しましょう?」
「空を飛んでくるのであれば、途中の警戒網も役には立つまい。
城の兵をドラゴンの飛んでくる方角に集めよ!
それと、レナルヴェ、ヴィクト、イジドの三名も向かわせろ。
私もすぐに行く」
「ハッ! 承知致しました!」
そう言うと慌ただしく立ち去っていく衛兵を横目に、魔王は装備を整え始めた。
魔王が城の東に姿を見せた時、そこには既に城の衛兵が終結し陣を敷き始めていた。
防衛陣は空から襲ってくるドラゴンに対抗するため、平地に盾を持った前衛を置き、城の防壁内に後衛の魔導士といった兵科を配置する形で構築されている。防御主体の前衛を囮としてドラゴンを引き付け、魔法で集中砲火を浴びせる構えだ。
緊急で集められた形だが兵達は混乱することも無く整然と列を為している。その様は魔族の練度の高さを表していた。
しかし、それも当然だろう。ここに集った者達は少数精鋭の魔族の中でも最精鋭と呼ぶべき者達なのだから。
そして、その直接の指揮を執るのは魔王の側近である四天王だ。
「前衛、盾の準備は!?」
「完了しております、レナルヴェ様!」
「魔導士隊、揃っていますね?」
「ハッ、欠員は居りません!」
前衛を烈風騎レナルヴェが、後衛を血氷将ヴィクトがそれぞれ統率している。一方で、剛地鬼イジドは平地で囮となる前衛を守るため、その土魔法を駆使して追加の防壁を築いていた。
「防壁はどうだ?」
「おお、こっちは終わったぜ」
ヴィクトの問いに対して、ニヤリと笑って返すイジド。
そこに、魔王が近付いてきて問い掛ける。
「防衛の準備は済んでいるか?」
「これは陛下、万事整っております」
それを聞き、魔王は頷くと東の方向を見上げた。レナルヴェ、ヴィクト、イジドの三名もそれに釣られるようにドラゴンが来るであろう方角を見上げた。
「早ければもうそろそろ見える頃かと思われます」
「まったく、姫殿下が帰って来られるという時に……」
「そう言えば、今日戻って来るんだったな」
「ああ、昨晩連絡があった」
「………………」
「陛下? どうかされましたか?」
「いや、何かを忘れているような気がしてな」
魔王は先程に続いて何かを思い出しそうになり考え込んでいるが、その思考は再び遮られることになる。しかし、それは同時に彼が考え込んでいることの回答でもあった。
「!? 見えました!」
レナルヴェが急速に近付いてくる黒い巨体を発見し、周囲に告げる。
「あれか……ん?」
「あれは、まさか……」
「あの時の!?」
「あん? どうしたんだ?」
魔王、レナルヴェ、ヴィクトはその龍の姿に見覚えがあったため、すぐに事情を悟った。彼ら三人はかつてダンジョン「邪神の聖域」で彼の黒龍と対峙している。それと、本日帰国予定というレオノーラからの連絡を合わせれば、推測は容易だった。
一方、イジドだけは状況が分からずに混乱している。
「レナルヴェ様! ヴィクト様! 迎撃指示をお願いします!」
「ま、待ちなさい! 撃ってはいけません!」
「は?」
「あれは、あのドラゴンに乗っているのは──」
視界に映る黒龍の姿は凄まじいスピードで近付いてくることでみるみる内に大きくなり、やがてイジドが懸命に築き上げた土の防壁を軽々と踏み潰しながら地響きを立てて地面へと着地した。
前衛の盾兵は慌てて黒龍の前方に弧を描く配置で陣形を整え直す。しかし、指揮官からの指示が無い為に手が出せずに戸惑っていた。
しかし、そこにヴィクトの叫ぶ声が響き渡った。
「──レオノーラ姫殿下です!」
その言葉に応えるように、黒龍の背で死角になっていたところから一人の少女が姿を見せた。
しかし、ヴィクトの言葉に反して、それはレオノーラではなかった。
この場に集ったもの達は、当然ながら一人の例外なく黒龍を注視していた。
それ故に、黒龍の背から姿を見せた少女に視線が集中するのは当然の帰結であったと言える。
魔王が、レナルヴェが、ヴィクトが、イジドが、そして全ての兵達が少女を見た。否、見てしまった。
艶やかな黒髪に妖艶な黒薔薇のドレス、端正な顔立ち、薄い胸部装甲、しかしその全てを上回る印象を放っているのは彼女の瞳だ。黒く澱んだオーラが立ち昇る様すら幻視出来る禍々しきその眼は、彼女が周囲を見回すことでその場に居合わせた全ての者の心臓を恐怖で鷲掴みにする。
魔王城の守護に就く精鋭達であるからこそ、強さを肌で感じることが出来る。彼らの中で最強の存在である魔王よりも、圧倒的な威圧感を放っている巨躯の黒龍よりも、その少女の齎す絶望は遥かに上だった。
そしてそれは、その場の統率者である魔王や彼の側近である四天王達も一緒だった。イジドは兎も角として他の者達は目の前の少女が来訪することも知っていたし、彼女の持つ魔眼のこともレオノーラからの報告で知っている。知ってはいるが、それでも本能的に齎される恐怖感を抑えることが出来なかった。
心の弱い者であれば即座に逃げ出すような威圧感の中、誰一人としてその場から逃げなかったことは称賛に値するだろう。
しかし、その心の強さが逆に彼らを追い詰める。逃げてはいけないという理性と、本能的な恐怖感のせめぎ合いに精神がガリガリと音を立てて削られていく。
そして、恐怖感に屈服した彼らは自然と同じ姿勢を取るのだった。それは両膝と両掌、そして頭の五点を地に付ける、過去から伝えられし最大限の謝辞を示す姿勢。
「お、おいアンリ!? 仮面を着けるのを忘れてるぞ!」
「……………あ」
アンリの持つ悪威の魔眼、それは魔王が土下座する程度の平均的な力を発揮した。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
のっけから一悶着あったが、アンリが仮面を着けることで土下座祭りは収束した。
集結していた兵達は解散し、彼女は城内へと迎え入れられ、当初の予定通り魔王との会食に出席することになった。参加者はアンリ、魔王、レオノーラ、それから四天王のレナルヴェとヴィクトだ。
一方そのころ、イジドは荒れ果ててしまった東の平地を元に戻す作業に追われていた。
「ふむ、目を直視しなければそこまで影響は無いのだな」
「仮面を着けてれば大丈夫」
フルコースのスープを飲みながら、魔王と言葉を交わすアンリ。彼女の着けている仮面は目元のみを覆うタイプであるため、食事をする支障にはならない。外から見ると目の部分も全て隠れていて一見前が見えないデザインに見えるが、内側からは見ることが出来るという優れ物だ。
彼女の魔眼は目を合わせることで効果を発揮する為、この仮面を着けていれば周りの者が土下座したり逃走したりすることはない。
「そうして居ると普通の娘のように見えるな」
「私は普通」
「フッ、元邪神にして教国の重要人物であり、神々とも面識がある人物が『普通の娘』か」
会食は主に魔王とアンリが言葉を交わす形で和やかに進んでいった。
一方そのころ、場外に留め置かれた黒龍ヴァドニールはイジドの土地修復作業を手伝い始めた。その巨体を活かし、彼が平らに戻した地面を足で踏み固めていった。
「そう言えば、一つ礼を言っておかねばならんな」
「お礼?」
「うむ、我が娘レオノーラのことだ」
「ちちう……陛下!?」
大人しく会話を横で聞きながら食事を進めていたレオノーラだが、急に話の矛先が自分に向いたことに焦りを浮かべた。
「私はレオノーラに友人を用意してやることが出来なかった。
命令して人を付けることは出来ても、それは臣下として。
真の友人とは言えないだろう」
「父上……」
「そなたがレオノーラの友人になってくれたこと、礼を言う」
「別にお礼を言われることじゃない、こちらから頼んだこと」
「フッ、そうか」
元邪神の少女に魔王に魔王姫。
特異な立場にある者達だが、今だけは一組の親娘とその友人の姿がそこにはあった。
一方そのころ、イジドとヴァドニールは協力して何とか東の平地を元の平らな状態へと戻すことに成功した。
なお、アンリの着けている仮面は魔眼を封じる最良の手段であるが、何も良いところばかりではない。加護付与によって強力な効果を有する代わりに、呪いも同時に孕んでいる。
悪鬼の短刀や邪神の黒衣と異なり外すことが出来ないわけではないが、この仮面──開封の黒面は被った者の感情のリミッターを外すという地味だが厄介な効果を有している。端的に言えば、感情を抑えることが難しくなるということだ。それ故に、普段は言わないようなことをポロっと口にしてしまったりすることが発生する。
「私もレオノーラに会うことが出来て良かった。
これからもずっと一緒に居たいと思う」
「ア、アンリ!?」
「むぅ、少々行き過ぎなのではないか?
レオノーラには次期魔王として後継者を産んで貰わねばならぬのだが……」
なお、仮面を被っている間は感情のリミッターが外れている状態のため何も思わないかも知れないが、外した瞬間に冷静に戻るため羞恥心に襲われることになる。
アンリは今晩は魔王城に宿泊する予定だが、しばらくの間ベッドの上で転げ回るだろう。
一方そのころ、イジドとヴァドニールは意気投合して酒盛りを始めていた。
「あの、一つ伺っても宜しいですか?」
「奇遇ですね、レナルヴェ。私も伺いたいことがあるのですが……」
談笑が途切れたところを見計らって、これまでは控えていたレナルヴェとヴィクトがおもむろに話を切り出した。
「ん? どうした二人揃って?」
レオノーラが首を傾げながら問い掛けると、二人はレオノーラの胸元へと視線を向ける。
「な、なんだ……?」
二人から露骨に視線を向けられ、反射的に膝の上に置いていたもので胸元を隠そうとするレオノーラ。しかし、彼らの視線は彼女の豊満な胸ではなく、むしろそれを隠す物の方に向いていた。
「「何故、ずっと人形を抱えられて居るのですか?」」
「って、そうだった!?
最近ずっと抱えていたから、自然過ぎて忘れてた!
ち、違うんだ……これは私の趣味ではない! やむにやまれぬ事情が!」
そう、彼らが見ていたのはレオノーラがずっと抱えており、胸元を隠すのに使用した人形だった。彼女は魔族領に帰ってきた時からずっとこの人形を抱えていたため、すれ違う者達は当然それに気付いていたし、気にもなっていたのだが、彼女の身分ゆえに気軽に聞けなかった。
彼女が抱えている人形は、三神の争いの時にも使用されていた呪いのテナ人形だ。うっかり触れてしまって呪われてしまって以降、お仕置きとしてそのまま放置されて今に到る。忘れたまま神殿を出てしまった為に、神族としてのアンリに気軽に会えなくなって解呪出来なくなってしまったのだ。
「ふむ、お前には女らしい趣味もさせてやれていなかったが……そのようなものが好みだったのか」
「違います! 違うんです、父上っ!?」
なお、レオノーラが抱えている呪いのテナ人形は傍から見ても不気味で、どう考えても女子らしい代物には見えない。
「彼女はこの人形がお気に入りで、片時も離さない」
「ふむ、そうか……まぁ、娘の趣味に口出しするような野暮なことはすまい」
「だから違うと……!
と言うか、アンリ! 九割方お前のせいじゃないか!?」
なお、人形を抱えた魔王姫の噂は早くも魔族領中に拡散し始めており、収拾をつけることは最早不可能だった。
後に伝えられる人形姫の伝説は、ここから始まった。