外伝05:ある従者の里帰り
「生まれ故郷に行きたい?」
テナがアンリにそう告げてきたのは、黒薔薇邸での生活が落ち着いてからしばらく経ってからのことだった。
「はい。ずっと決心が付きませんでしたけど、やっぱり一度家族には会いたいんです」
彼女がアンリの元に来た時にもそのような話があったが、その時には心の整理が付いていないということで後回しになっていたことだ。奴隷として売られた側として複雑な思いを抱くことは当然であったが、時間を置くことで整理を付けることが出来たと言うことだろう。
そして、そうであるならアンリの答えは一つだった。
「分かった、こっちは大丈夫だから行ってきて良いよ」
家事全般を統括するテナが居ないと色々と困ることは多いが、短期間であれば何とかなるだろうとアンリは快く了承した。アンリ自身も家事が出来ないわけではないし、レオノーラも居る。幼いリリも最近は結構家事を手伝ってくれているため、問題ないという判断だ。
そう考えて送り出そうとしたアンリに対して、テナから予想外の答えが返ってきた。
「あの……出来ればアンリ様のことも家族に紹介したいのですが、ダメでしょうか」
「……………え?」
おそらく、この場に他の者が居ればそれはやめろと止めてくれたのだろうが、幸か不幸かこの場には二人以外の者は居なかった。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
リーメルの街から馬車で数日のところにある小さな村。たまに行商や聖光教の牧師が訪れる以外にはほとんど人が訪れることがない村に、その日一台の豪華な馬車が訪れた。
物珍しさに注目する村人達の前で馬車の扉が開き、そこから二人の少女が降りてくる。
その内の一人の顔を見た瞬間、様子を窺っていた村人達の輪が一回り距離を置くように広がった。
理由は単純、彼女の顔には目元を覆うように黒い鋭角的なデザインの仮面が装着されていたためだ。黒一色の妖しい意匠のドレスといい怪しいことこの上なく、村人達が警戒するもの無理はない。
そのあまりのインパクトに、本来であれば村人達の注目を集めた筈の少女には全くと言っていいほど視線が集まらなかった。
「あの……」
「? ……テナ? テナじゃないか!?」
おずおずとテナが声を上げると、ようやく村人達はその存在に気付いて驚きの声を上げた。
元々小さな村なので、村人は全て顔見知りだ。みな、以前奴隷として売られていった少女のことは覚えている。一人が気付くと次々にテナのことに気付き取り囲もうとする。
しかし、その隣に立つ異相の少女に気圧されて近付けず、少し距離を置いて囲む形となった。
「無事だったんだな、テナ……」
「はい、ロイさん」
壮年の男性がテナに声を掛けると、それを皮切りに他の者達もテナに対して声を掛け始めた。
「良かったのう、みんな心配していたんじゃよ」
「ムーアおばあさん……」
杖を突いた老婆が涙を流しながら言うと、テナも目に涙を浮かべた。
「テナお姉ちゃん!」
「エピナ、ごめんね」
リリと同い年くらいの少女が駆け寄ってきてテナに抱き付くと、テナは穏やかな笑みを浮かべながら彼女の頭を撫でた。
「………………」
「………………」
そして、周囲に沈黙が訪れる。
村人の誰もが、テナとの再会を喜びながらも、その横に立つ少女のことが気になって集中出来なかった。
誰もが押し付け合って切り出せないでいたが、やがて先程の男性──ロイが恐る恐る尋ねた。
「ところで、その人は?」
再び仮面の少女に視線が集中するが、彼女はその視線に圧されることもなく悠然と佇んでいた。
「あ、この方は私のご主人様のアンリ様です」
村人達の間にどよめきが走った。
仮面を着けたアンリとテナの顔をそれぞれ交互に見て、何とも言えない複雑な表情を浮かべる。
村人達はテナが奴隷として売られていったことを知っている。
幼いながらも美しい容姿をしているテナのことだ、奴隷として買った人物が男性であればその意図は明白であり、村人達も敵意を向けたことだろう。
その点、問題の人物は歳若そうな女性であり、テナも好感情を抱いているように見える。自分達の身内であるテナがそのような人物に買われたことは他に無い程の幸運であり、村人達にとっても歓迎すべきことだ。
しかし……
──その仮面は一体何だ!?
今、村人達の心は一つになっていた。
年齢といい性別といい、自分達の身内であるテナが買われた相手としておよそ最も安全で幸運であろう人物に思えたが、その身に着けた怪しい仮面だけが気に掛かる。
何故そんな仮面を着けているのか聞きたい、聞きたいがもしかしたら失礼かも知れないと思うと、やはり切り出しにくい。
そもそも、彼女が乗ってきた馬車や着ているドレスを見れば、相当な財力を持つ権力者であることは間違いない。もしも機嫌を損ねれば、このような小さな村など呆気なく潰されてしまうかも知れない……そう考えた村人達は疑問を口に出すことが出来なかった。
実際には彼女──アンリは、この村が所属するフォルテラ王国では単なる一冒険者であるし、神聖アンリ教国においても実質的なコネクションは兎も角、公権力は何一つ有していないのだが、彼らはそのようなことは知る由もない。
結局、村人達がアンリの仮面に言及することは無く、二人はテナの家へと向かった。
村人達と別れたアンリとテナは、一軒の家の前へとやってきた。なお、村人達は今も遠巻きに彼女達の動向を気にしていたのだが、二人はそれには気付いていない。
その家はこじんまりとした木造の家で、建ててから結構な時間が経っているらしくあちらこちらが痛んでいた。
「そこが?」
「はい、私の……家族が住んでる家です」
アンリの問いに、テナは『私の家』とは告げなかった。その表情は複雑そうに眉根を歪めたものとなっている。
扉の前に立ち、ジッと取っ手を眺めるテナ。
「入らないの?」
「……今、開けます」
アンリに穏やかに促され、テナは決意したように手をギュッと握るとおずおずと取っ手へと伸ばした。
しかし、テナが扉を開ける前に横から声が掛けられる。
「…………テナ?」
そこに居たのは、三十台後半くらいの質素な服を着た金髪の女性だった。女性は信じられないという表情を露わにしながら、テナを凝視している。
「お母さん!」
扉を開けることを躊躇っていたが、やはり心の中では会いたい気持ちの方が大きかったのだろう。テナは涙を浮かべながら女性に駆け寄ると、その胸にギュッと抱き付いた。
テナの母親はしばしの間呆然としていたが、やがて現実だと理解出来たのか泣きながらテナを抱き返した。
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家の前で繰り広げられた声に気付いた他の家族達も外に出て来て、お互いに目に涙を浮かべなら抱き合って奇跡的な再会を喜びあった後、アンリとテナは家の中に招き入れられた。
テナはテーブルに着いてこれまでの経緯を話せる範囲で話す。奴隷商人に売られて死病で命を落とし掛けたり、奴隷として売られるまでの扱いなどを聞くと、テナの家族達は思わず大声で泣いた。
「テナ……テナ、すまなかった! 本当にすまなかった!」
テナの父親がテーブルに頭を磨り付けるようにして謝るが、テナは静かに首を振った。
「大丈夫だよ、お父さん。あの時私を売らなかったら、結局みんな飢えて死んじゃってたのは分かってるから。それに、そのおかげでアンリ様達と会えたんだから……もういいの」
テナがそう言うと、父親はテーブル越しにテナの手をギュッと掴み、額に押し付けて泣いた。
ひとしきり泣いた父親は、今度はアンリに向かって頭を下げ始める。
「貴女がテナを救ってくれたのですね、ありがとうございます! ありがとうございます!」
「ありがとうございます!」
「ありがとうございます!」
「ありがとう、お姉ちゃん!」
父親に続いて、母親、兄、弟が次々にアンリに感謝を述べながら頭を下げる。
一歩引いたところで、お茶をすすりながらボーっと家族の再会の様子を眺めていたアンリは、突然自分に話の矛先が向いたことに戸惑い、焦りを浮かべた。
両手を彼らに向けて、口を開く。
「別に……大したことはしてない」
アンリはそう言って辞そうとするが、テナの家族の感謝の視線は変わらなかった。
しばらくそうやって感謝と遠慮の攻防を繰り広げていたが、そのうちふと疑問の声が上がった。
「ねぇねぇ、どうしてお面を着けてるの?」
「こ、これ!」
村人達が聞けなかったことを、テナの弟が幼い故の無邪気さで聞いたのだ。
母親が慌てて止めようとするが、遅かった。
「どうしてって、それは……」
アンリが仮面を着けている理由は二つ、目を合わせることで発動する魔眼を封じることと、神族としての自分と同じ顔をしていることの影響を怖れてのためだ。
しかし、それを説明するには自分のスキルや邪神との関係などにも触れる必要がある。
先程テナの家族にこれまでの経緯を説明した際には、魔導士の家系の生まれでリーメルの街の近くで研究を行っていると誤魔化してしまっている。
今更、真実を説明するのは困難だ。
「それは……」
「それは?」
焦らすように言葉を止めるアンリ。実際には説明に困っているだけなのだが、傍から見ると溜めを作っているようにしか見えない。
その場に居る全ての人物がアンリの言動に注目している。
先程は息子の無礼を止めようとしていた母親もやはり気にはなっていたらしく、同じく一挙一動を見守っている。
「それは……」
「それは?」
あまりの思わせぶりな様子に、事情を粗方把握している筈のテナまで身を乗り出している。
いよいよ後に引けなくなったアンリは、思い付くままに一言理由を告げた。
「格好いい、から?」
散々気を持たせておきながらのこの答えに、幼い弟以外の全ての者達がガクッと崩れ落ちた。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
「良いの?
もっとゆっくりしてきても良かったのに」
「いえ、大丈夫です。
あれ以上居るとお別れしづらくなってしまいますし……」
別れを惜しみ、しきりに滞在を勧める家族達と別れ、帰路に着いた馬車の中でアンリはテナに尋ねた。
「それに、今の私の家は……黒薔薇邸ですから」
「……そう、分かった」
そのやり取りを最後に、穏やかな沈黙が馬車の中を満たした。
「あ、あの! 私もアンリ様の仮面は格好いいと思います!」
「……うん、ありがとう」
感動的な再開シーンの筈なのに悉くマスクドアンリ様がチラついて集中出来ません。