19:邪神の誘惑
気が付いたら光源が1つもない真っ暗な空間に立っていた。
見覚えのある光景に慌てて自分の格好を確認する……よかった、ちゃんと服を着ている。
パチパチと言う音が耳に入り、そちらを向くと予想通りの人物が立って拍手をしていた。
長い黒髪をした少年……私を今の世界に放り込んだ邪神だ。
「やあ、久し振りだね」
相も変わらずの人を喰ったような笑みを浮かべながら、邪神が私に向かって話し掛けてくる。
「何の用?」
「つれないね、感動の再会だと言うのに」
冗談じゃない、少なくとも私の方には感動する要素が何一つない。思えばここ一年程の様々な苦労は全て、目の前の邪神が大本の原因だ。まさに疫病神という言葉が相応しい。
このタイミングでこの空間に誘い込まれたことも、嫌な予感しかしない。
「まぁいいや。
今日ここに招いたのはさっきの拍手の通り、君のこれまでの成果に対して感謝と報酬を与えるためだよ」
「感謝と報酬?」
予想外な言葉に思わず聞き返してしまう。これまでの成果とは何を指しているのだろう。
「まずは感謝の方だけど、君の行動は見ていてとても愉しかったよ。
単なる思い付きだったけど、君をこの世界に送り込んで本当に良かったよ」
こんにゃろう。
薄々そんな気がしていたけれど、私は目の前の邪神にとって玩具のような位置付けのようだ。
「そもそも、何のために私を送り込んだの?」
「手の者を送り込んだ理由なら、宙に浮いてた信仰を利用して眷属を創るためだね。
それが君であった理由は、面白そうだったからだけど」
「つまり、私が神族になったのは既定路線だったと言うこと?」
「違うよ、確かにそうなり易いようにお膳立てはしたけど、そうなるかどうかは僕にも不明だった。
実際、驚いているんだよ? まさか、あんなに早く神族になるなんて、予想もしていなかったからね」
邪神の回答を聞いて少し安心した。これまでの私の行動が全て彼の掌の上だったりしたら、正直ショックが大きい。
「もし、私が神族にならなかったらどうしたの?」
「別に? その時はその時だよ。
なったら良いなとは思っていたけど、必須と言うわけではないしね」
随分と適当な扱いだが、特に腹は立たない。
「眷属を創ると何かメリットがあるの?」
私の眷属はテナとインペリアル・デスだが、彼女らは私にとって味方だからこそ役に立ってくれている。目の前の邪神にとって私は眷属に当たるのだろうけど、私としては彼に仕える気など無いし、彼のために何かをするつもりもない。
こんな眷属を創って、果たして何のメリットがあるのだろうか。
「眷属の質や量はステータスになるんだよ。
少ないよりは多い方が良いし、使徒族よりは神族、野良神よりは主神の方が価値が高い。
そういう意味では、この世界で主導権を握った君は、価値が高い方だね」
「主導権を握った?」
ソフィアやアンバールと行った勝負のことを言っているのだろうか。私は勝負に負けた立場なのだけど。
「まぁ、予想とは大分異なる展開ではあったけど、結果的に最も多くの『権能』を手に入れたんだから、世界の主導権を握ったと言っていいだろう。
重要なのは過程ではなく結果だから、君達の勝敗の基準なんかはどうでもいいんだ」
確かに、勝負に負けて仕事を押し付けられたせいで、私の持つ『権能』は三柱の中で最も多い。それは主導権を握ったと言えるのかも知れないけれど、勝負に負けて褒められるのも何だか釈然としない。
「で、そんな頑張った君にご褒美でもあげようかと思って」
「だから、報酬?」
「そういうこと。
で、肝心の報酬の内容だけど……君が望むなら、君を人間に戻した上で地球に転移させてあげよう」
───────ッ!?
全く予想していなかった言葉に、思わず息が止まった。
人間に戻れる? それだけじゃなくて、元の世界に帰れる?
「悪くない話だよね?
どちらも、普通ならあり得ない報酬だよ。
今この時を除けば、二度とこんな機会は来ないからね」
邪神が畳み掛けるように話し掛けて来るが、私は頭が混乱してしまって言葉の意味が中々理解出来なかった。何とか必死に気持ちを落ちつかせて、疑問に思ったことを問い掛けた。
「眷属を創ることが目的なのに、私を人間に戻していいの?」
先程の話では彼の目的は質の高い眷属を創ることであり、私が神族になったことでそれは果たされた。だと言うのに、その褒美に私を人間に戻してしまっては本末転倒としか思えない。
「人間に戻すと言っても、厳密には『神としての君』から『人としての君』を分離すると言うべきかな。
眷属としては残った『神としての君』だけで十分だよ」
どうすればそんなことが出来るのか私には想像も出来ないけれど、軽く述べる彼の様子を見る限りでは、本当に出来るのだろう。
本当に人間に戻れる……?
「眷属として『神としての君』がこの世界に残っているなら、『人としての君』は別に必要ない。
さっき言った通り、望むなら地球へ転移させてあげるよ」
人間に戻れるだけじゃなくて、元の世界にも帰れる……。
今まであまり考えないようにしてきたけれど、その言葉を聞いた瞬間に元の世界の家族や友人のことが思い出されて、途端に懐かしさが溢れ──
「但し、当然ながら転移は一方通行だよ。
地球に転移した後は、こちらの世界に戻ってくることは認められない」
冷や水を掛けられたような気持ちになった。
待って、それは……。
「勿論、君以外の人物を地球に転移させることも出来ない。
地球を選ぶなら、この世界の者とはお別れと言うことになるね」
元の世界へ戻るなら、テナやレオノーラ、リリ達とは二度と会えない、それは世界を隔てるなら当たり前のことかも知れないけれど、その事実が私の胸に深く突き刺さった。
元の世界の家族や友人か、今の世界で出会った人達か、どちらかを選んでどちらかを捨てなければならない。
私は目を閉じて心の中で両者を天秤に掛ける。
長い年月を過ごしてきた元の世界の人達と、時間は短いけれど深く関わった今の世界の人達。
こんな選択肢はどちらを選ぶのも苦しいことで、中々決断出来ない
……筈だ。
それなのに、私の中の天秤は不自然な程に呆気なく傾いた。
やっぱり、おかしい。
先程、元の世界に帰れると思った時にも、不思議と懐かしさが湧いて来なかった。
何かが変だ、決定的な何かが間違っている。
そうだ、目の前の邪神の言葉を鵜呑みにしては駄目なのだった。それで前回も失敗している。
私の言葉を意図的に読み間違えたのかどうかは未だに分からないけれど、彼によって願いを歪められて叶えられたところから全ては始まった。
今回は彼からの提案だが、その意図しているものが私の認識と異なる恐れは十分に存在する。
冷静になった頭でこれまでのやり取りを思い返して、違和感を覚えるところはなかったかを確認する。
「さぁ、君はどちらの世界を選択する?
地球か、今のせか──」
「何故?」
「え?」
違和感を見付けて、私は邪神の言葉を遮った。
「何故、貴方は──
──『元の世界に戻る』と言わずに『地球に転移する』と言うの?」
「…………………」
絶えず人を喰ったような笑顔を浮かべていた邪神から笑みが消え、無表情になった。
思えば、最初に会った時からずっと、彼は私を何処から連れてきたかなんて一言も言わなかった。
私も『元の世界』の最後の記憶から、当然そこから連れて来られたと思っていたため、特に気にしていなかった。
また、突然家族や友人と引き離されて異世界に放り込まれたなら普通は元の世界に帰りたいと思う筈だが、私は何故かその気持ちが湧かなかったし、会えると思っても懐かしさも薄かった。
そしてもう一つ。今回、私は普通に服を着ている。前回は裸だったのに、だ。目の前の邪神がわざわざ私の服を脱がすような存在とも思えないし、それなら何故前回は裸だったのか。
「一つ教えて、『元の世界』の『私』は元気?」
「…………………ふふ、あはははははははっ!」
私の問い掛けに、無表情だった邪神が唐突に大声で笑い出した。
「あははは、参った参った。僕の負けだよ。
よく気付いたね。僕がこれまでにあった人間では、可能性に気付いても中々受け入れられない人が多かったのに」
ああ、その言葉で全て肯定されてしまった。
私は『元の世界』で生まれたのではなく……。
「そうだね、君が『元の世界』と呼ぶ『地球』で生きていた少女の肉体と記憶をコピーして、僕が産み出した存在だよ。
最終的に神族になる眷属を創るには、その方がやりやすかったからね。
ちなみに、君のもとになった少女も普通に元気だよ」
前回私が裸だったのは、文字通り「生まれたままの姿」だった。連れて来られたのではなくこの場所で産み出されたのだから、服など着ている筈がない。
「つまり『元の世界』……違う、地球に行っても……」
「君の居場所は何処にもないし、待っている人も居ないね」
地球には私のもとになった『私』が既に居るのだから、当然だ。私が行っても、せいぜいドッペルゲンガー扱いされるのが関の山だ。
「もし、私が気付かずに『地球に転移』するって答えてたらどうしたの?」
「別にどうもしないよ、望み通り『地球に転移』させてあげてたさ」
危ないところだった……どう転んでもロクな結果にならない選択肢を掴まされるところだった。
「何でそんな引っ掛けをしたの?」
私はジト目で睨み付けながら、邪神に問い掛けた。睨み付けても、当然ながら私の魔眼の効果など彼は微風ほどにも感じていない。
「報酬をあげる前の、最後の試練と言ったところかな」
「報酬……」
その話は活きていたのか。しかし、あんな性質の悪いトラップを仕掛けられた直後だと、どうしても疑いの眼差しを向けざるを得ない。
「いやいや、今度は本当だよ」
最早信用度はゼロだけど、取り合えず話を聞いてから判断することにして、私は先を促した。
「と言っても、報酬は先程の話と変わらないんだけどね。
後半の部分が無いだけで」
先程の話と言うのは「私を人間に戻して、地球に転移させる」と言っていたことだろう。後半が無いということは前半の「人間に戻す」と言う部分だけ叶えると言うことだろうか。
「勿論、報酬だから無理にとは言わないよ。
選択肢をあげるから、自由に選んでくれて構わない」
確かに、考える価値のある報酬だ。
今はまだ神族になって日が浅いから実感が湧かないし、私もなるべく考えないようにしていたが、この先年月が経つにつれて『神』と『人』の差は大きくなっていく。使徒族のテナは兎も角、レオノーラやリリや他の人達は歳を取って、やがて命を落とすのに、私達だけは取り残される。
神族になる前のように、人としてみんなと一緒の時を過ごしたいと思ったことがなかったと言えば嘘になる。
しかし、先程の例があるため安易に頷くことは出来ない。
「そこにデメリットはないの?」
認識の違いは兎も角、目の前の邪神は質問されれば答えるし、一度も嘘は吐いていない。積極的に問いただして違和感がないかを確認するのが、よりよい選択をするための必須事項だ。
「デメリットかい? そうだね……ん?」
私の質問に考える様子を見せていた邪神が、何かに気付いたように私の横に視線を向けた。私もつられてそちらの方を向くが、真っ暗な空間が広がっているだけで特に何も……いや、光の線が縦に走ったかと思ったら、そこから強い光が差し込んできた。
私は嫌な予感がして反射的にその光の線上から身を逸らす。
すると、次の瞬間縦に走った光から光線が伸び、私のすぐ横を通って遥か向こうまで駆け抜けていった。
「アンリ! 無事ですか!?」
「死ぬかと思った」
光の線があったところに空いた穴から剣を持って飛び込んできたソフィアに、そう返す。本当に、避けてなかったらどうなっていたことか。
「ぴんぴんしてんじゃねぇか」
「危うく吹き飛ぶところだった」
確かに傷一つ負っては居ないけれど。
続いて姿を見せたアンバールに返事をするが、どうも意図が伝わっていないように見える。
「アンリ様、ご無事ですか!」
「大丈夫か! ……っ!?」
「ひっ!?」
続いてテナ、レオノーラ、リリがこの空間に飛び込んできたが、邪神と目が合うとレオノーラは即座に土下座を始め、リリはテナの後ろに隠れてしがみ付いた。まぁ、私の魔眼で駄目なら彼の目も駄目なのは仕方ない。
「遅ればせながら馳せ参じました。何なりとご命令を」
最後に漆黒のローブを翻してインペリアル・デスが姿を見せ、私と邪神の間に立った。既にその手には大鎌が構えられており、臨戦態勢だ。
みんな心配して駆け付けてくれたようだけど……わりともう粗方片付いた後だよ。
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「大分近くに寄せたとはいえ、まさかこの空間まで追い掛けてくるなんてね」
取り合えずみんなを宥めて、邪神が用意した円卓に座って話を続けることにした。
これまでの経緯を説明して一段落したところで、邪神がそんな言葉をもらした。
「アンリの眷属であるテナであれば、主従の繋がりから場所は分かります。
そこまで辿り着くための穴を空けられるかどうかは賭けでしたが」
「俺の力をそっちの生真面目女に渡して、二人分でやっとってところだったな」
そこまでして駆け付けてくれたのは有難いけれど、その場合延長線上に私が居ることを忘れないで欲しかった。
「そっちの眷属や友人は兎も角、君達がそこまでして彼女を助けに来るなんてね」
「それは勿論、彼女に居なくなられては困りますから」
「折角仕事を押し付け……任せられる相手が出来たんだからな、いきなり居なくなられちゃ困るんだよ」
飛び込んできた時の本気で心配している様子からするとそれだけではなさそうだけど、そういうことにしておこう。私も照れくさいし。
「さっきの話だけど、私が人族に戻った場合、眷属のテナや彼はどうなるの?」
テナは元々加護付与をした時から眷属になっていたが、私が神族になったことで使徒族へと種族が変わっていた。
インペリアル・デスはノーライフキングだった時に加護付与をして眷属になったが、その時点ではまだここまで飛び抜けた存在ではなかった。彼が限界を突破したのは、やはり私が神族になった時だと思う。
どちらも、私が神族になったことが存在に影響している。ならば、私が人族に戻った場合はどうなるのか。
「眷属は『神である君』と『人である君』のどちらかを選択することになる。
『神である君』を選んだのであれば、今のまま変わらない。
『人である君』を選んだのであれば、君が神族になる前の状態に戻るだろうね」
「『人である私』を選んだ眷属は、もう『神である私』とは関係なくなるの?
あるいはその逆は?」
「直接は関係ないけど、『人である君』が『神である君』の一部であることには変わりがない。
人としての一生を終えたら、魂は『神である君』に統合される。
『人である君』を選んだ眷属も、その時に『神である君』のもとに戻るよ。
そういう意味では、どちらを選んでも100年後には大した差は無くなるね」
要するに、このまま神族と使徒として生き続けるか、人としての一生を経てからそうなるかの違いということかな。
一見する限りデメリットは無さそうだけど、彼の信用度はゼロなので、私はオブザーバーに聞いてみることにした。
「彼の言っていることは全部本当、ソフィア?」
「前例を見たことはありませんが、理屈としては正しいと思います。
普通なら神族から人族になるなど不可能ですが、人族から神族になり、未だ肉体を有している貴女だけは例外です。
付け加えると、『人である貴女』を分離した『神である貴女』は、神族としてより純化した存在となります。
眷属がステータスというのは私達には分からない感覚ですが、その方が彼にとっても価値が高いということもあるのでしょう」
その言葉に邪神の方を向くと、彼はスッと目を逸らした。
自分のメリットを敢えて話していなかったようだが、それくらいであれば別に私にとってデメリットと言うわけでもないし、気にすることはないか。
「私が人族に戻ることを選んだら、貴方達はどうする?」
「私は……」
私はテナとインペリアル・デスに問い掛けた。テナは回答を迷っているようだ。私は彼女に人として一緒に生きて欲しいけれど、この選択は彼女自身がするべきことだろうと思う。
「私は、やっぱり『人としてのアンリ様』を選びます。
そちらの方が身の回りのお世話とかお役に立てると思いますし」
「そう、貴方は?」
テナの回答を聞き、私は続けてインペリアル・デスへと質問を向けた。
「余は『神としてのアンリ様』にお仕え致します。
元より不死のこの身、『人としてのアンリ様』のお傍に仕えるよりはその方が良いでしょう」
彼は迷わず、そう答えた。元より邪神への信仰を抱いている彼にとっては、当然の選択だろう。
「さて、話は纏まったかな。そろそろ結論を聞かせてよ。
君は『神』として存在するのか、それとも『人』として生きるのか」
眷属達の希望を聞き終わった私に、邪神が選択を迫ってきた。
「私は……」
次回、本編完結
なお、マルチエンディングではありません。ルートは一本です。