05:聖なる場所
差し込む光に意識が浮上する。
どうやら今日は目覚まし時計に叩き起こされる前に目が醒めたようだ。
折角気分良く起きられたのにけたたましい音は聞きたくない為、鳴る前に目覚まし時計を止める為に寝ころんだまま手を伸ばす。
枕の横のいつもの場所に置かれている筈の目覚まし時計を手探りで探すと固いものが手に触れた。
私はそこに対して上から掴むようにして目覚まし時計のボタンを押そうとし……その途端親指の付け根に走った痛みに飛び起きた。
「つっ!?」
痛みの走る右手を見ると、親指の付け根辺りに縦に傷が走っておりそこから血が滲み出ていた。
突然の事に混乱して先程手を伸ばしたところに目をやると、そこには目覚まし時計の代わりに禍々しい漆黒のナイフが転がっていた。
私は混乱しながら周囲を見回して、そこが自分の部屋で無い事を思い出す。
木造の6畳程の部屋にシンプルなテーブルセット、そして部屋に不釣り合いな漆黒の天蓋付きベッド。
そうだ、異世界に放り込まれて宿屋に辿り着いたんだったんだ。
ん?
おかしい、何か違和感がある。
いや、異世界と言う時点で違和感とかそういうレベルではない程の差があるのだが、それを抜きにしても昨夜と光景が違うような……。
私は黒い布団の上で見え難い漆黒のローブを手繰り寄せながら、寝起きで上手く働かない頭を必死に動かそうとする。
って、黒い?
そうだ、違和感はこのベッドと布団だ。
昨日寝た時は質素な木製のベッドに白いシーツと布団だった筈。
それがいつの間にか真っ黒な天蓋付きベッドに……まさか誘拐された?
いやでも、部屋は昨日寝た部屋と一緒のようだし。
状況が飲み込めない私の視界に先程のナイフが入る。
先程は何故このナイフがここにあるのかと思ったが、よく考えれば呪いの所為かと理解出来た。
アイテムボックスに仕舞っていたが、装備から外せない呪いにより寝ている間に飛び出してきたのだろう。
ってことは毎晩こうなるのか、今回は掠り傷で済んだけど何とかしないとその内大怪我しそうだ。
私は傷口を舐めながら、今後のことを考えて頭を抱える。
ナイフについて思い出したことでベッドについても何が起こったのか理解出来た。
眠っている間に加護付与スキルが発動したのだろう。
その時にナイフやローブの時に聞こえた声が聞こえたのかも知れないが、生憎眠っていた私は聞き逃したみたいだ。
つまるところ──
「やっちゃった」
スキルのせいで宿屋のベッドを魔改造してしまったらしい。
これ、弁償しないといけないんだろうか。
豪華になったってことで許して貰えないかな。
朝一からのトラブルにげんなりしながらも、私はローブを羽織って靴を履いた。
後で考えることにしよう。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
朝食を頂いてから宿屋から外に出る。
宿屋のおばさんに今日行きたいところの大まかな場所は聞けたので、後は歩いて探すことにする。
目的地は2つ、冒険者ギルドと教会だ。
冒険者ギルドでは登録を行ってギルドカードを習得したい。
積極的に冒険する気などないが、身分証が無いと色々と困る場面がありそうだし、お金を稼ぐ手段も確立したい。
教会に行く目的は解呪のためだ。
朝のトラブルでも感じたが、やはりこのローブとナイフの呪いはさっさと解いておきたい。
解呪=教会という連想はゲームの影響を多分に受けていることは自覚しているが、他に心当たりが存在しない以上は当たってみるしかない。
呪いが実在する以上は解く方法もあると思うし、仮に教会で出来ないとしても困っていることを相談すれば対処法を教えてくれるだろう。
迷える子羊に救いの手を。
教会の方が若干宿屋から近いらしいので、まずは教会に向かう。
泊まった宿屋は街の西側にあったが教会は北側の領主の屋敷の手前、冒険者ギルドは東門の近くにあるらしい。
中央広場を左に曲がり、東西を分断する大通りを北に向かって歩く。
しばらく行くと、正面に大きな屋敷が見えてきた。
おそらくあれがこの街の領主の屋敷なのだろう。
だとすると、その手前にある尖塔が特徴的な建物が教会か。
勝手なイメージで教会=十字架だと思っていたが、よく考えればそれは元の世界のキリスト教に限定された話であって、この世界の教会に十字架は無い。
入口近くまで歩いていくと、開け放たれた扉の奥に聖堂と呼ぶのが相応しい厳かな部屋が見えた。
長椅子が立ち並ぶ奥に教壇があり、神父と思しき人が説法を行っている。
その奥には神々しい女神像が鎮座しており、人々は椅子に座りながらその像に向かって祈りを捧げている。
うん、ここが教会で間違いない。
それにとても清浄な空気で、解呪も期待出来そうだ。
私は軽くなった足取りで教会の入り口に向かいその扉をくぐ……みぎゃっ!?
扉をくぐろうとした瞬間、私はそこにあった見えない壁に正面から激突した。
顔面に受けた衝撃に蹌踉めくように一歩下がった私の前で、空間に罅が入っていた。
なんなんだ、これ。
不思議に思って恐る恐る指で突いてみると、そこから罅が広がっていきパンッという軽い音と共に教会を包んでいた何かが弾けて消えた。
「あ」
これはもしかしてあれか、結界とかなのだろうか。
聖なる力で施された外敵を退けるための結界……っていやいや、何でそれで私が弾かれるのか。
しかも突いただけであっさりと壊れたし。
「…………………」
「…………………」
「…………………」
「…………………」
「…………………」
ふと見ると、教会の中の全員が私の方を見て凍りついたように固まっている。
さっきの結界が割れる音が中にも響いていたらしく、私の一挙一動に視線が集中している。
え〜と、私のせいである可能性は無きにしも非ずレベルだと思うけど、傍から見れば明らかに私が結界を破壊したように見えたであろうことは理解出来た。
かくなる上は──
「…………………戦略的撤退」
私は必死に笑顔を作って小首を傾げると、そのままそそくさとその場を後にした。
後ろで上がった悲鳴なんて聞こえない聞こえない。
結界にぶつかった時にフードが外れていたことに気付いたのは中央広場まで戻ってきた後だった。
慌ててフードを被り、広場沿いのカフェで一息吐くことにした。
注文した紅茶を啜りながら、先程の出来事について考える。
教会に聖なる護りが掛けられているというのはありそうな話だけど、どうして私が弾かれなきゃいけないのか。
私は人間であって悪魔とかじゃない……って『邪神の御子』の称号の所為かぁ!?
うん、他に思い当たる節は無いし、多分間違いないな。
この称号持ってると人外扱いされるのか、いい迷惑だ。
やっぱりあの邪神は一度殴りたい。
この有り様じゃ当分教会には近付かない方が良さそうだ。
フード無しで顔を見られてしまったし、目も合わせてしまったから魔眼の影響でろくなことにならない。
解呪も当分は諦めるしかなさそうだ。
私は紅茶を飲みながら深く溜息を吐いた。