04:人心地
盗賊とその被害者の両方に逃げられると言う心を抉るイベントを受けてしばらく立ち尽くした私だが、気を取り直して先程投げ付けられて私の顔面を強打してくれた革袋の中身を確かめてみた。
先程の痛みを伴う経験から予測していた通り、そこには金銀の貨幣が詰まっていた。
この世界の貨幣価値が分からないが結構な量があり、そこそこの大金ではないかと思う。
……その分痛かったけど。
中身を詳しく数えてみると、金貨が5枚、銀貨が48枚、銅貨が114枚入っていた。
こんな重い物を顔面にぶつけられてよく無事だったな、私。
おそらくだが、先程の馬車の持ち主はこのお金で盗賊に命乞いでもしているところだったのだろう。
そこに私が現れて、咄嗟に手に持っていたものをよく確認せずに投げ付けてきた……改めて思い出すとちょっと腹が立ってきたな。
意図的ではないとは言え命の恩人に向かって物を投げ付けて逃げ出したわけだから、私のこの怒りは正当なものだ。
よって、このお金は慰謝料として貰っておこう。
返す機会も無さそうだし。
そう結論付けて、銀貨と銅貨を何枚かずつローブのポケットに入れ、残りは革袋ごとアイテムボックスに放り込んだ。
さて、これからどうしたものか。
先程の反応を見る限り、街に辿り着けたとしても受け入れて貰える可能性は低いと思う。
恐れて逃げられるならまだマシで、下手をすれば攻撃されてしまうかも知れない。
しかし、このまま人里に近付かないで生活するのは無理だ。
私はサバイバル技術など持っていないし、仮に持っていたとしても異世界では役に立つか疑問だ。
結局、生きていく為には何とか街に行かないといけない。
何とか厄介なスキルを抑えられないものか……。
いや、待てよ?
先程の盗賊や馬車の持ち主は私と目を合わせてから怯えた様子を見せていた。
つまり怖がられたのは魔眼による効果であり、気配だけならそこまで影響は無かったと言うことではないか。
ついついセットで考えていたが、人間に対して効果が低いと書かれていたのは邪神オーラに関してだけで、悪威の魔眼についてはその限りではない。
邪神オーラがそこまで問題とならず悪威の魔眼だけが問題になり得るのだとしたら、まだ対処法はある。
魔眼は目を合わせることが条件なのだから、目を合わせない様にしていれば効果は発揮されない。
幸いにしてローブにはフードも付いている為、目元まで隠して目を合わせないようにすれば、気配でちょっと不気味に思われる程度で済む……といいな。
希望的観測が多分に混ざっているのは否定出来ないが、選択肢が無い以上は当初の予定通り街を探すことにする。
差し当たってここからどちらに向かうかだが──
「……こっちにしよう」
先程の馬車が逃げた方向、ではなくその逆を目指すことにする。
馬車が来た方向と向かった方向のそれぞれに人里はあると思うがどちらが近いかは分からない。
確率は均等に2分の1。
それなら、仮に馬車の持ち主と再会した場合、どう転んでもトラブルにしかなりそうにないので逆方向に行こう。
そうして私は再び歩き出した。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
時計が無いので正確には分からないが、2時間程歩いたところで森は途切れ草原が広がっていた。
以前の私ならとっくに疲労で動けなくなっている筈だが、身体能力強化の影響か汗一つ掻いていない。
街道は草原を突っ切るように伸びており、その向こうに遠目だが街が見えた。
周囲を壁で囲われた、そこそこ大きな街のようだ。
見えている距離とは言え、あそこまでだと更に1時間程度歩く必要があるだろう。
私は草原を見渡して危険そうな生き物が居ないことを確認すると、街に向かった。
街に近付くと街道の先に門と入口に併設された小さな建物、そして門の前に並ぶ数人の人や馬車が見えてきた。
私は並んでいる列の後ろに静かに加わると、耳を澄ませて情報収集に努める。
この世界の常識を知らない私にとって、街に入る為の手続きも分からないからだ。
馬車に乗った商人達は門を護る衛兵にカードを見せ、馬車の荷台のチェックを受けて通っている。
徒歩の者達は商人達と同じようにカードを見せる者も居れば、銀貨を払って木の札を受け取っている者も居る。
おそらく、あのカードは身分証のようなものなのだろう。
しかし、持っていない者も居るようだが、その場合は銀貨1枚を支払えば通れるみたいだ。
こんなザルな仕組みで良いのか気になるが、私にとっては好都合だ。
私はローブのポケットに入れた銀貨を握り締めながら、順番が回ってくるのを待った。
「次の者……1人か?」
「ええ」
順番が回ってきたので、私は衛兵の前まで歩み出る。
内心では心臓がバクバク言っているが、表には出さない。
幸いフードで目元まで隠して目を合わせないようにしているお陰で、怯えられてはいない様だ。
「女か。身分証を持っているか?」
「持っていない」
「ならば保証金を払って貰い、仮身分証を発行する。
保証金は銀貨1枚だ」
通行料じゃなくて保証金だったのか。
出る時には返してくれるのかな。
私はローブのポケットから銀貨を取り出すと、彼に手渡す。
「確かに預かった。
保証金は街を出る際に仮身分証と引き換えで返却する。
街の中で正式な身分証を取得しても仮身分証は捨てないようにしろ」
「分かった……正式な身分証はどうすれば取得出来る?」
「田舎の村からでも出てきたのか?
手っ取り早いのは冒険者ギルドで登録して冒険者カードを取得することだな。
後は教会や商人ギルドもあるが、前者は街の住人か入信者でないと駄目だ。
後者の商人ギルドは商人しか入れないからお前さんの場合は関係ないだろう」
まぁ、どう見ても私は商人には見えないだろう。
目が合わせられないのでどんな顔しているか分からないけど、この衛兵さんは結構親切だ。
冒険者ギルドに教会に商人ギルド、取り合えず街にこれだけの施設があることは分かった。
「さて、これが仮身分証だ。
無くさないようにしろよ」
「ええ」
差し出された木の札をローブのポケットに仕舞うと、私は門をくぐった。
街は概ね円状になっており、私が通ってきた門から伸びる大通りが中央広場を超えて反対側の門まで繋がっている。
方角が不明だったが、周囲を歩く人の言葉からすると私が入ってきたのが東門で、他に西門と南門があるらしい。
北側には門は無く、この街──リーメルというそうだ──を治める領主の屋敷がある。
今私が歩いている通りと中央広場で垂直に交わっている通りがこの街のメインとなる通りの様だ。
大通りには露店や商店が立ち並んでおり、住居は大半の場合大通りから少し奥に入ったところにあるのだろう。
私は歩きながら露店や商店の様子を窺い、貨幣価値などを確かめる。
露店の商品には値札は無く、値段は店主に聞かないと分からないようだ。
逆に商店には木で作られた値札が置かれている。
拳大の果物が2つで銅貨1枚。
パンが1個で銅貨1枚から2枚。
街を歩く人が来ている様なワンピースタイプの服が銅貨15枚。
1メートル程のロングソードが銀貨1枚と銅貨50枚。
盾は木製が銅貨50枚、青銅製が銀貨1枚のところをおまけで銅貨90枚。
どうやら銅貨100枚で銀貨1枚と同じ価値のようだ。
今のところ、金貨は使われている場面を見ていないのでどれくらいの価値かは分からない。
おそらく店先に出ているのは安い品で、金貨を使う様な高価な商品は店の奥にあるのだろう。
食品だけ見れば銅貨1枚で100円くらいの価値に思えるが、色々と物価が違っているので安易に換算して考えない方が良いだろう。
私は貨幣価値の調査を切り上げ、今何よりも優先して買わなければいけないものを買う為に服屋に入った。
ショートガードルタイプの下着が1着銅貨6枚。
ベビードールに似た下着が1着銅貨10枚。
ヒールの高くない靴が1足銅貨9枚
下着を3枚ずつと靴でしめて銅貨57枚、銀貨で支払ったら銅貨43枚のお釣りを渡された。
ブラジャーなんて無かった。
一応私自身の名誉の為に言っておくと、無かったのはサイズではなく、そう言った種類の下着自体だ。
店の中に吊るされているビスチェタイプの下着は見なかったことにしておく。
こんなところで下着を着るわけにはいかないので、もう少しの辛抱だとスースーする感覚を我慢して靴だけ履く。
「はいてない」のと「はいてなかったことがバレる」のと、どちらがマシか……難題だけど私はバレない方を選ぶ。
服屋から外に出ると大分日も落ちてきており、綺麗な夕焼けが街を照らしている。
辺りのお店は店仕舞いを始めているところもあり、人々は家路に就いている。
どうも夜が早い街のようだ。
考えてみれば街灯もない街では日が落ちれば暗闇になる。
夜の間に営業しているのは酒場やちょっといかがわしいお店くらいなのだろう。
これは早いところ、寝床を確保しないといけない。
私はそう決めると宿屋を探して大通りを歩き出した。
看板の絵を頼りに探したところ、何軒かの宿屋が見付かった。
1階が酒場で2階が宿屋になっているところが多いらしく、ベッドの絵とジョッキの絵の看板は大抵並んで掲げられていた。
その中の1軒……を選ばずに、敢えて酒場が併設されていない宿屋を選んで中に入る。
いや、酒場とかどうもトラブルの匂いがするし。
「おや、お客さんかい。
いらっしゃい、ここは宿屋だよ」
扉を開けた私に向かって、40歳くらいに見えるおばさんが話し掛けてきた。
そう言えば、今まであまり気にしてなかったけれど何故言葉が通じるのだろう。
「1泊幾ら?」
「1泊銀貨1枚、食事は朝食が銅貨5枚で夕食が銅貨10枚、お湯はたらい一杯で銅貨5枚だよ」
お湯?
ああ、お風呂の代わりか。
入浴という習慣は一般的ではないのかな。
ちょっとショック。
「5泊、食事とお湯もお願い」
私はそう言うと銀貨6枚を手渡す。
「はいよ、部屋は2階の突き当りの右側だ。
これが鍵だよ。
すぐに食事にするかい?」
「ええ、出来るのなら」
「よしきた、すぐに準備するから好きな席で待ってな」
私は木製のプレートが付いた鍵を受け取ると、横合いに設けられている食堂の席に着いて食事が出てくるのを待った。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
食事を終えるとお湯の入ったたらいを受け取って、階段を上がって指定された部屋に向かう。
ちなみに、夕食はパンと野菜のたっぷり入ったシチュー、デザートに果物。
素朴だけど美味しかった。
貰った鍵で扉を開けると、ベッドと一組のテーブルセットが置いてある6畳くらいの広さの部屋だった。
私は部屋に入って鍵を閉めるとお湯の入ったたらいを床に置き、ベッドに仰向けに倒れ込む。
木目が剥き出しになった天井が視界に入り、見慣れぬその光景にここが異世界であることを実感する。
心細さで思わず涙で視界が滲む……ことはなかったが、内心が不安で一杯なのは事実。
際限なく落ち込んでいってしまいそうだったので、そのまま眠ってしまいそうなところから何とか身を起こし、鍵が掛かっていることを再確認した上で着ていたローブとワンピースを脱いでベッドへと置く。
たらいと一緒に受け取った布をお湯に漬けてから絞り、髪から順番に上半身、下半身と拭って清めていく。
大分さっぱりしたところで、買ったばかりの下着を履き、ベッドに脱ぎ捨ててあったワンピースを着こむ。
これから寝るのだからローブは着なくても大丈夫だろう。布団が薄くてちょっと寒いので上から掛けておくけど。
まだ日が落ちたばかりの時間だが、色々あって疲れていたせいか瞼が重い。どうせすることもないのでさっさと寝てしまおうと、私はベッドに潜り込んだ。