03:邪教のすゝめ
【世界はアンリ様がお創りになりました。
人、動物、植物、ありとあらゆるものはアンリ様によって生み出されたのです。
しかし、愚かな人々はそれを知らず、
アンリ様を妬んだソフィアなる邪神がアンリ様の功績をさも自身が為したかのように装うと、
こぞって邪神ソフィアを讃えました。
邪教に染まってしまった世界を嘆いたアンリ様は、
自身を信仰する者達を残して、世界を一掃することを決意されました。
邪神ソフィアを信仰する者達は地獄で永遠の苦痛を味わうことでしょう。
アンリ様を信じる者達だけが新たなる世界にて永遠の幸福を得るのです】
手にした文章から目を離し正面をみると、そこにはキラキラした目で何かを期待するようにこちらをみる教皇の姿があった。微妙にドヤ顔で、顔が良いだけにちょっとイラッとした。
「……レオノーラ」
「ああ」
ふぁいや〜。
「のおおおぉぉぉーーーー!?」
隣で一緒に覗きこんでいたレオノーラに頼んで文書を焼却処分してもらうと、教皇は叫び声を上げた。
直接会いたくないからテナに任せていたところを、名指しで確認して欲しいというからわざわざ地上4階層に謁見の間を増築してまで会ったのに、こんな怪文書を読まされるとは思わなかった。増築したのは一応神扱いの私が気軽に3階層以下に降りていくわけにはいかないし、彼を5階層に招くのも避けたかったので、それ以外によい場所が無かったためだが。
なお、彼を5階層に招きたくない理由はリリと会わせない為だ。彼の中ではリリは私に食べられたことになっている筈だし、リリだって殺されそうになった相手には会いたくない筈だ。
ただ、親しい者を殺そうとした相手だと分かっているのに、その点では不思議なほど私は忌避感を感じていない。おそらく彼の強烈過ぎる個性のせいで印象が掻き消されてるのだと思うけれど。
テナとかはその点どう考えてるのだろうか。普通に話しているみたいだけど。
「何故ですか、アンリ様ーーーー!!」
「うわ」
滂沱の如く涙を流しながらにじり寄ってくる教皇、私はドン引きして思わず反射的に闇弾をぶつけて弾き飛ばしてしまった。咄嗟だったのであまり加減出来ず強過ぎたかと思ったけど、教皇はピンピンしておりすぐに立ち上がってきた。私が言うのもなんだけど、この男は本当に人族なんだろうか。
そもそも、魔王の娘すら恐怖で土下座する魔眼を直視して何故この男は無事……と言うか、微妙に興奮すらしているのだろうか。こちらが直視したくなくなってきた。
「失礼、取り乱しました。
大変恐縮ですが、何がいけなかったのか御教示頂けないでしょうか」
今更キリッとした態度をとっても遅いよ。
何がいけなかったのかと聞かれても、むしろ良い部分を挙げる方が難しい。悪いところというのは良い部分があって初めて言えるところだ。まぁ、強いて一番悪いところを言うとするのなら……。
「無駄に敵対心を煽ってる。
それに、内容も真実から離れたものが多い」
聖光教とは煽るまでも無く敵対必至かも知れないが、だからと言って無理に煽る必要はないだろう。折角国家間で睨み合ってくれているのだから、下手に刺激してこちらに矛先を向けられたくはない。それに、何故私が世界を創った事になっているのか。私はそんなことをした憶えはない。
「確かに、多少の誇張表現は混ざっております」
多少? これが多少……。
と言うか、誇張以前に嘘八百しか書かれていないのだが。
「しかし、現状我が国は人を集める必要があります。
そのための経典です、耳目を集める為には少々インパクトが強い方が宜しいでしょう」
勘弁して欲しい。あの文書で集まってきた人間で出来た国など、想像するだけで鳥肌が立つ。
しかし、経典の必要性については彼の発言を認めざるを得ないか。私としてもお腹を満たす為に、布教をすること自体については賛成だ。ならばここは……。
「経典は私が書く」
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
早まったかも知れない。
真っ白な紙の前で私は内心頭を抱えていた。
教皇の前で思わず自分が書くと言ってしまった──教皇は嬉々として立ち去っていった──が、先程から全くと言っていい程に筆が進んでいなかった。
そもそも、経典とは仮にも神と崇められる側が自分自身で書くものではないということに今更ながらに気付いたが、後の祭りだった。
加えて、それを抜きにしても内容を考えるのが難しい。
現在この神殿や周囲に居る信徒達は、聖光教や身分制度などに絶望した人達が多い。よって、彼らの信仰心を削がないようにするためには、現社会制度の破壊などの革新的な内容である必要が出てくるが、そうすると今度は聖光教や他国家に対して敵対心を煽る形になりかねない。
私としては先に述べた通り聖光教や他国家と敢えて敵対したいわけではないから、可能な限り刺激しない方向で進めたいのだ。
「アンリ様? まだ起きておられたのですか」
「テナ……」
一向に書き進められない状況に溜息を吐いていると、部屋の外から声が掛けられた。どうやらテナがリリを寝かし付けてから私の様子を見に来たらしい。
「あまり根を詰め過ぎても身体に悪いですよ。
もうお休みになった方が……」
「大丈夫、テナはもう寝ていいよ」
「アンリ様……」
嘘ではない、本当に大丈夫なのだ。何故なら神族になってしまった私は睡眠を必要としない。何日徹夜しようと体調を崩したりすることはない。肉体的な疲労とも無縁だ。
「もしまだ寝ないつもりなら、お茶を淹れてくれる?」
「かしこまりました」
使徒族になったテナは依然として食事や睡眠を必要とすることが分かっている。そのため、私と違ってきちんと休む必要がある。私を心配してくれるのは嬉しいけれど、お茶を淹れてもらった後は休ませないと。
カップを私の前に置いたテナに対して休むように言おうとするが、それより先にテナの方から話し掛けてきた。
「捗らないのですか?」
私が悩んでいる様子を見て取ったのかそう聞いてくるテナに、私は無言で頷いた。一枚書いてはくしゃくしゃにして投げ捨てることを繰り返しているこの状況は、どう控えめに見ても捗っているとは言えないだろう。
「何を悩まれているのですか?」
「聖光教や既存国家に喧嘩を売らずに改革を推奨する文章が書けない」
自分で言ってて無理な注文に頭が痛くなる。改革の時点で既得権益を持つ者に対して喧嘩を売ることになるのは確定なのだから、最初から矛盾している。
「その、どうして改革しなければいけないのですか?」
「どうしてって、それは……」
それが信徒達の求めていることだからだ、そう答えようとした私はふと思い留まった。
本当にそうなのだろうか?
確かに、信徒達の中には聖光教や身分制度などに絶望した人達が多い。しかし、だからと言って全員が全員改革を求めているかと言えば、そうと聞いたわけではない。
裏切られ傷付いた彼らが求めているのはもっと漠然とした「正しい何か」だ。そうでなければ、宗教ではなくもっと別の場所に拠り所を求めていただろう。
そして、「正しい何か」を語るのであれば、無理に改革に繋げる必要などない。国家体制とか宗教の在り方とか、そんな小難しいことに無理に触れる必要は最初から無かったのだ。倫理や道徳、そういった「あるべき姿」をそのまま述べればいい。
悩んでぐちゃぐちゃになっていた頭の中にスッと光が差した気分だった。
「もう大丈夫みたいですね。
お邪魔になるといけないので、私はこれで下がらせて頂きます」
私の様子を窺って安心したのか、テナは微笑みながらお辞儀をしてくる。私は彼女に対して頷きを返した。
「おやすみ、テナ。
それと……ありがとう」
「はい、おやすみなさい」
そうだ、別に気取る必要はないんだ。
結局のところ経典なんてものは土台であって全てではないのは、聖光教の広まり方を見ればよく分かる。私は思ったことを素直にそのまま書けばいい、教義などは教皇達がその上に勝手に積み増していくだろう。
うん、書けそうだ。
私は気を取り直して紙に向かい、想いを籠めてペンを走らせ始めた。
<黒の経典>
特級危険指定書物。
邪神がその怨念を籠めたと伝えられており、世界に現存する中でも特に強力な呪いが掛けられている呪物の一つ。
この経典を受け取った者は複写して誰かに渡すまで不幸が続く。また、複写されたものにも同じ呪いが発動するため、何処までも増殖していく。
なお、このアイテムは如何なる力を以ってしても破壊出来ない。
不幸の手が……じゃなかった、「黒の経典」の不幸例
・十円ハゲが出来る
・高いところに行くと耳がキーンとなる
・眉間の間に指を近付けられる感覚がする
・花粉症になる
・周囲にトイレの無い時に限ってお腹を下す
・毎朝足が攣って目が醒める
・足の小指を必ず棚にぶつける
・無意識に本音を口走る
・語尾に『じゃしん』が付く