外伝04:ある奴隷の救済
ある意味貴重な(ほぼ)完全シリアス回です。
微鬱注意ですので、苦手な方は読み飛ばして最後の3行だけお読み下さい。
絶望に覆われた暗い地下牢の中、ただその人だけが私に手を差し伸べてくれた。
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今年は不作の年だった。
畑の作物は萎びていてお腹に溜まらず、売り物としても値が付かない。僅かな蓄えはあったけれど、それでも家族5人が冬を越すためには足りなかった。
村に奴隷商人の馬車が来た時、最早他に出来る事はなかった。
うちの家族はお父さんお母さんに2つ年上の兄さんと1つ年下の弟が居る。男手は労働力として残しておく必要がある為に売られるのは必然的に私だった。
売られると言っても厳密にはそんな制度はない、奴隷商人と結ぶのはあくまで借金の契約。
奴隷商人からお父さんが借金をして、その借金の形に私がなる。お父さんが借金を返せなければ、私は奴隷になって売りに出されることになる。でも、最初からお金を返せる可能性なんてないことは誰もが分かっていた。奴隷商人もそのつもりらしく、返済を即座に諦めるなら金額を上増しすると言われた。
お父さんは私から目を逸らしながら、その場で借金を返せないことを奴隷商人に告げた。
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不幸なことがあった次には幸せなことが起こって欲しいけれど、聖女神様はそんな甘えは許してくれないみたいだ。
不幸に不幸が続き、街に戻る馬車の中で私は死病に掛かってしまう。身体を起こすことも辛く、胸がズキズキと痛い。咳き込むと血を吐いてしまうこともあった。
私以外にも2人程病に倒れた奴隷が居て、他の奴隷に病が感染ることを心配した奴隷商人に荷物を積んでいた別の馬車へと折り重なるように纏めて放り込まれた。死病によって売れる可能性が減った私達には他の奴隷達よりも少ない食事しか貰えなくなったけど、食欲もあまり湧かなかった。
馬車がリーメルの街に漸く着いた時、私は既に死に掛けていた。
奴隷商人の店で、私と病に倒れた2人の奴隷は同じ牢へと入れられた。そこは私達の様に既に死に瀕している奴隷を纏めて入れている牢だった。余計な費用を使わないように服を着ることすら許されず裸の状態で放り込まれた奴隷達が思い思いの格好で佇んでいた。私達が新たに牢に入れられても半分くらいの奴隷達は反応すら示さない、絶望に心が先に死んでいるその様に私の胸にも冷たいものが走った。
あれは私自身の未来の姿だ、そしてそれは遠い先の話ではない。
奴隷商人に、死に掛けた奴隷は殺される為に売られると教えられた。
冒険者や衛兵が強い魔物に対して生きた盾にするためや魔導の実験材料、あるいはただ単に欲求のため、安く購入出来て使い潰せる死に掛け奴隷を求める人は人数こそ多くはないものの存在する。
買われれば殺されてしまう、かと言ってこのまま売れなくても何れ……。
死病に蝕まれ痛む身体、そしてそれ以上に絶望に蝕まれる心。
身体よりも先に心が死んでしまいそうな日々だった。
何度か牢の前に客が来ては、牢の中の奴隷が減っていった。
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ある日、また奴隷商人が客を連れてきた。
私は壁に寄り掛かったまま、その様子をぼうっと眺めていた。
これまできた客は男の人が多かったけれど、今回の客は黒いローブで顔が見えないけれど多分女の人……それも私より少し大きいくらいの年の人のようだった。
奴隷商人とその人が何か話すと、その女の人は前に歩み出て自らフードを外して顔を露わにした。
その人の目を見た瞬間、死に掛けて止まり掛けていた筈の私の心が何故か震えた。
「彼女は?」
「名前はテナ、年齢は14歳です。
このリーメルから少し離れたところにある村出身の借金奴隷なのですが、連れてくる旅の途中で死病を発病しましておそらく余命は残り一ヶ月ほどと見ています」
奴隷商人の言葉に思わず身を竦める。自分の命が長くないことは分かってはいたけれど、具体的な余命を他の人から言われると死の恐怖が克明に湧き上がる。
死にたく……ない……。
「私ならもしかすると貴女を助けられるかも知れない」
………………え?
女の人から投げ掛けられた声を正しく認識するまで、少し時間が掛かってしまった。
助かる? 私は助かるの?
私の方をじっと見詰める女の人の黒い瞳を見るが、その目は真剣で嘘を言っているようには見えなかった。それに何故だろう、この人の目を見ると何だか心の中がざわつく。
「証拠はないけれど信じて受け入れられるなら、この手を取って」
女の人が言葉と共に鉄格子越しに私に手を差し出してきた。
私は差し出された手と女の人の顔を呆然と眺めていたが、ざわつく心のままに信じることにして手を合わせた。どうせこのままでは助からないことは確実なのだから、自分の心に従ってみようと思った。
身体を洗われ、暫くぶりに簡易ながら服を着せて貰うことが出来た。あれよあれよと言う間に色々な事が起こって混乱していたが、服と一緒に奴隷用の首輪を嵌められたことで、ようやく自分が買われたことを認識することが出来た。病で弱り立って歩くことが出来ない為、下人の男の人に運ばれてお店の中へと連れて行かれて床に寝かされた。
「彼女の首輪に手を触れて下さい」
奴隷商人の言葉を受けて、私を買った女の人が私の首に嵌められた首輪に手を伸ばしてきた。女の人がしばらく触れていると、首輪から光が放たれて何処からか声が聞こえた。
『アンリに隷属しました』
私がその女の人──アンリ様の奴隷となった瞬間だった。
「これで彼女はお客様の奴隷となりましたので、命令には絶対服従となります。
彼女は歩ける状態ではないため、宜しければ馬車を呼びますか?」
「要らない、背負ってく」
予想外の言葉に反応が遅れて、気が付いた時にはアンリ様に抱え上げられて背負われていた。
一体何処の世界に奴隷を背負って運ぶ主人が居るのだろうか。私は病で動かし難い身体を何とか動かして彼女の背中から降りようとしたが、がっしりと掴まれていて降りることが出来なかった。降ろしてくれる気が無いようなので私は暴れるのを止めた。
それにしても、女の人でそれほど体格も大きくないと言うのに、アンリ様は意外なほど力が強かった。幾ら私が痩せ衰えていて軽いとは言っても、女の人が軽々と背負える程ではない筈なのに。
それにしても、彼女はどうして私を買ったのだろう。瀕死の奴隷など使い道は限られているが、私にはどうしても彼女がそんな使い道で奴隷を欲しがる人には見えなかった。
背負われたまま何処に連れて行かれるのかと思っていたら、アンリ様は路地裏に入って人気のない広場で私を地面に降ろした。私はどうしてこんなところに連れて来られたのか分からず、ただ呆然とアンリ様を見上げるしかなかった。
「貴女は私を信じると誓った」
「……はい」
久し振りに発した言葉は掠れていたが、何とかアンリ様には届いたようだった。彼女は私のおでこに指を突き付けた。
「その言葉が真実なら受け入れて──加護付与」
『アンリから加護を付与されました』
再び聞こえた声と同時に、私は黒い何かに包まれた。痛みや苦しみは無かったけれど、私の中の決定的な何かが変わった感じがした。
黒い何かが消えた時、私の格好は一変していた。ただの布に穴を開けただけの服が上等な布と装飾が施されたものに変わり、ガリガリに痩せていた筈の手足は肉を取り戻していた。
「え……あ……」
何が起こった分からずに手足や服を見ていた私だが、ふとこれまでずっと襲われていた痛みが消えていることに気付いた。呼吸をするだけで起こっていた苦痛が嘘のように無くなっている。
地下牢の中でアンリ様から投げ掛けられた「助けられるかも知れない」という言葉が脳裏に浮かぶ。
嘘じゃなかった……助けてくれたんだ……。
「ありがとうございます! ありがとうございます!」
私は命を救われた安堵にボロボロと涙を零しながら、アンリ様の手を掴んで感謝の言葉を繰り返した。
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しばらく泣き続けた私だが、自分の行動を振り返って青褪めてしまった。奴隷が主人に縋りついて泣き喚いていたのだ、無礼な行動で怒りを買ってしまったかも知れない。私の命を助けてくれたアンリ様がそんなことをするとは思いたくないが、主人の怒りを買えば殺されてしまっても不思議じゃない。
「立って」
「は、はいっ!」
アンリ様の言葉に、ただでさえ無礼な行動をしてしまった私はこれ以上機嫌を損ねないようにバッと立ち上がった。そう言えば、自分の足で立てたのはいつ以来だろう。そんな余計なことを考えながら、私はアンリ様から投げられるであろう言葉に戦々恐々としていた。
「貴女には私の住処に住んで身の回りの家事と買い物をして欲しい」
「……え?」
二重の意味で理解出来ない言葉に、思わず呆けた声で返してしまった。叱られると構えていたのに仕事を頼まれたことが一つ、もう一つは頼まれた仕事の内容にだ。
「不服?」
「め、滅相もありません!
ただその……それだけでいいんですか?」
咎めるような言葉に慌てて首を振りながらも、先程聞かされた仕事の内容について尋ねずには居られなかった。奴隷をわざわざ買うのは普通の人にはさせられないような大変な仕事や嫌がられる仕事をさせる為だ。それだと言うのに、先程アンリ様に言われたのは普通に使用人に任せるような内容で、奴隷にさせるような仕事じゃない。
「それだけでいい。
ただ、街から離れたところに住んでるから、買い物は結構大変」
「分かりました」
街から離れたところ?
一体この方はどんなところに住んでいるのでしょうか。
その後、アンリ様は私の為に靴と下着まで買い与えてくれた。どちらも奴隷に与えるような物ではないので驚いたし遠慮しようとしたのだが、下着を履かないと絶対にダメと言われた為、素直にありがたく使わせて貰うことにした。
アンリ様。
絶望に覆われた暗い地下牢の中、ただ一人だけ私に手を差し伸べてくれた人。
この人が私に一体何を求めているのかまだ分からないけれど、死ぬ筈だった私の命を助けてくれたのだから、何処までも付いて行こう。
「って、ここダンジョンじゃないですか!?」
「私、ダンジョンマスターだから」
「──────っ!?」