外伝02:あるシスターの恐怖
「聖女神ソフィア様は人族を創りたもうた偉大なる御方です」
私は礼拝堂の席の後方に立って、ミサのお勤めのために控えています。
席の反対側では聖女神様の像の前に立った神父様が礼拝堂に集まった信者の方達へと説法を行っているところです。今語られているのは聖女神様の祝福にまつわる有難いお話ですね。
教会のシンとした静謐な空間に神父様の声が響き渡る説法の時間、心が洗われるような感じがして私はこの時間が好きでした。
「聖女神ソフィア様はいつでも私達を見守ってくれています」
聖女神ソフィア様、それはこの世界をお創りになられた尊き神様であり、世界を破壊せしめんとする邪神から私達人族を守って下さるとても慈悲深い御方です。
聖光教はそんな聖女神様の偉業を称え、人々に伝える為に存在します。勿論、教えを伝えるだけではなく聖女神様の御心に適うように孤児院の設立や炊き出しなどを行って貧しい人々を救済したり、争い合う国の間に立って仲裁したりと、人族の平和のために尽力する素晴らしい組織なのです。
私の家は貧しかったため日々の食事にも困ることがありましたが、そんな私達家族を救ってくれたのが聖光教です。私は自分が助けられた様に誰かを助けたいと考えて、聖光教へと入信し修道女となりました。
「聖女神ソフィア様は私達人族を愛し、邪悪なる者から私達を護ってくれます」
リーメルの街の教会はそれほど規模の大きいものではありませんが、魔族領から程近い立地であることから最後の砦となることも想定されています。それ故に、この教会が建立された時には当時の大司教様にわざわざ来て頂き、複数人で強固な結界を張ったそうです。普通の教会でも聖女神様の祝福によって邪なるものを退ける力が働きますが、この教会は特に強い護りの力によって守護されているのです。万が一魔族領からの侵攻によって街が危機に陥った場合でも、この教会はそう簡単には侵すことが出来ないだろうと言う神父様のお言葉を聞き、とても心強く思いました。
「聖女神ソフィア様の慈愛に感謝し、祈りを捧げなさい」
神父様の言葉に信者の方が両手を合わせて祈りを捧げます。私も共に祈りを捧げるためにその場に立ったまま目を──
──その瞬間、礼拝堂内にドンッと揺れが走りました。
いえ、建物も地面も揺れていません。空間そのものが音を立てて震えたのです。信者の皆さんも突然の衝撃に混乱しざわめきが広がっていきます。
「落ち着きなさい!」
神父様が静止しようとしますが、中々収まりません。何が起きたのかは分かりませんが、私も神父様に倣って信者の方々に落ち着いて貰う為に声を上げようとしました。
しかし、その瞬間私はふと何かを感じて後ろを振り返りました。するとそこには異様な光景が広がっていました。
聖光教の教会はいつでも誰でも受け入れる為、ミサの間でも扉を閉じることはありません。その為、礼拝堂の後方に居た私が振り返ると開いた扉から外の景色を見ることが出来ます。異様だったのはその外の光景、何と外の光景に罅が入っているのです。罅の向こうにはいつも通りのリーメルの街並みが広がっていましたが、その街並みが普段通りであるが故により一層その光景の異常さを掻き立てます。
一瞬にして異界と化した景色に唖然とした私ですが、やがてそれが教会を覆っている透明な何かに罅が入ったことによるものだと気付きました。私の様子に気付いたのか信者の方々も神父様も外へと目を向けます。
教会を覆っている何か?
まさか、神父様が仰っていたこの教会を護る守護の結界なのでしょうか……いえ、だとしたら一体何故罅が!?
空間の罅に目を取られた私でしたが、やがて罅の向こう側に黒いローブを着た誰かが立っている事に気付きました。丁度罅が間にあって顔は見えませんでしたが、10代後半の女の子のようです。その少女は罅が入った場所のすぐ前に立っています。「そこは危険です、離れて下さい!」と注意の声を上げようとした私ですが、それより早く少女が右手を挙げて目の前の罅にそっと触れました。
その次の瞬間です、罅が一斉にその傷痕を広げていき視界の全てを覆ったかと思うと、パンッと言う呆気ない音と共に「何か」が弾けて消えました。
え?
そ、そんな……大司教様が張ったという守護の結界が!?
信じられない気持ちで呆然とする私ですが、これまで礼拝堂に感じられていた聖なる気配が確かに散って消えていくのを感じます。
そして、罅が無くなったことにより、先程までは見えなかった黒いローブの少女の顔が見えるようになりました。
彼女と目が合った瞬間、まるで首を絞められているかの様な圧迫感が感じられ、呼吸が出来なくなりました。
私だけではありません、私の後に居た信者の方々も神父様も言葉を出すことすら出来ずに立ち尽くして居ます。
少女の姿をしたナニカは無言と礼拝堂に居る私を含めた人々を睥睨すると──
──ニタリ、と嘲笑を浮かべ、何かを呟いて立ち去って行きました。
少女の姿をしたナニカが立ち去った事で、漸く私達は呼吸を取り戻すことが出来ました。信者の方々の精神的な疲労は大きく、誰もがぐったりして倒れ込んでいます。
ミサはとても続けられない状態だったために中止して、急遽暖かいスープを作って配ることになりました。正直私も倒れ込みたい気分でしたが、スープの準備をしないといけません。
美しい顔立ちをしてましたが、あれはきっと邪神の眷属……いえ、大司教様の結界をあっさり砕いたのですから邪神そのものに違いありません。
結界を破壊するだけで何もせずに立ち去っていったのは、いつでも襲えるという悪意の籠った宣告なのでしょう。邪神が浮かべた不気味な笑いがそれを物語って居ました。
邪神が最後に何を呟いていたのかは聞こえませんでしたが、きっと悍ましい呪いの詞に違いありません。
この世界は一体どうなってしまったのでしょう、そして私達はこれからどうなるのでしょう。
ああ、聖女神ソフィア様。
どうか私達をお救い下さい。