外伝01:ある女将の接客
外伝は主に本編を他者の視点から見たお話であり、本編とは打って変わってホラー調やシリアス調の話がメインになります。
しかし、既に本編を読まれて裏側を知っている皆様にはニヨニヨしたりホッコリしたりしながら読んで頂けると思います。
……まさか、外伝から読み始めるという斜め上の読み方をされている方はいないと思いますが、もしいらっしゃった場合、流石にそれは私の想定の範囲外ですので、ご承知置き下さい。
外伝は全十一話で一話毎の長さは話によってまちまちです。
最初はジャブからどうぞ。
「おや、お客さんかい。
いらっしゃい、ここは宿屋だよ」
もうすぐ日が暮れるという時間帯、入口の扉が開かれる音にアタシはそちらへと目を向けて入ってきた客に声を掛けた。入ってきた客は黒いローブを頭から被った怪しい格好だったけど、長年宿屋をやって何人もの客を見てきたアタシには背格好で年頃の娘だってことはすぐに分かったから、特に不審とは思わなかったよ。年頃の娘が顔を見せて歩いてると絡んでくるやつも居るからね、自分の身を守るのは当然ってもんだ。
はて、何故か少し寒気がしたけど……ま、気の所為だろうね。
「1泊幾ら?」
「1泊銀貨1枚、食事は朝食が銅貨5枚で夕食が銅貨10枚、お湯はたらい一杯で銅貨5枚だよ」
ちょっとばかし他の宿屋よりも高いけど、その分だけ部屋も食事も良い筈だよ。酒場と一緒じゃないから騒がしくないし、ガラの悪い客も居ないしね。
「5泊、食事とお湯もお願い」
その言葉と一緒に銀貨が手渡される。ひぃふぅみぃ、確かに6枚だね。普通は1泊ずつ払う客が多いんだが、随分金払いの良い娘だね。アタシが幾らとも言わない内に宿代も計算していたし、何処かの大きな商人の娘とかかね。
まさかとは思うけど、お貴族様とかじゃないだろうね。着ているローブも随分と仕立てが良さそうだけど。幾らうちが比較的上等っていったって流石にお貴族様が泊まるような宿屋じゃないんだよ。
「はいよ、部屋は2階の突き当りの右側だ。
これが鍵だよ。
すぐに食事にするかい?」
「ええ、出来るのなら」
「よしきた、すぐに準備するから好きな席で待ってな」
アタシは木製のプレートが付いた鍵を娘に渡すと、厨房に居る亭主に1人分の食事を準備するように言いに行った。
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例の娘はあまり口数が多い方じゃないみたいで世間話なんかもしないから名前も分かりゃしない。外を出歩く時どころか宿の中や食事をしている時すらもローブを羽織って顔を隠しているところを見ると、何か訳アリなのは間違いないだろうね。気にならないと言えば嘘になるけど、あまり客の素性を詮索してもロクな事にならないからね、私は聞かないよ。
それにしても、泊まっている間は部屋の掃除もベッドのシーツの交換もしなくていいって言ってたけど、部屋で何か変なことしちゃいないだろうね。ちょっと心配だよ。
朝食を食べると出掛けていって夕方になると戻って来ることを繰り返していた娘だけど、何日か経った日に一度だけ普段よりも早く帰ってきたことがあった。普段であれば口数が少ないとは言っても「おかえり」と声を掛ければ返事を返すくらいはするんだけど、その日だけは何故か入口から入ってくるやいなや、そのまま階段の方へと歩いていったんだ。気になって娘の方を見るとローブの隙間から初めて見る顔が──
────っ!? な、何だいあれは!
想像していたよりも綺麗な顔付きだけど、そんなことよりも何よりもあの目は一体何だい!?
怒り、憎悪、嫌悪、軽蔑、嫉妬、殺意、怨み、苦しみ、悲しみ、絶望、ありとあらゆる負の感情を詰め込んだようなあの黒い目。長年客商売で色んな客の目を見てきたけど、あんな目を見るのは生まれて初めてだよ。
いや、あんな目は人間のするもんじゃない。何かもっと禍々しい恐ろしいものの目だよ。見た瞬間、心の臓を鷲掴みにされたかと思ったよ。ああ、何て恐ろしい……。
ああ、何て客を泊めちまったんだい。
出来れば今すぐ出てって欲しいけど、あと2日分の前金貰っちまってる。返して出てってくれるんならすぐに返すけど、もしそんなことを言って逆上して襲い掛かってきたら……。
あと2日、あと2日だ。今まで大丈夫だったんだから、あと2日くらい平気な筈だよ。そうだろう。
その日だけ様子のおかしかった娘の格好をしたナニカも、翌日以降は普段通りに戻っていた。幸い、アタシに顔を見られたのも気付いていないみたいだった。
怖くて仕方が無いけど、何とか顔に出さないようにしてなるべく今までと同じように話掛けるようにしなくちゃね。もし正体に勘付いたことがバレたりしたら、何をされるか分かったもんじゃない。くわばらくわばら。
そうして何とか、2日の時が過ぎた。
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ああ、やっと出てってくれた……。
娘の格好をしたナニカが宿の宿泊を延長したいと言ってきたので、何とか懇願してお断りさせて貰った。正直いつ襲い掛かられるかとヒヤヒヤして背中を冷たい汗が流れたけど、娘の格好をしたナニカは何かを察したのか大人しく引き下がってくれた。
アタシは全身が脱力してぐったりと椅子の背凭れに寄り掛かった。この2日間できっと3年くらいは寿命が縮んだよ。
そのまま少し休んでいたけれど、気を取り直して部屋を掃除することにした。今度来るのはまともな客であって欲しいね。
って、何だい! この黒い天蓋付きの寝台は!?