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さとがえり

作者: 光太朗

「なんでオイラなんだ」

 燃えさかる炎の隣に座り込んで、小太郎は唇を尖らせていた。

 理由なんて、本当はわかっている。担当だった青月が風邪をこじらせたからだ。ごめん、本当に悪いんだけど、と咳をしながら頭を下げられた。そこまでされて、長衆たちにまで任命されて、やらないわけにはいかないということだって理解している。駄々をこねるほど、こどもじゃない。

 けれど、不平一つ洩らさず、黙々と仕事をこなせるほど、おとなでもなかった。

「嫌いなんだよな、これ」

 愚痴に答えるものはいない。それでも、小太郎はつぶやく。

 空に向かって両手を広げる、無数の炎。ぴったり十尺ごとに、点々と、河岸を彩っている。不思議と熱はない。宿り木もなく、空気のなかで、ただ自己を主張している。

 毎年、文月一三日に灯される炎だ。河向こうから訪れる、古き人を迎えるための炎。

 それぞれの炎の隣には、幼子を中心とした導き手たちが控えていた。すでに、役目を得て場から離れているものもいる。

 暮れなずむ空は赤く、まるで空と地の炎に景色のすべてが飲み込まれようとするかのようだった。その情景は幻想的ですらあったが、小太郎の心には風情を感じる余裕などない。

「……早く終わらないかな」

 始まってもいないのに、小太郎の口からそんな言葉がこぼれた。ひとりごとのつもりだったのだが、馬鹿にしたような笑い声がそれに答えた。

「まったく、情けないねえ。未熟者は未熟者らしく、おつとめに専念したらどうだい」

「──! あいて!」

 何か固いものにこづかれ、額を抑える。涙目で顔を上げると、丸い小さな提灯が、ぎょろりとした目を向けていた。

「なんだよ、おまえ」

 精一杯の怒気を込めたつもりだったが、空を漂う提灯は、ありもしない肩をすくめるような仕草をしただけだった。中央よりやや下の部分をぱっくりと開け、大きな舌を出す。どう見ても、馬鹿にしている態度だ。

 目と口だけで構成されているぶん、余計に表情豊かに思われた。小太郎は頬を膨らませた。

「おまえ、失礼だぞ!」

「失礼はどっちだい、小太郎さんよ。長衆に盆提灯連れてけっていわれてただろう、さらっと忘れやがって。こちとら待ちぼうけよ、まるで彼女に振られたみたいに独り寂しく暗闇でぼんやりさ。わかるかい、俺様のこの悲しみ!」

 大きな目をさらに大きく見開いて、提灯が詰め寄ってくる。その剣幕に、小太郎は気圧されてしまった。いわれてみれば、心当たりもあるのだ。一気にしょぼくれて、肩を落とす。

「わ、忘れてた。悪かったよ」

 提灯は、至極意外そうに目をまたたかせた。

「おっと殊勝だね。そういうのは嫌いじゃない。俺様はロクロってんだ、よろしくな」

「よろしく、オイラは小太郎」

「知ってるさ、未熟者の小太郎坊主」

 最後の言葉に、悪気はないようだった。歌うように未熟者を連呼して、楽しげに笑っている。

 なんだか馬鹿らしくなってきた。小太郎は腰を上げ、着物についた砂利を払い落とす。

「導き手はこれで三度目なんだ。けど、君みたいな提灯を連れたことはなかったな」

「そういうこともあるってことさ。さあ、弦を握ってくれ。迎え火を俺様のなかに灯さなきゃあな」

「火?」

 思わず聞き返す。そういえば、提灯のなりをしているわりには、ロクロの中身はもぬけの殻だ。

「そうさ、ここの迎え火じゃなきゃあ意味がない。それが俺様であることも重要だ。ささ、迎え火さんよ、この天下の盆提灯、ロクロさまのなかに入りねい」

 身体を揺らしてロクロが告げると、炎の一部が飛び出した。小さな炎は、まるでネズミが己の尾を追いかけるかのような円を描きだす。どんどん加速したかと思うと、音もなくロクロのなかに収まった。

 驚いて、小太郎はたったいま起こったことを頭のなかでくり返すように、手にしたロクロを見つめた。炎が灯っているのがわかる。

「すごいね」

 素直に感嘆した。変化の妖術ならば幾度となく見てきたが、炎が踊るのを見るのは始めてだ。

「おっと、未熟者には刺激が強いかい。坊よ、おまえさんはまだ自在に変化もできないんだろう。人になったつもりだろうが、狐の尻尾が飛び出してるぜ」

「そんなことわかってる。苦手なんだ。きっとこればっかりは、大人になったって苦手だ」

 同年代の仲間たちなら、すでに完璧にこなしている変化の妖術。それすらまともにできない小太郎だったが、それはもう、才能がどうのではなくて、「個性」だと納得していた。長衆にだって、変化が苦手なものはいるのだ。

 小太郎の言葉に、ロクロは驚いたようだった。口をぱかりと開けて、隙間から、ふぅんと声を洩らす。

 それから、何かに気がついたように河向こうを見た。見開いていた目を細める。

「世間話はここまでだ。小太郎坊ちゃん、仕事だぜ」

「え?」

 小太郎が河向こうを見ようとしたときには、その人物は二人の目の前に立っていた。

 それは小さな老婆だった。

 腰を丸めて、けれど顔はしっかり上げて小太郎を見て、老婆は柔らかく微笑んだ。皺いっぱいの目尻が下がって、もうどこが瞳なのかわからない。

「お待たせしてしまったかしら。どうぞ、よろしくね」

 見た目から想像するとおりの、高く透き通った声でそういうと、彼女は丁寧に頭を下げた。



   *



 老婆は千都と名乗った。なんて優しそうな女性だろうと、小太郎は照れくさいような気持ちで挨拶をした。嫌な役回りだという思いがなくなったわけではないが、自分の身勝手な感情とこの女性は無関係なのだ。

「小太郎さん、盆の間お世話になります。ロクロさんは毎年お世話になっているわね。相変わらずお元気そうで、嬉しいわ」

「千都ちゃんも変わらずべっぴんさんだ。俺様は毎年あんたに会うのが楽しみでね」

「あら、お上手。でも、あと何度ここに来られるのかしら」

 千都は寂しそうに笑った。会話の意味がわからず、小太郎はロクロを引き寄せると、小声で囁く。

「どういうことだよ? 来られなくなるの?」

「まあそのあたりは、ひとそれぞれだなあ」

 ロクロは舌で湿った空気を舐めあげて、わかるようなわからないような言葉を返した。

 小太郎は小さく唇を尖らせたが、千都の前であれこれ詮索するのもためらわれた。結局、それ以上は聞かずに弦を持ち上げ、行き先を照らす。

 彼らの前に、形としての道はない。薄暗い空間にあるのは、黄緑色の無数の線。数え切れないほどの直線が何本も何本も行き交っている。文月の三日間だけ、彼らはこの道なき道を往くことを許される。

 黄泉の国の扉を開けて、生きてきた郷里を訪れる──文月の十三日から十六日は、古き人のさとがえりの期間なのだ。

 ひとでない人である小太郎たちは、その期間、導き手としての役割を担う。古くから続けられてきた大切な役だ。長衆が迎え火を灯し、幼子たちが導く。古き人は郷里に触れ、子々孫々の空気に触れ、過ぎ去った記憶に触れ、そうして三日の後、黄泉の国へと帰っていく。

 小太郎にだって、それがどれほど大切なことかわかっている。一年の間、古き人がこの日を待ち望んでいただろうことも想像がつく。

 けれど、小太郎には、どこか釈然としないものがあった。

 所詮、死んでしまった身じゃないかと、そんな思いがよぎるのだ。

 もう決して戻れない場所に、たったの三日居座ったところで、何が変わるというのだろう。相手には古き人の姿など、見えないというのに。

「もうすぐだわ」

 千都が弾んだ声で告げた。思考の波を漂っていた小太郎は、慌ててロクロを掲げた。

「おい、小太郎坊よ、何があっても俺様離すんじゃねえぞ。そんなことしたら、千都ちゃんが二度とこっち側に戻れなくならあ」

 やはり意味はわからなかったが、小太郎は頷く。導き手といっても、実際に場所を知っているのは千都なのだ。小太郎はただ黙って、彼女に付いていればいい。ロクロを離すなというのならば、いわれたとおりにするだけだ。

「ああ、やっと着いた。なんて懐かしい。一年ぶりね」

 千鶴の声と同時に、眼前に景色が広がった。

 気づいたときには、地面に立っていた。小太郎はまばたきをくり返し、映るものを確かめるように、瞳を凝らした。

 そこには、何もなかった。

 月明かりが照らすのは、ただただ、野原。

 千都は背筋を伸ばすようにして、一歩一歩、歩みを進めていく。後を追わなくてはならないのに、小太郎は動けなかった。

 着いた、と千都はいったのだ。 

 ならばここが、目的地に他ならない。

 けれど、ふつうならあるはずの墓も、家も、そもそも人的なものが何一つ、存在していなかった。

「呆っとしてんなよ、小太郎さんよ。千都ちゃんからあんまり離れるな」

「え、でも……」

 でも、何もないじゃないか──続く言葉を飲み込んで、取りあえず足を動かす。与えられた役目をまっとうしなくてはならない、小太郎にわかっているのは、いまのところそれだけだ。

「ああ、懐かしい。みんな、元気にしていた? あら、あら、大きくなって。そうね、一年も経てば、大きくなるわよねえ」

 千都は顔をほころばせ、草の上でひとり、喜々とした声を上げていた。

 少し離れた場所からそれを眺めていた小太郎は、なんだか、妙な気分になった。

 あまりにも現実味のない、眼前の光景。

 過去に三度導き手をしてきたが、だれもが、自らの墓へ行き、そこへ訪れる子孫に語りかけ、かつての家で時を過ごした。千都のように、何もない場所へ訪れるというのは、初めてだ。

「当たり前だろう、坊主よ。家がいつまでも途絶えないと思うかい。人間さんってのは、刹那の時を戦に費やす生き物よ。なくなる家もある」

 ロクロの言葉は、ゆっくりと、小太郎のなかに沈んでいった。

 なくなる家も、ある。

 そんなことは、ロクロのいうとおり、至極当たり前のことだ。永い時を生きるひとでない人だって、戦をすることはある。住処を追われることもある。

「でも……もう、だれもいないのに。何もないのに」

 力なく、小太郎はつぶやいた。

 けれど、千都の幸せそうな表情はどうだろう。彼女には、あるはずのない何かが、見えているのだろうか。

「古き人ってのはな、黄泉からこっちに来たら、自分とつながりのある光を頼りに、さとがえりをするのさ。けど、見てみな、千都ちゃんみたいに、光そのものがない場合がある。そうすると、魂がさまよっちまうのさ。それをつなぎ止めるのが、俺様と、俺様のなかの炎ってわけだ。俺様の偉大さが、わかったかい」

 得意げにロクロが解説してくるが、小太郎は感心してやる気にもなれなかった。

 なぜ、そこまでして──どうしても、その疑問に行き着いてしまう。

 所詮、死んでいるのに。

 何かが待っているわけではないのに。

 だれも、何も、そこには在りはしないのに。

「そんなに、幸せだったの?」

 思わず問いを口にしていた。

 それは小さなつぶやきだったが、千都はふり返った。

 答えずに、優しく目を細め、微笑んだ。



   *



 文月十三日の夕刻から、十六日の夕刻まで──それが、古き人に与えられた時間だ。

 その間、導き手は古き人の元を離れることを許されていない。三日間、ただ、彼らのそばにいなくてはならない。

 過去三度は、それでも、退屈だとは思わなかった。人間が入れ替わり立ち替わり手を合わせに来るのは見ていてなかなか飽きなかったし、楽しそうにする古き人の姿を見るのも悪くなかった。

 けれど、今回は事情が違った。

 野原に訪れて、丸三日──もう刻限が近づこうとしている。

 千都は、ずっと、笑っていた。

 囲いも何もない地面にべたりと座り込んで、時折何かに話しかけて、笑って、笑って、そこにいた。

 元より感じていた疑問が、小太郎のなかでどんどん大きく育っていた。

 この行事に、何の意味があるというのだろう──?

「ねえ、小太郎さん、こっちにいらっしゃいな」

 不意に名を呼ばれ、小太郎は一瞬返事をするのを忘れてしまった。

 ここに着いてからの三日間で、名を呼ばれたのは始めてだった。導き手の存在など、忘れているのかと思ったのに。

「わたしはね、ここで、生きたのよ」

 近づくと、千都は歌うような声で、そうつぶやいた。

 広がる野原。風すら吹かず、時そのものが止まってしまったかのような空間で、時を感じることを忘れた千津が、うっとりと目を細めている。

 小太郎は、千都を見た。驚いたが、何もいわずに、見つめた。

 彼女はもう、老婆ではなかった。少女の姿になっていた。無邪気に、何も知らない子どもが、楽しそうに座っていた。

 やがて、千都の身体が成長していく。あっという間に、老いていく。

 一瞬でも、その表情が曇ることはなかった。静かな笑顔。

「ここで、生きたの。六十四年間。とても長くて、短いときだった」

「幸せだったんだね」

 深く考えずに、その言葉は小太郎の口からこぼれた。

 よほど幸せだったのだろう。

 何も無いとわかっていても、毎年訪れたいと思うほどに。

 そこまで考えて、違和感がよぎる。

 幸せだったのなら。

 たとえば、自分が幸せな一生を全うして、その後にすべてがなくなってしまったとして──

 その場所に、もう一度来たいと、思うだろうか?

「両親は、わたしがまだ幼いころに死んだわ」

 千津には何かが見えているのかもしれなかった。

 何もない一点を見つめ、彼女は言葉を紡いだ。

「親戚からは疎まれ、ひとりで生きた。働いて働いて、恋をして、家庭を持った。お国の諍いが始まって、あの人も死んでしまった。息子と娘が二人ずついたけれど、まだまだこれからというときに、流行り病で死んでしまった。わたしだけが、残ったの」

 彼女の言葉には、何の感情もこもっていないように思われた。

 小太郎は、息を飲んだ。

 幸せだったんだね、などと。

 恐ろしく簡単に、なんという言葉で片付けようとしたのだろう。

「……ごめんなさい」

 謝罪を口にしてしまって、すぐに後悔する。その言葉自体、ひどく浅はかな響きを帯びていた。

 けれど、千津は微笑んだ。

 しわくちゃの手で、そっと、小太郎の頭を撫でた。

「ありがとう」

 彼女はとらわれているのかもしれない──ふと、そんな思いがよぎった。

 縛り付けられているのではないだろうか。生きていた記憶に足首を掴まれて、次に進めずにいるのではないだろうか。

 たとえば、いま手にしているロクロを手放して、炎を消し去ってしまえば、彼女は解放されるのではないだろうか──?

「幸せもあったわ。不幸せもあった」

 千津は、小太郎の思いをすべて見透かしたように、彼の丸い目を覗き込んだ。何かを重ね見るわけではなく、確かに小太郎を見て、はっきりと口にした。

「わたしは、ここで、生きたの。生きたのよ」

 小太郎は、ロクロの弦をよりいっそう強く握り締めた。

 炎を、消してはいけない。それでは意味がないのだから。

「時間だ、坊主、千津ちゃん。帰るぞ」

 飄々としたロクロの声が、野原に落ちた。



   *


 

 三日前と同じ、しかし何かが確実に異なる風景の中に、小太郎たちは立っていた。

 河が、夕日の赤と炎の赤とに挟まれている。この炎は送り火だ。古き人たちを送り出す、別れの炎。

「ありがとう、小太郎さん、ロクロさん。また来年、会えるといいわね」

 皺いっぱいの頬を緩めて目じりを下げ、千鶴が手を差し出す。

 小太郎は、その手を握り返そうとして、しかしどうしても握ってはいけない気がして、上げかけた手を下ろした。

 驚いたように小首を傾げる千鶴を見上げ、告白した。

「オイラ、導き手って嫌いだったんだ。死んだ人が生きた人に会いに行くって、何の意味があるんだって思ってた」

「おいおい」

 ロクロがゆらゆらと揺れる。木枠を押さえつけるようにしてロクロを黙らせ、小太郎は乾いた喉で懸命に息を吸い込んだ。

「ほんとは、いまもそれは、あんまり変わらない。けど、意味がないわけじゃないってのは、わかった。千津さん見てたらさ……大事なことだって、わかった」

「そう」

 千津が微笑んでいる。

 その表情を見ていたら、小太郎はなんだか泣きそうになった。ロクロの弦を強く強く握りしめ、ロクロが悲鳴を上げるのも聞こえたけれど、かまわずに続けた。

「けど、千津さん、やっぱり千津さんはもう、来なくていいよ。泣いてよかったんだと思う。幸せもあったけど、不幸せもいっぱいあったねって、哀しんだってよかったんだと思う。千津さんはぜんぶ、ぜんぶわかってるんだから。だって哀しいものは哀しいよ、それってごまかせないだろ? 死んでしまってまで、お利口でいるんじゃなくてさ。そうじゃないと、せっかく幸せだったことも、ちゃんと見てもらえなくて、かわいそうだ」

 千津は目を見開いた。

 河のせせらぎすら聞こえてこない。完全な沈黙が、彼らを支配する。

 数拍の後に、ゆっくりゆっくり、千津は静かな笑みを形作った。

 くしゃりと笑んだ皺と皺の間から、涙が一筋、こぼれた。

 見間違いかと思うような、静かな涙だったけれど。

 それが彼女の本当だとわかったから、もう一度、小太郎は思いを舌に乗せた。

「オイラ、いつかお嫁さんもらうからさ。そしたら、オイラの子どもになって、生まれてきなよ」

 千津は笑おうと頬を緩めたが、結局涙が流れただけだった。

 小太郎の頭をもう一度撫でて、彼の額にそっと口付ける。

 それから、きびすを返した。

 背筋を伸ばして、河の上へ、足を踏み出す。

「またね」

 少しだけ振り返って、そう告げた。

 その言葉の意味を問うよりも早く、千津はまるで水面に映る小さな月のような、淡い光になった。そのまま、河向こうの巨大な炎に包まれるように、消えていく。

「生意気な坊主だ」

 ロクロが舌を出して、小太郎を見上げた。

「それにやっぱり未熟者だ。なんで坊が泣くかねえ」

「だ、だって……」

 小太郎はしゃくりあげていた。景色すべてが揺らいだ。何故涙が止まらないのかわからなかった。けれど、たまらなく哀しいのだ。まるで、自分が自分では無いかのように、哀しいのだ。

「けど俺様、坊のこと嫌いじゃねえなあ。また来年も一緒しようぜ」

「オイラは、もう、こんなのはゴメンだ」

 泣きながら、どうにかして悪態をつく。けれど本心だ。

 ロクロは笑った。全身を揺らして笑うと、からだの中から迎え火であったものが飛び出した。くるくると円を描き、炎は河の中に消えてしまう。

「俺様たち盆提灯は、この三日間だけの特別任務なんでね。そろそろドロンするが、哀しくて泣くんじゃねえぞ」

「誰が泣くか。お、男は泣かないんだ」

 ロクロは、小太郎の涙をべろりと舐め上げた。ごく愉快そうに全身を揺らし、小太郎の耳元で囁く。

「千津ちゃんの親戚っていうのがろくでなしでね。ごくつぶしと罵って、幼いあの子を追い出したんだ。そのくせ他の親戚連中には、うちで面倒みるからって金銭要求してさ。おかげで潤った一生を過ごしたんだが、死を目前にして、そこの旦那が己の愚かさにやっと気づいた。なんてことしたんだってね。まあ、気づいたところでもう遅い。そういう道に外れた魂ってのは、その次は人間にも、ひとでない人にもなれず、まあ盆提灯に生まれ変わるのがせいぜいのところさ」

 やっと、小太郎の涙が止まった。

 ロクロの言葉を、頭の中で繰り返した。

 どうして、そんな話をするのだろう。

 老婆である千津のことを、なぜ「千都ちゃん」と呼ぶのか、不思議に思っていたけれど。

「ロクロ、それって、つまり──?」

「でもまあ、俺様の役割も、きっと今年で終わりだなあ」

 それだけ告げたかと思うと、小太郎の手の中の提灯が、一気に重みを増した。ずしりとのしかかる負荷に、驚いてよろめきそうになる。

 確かにあったはずの、ぎょろりとした大きな目と、ぱっくりと開いた口と、そこから飛び出した舌とが、なくなっていた。

 いつの間にか、送り火も消えている。

 陽は完全に隠れ、星がまたたいている。

 すべてが夢であったかのようだ。小太郎は、しばらく呆然と突っ立っていたが、やがて力なく、役目を終えた盆提灯を胸に抱いた。

「……やっぱり、嫌いだ」

 唇を噛んで、小さく呟いた。

 星を見上げ、河に背を向け、歩き出す。

 やがて夜が更けるだろう。

 そうして、必ず、朝が来るのだ。

 望もうが疎もうが、それは誰の上にも、平等に。







読んでいただき、ありがとうございました。


これは、黒雛桜先生のイラストを元にした物語です。

黒雛先生のイラストを元にした短編『ムギワラギク』と同じ世界観となっております。

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[一言] 小太郎の役目、死者を導く者・・・がんばったね小太郎。 何もなくても、そこにあった自分の生を懐かしく想う。 そんなこともあるのかとしみじみ読みました。 あの提灯の素性まで考えるとは!(笑 大き…
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