魚人の花嫁
私は、とある御曹司と結婚することになった。
彼は、とにかく派手好きで、結婚披露宴も彼が経営するリゾートホテルのプライベートビーチに、大勢の人を呼んで行われる。
私は、あまり派手な事は苦手だけど、
「リゾートホテルの宣伝にもなるから」
と説得されて、全て彼に任せることにした。
当日、彼は海の上に大きなガラス板を取り付けて、その上に祭壇を置いていた。
海岸からみた人が、まるで私たちが海の上に浮かんでいるように見えるよう、大がかりな演出を施していた。
彼らしいな……
私は少し憂鬱だったけれど、全て彼の言うとおりにした。
バージンロードも全てガラス張りで、その上に大量の花が敷き詰められている。
私と父が、その花の上を踏みつけながら歩きだすと、海岸から歓声が沸き上がる。
ガラスの祭壇に、したり顔の彼と、神父が待っていて、私は彼のとなりに並んだ。
指輪を交換し、ベールを上げていよいよ誓いのキスをする瞬間、今まで穏やかだった波が大きく揺れ、何かが飛び上がった。
イルカかシャチか、キスする瞬間にジャンプさせ、招待客や私を驚かそうとしたのだろう。
いかにも彼の考えそうなことだ。
私は空を見上げた。
海岸にいる招待客達も歓喜の声をあげ、次第にそれは絶叫へと変わっていった。
波から飛び出したのは、イルカでもシャチでもない、人の形をしたものだったから。
私はあっという間もなく、波と一緒に引きずり込まれた。
海岸の悲鳴が聞こえていたけれど、次第にそれもなくなって、私は海の上をぐんぐん進んでいた。
私は、ライフセーバーに助けられている人のように、頭だけを海上に出し、人の形をしたものに身を任せている状態だ。
これも彼の演出だったら、笑っちゃう。
不思議と怖くはなかった。
子どもの頃から、全てを人任せにしていたから、多少の事では動じなくなっていた。
さらわれて、どのくらい経ったのだろう。
随分景色が変わってきたし、いくら泳がなくても、長時間海水に浸かっているのは、さすがに疲れる。
ようやく、洞窟のような場所に着き、私は陸地に上げられた。
改めてじっくり見る、人の形をしたものは、やはり人間ではなく、どちらかといえば獣に近かった。
当然、人間の言葉も通じていないようだ。
しばらくして、獣がどこかへ行ってしまったので、私は辺りを見回した。
洞窟は人ひとりが生活できるぐらいのスペースしかなかったけれど、漂流していたのを獣が集めたのか、毛布やランプ、アルミでできた食器など、使えそうなものが揃っていた。
私はとりあえず、海水を含んで重たくなったドレスを脱いで、毛布にくるまり、左手の薬指にはめた指輪を眺めた。
数日間、ここで我慢していれば、結婚したばかりの彼がきっと見つけてくれる。
そう思いながら、眠ってしまった。
翌日、海面の照り返しが眩しくて、目が覚めた。
波は穏やかで、鮮やかなマリンブルーがキラキラ輝いている。
しばらく海を眺めていると、獣が波の中から現れた。
獣は、小さな桃のような果実と、ペットボトルを私の側に置いた。
生の魚は食べないと思ったのだろうか。
私は、果実を口にした。
少し硬いけれど、甘酸っぱくて美味しい。
ペットボトルは封が開いていたので、恐る恐る口に含んだ。
真水だ。
これも、ほどよく冷えていて美味しい。
この近くに湧き水があるのだろうか。
聞きたい事は沢山あったけれど、会話は出来ない。
獣は、私が果物を食べ終わるまで、じっとこちらを見ていた。
その目は優しい。
そういえば、結婚した彼は、私のことを、こんなに優しい目で見つめてくれたことがあっただろうか。
いつも自分のことしか見ていなかった気がする。
彼は今、どうしているのだろう。
悲劇の花婿でも演じているのだろうか。
彼のことを考えると、いつもむなしくなってくる。
翌朝も獣は、木の実や魚を持ってきた。
幸い、洞窟に置いてあった物の中に、少し切れ味の悪いナイフもあったので、魚はさばいて生のまま食べた。
見るもの、食べるもの、全てが新鮮で、私は飽きることがなかった。
私が鼻唄を歌えば、獣は目を閉じ、静かに聴いていた。
時が静かに流れていくうち、私は結婚した彼のことなんて、どうでもよくなっていった。
彼もきっと、私を探すのを諦めて、別の結婚相手を探すだろう。
私は彼にとって、その程度の存在でしかない。
私は、指にはめていた結婚指輪をはずし、海に向かって投げ捨てた。
指輪はキラリと輝きながら、海に吸い込まれていった。
それからまた何日かして、私はいつものように鼻唄を歌っていた。
獣も、いつものように静かに聴いていた。
私が歌い終わると、獣が突然、私を抱きしめた。
あぁ、私は獣の花嫁になるんだな、と、目を閉じた瞬間、
ガリッ!
っと、音がした。
目を見開くと、獣は、獣の目をしていた。
あぁ、忘れていたけれど、私はただの獲物だったのね。
私は目を閉じ、涙を流した。