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アフター・アフター・ダークネス
作:改札口



一章/ロク


 
  六
 
 先を歩く二つの背中を圭吾は黙って眺めていた。
 古い木の長い廊下を歩き、両側が短い渡り廊下に差し掛かったとき、二つのうちの大きい方の背中が回転し、こちらを向いた。
「あのお嬢さんなかなかの度胸の持ち主だな」
「ことの重要さに気付いてないだけじゃないの」
 ぶっきらぼうに言って、圭吾は達彦と一定の距離を保ったまま立ち止まった。
「そうか?」
「きっとそうだよ」
 圭吾は間髪入れずに答えた。
 早苗はどこか抜けたところがある。学校で聞いた噂のせいかもしれないが、頭でちょっと考えただけで結局はズレた解答をする。そんなタイプだと感じていた。
「まあ、それでも大物には変わりない」
 ふんっと鼻で小さく笑い、達彦は木製の手摺りを掴み外を眺める。しばらく、そこから見える整った庭園を目を細めて見ていたが、ふいに圭吾の方を向き不敵な笑みを浮かべた。
「お前も言いたいことがありそうだな。言ってみろ」
「『あれ』やるのか?」
 自分の足を見ていた圭吾は顔を上げ、ほのかに瞳に強い色を浮かべた。
「あんなにペラペラ秘密を喋ったんだ。何も考えていないわけないよな」
「坊ちゃん」
 たしなめるように雅文が静かに声をあげたが、圭吾は気に止めない。
「謝るだけ謝って、さっさとなかったことにしようとしてるんだろ」
「なら聞くがお前は、黙っていられるか?人間ではなくなって、さらにその姿で目の前で殺さ れるのを見た人間に嘘をつき続けられるのか」
「……」
 達彦は声を落として、圭吾を横目で睨み返した。圭吾はただ唇を噛み、視線を床の木目に落とすことしか出来ない。
「処分は明日決定する。ただ通例通りになると『あれ』を執行する確率は高い」
 達彦の声は立ち去る圭吾の背中を簡単に射抜いて、小さな風穴を開け、胸の奥にあった傷痕を鈍く疼かせた。

 何度目を覚ましたのか、何度眠りに落ちたのかわからない。その何度目かで、早苗は意識を完全に取り戻した。
 体中を支配していた鈍い痛みは治まり、上半身を起こす際も顔が歪むことはなかった。
 お母さん心配しているだろうな。と早苗は、暗くなった格子の外を見ながらぼんやりと考える。もしかしたらもう死んでいると思われているかもしれない。葬式なんかされていたらどう しよう。と本気で悩んだとき、部屋の隅で何かが動くのを、目の端で捉えた。
「誰?」
「いきなりで悪い」
 相変わらず姿は見えないが、随分と聞き覚えのある声だ。
「篠宮君?どうしたの。何かあったの」
 いや。と返事に困ったような声を聞き、早苗は首を傾げた。
「謝らないといけないと思って」
 ボソリと聞こえたバツの悪い声に、早苗は小さく噴き出した。
 顔をしかめた圭吾の様子が鮮明に頭の中に浮かんできて、早苗の顔に笑みが浮かぶ。

「悪かった」
「別に、もういいよ」
「でも……」
「言ったでしょ。私のわがままを聞いてくれてあの場所に連れていってくれた篠宮君に私、すごく感謝してる」
 また困ったような沈黙が二人の間流れた。
「いけなかったんでしょ? 私みたいな何も知らない人をあそこに連れていくの」
 確かに夜行の関係者ではない人間は、あの廃墟群『トウキョウ』に近付くのも入るのも禁忌だ。
 もちろん夜行の関係者も、そのような無力な人間をトウキョウに入れてはいけない。それは その人間だけでなく、夜行自身にも危険が及ぶから。というのが主な理由なのだが。
 それを説明する前に、圭吾の口はひとりでに言葉を発していた。
「本当に……悪い」
 重苦しい口調に何かを感じたのか、早苗は何もない暗闇にいるはずの彼の瞳を探した。
「水城さん。君は明日記憶を消される」
 驚いたような息を飲む音が、闇に飲み込まれた。
「決まりなんだ。さっき親父が夜行ってことをあんたにばらしたのも、どうせ明日になると消えてなくなるからって魂胆なんだ」
 そうだろうか。早苗は人差し指を軽く額に乗せた。謝罪の言葉も、態度も真面目そうには見えなかったが、奥底には誠意が感じられたのだが。
「だからあんたの友達の記憶も……」
「気にしないで。大丈夫」
 圭吾の言葉を遮り、早苗は顔に笑みを浮かべた。もちろん相手には見えてはいない。それでも二人の間に漂っていた濃い闇はわずかに薄らいだ。
「それが決まりなんでしょ。だったら今更文句なんかないし、だいたいわがまま言ってここまで来たのは全部私のせいなんだから」
「……」
「それに麻衣の記憶は消されたって覚えてるから」
 どうせ深く考えてないのだろうな。と思いながらも圭吾は口元がほんの少し、右に上がる。

「あ、でも篠宮君との記憶も消されちゃったら残念だな。せっかく友達になれたのに」
 目を細め、圭吾は闇を見つめる。
 夜行と知ってなお圭吾を友達と呼んだ人物は、今までたった一人しか出会っていなかった。
ねえ。と明るい声と共に柔らかく小さなものが圭吾の手を包んだ。
「絶対、話しかけてね。もし篠宮君のこと忘れてて私が変な顔してもまた、友達になろう」
 意に反して、握られた拳に力が入った。嘘でも、ご機嫌取りでも構わない。自分を友達と呼んでくれた彼女をこれから守っていこう。例え彼女が何一つ覚えてないとしても。
「……ああ」
 そんな想いを、圭吾はその一言に詰め込んだ。


 達彦が早苗のいる部屋を訪れたのは、次の日の昼だった。
 相変わらずの不精髭で、前日よりも眠そうにしている。
 早苗は唾を静かに飲み込んだ。圭吾に向かって威勢の良く言ってみたものの、いざ本番となると否応なしに緊張する。
 ぎごちのない早苗の笑みを見て達彦はおもしろそうに笑った。
 先手必勝。やられる前に言いたいこと全部吐き出してやる。早苗は目をつむって、大きな声をだした。
「ええと。この度は私の怪我の介抱とか、麻衣に会わせてくれてありがとうございました! とっても感謝してます! 記憶消されちゃっても恨み言とか一切ないんで、というか受けて当たり前だと思うから……どうかスッパリやっちゃって下さい!!」
 言い終わると同時に、早苗は両手を前に突き出した。特に意味はない。

 一瞬の沈黙。格子の外から、鳥のさえずりが聞こえる。
 嵐の前の静けさ、というかその後に訪れたのは達彦の豪快な、聞く人によっては下品な笑い声だった。
「おい。聞いたか?充ちゃん」
「ええ。聞きました」
 肩を震わせる達彦の隣で、表情を崩していない充が早苗を見下ろしていた。
 早苗はその視線を真正面受け止める。
 記憶を消す処置を行うのは充だということは昨夜圭吾から聞いていた。だから目を逸らすことが出来なかったのだ。
「安心しな早苗ちゃん。あんたの記憶はなくならん」
「へ?」
「いや。昨日の晩まではその気でいたんだが、まさか息子と早苗ちゃんがデキてたなんて気付かなかったんでな。本当に野暮なことをしてしまった」
 頭が混乱しているのが端から見てもわかるくらい、早苗は狼狽していた。
 いつもの癖で額に人差し指を乗せ、必死に思考回路を繋げようとする。
 昨日の会話に勘違いを受けるものなどなかったはず。
「絶対、話しかけてね。なんて言われたら、記憶を消すわけにもいかんだろ」
「はぁ」
 未だにやにやと笑みを浮かべている達彦に、顔を真っ赤にしながら早苗は呆れて物も言えない。意外にミーハーなのかもしれない。早苗はため息を吐く。

「というわけで今から会わせたい奴らがいるんだが立てるか?」
 早苗は無言で頷く。達彦は満足気に鼻を鳴らし、踵を返す。
「まあ無理はしなくていい。ここ数日で早苗ちゃんの噂が立ちまくっていてな。果てには俺の 愛人だと言うやつも出て来る始末だ。早苗ちゃんは奴らの言うこと無視して結構だ。もともと自分の言いたいこと言えば満足する人間ばかりだからな」
 数日ぶりに立ってふらつく足を押さえ、早苗は頷いた。
「調子が悪くなったら充ちゃんに言うといい。今日は側に着かせているから」
 私にだって仕事があるんですがね。と言いたげな充は、おぼつかない足どりの早苗の腕をとる。

 その瞬間、早苗は充に、今までに覚えたことない感情を抱いた。怒り、憎悪なんて生易しいもっとドロドロして、殺意に満ちている感情だ。
 早苗自身、自分が自分に驚きただその感情を弄ぶしか出来なかった。
「どうしたの。どこか調子悪いの?」
 笑みをつくることなく首を横に振り、早苗は歩き出した。なるべく充を視界に入れないようにしながら。

 そんな様子を充はじっと見つめ自嘲するように薄い笑みを浮かべ、静かに視線を前に向ける。
 長い廊下の所々で、朝の色素の薄い光りが筋状に差し込んでいた。













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