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アフター・アフター・ダークネス
作:改札口



一章/ゴ


   五
 
 胸に走った鈍い痛みで、早苗は重いまぶたをゆっくりと開いた。しばらくは、曇ったガラスのように、不鮮明な景色しか映さなかった瞳も、何度か目を擦るとついに有りのままの光景を、映し出した。
 そこは古い日本家屋で、こじんまりとした和室のようだった。ひんやりとした空気を、格子から差し込む幾つかの光りの線が貫いて、くすんだ緑色の畳を照らしている。
 あたりはしんと静まり返っていて、格子の外で小さく聞こえる鳥の声しか聞こえない。その鳥の声も、もしかしたら聞き間違いではないかというくらい、微かなものだ。

 重たい体を無理矢理布団から起こそうとしたが、両手をついて上半身を起こすのがやっとだった。
「起きたのかい」
 突然後ろからしゃがれた老人の声が聞こえ、早苗は驚いて振り返る。そこには声の通り、白髪頭で顔中皺だらけの翁が中腰でこちらを覗き込んでいた。
「どこか痛いところはないかい」
「体中が」
 突然の事で戸惑いながらも、早苗は正直に答える。すると翁は大声を上げて笑い出した。
「あっははは!正直な娘だねぇ」
 静かだった空気を震わせる翁の褒めているのか馬鹿にしているのかわからない笑い声に、多少怯えながらも早苗はなんとなく、翁は悪い人には見えなくなっていた。
「あの。ここはどこなのでしょうか」
 まだ笑いの余韻を引きずっている翁に、早苗はおずおずと尋ねた。この和室も、周りの空気も全く早苗の見覚えのないものばかりだ。
「ああ、その答えはアタシは言えないんだよ。少し待ってなさい。人を呼んでくるからね」
 すっと立ち上がった翁だったが、背は立つ前とあまり変わらなかった。藍色の和服が、妙に似合っていることに、今更ながら早苗は気がついた。

 音もなく襖を開け、その向こうに翁の姿が消えた瞬間、元の静寂が早苗一人きりの和室を支配する。
 早苗は心臓の鼓動がやけに大きく聞こえ、また痛みも増したような感覚を紛らわせる為に、部屋をぐるりと見渡した。初めてのものばかりなのに、どこか懐かしい。そんな気がした。
『一獲千金』
 と達筆で掛かれた掛け軸を茫然と見ていると、襖がバンッと勢いよく開き、早苗は慌ててその掛け軸から目を逸らした。何か見てはいけないものを見たような、そんな気がしたのだ。なんの確証もないのだけれど。
「おっ元気になったみたいだな」
 そう言って、ニヤリと笑った不精髭を生やした男は、ずかずかと和室に入り込み早苗の右側に腰を下ろした。
 続いてやってきた三人の内、二人は見覚えがある。さっきの翁と、バツの悪そうな顔をしているのは篠宮圭吾だ。二人は揃って早苗の左側に座り、神経質そうな眼鏡を掛けた若い女性は不精髭の男の隣に座る。

 突然のことで頭がこんがらがってるかもしれねえが。と男は頭を掻いた。
「まあ、とりあえずは自己紹介だ。俺は篠宮達彦しのみやたつひこ。この家の主人だ」
 不精髭をぼりぼりと掻きながら男は言った。そして黙ったまま横の白衣を着た眼鏡の女性に、何の合図か知らないが、ウインクする。女性はそれに気付いたのか気付かなかったのか、目線を早苗にしっかり合わせ達彦の方を一切見ないまま、口を開いた。
「私は畠山充はたけやまみつる。この家専属の医者をやっています」
「お医者さんですか」
 早苗は思わず声を上げた。なにしろ医者を名乗るものを初めてて見たのだ。
 文明が著しく退化した今では、大体の人は自然治癒に任せきりで、自ら医者を名乗る者は相当少ない。さらに本当に人を治せるのは、その半分だと言っても過言ではなかった。
「そしてアタシは斯波雅文しばまさふみ。この家に雇われるのさ……坊ちゃんは知り合い なんだろう?じゃあここからはあんたに喋ってもらおうか」
 早苗は圭吾の方をちらりと見たが、下に向きっぱなしのその視線と重なることはなかった。

「あ、あの……私の名前は水城早苗です。その、助けてもらってありがとうござました」
 何を言うべきかわからず、とりあえずペコリと頭を下げた早苗に、達彦は笑った。
「それだけか」
「え?」
「もっと聞きたいことあるんじゃないのか」
 おもしろそうに尋ねる達彦を見たまま、早苗は固まる。いつかの記憶が鮮明に蘇ってきた。
 真っ黒い海から突き出している廃墟。現れた夜行。見るも無残になってしまった麻衣。弾けて消えてしまった、最後に見た親友の姿。
「案外鈍いな。早苗ちゃんは」
 文字通り、目が点になった早苗をおもしろそうに見て、達彦は言った。その声は、不思議と早苗の頭の中を幾重にも反響した。

「あなたは誰ですか?」
「……」
「あなた達は誰ですか?」
 しんと静まり返った和室に、他の誰でもない。自分の心臓の音だけが大きく聞こえ、痛む頭をさらに痛ませる。
「それの答えはいたって簡単だな。早苗ちゃんも気付いているだろ」
 達彦は先程とまったく変わらない様子で、じらすかのように早苗を見た。
「そう。俺達は夜行だ」
「嘘だ」
「嘘ついてどうするんだ」
「本当に夜行なら。こんな簡単に正体をばらす訳がない」
 拒絶するように、頭を振った早苗に達彦はため息を吐いて、面倒臭そうに髭を一本抜いた。
「言わなくても気付くだろ。あんな場面見たんじゃな」
 滝澤とかいった人間がでてきたもの、それは紛れも無く夜行だった。

 新聞には、麻衣を殺したのは夜行だと書かれていた。いや、早苗の周りで夜行に殺されたと思われる人は、少なくない。
 子供の頃の近所の夫婦。クラスメイト。
 それでなくても、一ヶ月に数人。酷いときだと十人以上も行方不明。または不気味な死体で見つかっているのだ。
 自らその犯人だと名乗る人を目の前に、早苗の胸に今まで感じたことのない憎悪が湧いて出て来た。それをぐっと堪えて、布団をにぎりしめた自分の手を穴が開くほど見つめながら、震える唇を動かした。
「一つ、質問があります」
「なんだ」
「麻衣を殺したのは……あなた方ですか?」
 耳に突き刺さるような静けさを堪えながら、早苗は答えを待った。

「違うな」
「え?」
 予想外の言葉に、早苗は顔を上げた。
「だから違うと言っている。確かに最後の最後を仕留めたのは滝澤だが、あの状態の被害者はもう死んでいる」
 言っている内容がよくわからず、早苗は首を傾げる。
「つまり被害者……矢吹氏は早苗ちゃんが出会った数日前に殺されていたんだ。つまり早苗ちゃんが出会った矢吹氏はもう、矢吹氏ではない別のモノになっていた訳だ」
「……」
「海で死んだ者は、還ってくる。ただその時はもう人間じゃない。化け物だ」
 確証があるわけではないが、達彦の語る話は妙に真実味を帯びていた。だが鵜呑みにするには、あまりにもおかしな点が多すぎた。
「じゃあ麻衣を殺したのは……」
「同伴者の誰かにナイフで指されたんでしょうね。写真で見る限り、矢吹氏の胸には深い切り傷があったので」
 黙っていた充が口を挟んだ。
「だが、こちらに落ち度がなかった訳ではない。実は矢吹氏が死ぬ直前に、ウチの奴が矢吹氏を発見していた。さっさと化け物になる前に海から引き上げればよかったんだが、証拠の写真をとっている間に逃げられちまったんだ」
 すまない。と頭を下げた達彦に倣い、圭吾と雅文も黙って頭を下げた。
早苗はどう反応すれば良いのかわからず、無言で頭を下げる三人の後頭部をただ見つめていた。
 思い付くままに罵倒する気にもなれないし、それは違う気がする。かと言って、もう済んだことなので、と簡単に心の整理を行える程大人でないことも十分わかっていた。

 しばらく黙り込んだ後、早苗独自の思考回路で彼女なりの答えを導きだした。
「えっと、ありがとうございました」
 人差し指を額に軽くあてた後、早苗は頭を下げた。他の四人は、なんの脈絡のない早苗の返答に思わず目を丸くする。
「私のわがまま聞いてくれて。本当は私をあそこに連れていっちゃいけなかったんでしょ?」
 早苗の視線を受け、圭吾は気まずそうに視線を逸らした。
 それを見て早苗は小さく微笑んだ。

 詳細はわからないままだが、この歳もバラバラの四人は悪い人には感じられなかったのだ。主に直感に重点を置いて生きている早苗にとっては、その感覚だけで、今までの夜行に関する意識を全てとはいかないが、1番悪い部分を払拭するのはたやすかった。
 それに善悪など関係なしに、最後に麻衣に会わせてくれた圭吾や、こうして頭を下げに来てくれた彼等にお礼を言いたかったのだ。
「なかなかおもしろい嬢ちゃんだ」
 達彦は豪快に笑い、立ち上がった。
「部屋だけはたくさんある家だから、幾らでも使ってくれ。なにか用があったらシバさんに言うといい」
 そう言って出ていく達彦の後ろで雅文が小さく礼をして、和室を出ていった。それに続き、結局一言も喋らないまま、圭吾が襖を閉めた。

 ただ、1番に出ていく気がしていた充は早苗を見下ろしたまま動かない。しばらく無言で見つめ合った後、踵を返し背を向け静かに言い放った。
「安心しなさい。明日で全部忘れるから」
 その意味を尋ねる前に、充はもう襖の向こう側に言ってしまっていた。
 そこにはただ、早苗が一人が残されていた。



水城早苗……桑山高等学校の二年生。陸上部のエースで、性格は少々鈍い。











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