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アフター・アフター・ダークネス
作:改札口



一章/二


 男は何かが触れる気配を暗闇の中で感じていた。
 遠い。だがその温もりは確実に、主に近づいてきている。
 さて、どうするべきか――。
 今は弊害はない。すぐに危険が迫ることはないだろう。
 むしろそんな状態が長く続くことを、男は願うことしか出来ない。今、彼は囚われの身なのだ。黒く、粘着質の格子が男の四方を囲んでいる。
 いまいましい――。
 暗闇の中で舌打ちする男は、じっと黄昏の世界を見つめる。
 いつまでも見つめていた。

   二

 篠宮圭吾は、ため息を付いて椅子に深く腰掛ける。
 手の中には一枚の写真。その中の少女は、静かに目を瞑っている。そして写真同様、いまや本物の彼女の目も、いくら待っても開かない。
 そんな写真を持っているだけでも縁起が悪いのに、その身元を確認しろなんてまったく無茶だ。方法など考えもせずに命令された方を考えてみろってんだ。心の中で愚痴った時だった。「なにそれ?」
 後ろから声を掛けられ、反射的に机の中に隠す。
「なんだよ〜。隠すことないだろ……彼女? 見たことない顔だったけど」
 にやにやしながら圭吾の肩を掴んだのは、高橋弘久。初対面の圭吾に向かって大爆笑した強者だ。どうやら自己紹介の先に、皆の前で頭を下げた圭吾がツボはまったらしい。
「違う違う。そんなんじゃねーよ」
「ふーん」
 それでも自分掛かってくる疑いの眼差しを避けながら、圭吾はまたため息をつく。

 どうやらこの学校の生徒ではないようだ。自称情報通の弘久が言っているのだから。
 写真をとろうとする弘久の腕と格闘していると、教室の前の方のドアが開いて少女が入ってきた。
「あ。水城さん」
「なんだ。お前水城知ってんの? ああそういえば一緒に怒られてたもんな」
 昨日の状況を思い出したのか、笑いを堪えながら弘久は話を続ける。
「惜しいよな。なかなか可愛いのに、あの性格じゃ……」
「え? 性格悪いの?」
「いや。そういう視点で言うといい奴なんだけどさ。ちょいと暗いんだよな」
 確かに初めて会ったときも、彼女の笑顔も少し暗かった気がする。
「まあたまに見せる笑顔が堪らないっていう奴もいるといえばいるんだけど」
 まだべらべら、よく言えば親切に教えてくれている弘久を無視し、窓際の席に着いた早苗を見つめた。
 昨日よりさらに元気が無くなっているのは、気のせいだろうか。

 目の下にも、クマが出来ている。
 圭吾があまりにじっと見ていたせいたろう、弘久はニヤリと笑って圭吾の肩を叩く。
「なんだお前。水城に惚れちまったのか」
「バッ……そんなわけないだろ」
 慌てて圭吾は否定するが、エンジンのかかってしまった弘久は止まらない。
 ニキビ面を近づけて、ニヤニヤと笑みを浮かべたまま圭吾に耳打ちする。
「すごいよな。転校一日目からもう目星をつけるなんて……でもあきらめろ。水城には恋人がいる」

 意外な言葉に、思わず圭吾は弘久の顔を見た。その反応におもしろそうな表情をして、弘久はニヤリと笑う。
「あいつさ。たまにすっげえ楽しそうに手紙呼んでんだよ」
「手紙?」
 聞き返した圭吾に、弘久は頷いた。
 手紙は唯一の、遠距離とのコンタクトの取れる方法だ。だが移動手段が限られている上、大量に運ぶことが出来ない。それに送った相手に届かないなんてこともザラなのだ。
「あの滅多に笑わない水城がだぜ? しかも手紙の内容は誰にも見せないし。皺くちゃになるまで読んでるからな」
 決まりだろ。と誇らしげに語る弘久に、圭吾は曖昧な笑みを送った。


 今日は部活に出ないといけない。
 体は昨日以上に重たいし、気分も全く優れないが、それでも走ることでうやむやを吹き飛ばしたかった。走らないと、自分が腐ってしまいそうだった。
 いつまでもくよくよしていられない。
 最近では珍しい事件ではないのだから。
 そう割り切ろうとする自分が嫌になって、早苗は机に顔を伏せる。

 腕と頭のわずかな隙間から見える空は、いつも通り濃い青色に染まっている。
 いっそ雨が降ってくれれば、素直に感傷に浸れるのに。そして静かに腐っていけるのに。
「おい。ちょっといいか」
 遠慮がちに聞こえる声に聞き覚えがある。
 早苗の苛立ちは、静かに積もっていく。


 何で俺はこんなにタイミングが悪いんだ? 誰かに聞いて回りたくなるくらい、圭吾は落胆していた。
 だが今日は仕方ない。と自分に言い聞かせ、内心を悟られないようにして早苗に話しかけていた。
 片方の目だけで、睨み付けているつもりなのだろうが、ほんのりと充血しているのは隠しきれていない。
 完全に嫌われたな。と圭吾は確信する。
 これからもっと嫌われないといけないのに。
「聞きたいことがあるんだけど。ちょっと来てくれない」
 明らかに行きたくなさそうだったが、沈黙は了承と受け取り半ば無理矢理教室を出て、渡り廊下の陰に連れていった。

 少し赤みを帯びた光りが、年期の入った校舎を映し出している。ひとつひとつの窓ガラスがそれを反射し、輝いていた。
「それで……何なの?」
 ぶっきらぼうに尋ねる早苗の声は微かに掠れている。
「ここ。絶景だな」
「……」
 反対に、圭吾はのんびりと言う。確かに、元々小高い山にある学校なので、眺めはいい。
 今二人がいる場所からは、目の端に映る木々と、彼方にある海とが交ざり更にそこに夕日に変わりつつある太陽があって、圭吾の意見も頷けるほど、美しかった。

 だが、早苗が今聞きたいのはそんな感想ではない。
 背中から感じる圧力に仕方なく圭吾は振り向いて、壁に寄り掛かりこちらを軽く睨んでいる早苗に向かって、口を開いた。
「水城さんって手紙のやり取りしてたんだよな」
 ぴくりと早苗の瞳が動いたのを、圭吾は見逃さなかった。
 普通ならば気にも止めない小さな動揺。しかし元から予想をしていた者に対しては、大きすぎる反応だった。
「誰としてたか教えてくれる?」
「なんで教えてなくちゃいけないの」
「嫌?」
「当たり前でしょ!」
「……なんで?」
 声を荒げた早苗に、静かに圭吾が尋ねる。視線は早苗の瞳から決して外れない。

「なんでダメなんだ? 何かまずい物でもあるのか?」
「あるわけ……ない」
「じゃあ。言ってくれ」
 嫌な奴だ。自分で言いながら、そう圭吾は思った。
 彼女は目の前が真っ暗になっているのだろう。そうしているのは紛れも無く、圭吾なのだから。
 顔を伏せ、動揺を涙をみせまいとする早苗を、じっと見ていた圭吾の方が心を動かされる。
 この少女は何も悪いことはしていない。
 だが、圭吾は聞きたかった。
 今確信に変わりつつある仮定は、今までにない、とても稀有な事例なのだから。
「この人。知ってるよな」
 例の写真を早苗に見せる。答えは、表情を見ればすぐにわかった。

 しばらくうまく話せなかったが、早苗はなんとか言葉を紡ぎだす。
 校内の喧騒や風の音は消え去り、視界は差し出された写真に占拠され他の物は一切見えない。
「どうやってこれを?」
「知ってるんだな?」
 狼狽する早苗の声に被せるように、圭吾が言った。
 力無く、早苗が頷く。
「こいつの名前は?」
矢吹麻衣やぶきまい。私のトモダチ」
 はっとして早苗が顔を上げた。
「もしかして麻衣は……」
「亡くなった」
 残酷過ぎる宣告に、早苗の微かな希望は消え失せた。
 早苗はズルズルと壁に寄り掛かったまま座り込み、頭を抱えた。
 見覚えのある姿に、圭吾は顔を背ける。
 自分にこれ以上、彼女の傷を掻き回す権利などあるわけがない。だが、掻き回さないといけない義務もあるのだ。


「特別保護観察者」
 圭吾が早苗の隣に寄り掛かりながら、ぽつりと言う。
「知ってるよな」
「……」
 横を向き、語りかける圭吾に対し早苗は視線を前に向け、頑なに視線を合わせるのを拒んだ。
 きっとそうすると、ばれてしまうと思ったのだろう。
 だが微かに震える唇が、痙攣する頬が、早苗の感情をあらわにする。
「……知ってるよな」
 俯きながらもう一度言った圭吾に、早苗は小さく頷いた。

 被特別保護観察者。
 そのレッテルを張られたのは、俗に言う「破滅のヒカリ」を浴びて帰還した兵士と、その後産まれた子供達だ。
 彼等は政府から半ば無理矢理隔離施設に収容され、幾重にも重ねられた鉄条網の奥で、一生暮らさないといけない運命なのだ。
 そして、今から数年前、一番最初の鉄条網を挟んで、水城早苗と矢吹麻衣は出会った。

 二人の間に、気まずい空気が流れる。圭吾はじっと空を見て、早苗は反対に顔を下に向け涙を堪えている。
 言葉はない。聞こえるのはよくわからない鳥の声と、校舎から漏れる生徒や先生の立てる音だけだ。
 その沈黙を破ったのは、早苗だった。
「どうして麻衣の写真を持ってるの」
 今度は圭吾が返事に窮する番になった。
 写真の彼女の身元は確認した。与えられた命令はこなした。言葉は悪いが、圭吾にとって早苗は用無しと変わりはない。
 しかし、何も告げずにトンズラするには、彼女の心を切り裂き過ぎたのも事実だ。

 何も言わず、動かない圭吾の代わりに、早苗が独り言のように話し始めた。
「麻衣ってね。いっつも明るかった。私よりもずっと辛いはずなのに……彼女を励ます為に書いた手紙もいつの間にかこっちが励まされてた」
 そう。早苗が読んでいたのは恋人からの手紙ではなく、友人からの手紙だったのだ。
 施設から投げあって交換していたのだろう。だからいつも手紙は皺だらけで、決して人には見せなかったのだ。
「一番最後の手紙に書いてあったの。外に出してくれる人を見つけた。会いに行くからって」
 そこまで言って、早苗は黙った。涙を堪えているのだろう。

 案外、千草と同じくらい意地っ張りなのかもな。こちらに向いた小さな背中を眺め、圭吾は思った。
 最初に出会った時も、今日の教室も、そして今も、決して人に涙を見せようとはしない。
「止めたんだ。無理はしちゃいけないって……でも遅かった」
 歯を食いしばり、絞り出した早苗はもう口を開かない。
 そんな早苗のために、圭吾は無意識の内に言葉を紡いでいた。

「彼女に会いたいか?」
 内心首を傾げながらも、早苗は頷く。
 会いたくない訳、ないじゃないか。たとえそれが決して動かない、魂の抜け殻だとしても。
「だったら着いてきてくれ……でも何が起こっても責任は自分で取るんだ」
「わかった」
 了解の合図を送る早苗を横目で確認し、圭吾は目を細める。
 今からするのは、褒められる行為ではない。
 そう分かっていながらも、圭吾には目の前の少女に言葉で現実を突き付ける勇気はなかった。だったら、一番手っ取り早い方法を取るのみだ。圭吾は無言で歩き出し、その後を早苗が追っていった。
 渡り廊下を後にする二人の影が、いつの間にか茜色に染まった夕日によって長く伸びていた。













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