夕焼けが眩しかった。
公園に一人佇む千恵子は体の痛みに泣きたい気持ちになったが、必死に涙を堪えた。
千恵子の体のあちこちから響く痛みは不条理な暴力によるものだ。
逃げ出して来たものの行くあてもなく、たどり着いたのはこの公園だった。
「ねぇチーちゃん。その痣どうしたの?」
同じチューリップ組の吉本カノンは不思議な顔をして聞いてくる。
わかってるくせに…
千恵子は心の中でつぶやいた。
この間、見られてしまったのだ。
千恵子が殴られている所を…
「あっ…」
カノンは逃げる様に千恵子の忘れた、くまさんの連絡ノートをその場に置き、帰って行った。
カノンの母親は美代ちゃんのお母さんと話をしていて全く気がついてなかった。
幼稚園の千恵子には何故自分が殴られるのか理解できない。
いや、例え大人になったとしても一方的に殴られる事なんかに理解は出来ない。
そう思った。
でもね…チーは知ってるよ。悪い事する人は、本当は寂しいんだよね…
夕焼けが眩しいな…なんてのんきに笑っていたかった。一人になりたかった。笑ってでもいなければ今にも涙がジワジワと、湧き上がってくる様な気がした。
しかし、この公園にも人はいた。小学生の男の子達が輪になって何かをしていた。
千恵子は恐る恐る近づいた。
「やっちゃえ!やっちゃえ!」
見ると少年達は小さな子犬を囲みボールの様に蹴り上げていた。
千恵子は怖くて震えていた。
何も出来ない。
そんな状況に神様は見ていられなくなった様に何処からともなくチャイムが聞こえる。
キーンコーンカーンコーン、キーンコーンカーンコーン
「やべぇ5時のチャイムだ。帰えろうぜ!」
一人がそう言うと少年達は花火の様に散らばった。
子犬は足から血を流している。
千恵子は重たい体を引きずりながら、急いで子犬に駆け寄った。
自分を見ているようだった。
「大丈夫?痛かったねぇ…助けてあげけなくて、ごめんね」
抱きしめようと手を伸ばすが、子犬は警戒している様だった。
千恵子はじっと子犬を見つめた。
千恵子も子犬も寂しそうな切ない目をしていた。その事に子犬は敏感にとらえたのだ。
ゆっくりと千恵子に近づく…。
「おいで!」
千恵子は涙をボロボロ流しながら子犬を抱きしめた。
「お前もチーと一緒だね…いじめられて耐えたんだね…よく、がんばったね…」
子犬は当然、千恵子の言葉を理解してはいないが切なさみたいな物を読み取ったのか千恵子の傍を離れようとはしなかった。
泣くと体が痛い。痛くて泣いているのか、悔しくてないているのか、怖くて泣いているのか…千恵子自身もう判らなかったが一度流れてしまった涙は、反乱した川の様に勢いよく流れ出し、とどまる事を知らない。
「お前も一人ぼっち?」
応えのない千恵子の呼びかけは続いた。
「どこから来たの?」
「クワン」
「痛い?」
「……」
「チーはお薬持ってないから治してあげられないね…これからどうしようか?」
「……」
千恵子は、子犬の頭を撫でながら遠くを見つめた。
いつまで耐えればこの辛さから逃れられるのだろう…どれだけ待てばこの痛みは消えるのだろう…千恵子にはこの苦しみが永遠に続く様な気がして不安になった。
「一緒に…逃げない?」
子犬につぶやいた。もちろん返事はない。足が痛むのか子犬は前足を気にしながらヨタヨタしている。
「ここに居たら、またいじめられちゃうよ?」
その時だった。
「ワン!ワン!ワン!」
何処からともなく犬の鳴き声が聞こえた。子犬はすぐ様その声に反応した。
目をキラキラ輝かせながら、痛いはずの足を引きずり駆けだした。
「あっ!」
千恵子の手をすり抜けた。
子犬が駆けだした方向に目をやると大きな犬が、やっぱり目をキラキラさせて子犬に駆け寄っている。
あぁ…ママが迎えに来たんだ…。千恵子はそう思ってうなだれた。
「一人ぼっちは、チーだけか…。」
子犬が羨ましかった。迎えに来てくれるママがいる…。
「いいなぁ…」
溜息とともに、そんな言葉が口から飛び出した。
その時だった。
「チー!チーちゃ〜ん!」
声が聞こえてきた。千恵子は一瞬ビクリとしたが、まぎれもないママの声に無意識に笑みがこぼれた。
すぐにでも飛び出したい。だけど今、ママの前に現れたら泣いていた事がバレてしまう。
ママだけには知られたくなかった。
何処に隠れようか迷っていた時だった。
「あっ!こんな所にいたの?」ママは笑顔で千恵子を見つめた。
「どうしよう…」千恵子はとまどった。
「ホラ、おいで!」両手を広げしゃがみこんだママは笑顔でチーを迎えてくれる。
千恵子はママの胸に飛び込んだ。
チーはママの笑顔がたまらなく好きなのだ。
柔らかい肌も心地よいママの胸も、抱き締めてくれた時に微かに香る甘い香りも大好き。
「ママ!ママ〜!」
大きな腕に抱かれてママのぬくもりに触れ、やっぱりママが好きだと千恵子は強く思った。
「帰ろっか!?」
ママはそう言って千恵子の手を握りしめた。
強く握りしめた。
家に着くと、いきなり殴られた。
「あんたがこの間、幼稚園休んだりしたからカノンちゃんに見られたでしょ!!余計な事言わなかったでしょうね!!」
鋭い目で千恵子を睨みつける。
「あんたがいけないのよ!和彦がいつも帰りが遅いのも、あんたのせいじゃない!!もう女じゃなくお前は母親だろ?なんて…あんたのせいじゃない!!あんたの…和彦の浮気も…みんな、みんな、あんたのせいよ」
勢いよく、黄色いスクールバックが千恵子のお腹に直撃して倒れた。
それでも…最後には、ママが悪かったわ!!ごめんね!と抱きしめられると無償に嬉しくなり許してしまう。
やっぱり、ママが好きだ!!体の痛みと共に確信するのだ。
たった数分のぬくもりの為に今日も千恵子は苦痛に耐えていた。
”悪い事をする人は本当は凄く寂しいからなんだよね?”
千恵子は心の中でつぶやいた。
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