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番外編その一 冬きたりなば 後編

「かつもくせよ、このサウスポーから繰り出される妙技! これぞ伝説の魔球ぞ!」

 ある程度、雪だまを作ったので遊んでみることにした。姉さんはさっそく恥ずかしいせりふを連発し、高笑いとともに投球の構えを見せている。

「何になりきっていらっしゃるか、わかります?」

 野球選手の真似でもしているのだろうかと首をかしげた彼に、私は答えた。

「子供になりきっているんだと思います」

 いろいろと言いたいことはあるが、まずは姉さんが宣言後に右手で投げようとしているのが注目どころだ。

「くらえ!」姉さんが叫んだ。

 いつからサウスポーは意味合いが変更されたのか。

 それはともかく、姉さんの魔球は聡さんめがけて飛んできた。だが彼は上手によける。かすりもしなかった。

 渾身の魔球はあっさりとした結末を迎える。おかげで、姉さんの闘志に火がついたようだ。これなら放っておいても二人で遊ぶだろう。私は離れた場所でせっせと雪だまを作ることに専念した。そして溜まったら、聡さんへ渡す。カニの身のお礼だ。

 しばらくして、私は聡さんへ雪だまの補給をしようと二人のほうを向いた。すると姉さんが矛先を変えてきた。油断しきっていた私は、まんまと二度目の顔面攻撃をくらってしまう。冷たさよりも急な衝撃が肌の上に残るような感覚だった。当たったところをさすってみる。一日で二回もやられるとは不覚である。

「無様よのう!」

 姉さんの笑い声が響くなか、私の代わりに彼が文句をつけてくれた。わなわなと肩を震わせている。

「ちょっと何ですか、綺麗なお顔を汚さないでくれます?」

「色白美顔っていうのは言い換えれば雪のような肌だろ? まさしく雪化粧、よかったな雅」

 また出てきた姉さんのぶっ飛んだ教えなど、どうでもよい。それよりも、やるべきことがあった。

「これ使って」

 私は彼に雪だまを手渡した。ぜひ(かたき)を討ってもらわないと、うらみを晴らせない。私が顔面に打撃を受けたことで彼はやる気をみなぎらせ、姉さんへ視線をやった。

 そのまま勝負がはじまった。私は先ほど作っていた雪だまの残りをバケツに入れ、それも急ぎ彼へ差し出す。彼の持参品だが役に立った。

 両者拮抗していたが姉さんのほうの雪だまが先になくなった。製造係のいない差であろう。隙を見て私は彼のバケツに補給していたので、彼のぶんはまだある。聡さんは敵の状態を見てにやりと笑い、攻めの一手に入った。対する姉さんは投げるものがなくなったため、守りを強化するのが先決である。

 どう防衛するのかと敵の挙動を見守っていたが、やはり敵は予想外のことをしてきた。いや、しでかした。

「甘い、甘いわぁ!」

 姉さんは聡さんの攻撃をよけて走る。ひっひ、と奇妙な笑い声で挑発するのも忘れない。そして、ひとしきりぐるぐると回ったあと、驚くべきことに庭に設置している物置の扉をがこんとはずし、構えたのだ。姉さんにしてみれば即席で大きな盾を得たも同然だ。

「ちょっと!」

 唖然としたのは一瞬で、私は思わず叫ぶ。あの扉は軽いし開けやすいのだが、サッシというか下部のレールからはずれると、今度はつけにくい代物になるのだ。ふすまはおろか、はずれた網戸をなおすより面倒で、今まで何度か苦戦している。

 そこへ聡さんは、姉さん目がけて雪だまをぶん投げていた。だがことごとく盾の防御によって破れてしまう。あっさりとバケツの雪だまは消えうせ、彼も武器を新調せねばならなくなった。

 彼の攻撃がやんだとたん、姉さんが巻き舌で「うらあ!」と叫びながら盾ごと彼へ突っこんでくる。バケツを放り投げた聡さんは、私の横を駆けぬけ、すばやくしゃがみ、何かを手にして立ち上がった。

 そしてそれを姉さんに向ける。準備万端、そんな不敵な面構えがかっこよく、私は場違いにもほんの少しときめいた。

 しかし彼が持っているのは園芸用ホースだ。もともと草木の水やりのため、庭にある蛇口にホースをつなげていたもの。彼は蛇口をひねっていたらしく、勢いよく放水させ、姉さんへ立ち向かった。

 私は後ろへ下がった。二人の間合いに入っていたら、とんでもないことになる。見学スペースで、ことを見守るのが最適なのだ。

 しかし二人を止めなかった結果、ものの見事に我が家のお庭は大改造された。

 物置の扉はへこみと傷だらけ、あたり一面は泥と水と雪がぐちゃぐちゃにまざり、ホースと垣根は汚れ放題、白熱した二人はびしょぬれになっていた。


 姉さんに風呂をわかすよう命じた。それから聡さん用の着替えも。泊まりにくる姉さんのスウェットならいくつかある。その準備もしてくるよう言いつけた。姉さんは疲労感たっぷりの顔でうなずいて室内へ入る。とても素直になっていた。

 それにしても庭がひどい状態だ。聡さんと私は、ふたり立ち尽くした。

「ごめん」

 気まずい顔つきで、彼が頭を下げてくる。遊びが過ぎたと反省しているらしい。

「いいよ。おもしろかったから」

 私はくすくすと笑い、彼を見た。顔を上げた聡さんは決まり悪げで、けれどすぐに笑みを広げ、いたずらっ子のように笑った。

 こんなにおもしろい出来事は久しぶりだった。見ているだけで楽しめた。庭の惨状は痛手だけれども、いい大人がここまで夢中になってやり合う姿は眺める価値がある。姉さんはともかく、彼の少年のような姿には自然と笑みがこぼれた。ふだん見れない一面だ。怪我さえなければ、たまにはこういうのも悪くない。姉さんだけは「たまには」という流れが連続するので自粛してほしいが。

 私と彼は窓の真ん前まで歩いた。姉さんが入っていったあとの窓は、開いたままだった。庭と部屋をつなぐそこから、暖房でぬくもった室内の空気が流れてくる。

 先に部屋へ入った私に続き彼も上がり、窓を閉める。その手で彼は私の腕へ触れた。軍手を取り上げられる。

「ああ。こんなに冷えて」

 言いながら聡さんは、素手になった私の両手をつかんだ。ゆっくりと手を持ち上げられ、彼の胸元のほうへ寄せられる。同時に意味深な様子で彼の顔が近づいてきた。くちびるにキスをされる。そう思った。でも違った。かじかむ指先に息を吹きかけられ、見つめられた。

 思わせぶりな態度の彼に、胸がどきどきして、けれどじれったくもなる。私は彼の顔を、くちびるをぼうっと見ていた。

 緊張しても、叶えてほしい予感として私のなかにある。それに気づいてほしい。

 彼は、ふ、と笑んだ。そして私の手をぬくめようとしているのか、優しい手つきでにぎり、さすってくれた。

 彼の顔が再び私の手に近づく。けれど今度は、ぬるい感触が一本の指先をかすめていった。いや、かすめたにしてはとても強烈な印象だった。なぞっていった、に近い。軽く吸いつかれた指先は湿り気を確かに感じ取っており、いつもより冷えた末端にはじんじんとする温度を残していく。

「つららって、舐めたくなりますよね」

 彼は指から私の顔へと視線をやり、ささやきを落とした。ほんの少しだけ笑みをのせた彼の表情が、私に大きな意識を促した。どこか無遠慮な視線をおくられ、安心しきれない。

 互いに触れ合っていた手が離れる。代わりに顔同士が近づいて、吐息を感じる。

 目を閉じる。同じ器官が、同じ部分に触れる。くちびるが震えて、熱気が這うような心地。指先だとぬるく感じていたものは、その間違いを正すように動く。何度も確かめさせられた。

 この部屋に戻ってくる姉さんの足音が聞こえる。早く戻ってきて。まだこないで。相反する気持ちを抱いたところで、彼は離れた。

「残念」

 ぺろりと自身のくちびるを舐めてから苦笑を浮かべた彼は、私の首に巻いていたマフラーをするりと奪って肩をすくめる。

 窓の外は、上空から白く小さな結晶が再び舞い始めていた。

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