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秋の追い風
作:灯夜


 涼を含んだ風が火照った頬に心地よい。風の中にはあのむせ返る様な夏の匂いは無く、微かに鈴虫や蟋蟀の音色が混じっている。
「ぴったりくっつけて嬉しいだろ」
 泥酔しかけの彼女は俺の肩を借りてやっと歩いている状態にも係わらず、減らず口を叩いていた。
「喧しい」
 思い切りデコピンをかます。
「何すんのよ!」
「あんたもっとこうロマンってモノを……って、だから彼氏出来無いのか」
 彼女はキッと俺を睨んでから、腕を放して俺の足首を蹴った。
「蹴るなよ」
「余計な事ばっかり言うなぁ!」
 俺の腕を振り払ったくせに、フラフラの彼女は街灯に寄りかかった。その明りの下、赤く上気した頬や深い夜の色を映した瞳がはっきりと照らし出される。
「そもそも先輩、酒弱いなら程々にしてくださいよ」
 溜め息混じりに俺は呟いた。
「あやか」
 ムッとした表情で彼女は言った。
「はい?」
「二人の時は名前で呼べ」
――こんな所、変わってないなあ。
 変わらない彼女を近くに感じると、きまって心の古傷が騒ぐ。

――あの日もこんな秋の始まりで、思い出すとまだ苦いモノが込上げて来る。当時の俺は彼女が苦手で、けれど尊敬もしていた。苦手なのは、話していると言葉を絡み取られていつの間にか彼女のペースに巻き込まれる事。けれどそんな時でも近くに居られるのが嬉しくて、憧れに近いのかなこの気持ちは。遥かに前を行く彼女の背中を眩しく思いながらも、追い求めていた。

「もし、私に勝ったら恋人になってあげる」
 彩香先輩は、俺の耳に口を寄せて囁く様に告げた。
 その表情からは、それが絶対負けないと言う自信から来るのか、本気でそう言っているのかは分からなかった。
――そんな悪ふざけが、俺が彼女に真摯に向き合う事をさせない。
「なめてると、そのうち痛い目みますよ」
 本当の今日は、長距離のタイム測定でいつも通りに流れていくはずだった。いつもなら相手にしないような一言は、やけに胸を抉っていた。
「ふふん」
――近くて遠い、変化のわからない距離に嫌気がさす。
 そんな中で駆け抜けるいつものロードコース、三千メートル。
「ヨーイ」
 心の中で三つ数える、スタートのタイミングは自信がある。
パァーン
 実力で劣る俺に作戦なんて無い、ただ全力で駆け抜けた。早鐘を打つ心臓、耳の横を通り過ぎる風。最後は、もうフォームなんて滅茶苦茶だった。ひたすらに腕を振って少しでも前に行きたかった。
 けれどそんな俺の横を、綺麗なフォームで息を乱す事無く彼女はすり抜けていく。
 俺は、彼女がゴールするその背中を見詰めていた。

――それから彩香先輩を避けた。正直、今となっても理由はわからない。ただ色々なモノを全部奪い取られた気がして嫌だった。

 卒業式間近のある日、最後に彼女と目が合った時の落胆の色を浮かべ俯いた顔が未だに瞼に張り付いている。二人は遠くから見詰めるだけ、言葉も差し伸べる手も無く、どちらもお互いに気が付かないフリをしている。
『あー、また負けちゃったか』
 なんであの日、そう言っていつも通りに出来なかったのだろう。
 なぜ?どうして?答えの無い、意味さえ無くした自問。そして決まって想う事は、文句を言いながらも居心地の良かった二人の時間。

――そっか……好きだったんだ。

 過去形になってしまった言葉に、胸が締め付けられる。
 一般に恋心を強く自覚するのは、嫉妬を抱いた瞬間らしい。
 けれどこの恋は、投げ捨てた時の絶望が教えてくれていた。

「ごめん」
 不意に口をついて出た言葉は弱く、自分にしか聞こえなかった。

――そして月日は流れ部活の同窓会が企画され、帰る方向の関係で彼女を押し付けられた。話をするのが苦痛にならない程度に時間は心を癒したが、近くに居ると……こんなに側で触れ合えば心の古傷に鋭い痛みが走るのに。
 空には細く痩せた月が輝いている。虫の声が寂しさを誘う、秋の始めに相応しい夜だった。
「あの時の勝負、私が負けたら上手くいったのかな?」
 やけに冷ややかな声に振り向くと、彩香の瞳に捕らえられる。真顔の彼女。手を伸ばせば届く距離、けれど動くに足る理由を見出せないで居た。
 一呼吸置いて、彼女は再び口を開いた。
「縛ったのは私の言葉?」
「……言っている意味が分からない」
「嘘」
 囁く様に彼女は言った。視線が絡み取られて外せない。
「最初に言い出した貴方に、文句を言う権利は無いんじゃないかな」
「嫌な奴」
「それはきっと彩香に対してだけだよ」
 笑って答えたら、微妙な顔をされた。
「あのね、陽介。もし間に合うのなら」
 彼女の瞳が儚げに揺れている。潤んでいる様に見えるのは、酒のせいだけでは無いだろう。
「私は……」
 彩香はそれ以上言葉が続かない様だ、だから俺が言葉を紡ぐ。
「俺には貴方が分からない」
「私は私を上手く表せない」
 目を伏せる。
――あの時の二人には何が足りなかったのだろう?
「もう一度だけ、お願い」
「懲りない人だ」
――未だに解らない。
「私が勝ったら二人の時間を頂戴、貴方が勝ったら付き合ってあげる」
「報われないな、俺」
――けれど、自分の想いを素直に受け止められる程度には大人になっている。
「ヨ−イ……ドン」
 そして俺達は走り出した、あの日から二人の間を隔てている距離を駆け抜けるために。

 少しだけ冷えた、秋の追い風を受けて。


いかがでしたでしょうか?
コメントは次回に生かしたいと考えておりますので、お気付きの点や感想などありましたらよろしくお願いいたします。













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