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前編

 一月。とある会社。

 その会議室で二人の男が膝を突き合わせていた。

「調子はどうだ? ノーキン」

 浅黒い肌をした大柄な男が話しかける。

 筋骨隆々。プロレスラーとは言わないまでも、格闘技をやっているといわれたら信用するだけの説得力はある。

 事実やっていた。学生時代は柔道の選手だった。

 顔つきは普通なんだが表情が恐い。威圧的なのである。


「まぁまぁスけど……ノーキンは勘弁してほしいス。千藤(せんどう)先輩」

 ノーキンと呼ばれた青年は千藤を先輩と表した通り、彼の後輩に当たる。

 千藤を一回り小さくしたような体格だが、鍛えられているのは筋肉のつき方で素人目にもわかる。

 髪を短くしているから余計に体育会系の印象がある。

 顔立ちはやや童顔。

 決して悪人ではないが、あまり賢くも見えないというのが率直な印象である。

「悪い悪い。それにこれは仕事の話。ちゃんと瀬能(せのう)と呼ぶか。それとも金太郎がいいか?」

「好きなほうでいいス。ノーキンよりゃ」

 瀬能金太郎(せのうきんたろう)。それゆえにノーキンと呼ばれていたが、本人はいたくその呼び名を嫌っていた。


「それで、話ってなんスか? 先輩」

「ああ。結構いいにくいことなんだがな。だから上のほうも辞令交付じゃなく、俺にメッセンジャーを頼んできたくらいだし」

「勿体つけるなんて先輩らしくないスね」

「ちがいねぇ。それじゃストレートに言うか」

 それでもいいにくいようだ。


「金太郎。お前に出向命令が出ている。三月から一年以上になる」

「出向…ええっ? クビってことスか」

「バカヤロウ。出向はクビじゃねぇ。そんなこともわかんねぇから『脳筋』なんていわれるんだ」

 そう。本名にも掛かっているが、本当の由来はこっちだった。

 体の鍛錬は充分だが、頭の鍛錬はまったくできていなかった。

 就職活動もまともに進まず、大学の柔道部の先輩でもある千藤の口利きで雑用係同然でこの会社に所属していた。

 だから金太郎にとって千藤は「上級生」「部の先輩」「恩義」で、まったく頭の上がらない存在だった。


 ちなみに大学自体は決して三流というわけではない。

 金太郎は柔道の腕を買われて、大学の名を売るために入学できたのである。

 千藤は実力でそれなりに頭もよかった。


「話しを戻すか。金太郎。お前…………女になれ」

「は?」

 この反応も無理はない。

 あまりに唐突な話だからだ。

「あの…どういうことスか?」

「言葉どおりだよ」

「はぁ」

 それで納得が行くはずはないが、考えるのが苦手な金太郎は深く追求しなかった。

(ひょっとして女装しろということスかね?)

 そのくらいの発想だ。

(まぁ余興でセーラー服を着たことあるけど)

「読んどけ」

 その思考は千藤の差し出した書類の束で遮られた。

「な……なんスか? これ」

 細かい字でびっしりと書かれている。

「読めばわかる。読んで納得したらはんこ押しとけ」

 こういわれては黙るしかない。


 夜。

 千藤のおごりというので酒を呑みに出向いた金太郎。

 しかも高級クラブだ。

「いいんスか? 先輩。高そうスよ」

「いいんだよ。奢らせろ。ちょっとした『罪滅ぼし』だ」

「は?」

 何か今、聞きなれない単語が。しかし喧騒にかき消される。

「払いは大丈夫なんスか?」

 だからもっと現実的な事を尋ねた。

「大丈夫だ。経費で落ちるから」

「あはは。悪い人スね」

 逆にリラックスした金太郎。


 呑んで楽しい気分になってくる。饒舌になる金太郎。

 ホステスたちが持ち上げるからなお調子に乗る。

「せんぱーい。この店、女の子が可愛いっスね」

 男である。女に興味があるのは当然。

「ほー。どの娘がタイプだ?」

「うー。ドンピシャはいないスね」

「それじゃどんなんがタイプだ?」

 こんな話は居酒屋でなら珍しくもない。

 だから金太郎も軽く答える。

「そースね。色白で、ボン、キュッ。バッで」

 両手で女性のプロポーションを象る。

「おー。胸は大きい方が好みか」

「もー最高スよ。でも背はそれほど高くないほうが可愛いスね。そして金髪美女だと言うことないっスよ」

「そーかそーか。『リクエスト』は聞いたぞ」

 金太郎はそのままの意味に受け取った。


 一月下旬。

 とある研究所。まるで病院のような場所で金太郎は暴れていた。

「こら。はんこまで押したんだから納得したんだろうが」

「するわけないスよ。本当に女になるなんて」

 まさか本気とは思わず、軽く返事していた。だからこの場にもきたが。

「さてはテメー。読まなかったな」

「だ……だって、あんなにいっぱい字が書いてあったら蕁麻疹が出るスよ。ウチの家族もなんかやたらに平気というから、安心してはんこ押しちゃったんスよ」

 加えて言うと、パソコンにも触れなかった。

 携帯電話は通話は出来るが、それ以外はだめという有様であった。

 先輩の言うことには逆らえないからと、とりあえず捺印したのである。


「どうしたの? 騒がしいけど」

 大人びた柔らかい印象の声がする。

 間違いなく女のもの。

 そしてイメージに違わぬ美女だった。

 身長は高め。モデルのようなスリムさだった。

 事務的な白衣が逆に彼女のゴージャスな雰囲気を演出していた。

 細面の顔にめがね。女教師という印象である、

 そのせいでもあるまいが、髪は後頭部にまとめてある。

 おろせば背中までは簡単にいくだろう。


「あ。所長。被験者の一人が怖気づいて」

 格闘家としては『怖気づいて』は沽券に関わるが、それで男を捨ててはたまったものではない。言わせておいた。

「あらそう。無理もないわね。恐いんでしょうし」

 意外にも同情する「所長」

「怖いに決まってるっス。元に戻れなかったらどうするんスか? 一生を女で生きろと?」

「ああ。大丈夫よ。元には戻れます。それはあたしが保証します」

 自信満々な笑み。

「何を根拠にそんなこと言えるっスか?」

「まぁ国近の爺さんは生き証人だからなぁ」

 代わってて答えたのは千藤だ。

「爺さん?」

 この会話のどこに「爺さん」が?

「はい」

 女所長は一枚の写真を差し出した。

 彼女同様に白衣を着た、頭の禿げ上がった老人だった。

「これが…なんスか? あんたのお父さんかおじいさんスか?」

 まだよくつかめていない金太郎。

「ううん。あたし」

「え?」

 金太郎は写真と目の前の美女を見比べた。

 どう見ても父と娘。もしくは祖父と孫だ。

「ええーっ。もしかしてこの爺さんが今はあんた?」

 頭の悪い金太郎でも話の流れで理解できた。


「正解。それがあたしの本来の姿です。あなたのような人がいたら説得するために持っていた写真が役に立ったわね」

 若干照れが混じった声。

「国近源次郎。この研究の第一人者だ。自ら人体実験の被験者になったというつわものでな」

 千藤が解説する。

「臨床実験といいなさい。千藤クン。それから今の名前は国近たまきです」

 とても老人の男性が出す声ではない。

 二十代後半くらいの艶っぽい女声だ。

「それを信じるとして…やっぱり元に戻れなかったんじゃないスか~~~~っ」

「違うのよ。一度は戻ったの。ところが途端に所員のモチベーションが下がっちゃって」

 それも理解できる。

 枯れた老人と妙齢の美女では、男ばかりの職場でどちらがモチベーションを上げるか明白である。

「しょうがないからまたこの姿になったのよ。そしたらみんなやる気出して。おかげでこんなに早く第二次実験に取り掛かれるわ」


 第二次実験とは要するにもっと多くのサンプルの採取である。

 それゆえ六人の男性が集められた。

 誰でもいいわけではなかった。

 健康体に越したことはなかった。

 そしてスポンサーの思惑もあり、選ばれた面々である。

 その「スポンサー」の一つが金太郎の努める会社であり、「選ばれた」のが金太郎である。


 余談だがそれなら「女になりたい男」を集めれば一発であるのだが、まだ公開できる研究ではなく公募できないこと。

 公募可能としても絞込みが大変なのと、外れた人間の感情がややこしい。

 だからいっそのこととばかし「そういう人たち」は選ばなかった。

 実用に目処が立てば逆に「そういう人たち」に対して使われるのは言うまでもない。


 そもそもこのシステムの目的だが、単純に性転換を希望する人間に対するもの。

 現状では「男を女に変える」と「それを元に戻す」だけ。

 現在の姿をデータとして保存。そして新たに設定した姿に変えるのである。

 性別だけでなくプロポーションや顔立ちまで変えられるし、人種すら変えられる。

 応用すれば性別はそのままで別人への変身も可能だが、悪用防止もあり実用化の際には長期にわたる審査を受けることになる。


「一応……戻れるのはわかったっスけど……どうしたらそんなに変わるんです?」

 性格というか人格の話である。どう見ても爺さんが女のふりをしているようには見えない。

 元々が女だったとしか思えないほどだ、

「女らしく振舞っていると自然になるわね。言葉遣いは意識しないとたまに男の部分が出るけど、そのたびにみんなに嫌な表情されるから矯正されていくわ。仕草なんかは体に釣られて変わって行く物よ。特にスカートを穿き続けていると足さばきが」

(す……するとこれに参加すると自分もオカマに?)

 冗談じゃない。柔道を通じて鍛えに鍛えた「男」。

 それがこんな風になるなんて。


「センパイ。やっぱ勘弁して欲しいっス」

 恥も外聞もなく泣きつく金太郎。

 小柄といえど屈強のファイターだが、さすがにそのプライドもここでは通じない。

「そうか? 惜しいなぁ。月給百万なんだが」

「ひゃ……百万?」

 声が裏返ってたりしない。あまりに突飛で信じられないのだ。

「ああ。何しろ人体実験だ。それだけの価値はあるぜ。そうなりゃ完了時の報酬一億も頷ける」

「ええええっ?」

 人体実験の代償といわれて信憑性を帯びてきたので、今度はストレートに驚く。

「ったく。このタコ。ほんとにまったく読んでねぇな。待ってろ」

 千藤は係員に金太郎の持ってきた「書類」を要求した。

 持ってこられたなり眼前に突きつける。

「ほれここ。参加報酬のところだ」

 千藤に言われた金太郎は、目を凝らして書類の該当部分を見る。

「本当に書いてある……そんなに貰えるっスか?」

 それほど生活に余裕のあるほうではない金太郎。

 目の色が変わるのも無理はない。


「彼のいう通りよ。体を張った実験ですもの。それだけの代償は当然。スポンサーも快諾してくれたわ」

「実験内容を考えても見ろ。年俸一億一千二百万も納得だろ。プロ野球選手やJリーガーと比べても負けてねぇハードさだ」

 確かに生まれてから男で通してきたのに、一年と数ヶ月をずっと女で過ごすのだ。ハードでは有ろう。

「どうだ?」

「やるっス。やらせて欲しいっス」

 飛びついた形の金太郎。犬だったら尻尾を振っている。

「よかった。ありがとう」

 優しい笑顔で両手を包んでの握手。金太郎はその手の柔らかい感触にボーっとなる。

「じゃ気が変わらないうちに」

 金太郎は浮かれた状態で国近に連れて行かれた。

 そしてカプセルの設置してある部屋に。


 同じものが六つ並んでいる。既に五つがふさがり最後の一つに全裸で収まる。

 カプセルの透明なカバーが閉じる。液体が注入される。

「じゃあな。いい女に生まれ変われよ」

 カバー越しに千藤の声が聞こえて、自分が「女になる」と思い出した金太郎。

「わーっっっっっっ」

 暴れるが後の祭り。既に同意してサインしているし、液体で満たされると「彼」は気が遠くなり、眠りに落ちた。


 一週間後。六人全員が無事に女へと生まれ変わった。

 中でも金太郎だった少女の変化は目を見張らせた。

 華奢な体躯に白い肌。とても元のマッチョな青年を素体としたとは思えない。

 特に目を引くのが金色の長い髪。

 本人が酒場で語っていた「好み」を元に作り上げた。

 DNAは若干ハーフのような形だ。


 そしてさらに一週間が経つ。既に二月になっている。

 六人は同じ病室にいた。

 体を作り変えた上に寝たきりだったのだ。筋肉が既に萎えてリハビリが必要だった。

 最初の二日は声も出なかったが次第に出るようになり、何人かは当たり障りのない会話をしている。

 金太郎だった少女だけは無言である。

「よう。どうだ? 調子は」

 千藤が見舞いにきた。頻繁に来ていて、医師とも会話して様子を尋ねている。

 部屋の何人かは顔見知りになり会釈をするが、金太郎はその愛らしい顔で睨みつける。

 ややきつい印象のあるつり目が、なおさら鋭くなる。

「おいおい。そんな表情すんじゃねーっつの。せっかくお前好みの美人になれたのに勿体ねーだろうが」

「自分がなっても意味がないっス」

 甲高い子供のような声が響く。彼女は思わず叫んでから口を押さえる。

「うーん。声もゆかりんかくぎみーって感じで可愛いな」

 軽く身悶えする千藤。それで逆に冷静になれた元・金太郎。

「誰スか? それ」

 彼女はサブカルチャーに疎かった。

 小説は論外。マンガすら見ない。そのせいでもあるまいがアニメすら見ない。

 コンピューターはいじることも出来ない。だからネットなど無縁の存在だった。

「説明してわかるか?」

「いや……そりゃそーなんすけど」

 理解したので深く追求しない。

 どちらにしてもバリバリの女の子なんだろうなと想像する。

 ボーっとしていたら髪をいじられてはっとなる。

「なにしてんすか?」

「ああ。綺麗な髪だからな。見事な金髪じゃねぇか。それにそんな高くて可愛い声なら髪もこうだな」

 一応は病室のサイドテーブルにおいてあるブラシで、長い金髪を左右に分ける。

 左右一房ずつ高めの位置。ゴムでとめる。

「ほれ。もっと可愛くなったぞ」

 置いてある手鏡を少女に向ける千藤。

「やめてください。自分の顔みたくなくて、鏡を見ないようにしていたんスから」

 「聞きたくない声」を張り上げて抗議する。やや子供っぽい高い声のため、ますます女の子としての印象が強くなる。

「そういわずに見てみろや」

 強制されて渋々見る。

「?!」

 鏡の中にはいわゆるツインテールの美少女がいた。

 白い肌。つり目にやや青い瞳。

「こ……これが……自分すか?」

 見るのを拒絶し続けていただけにインパクトは強烈だ。

 しかも自分好みなのである。

「センパイ。すごいっス」

 甲高い声で叫ぶと、何故か千藤は身悶えしていた。

「センパイ?」

「……いい。その声で先輩なんて叫ばれると、思わず逝っちまいそうなほどいい」

「……先輩? な……なんかへんなお兄ちゃんになっているっすよ」

「がはぁっ!!」

 今度は蹲る千藤。まるで血を吐いたかのようだ。

「ふ……ふふふ……やるじゃねぇか。金太郎。『お兄ちゃん』か……その声でそんな攻撃まで覚えているたァ大したもんだ」

 幽鬼の様にゆらりと立ち上がりながらたたえる。

「さっきから何を?」

 そっちに疎い「ツインテール美少女」にはさっぱりだった。

「しらないならいい。とにかく金太郎。これからはその髪型で通せ。いいな」

「う……」

 こんな女の子そのものの髪型。嫌であったが先輩には逆らえない。

 それに、鏡で見た自分を不覚にも「可愛い」と思ってしまった。

 そのせいもあり、この髪形を維持していくことに。


「そういや金太郎。お前の新しい名前はなんていうんだ?」

 まさかこの少女の姿で「金太郎」とは行かない。

「そんなの考えてないスよ」

「この馬鹿。それも読んでねぇのか? ったく。テメーよりサルの方が本を読むんじゃねーのか? ちったぁ学べ」

 そこでふと考える。

「ふむ。いいな。考えてねぇなら俺が名前をつけてやる。まなびだ」

「えーっ?」

 当然だが抗議の声を出す。

「愛に美でまなびだ。いやまて。女らしい漢字を重ねたがもう一つくらい足さないと、コイツのがさつさは消せそうにねぇな」

 そこでまた考える。ごく短い時間。

「よし。『子』をつけるか。そうすると……『あみこ』って読めるか。よーし。お前は今から元に戻るまで『愛美子(あみこ)』だ」

「そんな名前は……」

「俺に文句でもあるのか? ああ」

 顔を近づけてすごむ体育会系先輩。

「い……いえ。ないっス」

 大学の先輩後輩。特に体育会系は絶対だった。

 こうして愛美子という名をつけられた金髪少女だった。

 まさに新しく生まれ変わった証になっていた。


 臨床実験が目的である。だから入院中はうんざりするほどチェックを受けた。

 その合間にリハビリでもう普通に動ける体にはなっていた。

 ただ愛美子にしてみれば本来が格闘家。

 およそ満足の行く肉体ではなかった。

(ああ…あんなに苦労して作った筋肉が、こんなにか細く……これじゃとてもじゃないけど箸より重いものは持てないんじゃ)

 実際に筋肉が萎えた上に女の肉体。元の肉体からくらべると、はるかに非力になっていた。

 貧弱。むしろ華奢というべき細い腕。


 リハビリがすんだ頃からレクチャーが始まった。

 当面は衣類の着用法から。他は後からでも何とかなるが、これはまず一人で着替えられないようではおぼつかない。

 スカートをウエストで留めるというのは、ここで初めて知識として得た愛美子であった。


 退院を間近に控えたある日。

 黒髪ロングの女性。もちろんこの実験に参加しているので、もとは男である。

 その見た目二十代半ばの女性が落ち着いた女の声で言う。

「そろそろきちんと自己紹介をしましょうか? 私たちはこの先1年以上、共に過ごす仲間なんですから」

 女言葉とは行かないが、敬語なので顔や声と違和感がない。

 背は高い。170に届くかもしれない。

 胸もやや大きめ。


 同室の面々は同意をした。愛美子もである。

「それじゃ私から。三ツ木裕也改め三ツ木かなめです。国近先生の助手を務めてました」

「それじゃ俺達をテストするほうじゃないスか。それが何で一緒になって?」

 思ったことをストレートに言う愛美子。

 きついことを言っていてもこの声のせいであまり「痛くない」のは得していた。

「先生と同じですよ。自分自身がその立場にならないと。実際になればより理解できますから」

 彼女はそれを言うとめがねを掛けた。

 元の姿の時から着用していた。しかし今の作りかえられた肉体では無用の視力になっていた。

 これをかけると気分が引き締まる。そういう理由だ。

「僭越ながら私がまとめ役を勤めさせていただきます」

 被験者であり、試験者でもあると言うわけだ。


「次はラビね」

 栗色のショートカットのひときわ子供っぽい少女が、どことなくふわふわした声で言う。

 背は一番低い。胸もまったいらである。

「本名は上末かみずえ陽一です。でもラビって呼んでね」

「なんであんたみたいな子供まで?」

 これまた愛美子である。文字を読まないだけに会話による情報収集によっていた。

「うん。ラビ、13歳の時に気がついたんだ。男でいるのがつらいなって」

(うわぁ……)

 天真爛漫な童女に見える彼女の重い告白。声の出ない一同であった。

 この手の人物は「公平にするため選ばない」はずだったが、ひた隠しにしていたため「もぐりこんで」しまったのだ。


「それでこんな夢のような話があるというから。この気持ちが本当かはっきりしないけど、一応は戻れるし、試しに女の子になってみようと思って」

「浮ついた気持ちじゃまずいぞ。わかってんの? これだからお子様は」

 本来は24歳の青年だった愛美子が「年下」相手にえらそうに言う。

「そうだよね。歳なら半分くらいに見えるよね。ラビ、やり直すならこの歳からって思ってたの。二倍の年月を生きていたけど」

「え……じゃああんた……いえ……ラビちゃんさんは本当は26歳?」

「えへへへ」

 笑顔で肯定するラビ。

「ス……スンマセンでしたス。知らないといえど」

 体育会系である。歳の差は絶対。

「いいよぉ。今はあみちゃんの方がお姉さんに見えるし」

 本人のリクエストで見た目の年齢を決められていた。

 ラビは13歳。愛美子は千藤が決めて17才。かなめは21歳(本来は25)ということになっていた。


「ところでラビって変わった名前スね?」

 誰もが思う疑問。代表して愛美子が訊く。

「ウサちゃん。好きなの」

 そちらにはあまり意味がなかったようだ。


 同じ茶髪だがこちらはロング。背が高い。そして胸も大きい。

 ニコニコと穏やかな笑みを浮かべていた。

「それでは次は私ですね」

 柔らかすぎる印象の語り口。まるで演じているかのようだ。

「火浦沙羅です。男の時の名は一星いっせい

「本名も変わってるっスね」

「芸名なんです。舞台の上の。本名は一正かずまさで、読みを変えて漢字を当てたんです」

 役者と判明してこの演技じみた態度も納得した一同。

「劇団が苦しいですから、この実験に参加したお金で何とか。それに本物の女になれるなんてチャンス。滅多にありませんわ。」

「もしかして火浦さんもラビちゃんさんと同じスか?」

 その質問にゆっくりと首を横に振る。

「私は男でいる自分に不満はありません。ですが本物の女性になる経験は、絶対に役作りのプラスになるはずです。ましてや24時間。そして一年の間の長期の芝居と思えば」

 なるほど。確かにこれは一種の芝居だ。

「今の私は『女優』です。このロングランを演じきって見せますわ」

「手始めに優しい人当たりのいい女性というわけですね」

 これはかなめの発言。それを沙羅は微笑みで肯定した。


 ピンクのウェービーロングはかなり目立つが、不思議と違和感のない整った顔立ち。

 このマシンでは性別だけでなく体形や年齢のコントロールも可能なようだ。

 沙羅は22という「設定」だが、こちらはもう少し下に見える。

「牧野真平。ああ。もう牧野麻耶か」

 まだ「新しい名前」に馴染んでないらしく言いなおす。

「下着メーカーに勤めてます。その開発部ですがやはり実際に着用しないとどうしても」

 それで志願したという。扱いは出向。

「さしあたって皆さんは……かなめさんはC。沙羅さんはD。愛美子ちゃんはE。ラビちゃんはAA。あちらの彼女はA。そして俺……じゃないか。あたしはBというところね」

「あらあら」

 演技なのか。出来てしまった性格なのかおっとりと驚く沙羅。

「……」

 やはり生まれついての女性ではない。人為的に作られた胸ゆえに、さほど思うところはないのかクールなかなめ。

「……プライバシーの侵害になりますよ。あまりいい趣味とはいえませんね」

 それでも苦言は呈した。

「ラビちゃんさん。さっきから何の話ス?」

「お胸の話。ラビももうちょっと大きめにしたらよかったかなぁ。肉体年齢は13だけど」

「胸?」

 言われて改めて自分の胸を見下ろす。

 半ば調子に乗って承諾してしまい、その結果の女性化。

 それを後悔していた愛美子は、極力自分の肉体を見ないようにしていた。

 下を見れば嫌でも目に入る胸も例外ではない。

 足元が見えないなどとはいわないが、大きな山には違いない。

「もしかしてEって、かなりデカいスか?」

「そうね。立派なものよ」

「しかしぱっと見た感じ外国人に見えるから、そんなに違和感はないな」

 沙羅。かなめが続く。

「うーん。自分がつけると知ってたら、もうちょっと薄くしといたっス。もう肩が凝って肩がこって。(ブラジャーの)ひもも肩に食い込んで」

「それならちゃんと合ったブラをつけないとね」

「そういえば胸のサイズは自在のはずなのに、なんでそのくらいにしたんスか?」

 麻耶はBカップ。

「日本人女性はそんなに大きい人はいないから、平均的なサイズにしたんですよ。19歳ということになっているからこんなものかな」


 無言の一人。短い黒髪。薄い胸。この中では一番男っぽさを残している。

「工藤幸雄。調理人だ」

「あー。コックさんスか」

 なるほど。それなら短い髪は納得。料理に混在させないための配慮だ。

 恐らく胸が薄いのも調理の際に邪魔にならないようにだろう。


「応じた動機も言うのか?」

 ぶっきらぼうなのは元々の性格だろう。よくない意味で職人気質だった。

「女性向けの味付けがどうしてもわからなくてな。実際になって見ることにした。これも修行の一種だ」

 顔立ちか。口調かどうにもきつい印象があった。


「でも工藤さん。今は工藤ナツメさんね。彼女の存在は大きいわ。調理担当はお願いしますね」

「ああ。この姿で接客なんざ真っ平だからな。厨房から出ないよ」

「うう。自分も裏方がいいっス。こんな姿で客の前に出るなんて」

「店長と事務は私がします。調理補佐はラビちゃんと、沙羅さんが交代で。だから愛美子さんはフロア専任です」

「うう。確かに働かざる者食うべからずスけど……ウェイトレスなんて」

「大体これだけ綺麗な娘を裏方なんてもったいない。看板娘になってもらいますよ」

 一年ちょっとをただモルモットになっているだけではない。

 社会にも出るのである。

 その上での変化を見る。それも実験の一つだった。

 当然、赤の他人との接触も含まれる。


 彼女たちの店はビルの一室に出した喫茶店。

 だが愛美子は知らなかった。これがどういう喫茶店か。


「さて、最後は自分っスね」

 すっすり新歓コンパのノリで自己紹介にのぞむ愛美子。

「うん。でもみんな知ってるよ。あみちゃん」

「え。なんでっスか?」

「そりゃあ……あれだけ連日漫才してりゃねぇ」

 おっとりお姉さんになりきっている沙羅が言う。

「もうすっかり覚えてしまったよ。それにその目立つ風貌。忘れる方が難しい」

 金髪。白い肌。大きな胸。欲張って女性に要求したものが、全部自分に跳ね返っていた。

「うう。自分も工藤さんみたいにしとけばよかったっス……」

 ぼやくが後の祭り。

「愛美子さん。これからは出来るだけ女言葉を使うようにしましょう」

 リーダー格のかなめがやんわりと。

「へ? なんで」

「あなたみたいな可愛いお嬢さんが、男丸出しでは違和感ですよ」

 実際は生まれついての女性もそんなに「女言葉」を使ってなかったりもする。

 しかしそこは元は男。女に対する「幻想」もあり、また早くも「女としての見栄」も作用したか「女らしく」しようとしていた。

 ナツメは方向性が違うが、それでも姿はリクエストしたもの。いわば理想の女性になっていた。

 そのせいか精神的にも近づけようとしていた。

「はい。気をつけるっス」

「言ったそばから」

「う……」

 不満では有るが年上には逆らえない。渋々従い言い直す。

「気を……つけます……わ」

 愛美子の背中を怖気が走った。


 退院の日。

 当然着替えるのだが、ここでも愛美子がごねる。

「えー。こんなの着るんスか?」

 用意されたものは花柄のワンピースだった。

「それなら一枚で済むからコーディネートもしなくていいでしょ」

 オフホワイトのブラウスに濃紺のタイトスカート。クリーム色のジャケットのかなめが言う。

 基本的に寝ていることが多い生活で、もてあました暇を女性の研究に費やしていたらしい。

 ファッションが既に女性的である。


 ちなみに衣類はこのプロジェクトの支援団体からの配給。

 下着だけは麻耶の努めるメーカーからモニターを兼ねてである。

 各自事前に要求していたが、愛美子だけはジャージの上下と言っていた。

 笑顔で聞いていた職員だったが、独断でワンピースにした。


 もくもくと着替えているナツメは白いブラウスと黒いレディースパンツ。

 割と男物に近いので選んだようだが、男物シャツとあわせが逆で苦戦していた。


 肉体年齢13歳のラビはセーラー服を要求。

(ラビが本当に女の子として生まれていたら、これを着て学校に行っていたのかなぁ)

 そんな思いからである。


 沙羅はセーターとロングスカート。さらにカーディガンを羽織り「やさしい女の人」という演出をしていた。

 舞台衣装と割り切った。

 だからメイクもきちんとしていた。

 この面々の中では唯一『お化粧』の経験がある。

 もっとも舞台メイクなので、他者よりはましという程度だが。


 麻耶はきつめのブラウスとマイクロミニスカート。

 ボディラインのはっきり出るようなものだ。

 もちろん自社の下着が、どれだけプロポーション補正に役立つかのチェックが狙い。

 Bカップのはずの胸が、もっと大きく見えた。


 渋りながらも愛美子もワンピースを着用。

 さすがに靴は全員ローファー。


 玄関にでると千藤がいた。

「センパイ。仕事は?」

「これもそのうちだよ。さぁ。案内するぜ」

 言われて一同はついていく。

 大して歩かないうちに高級マンションに着く。

 かなめ以外は目を見張る。

「ここがみんなの新しい家というわけだ」

 千藤の説明も頭に入っているのかどうか。

「え? 引越しはどうするんスか?」

「男物しかないのに持ち込んでも仕方ねーだろ。中には全部用意してあるはずだぜ。安心しろ。金太郎……じゃねえ。愛美子。元のアパートはちゃんと会社が家賃払ってくれているからよ。掃除も定期的に業者が来るはずだ」

(あ……あのゴミだらけの部屋に人が)

 恥じ入るのだが白い肌に朱が散るとなんとも色っぽい。


 白い壁の3LDK。

 揃えられた家具は上品ではあるが、それほど「ぶりぶり」というほどでもなく、愛美子は安堵した。

 大きなクローゼットがあるのが「女性の部屋」らしい。

 一人一人に与えられていた。

「はぁー。至れり尽くせりっスね」

 なんとなくクローゼットを開けると、女性服が大量に吊るされていた。

 それも誰のシュミなのかやたらひらひららしたものが。

 確かに今の『お人形さん』のような愛美子には似合うだろうが、男時代は素っ気無いシャツやズボンで過ごしていただけにこれはついていけない。

「うげ」

 念のために確認で引き出しを開けて見る。覚悟していたが色とりどりのランジェリーがあるのを見ると眩暈がしてきた。

「うう。これから毎日これを着るのか…」

 暗鬱とした気分になってきた。


「きゃーっ。可愛いーっ」

 愛美子と違いラビが大喜びしていたのは言うまでもない。

 ただしこちらはやや子供のそれではあるが、その分ファンシーなものになっていた。

 病院で体形はチェックされつくしている。

 各人サイズは問題なかった。


 麻耶はブラジャーを手にぶつぶつつぶやいている。

「縫製が甘いな…報告しないとな」

 真っ先に下着のチェックをしたのは職業病か?


「冷蔵庫は空か……」

 こちらは料理人の性か。食材のチェックをしていたナツメである。

 衣類はまだ無理と判断され準備されていたが、食材程度は自分で揃えろということらしい。

 それはいい。ヘタなものを用意されているよりも、自分で揃えたい。

「この姿で買い物か」

 スカートこそ穿いてないものの、パンツルックは意外に女性の体系を浮き彫りにする。

 しかし空腹には勝てない。買い物に出る。


 料理人のこだわりがたたり、コンビニでの買出しは出来なかった。

 スーパーも同様。八百屋や魚屋という専門店を回る。

 それ自体は苦でもないが、口を開く必要がある。

 自分で望んで女になったといえど、いざなると違和感がある。

 声を出したくなかった。

 低めにとリクエストしていたら、ハスキーでは有るが妙に色気のある声になっていたのである。

 それでも食材はきちんとしたいので、やむなく喋って購入する。

 その際に外交辞令の「美人さん」とか言われるのが酷く苦痛だった。


「ふう」

 一人になったらリラックスした沙羅。

 演じ続けているのも楽じゃない。一人になれてほっとしていた。

 それでも体形の関係か、知らないうちに内股気味なっている。


「さて。ここまではよし。これからが問題ですね」

 自分に言い聞かせるように声に出すかなめ。

「とりあえず明日は落ち着いてもらうために休ませるとして、明後日からの研修がひと悶着だな」

 そういって彼女は気がつく。

「ひと悶着ね」

 一人の時でも女になりきるべく、男言葉を訂正する徹底振りだった。


 一日明けて「職場」となる場所に一同が集まっていた。

 場所は秋葉原。「オタクの聖地」と異名のある土地だ。

 とあるビルの一室。その出入り口。

「Twinkle Satr……悪くない名前ですね」

 まだ「優しいお姉さん」を演じている沙羅。

「国近先生が名づけてくれたんです」

 妙に得意げにかなめが言う。

「それ、どういう意味スか?」

 この頃には色々と物を知らないのが知られている愛美子。

 生粋の女同士だと馬鹿にされたりもするかもしれない。

 だが見た目がかなりの美少女。

 そして周辺もまだ男としての部分が残っていた。

 要するに「可愛い娘」にはどうしても甘くなる。

 だから邪険に扱わず優しく教える。

「きらきら星という意味だよ。歌、知らない?」

 ラビが教えるが年下が年上に教えているようで微笑ましかった。

 元・男とは知っているが、実は全員「元の姿」では対面していない。

 プライバシーの尊重が理由だ。

 実験終了後も女性化したときとは逆に全員別の病室に行く予定である。

 それだけに自分もそうでありながら「元・男」と言われてもぴんとこない。


 中に入り内装の確認。

「なんか上品な感じスね」

 愛美子のいう通りシックな印象だった。

「フロアはここ。当面は挨拶とお運びが出来ればいいわ」

 特殊なスキルは無用と愛美子に言っている。

「さて。衣装合わせですわね」

 この表現は役者らしい沙羅の言葉である。


「え~~~~~っっ?」

 真っ先に文句を言うのが愛美子。

「なんスか? これ? 喫茶店なら別にズボンとシャツでいいんじゃ。エプロンくらいならつけますけどこれは…」

 愛美子の衣装はいわゆるメイド服だった。

 スカートの短い、胸元の大きく開いたいわゆるアメリカンタイプ。しかも真紅である。

 足は縞のハイソックス。

「ちゃんと書いてあったでしょう? 勤務地はメイド喫茶と」

 そういうかなめは濃紺のワンピースにエプロン。

 ロングスカートに長袖。メイド服といわれて連想する英国式だった。


 わざわざメイド喫茶にしたのは意味がある。

 とにかく接客業にしたかったのである。

 他者との接触が多くなるにつれ、その影響を。

 特に「見られる」ということにはメイド喫茶は絶好の試験場だった。


 ここ秋葉原はメイド喫茶発祥の地。

 そして最大の激戦区だった。

 逆に言えば一店くらい増えても目立たない。

 女としての日々の浅い彼女たちにはやや暇なくらいの方がちょうどよいのだが、実はそうも行かない仕掛けがあった。


「これ着てお仕事するの? 嬉しい」

 はしゃぐラビは愛美子と同じミニスカメイド。色は茶色。足はニーソックス。

 フロアに出る面々はヘッドドレスをつけているが、ラビだけは「ウサギの耳」だった。

 ウサギをイメージしてのコーディネートだ。

 白は可憐だが汚れが目立つ。黒だとあまりイメージに合わない。折衷案で茶色のウサギだった。

(よかった……厨房で本当によかった……)

 調理人らしい白い上下。下はズボンのナツメが、心底ほっとしたような表情を見せる。


「麻耶さん。下着が見えてしまいそうですわ」

 案ずる沙羅は「お姉さんキャラ」らしくかなめ同様のロングスカート。色は青。

「ぜひ見てほしいね。そして反応を知りたいですよ」

 そういう狙いで露出の高いアメリカンタイプを着用している麻耶。

 ご丁寧に色はピンクだ。足元はガーダーベルトでストッキング着用。


「ちょっと愛美子。歩いてみて」

 かなめに言われて素直に歩く愛美子。

 スカートが短くて下着が見えそうである。

 そちらは無頓着なのだが、太ももを露出している方が気になった。

(ううっ。本当にスースーだ)

 「女装」しているのが恥ずかしくなってきた。

 自然と動きが小さくなる。

 その分、金髪のツインテールが揺れて動きを演出していた。

「思った通りね。意外に愛美子は内股で歩くから。それに足がきれいだし、やはりミニスカートの方が客受けがよさそうね」

 間違いなく褒められているのだが、全然そんな気がしない愛美子である。

「でもほんと。蟹股で歩くんじゃないかって思ってた」

 茶色で野うさぎのような印象のラビが言う。

「偏見スよ。大体わざわざ仕掛けやすくしてどうするんスか?」

 蟹股。つまり外側に膝を向けているということは、簡単に崩せる。

 逆に内股だともう片方の足で支えるから倒れにくいし、そもそも内側に足を入れにくい。

 それゆえ愛美子……というより金太郎は内股が癖になっていた。

(まさかそれが女になったときに褒められる材料になるなんて)

 男らしさを目指してやってきた柔道が、逆に女性的な印象に繋がったので複雑だった。


「さて。メイクだけど」

 かなめが切り出すと愛美子はギクッとなった。

 この流れではやはりやることになるのか?

 当然だがそんなのしたことないぞ。

「ラビと愛美子は要らないわね。二人とも未成年だし」

「オレ……あたしも一応19なんだけど」

 麻耶が言う。

 いつの間にかその「設定」がナチュラルに受け入れられていた。

 そしてこれもいつの間にか呼び捨てになっていた。それも下の名前のほうを。

 不思議と違和感がない。

「俺も御免だぞ」

 ナツメがぶっきらぼうに言う。低くて色っぽい声が迫力だ。

「まぁノーメイクでも問題ないでしょうし」

「私と店長。麻耶ちゃんはした方がいいですね、でも」

 お姉さんキャラの沙羅が言う。

「舞台メイクはしたことあるんですけど……それも男としてですし」

「研究しましょう。研究するのは得意ですから」

 変なことを言うかなめであった。

「ラビもお化粧したい」

「うーん。まぁ軽くなら」

 子供の顔ゆえに無用と感じていたが、多少派手になっても若さゆえに「華やか」という印象になるだろうと判断した。


 マンションに戻る。

「やっぱり愛美子もメイクしましょう」

「えーっっっっ?」

 いきなり翻されて不満の声を上げる。

「験しよ験し。あなたノーメイクでも充分美人だけど、口紅だけでもつければ鬼に金棒よ」

「金棒スか」

 当然だがメイクに使う表現ではない。

 しかし体育会系の愛美子を乗せるにはこういう表現がちょうどよかった。

「それなら……ちょっとくらい」


 沙羅と向かい合う愛美子。

「はい。じっとしててね」

 紅筆でピンクの唇を彩って行く。

 白い肌にまるで花が咲いたように鮮やかな唇。

「いいですよ」

 言われて愛美子は硬直から解き放たれる。

 そして鏡を見る。

「うわぁ……」

 本当に口紅だけなのである。

 しかしそれが透き通るような白い肌に恐ろしく映える。

 白さゆえに際立つ頬の赤みが生命力を感じさせる。

「どう? 気に入った?」

「う…」

 認めてしまった。否定できない。

「こ、これも仕事スからね。実験のうち。やれと言うなら仕方ないス」

 とてもではないが「仕方ない」という口調ではない。


「綺麗になる」

 女なら本能的に求めるそれ。

 既に彼女たちも内側が変わりはじめていた。


 開店一週間前。

 だいぶ女としての生活にも馴染んできた。

 ブラジャーに手こずっていたのはやはり愛美子。

 それがすんなりいくようになったのである。

 女性としてのメイクの研究も進んでいた。

 いざやって見るとこれが面白い。

 男では基本的にやらないだけになおさら。

 メイク次第で自分の顔がガラッと変わるのが面白かった。

 ひとりではどうだったかわからないが、六人故に互いに干渉して、相乗効果が出ていた。


 そして準備も進行していた。

 必要な食材の手配はナツメの指示で行われていた。

 ウェイトレスたちは作法の練習。

 講師は呼んでない。

 しかし自分が客。それも男として見た場合、望ましいかどうかを考えて見ると、自然と女らしいものを求めていた。


 保健所の方はクリア。

 営業は素人の集まりでそれが懸念されたが、用は女としての仕事場があればいいのである。

 極端な話し閑古鳥が鳴いていても構わない。

 もちろん客が多いに越したことはない。

 接客が多ければ多いほど、つまり他者との接触が多いほど変化の度合いも変わるはず。

 それを見たかったのである。

 そのための『アンテナショップ』である。


 開店を控えた「Twinkle Star」のフロア。そこでミーティングをしていた。

「いよいよ後三日で開店です。私たちの『女性』としての社会人第一歩です」

 訓辞をするかなめ。

「この店は実験場であり、アンテナショップです。営利は重視してません。しかし儲かるに越したことは有りません」

 本題はあくまでも「女性として社会生活が出来るか?」である。儲けは二の次である。

 だから客寄せで材料もいいものを使っていた。

 仏頂面の多いナツメだが、いい素材を惜しみなく使えるとなるとさすがに笑顔になる。

 笑うと意外に可愛い。


 儲けは二の次。実験が最優先だけに定休日も二日である。

 一応は客商売ゆえに土日。そして祝日や振り替えの多い月曜も営業日であった。

 その次の火曜と水曜が定休日である。

 火曜は研究所で肉体面。そして精神面のチェック。

 これをしないと実験の意味がない。

 この拘束は半日程度。そのあとは実質的に休みである。

 水曜の休みは完全にオフ。

 貴重な「被験者」が潰れてはたまらない。


 ただし女性特有の『休暇』もありえる。

 本当の女性なら子供の頃から経験していて、例え社会人になっても対処は出来ている。

 しかしここにいるのは女としては三ヶ月も経っていない面々である。

 そして未だに初潮を迎えたものがいない。

 国近によると自身もかなり経ってからきた。

 どうやら女としての生命リズムが完全になるまでは休眠状態のようだ。

 いわば『子供の体』なのだ。

 そして『大人の女』になった場合、元は男だけにパニックに陥ることすら考えられる。

 だから最初のときは休むこともありえる。

 もしそれが誰かの非番に当ると?

 いくら営利は度外視といえど具合がよくない。

 だから一人抜けても大丈夫なように基本的に毎日全員出勤。

 そして一斉に休むシステムである。


 店内のことについてかなめとナツメが検討。

 そして残り四人も遊んでいるわけではない。

 新しいメイドカフェ。「Twinkle Star」の宣伝でビラ配りである。

 秋葉原駅国際通り口担当が沙羅と麻耶である。

「どうぞいらしてください」

 秋葉原でビラ配りをするメイドは、もはや珍しくはない。

 むしろ風物詩といえる。

 それでも目立つ二人だった。

 シックな佇まいの沙羅。そしてプロポーションを強調した元気娘の麻耶。

 好対照であり、互いに引き立てあっていた。

 麻耶は若干照れ隠しで元気にしている。

 だいぶ慣れたといえど、道行く男たちが自分たちをじろじろと見るのである。

 見られるのが仕事のようなものとはいえど、これはきつかった。

(ここまで行かなくても女はいつも視線にさらされているんだなぁ。あたしも男だったときは不躾にみていたかも?)

 ほんの少しだが女の気持ちが理解出来た。


 一方の沙羅は堂々としていた。

 さすがは舞台俳優。人の目に臆していては話にならない。

 静かな微笑をひたすら浮かべていた。

 道行く人も「演技」とは思うが、まさか実は男とは思わない。


 Twinkle Star店内。

「おい。そんなことをするのか?」

 メニューの相談をしていたのだが、珍しくうろたえたように言うナツメ。 

「今時ホームページのないお店はありませんよ」

 宣伝と告知でホームページを立ち上げることになっていた。

 ナツメとの会話で出てきたのは、ホームページで載せるメニューの確認であった。それはいい。

「まずくないか?」

「信じられるとは思えませんし、むしろぼろが出ても『設定』と解釈されますよ」

 軽く言い放つかなめ。

「ああ。ブログも作りますからナツメさんも週に一度くらいは日記を書いてくださいね。もしパソコンが苦手なら私が書きますから」

 ナツメは観念することにした。まぁ自分は厨房だし、そんなに影響はないかと。


 秋葉原駅。電気街口。バス乗り場のあるほう。

 様々なショップが立ち並ぶ。オタク向けに特化した店も多い。

 それゆえここは特に「メイド」が多い。

 激戦区で目立つ二人である。

 片方は明らかに「子供」のラビ。

 ビラを受け取る際に何人かが興味本位で年齢を尋ねる。

 それに対して「13歳でーす」と屈託のない返事をするが、逆に誰も信じない。

『ネタ』と解釈していた。

 童顔と華奢な体躯を利用していると。

 本当は18くらいかと。

 もっとも実年齢。本来の姿でのそれは26だから、年齢だけなら就労に問題はない。

 むしろ男性の場合は無職だと考え物である。


 ラビは周りから女の子として扱われるのが嬉しくてたまらなかった。

 好奇の視線すら『自分が女だから見られている』と解釈していた。

(やっぱりラビは男でいるより……)


 対照的にまったく仕事になってないのが愛美子である。

 ひらひらした女性服。太ももを惜しげもなくさらして、男性の視線を浴びている。

 そんな経験があろうはずもない。

 羞恥心に耐えている。

「お。新しい店か?」

 秋葉原の通を自称する者も当然存在する。そう。アキバのメイドカフェは全部制覇。把握していると豪語する者も。

 それが見覚えのない『メイド』と制服。新しい店と取るのももっともだ。


 そして目を引く愛美子の容姿。

 白い肌。つり目。長いロングのツインテール。

 まさに絵に描いたようなツンデレ娘が、そのビジュアルと裏腹にもじもじと恥じ入っている。

 これはまったく演技抜きだ。それだけに男の心を捉えた。

 逆に目を集めていたのだ。


「チラシくれる?」

 こういう人間もいたりする。

 愛美子は黙って一枚差し出す。

 近くで見るとさらに美少女とわかる。

 マッチ棒が乗りそうなほどまつげが長い。そして大きく見える目。

「ねぇ。君も勤めているんだよね。今度行くよ。店はどこ?」

 チラシの地図を見ればすむことなのに、半ばナンパでアプローチをかけてくる不届き物。


『強制女装』の羞恥心。不躾な視線。女性化しての毎日故のストレス。そしてこのナンパ師。

 とうとう切れた。

「き……来てなんて欲しくないっ!」

 周囲がざわめく。これまた「ツンデレ」と言えば定番の声だったからだ。


「あんたに来てなんて欲しくないんだからっ!」


 愛美子は気がつかなかった。

 自然と女言葉が口をついていたことに。

 何も考えられなかった故に逆にストレートに出た。


 インパクトは強烈だった。

 神。造物主に逆らって作られた美しさ。

 それに反してまったくウソ偽りなく本心からの恥じらい。

 これが見事にマッチして、その場の男の大半を虜にした。


 愛美子にとって皮肉にも、これがとんでもない宣伝効果になった。

 「本物のツンデレメイドがいる」と。


 そして開店。

 定休日の設定もあり、またいきなり大挙してこられてもたまらないので、あえて木曜日の開店だった。

 平日にもかかわらず長蛇の列。

 11:00~19:00が営業時間。

 実際には準備とか後始末もあるのでもう少し勤務時間は長いが、営業が八時間ということで早番や遅番はなし。

 つまり大して広くない店に五人も店員がいるがてんてこ舞いである。

 厨房にナツメ。その補佐をしつつかなめが目を光らせている。

 フロアには四人で対応しているが、出迎え。レジ対応。もちろん注文を聞いたり料理を運んだりもする。


 愛美子が厨房のほうに食器を下げにきた。

「な……なんでこんなに? 今日は平日スよね? 祝日でしたっけ?」

 おもわずそんな感想が口を突く。

 彼女はもの覚えの悪さも有り、またあまり乗り気でないことから接客からは外れている。

 もっぱら食器を下げたり皿洗いが仕事である。


「お帰りなさいませ。ご主人様」

 静粛な婦人という印象の沙羅に、ボーっとなる「ご主人様」たち。

 女としての日は浅くとも、演技をしてきた日々はこの面々の誰よりも長い。

 そして何より本来は男である。

 どういう具合にされたら喜ぶかわかっている。

 男心のツボにクリティカルヒットだった。


「はーい。ご主人様。お食事ですか? お飲み物ですか」

 下着の効果でBカップが美しく見える麻耶。

 むろんプロポーションを強調したメイド服を着用している。

 メニューより胸元に目が行く「ご主人様」達である。

(ふーん。自分でも感じたけど、そんなに大きくない胸でも、正しい着用法なら魅力はあるようね)

 下着のつけ方については、女性下着メーカーの開発部員が本来の仕事である麻耶のレクチャーで全員がマスターしていた。


「お兄ちゃん。ジュース飲む?」

 ウサミミをつけた可愛いメイドが、天真爛漫な笑顔でジュースを運んできた。

 キワモノに思えたウサミミだが、この限定された空間では「そういうもの」として受け入れられていた。

 むしろ問題なのはラビの見た目の年齢。

 どう見ても中学生。働かせていいのか?

 そう思うものが大半だが「妹」そのものの笑顔で接されるとどうでもよくなってしまう。

 本人が嫌でないなら別にいいかと。


 ラビ……本来の上末陽一には妹がいない。兄ばかりいる。自分が一番「妹」のような「弟」だった。

 だから理想とする「可愛い妹」を演じることが出来た。いや。既に身についている。


 厨房。味を見ていたナツメがしかめっ面になる。

「三ツ木。ちょっと味を見てくれないか?」

 補佐をしていたかなめに小皿を差し出す。

「いいですよ」

 かなめをそれを口に含む。

「ちょっと味が濃くありません?」

「そう思うよな。けどレシピ通りの分量だし、客も食べている」

 メイドの存在もあるだろうが、笑顔で食べている。

「やはり味覚が変わったということか?」

「そうみたいですね。私たち、今は女ですから」

 男女の味覚の差に戸惑うナツメであった。

 普段の食事もいつの間にか女性的な味付けになっていた。

 だが改めてレシピ通りに作ると、久しぶりに味わう「男性的な味」に違和感を感じていた。


 グループの客が多い内はよかったが、一人の客が増えてきた。

 つまりそれだけ挨拶とか接客に掛かる時間が長くなる。

 必然的に手が回らなくなる。

「愛美子。皿洗いは機械でやるからあなたもフロアに出て」

「……わかったっス」

 さすがにこの場では文句は言えない。不承不承だが従う。


 ブリーチとかではなく自然で(一応は科学的に作られものだが)鮮やかな金髪のロングヘア。

 それを左右に分けたツインテール。

 ラビが着けた派手なりボンが、むしろバランスをとっていた。

 透き通るような白い肌。ネコのようにつりあがった目。

 挑戦的な真紅のメイド服はアメリカンタイプ。ホーダーのニーソックス。

 メイクはむしろケバくなるのでリップだけにとどめていた。

 ピアス穴は抵抗がありあいてないが、イヤリングを強制的につけられていた。

 そんな愛美子が接客に向かうと注目が。

(な……なにじろじろ見てんだよ。大体コイツら。平日なのにこんなところに来ていて。仕事はどうした? それとも大学生か?)

 そうなると自分より年下。そう思ったらなんとなく見下した態度になった。

 お冷をぞんざいにテーブルに置く。

「で、注文は?」

 体育会系である。歳の差は絶対。そして自分か上となるとこういう態度にもなる。

「あ、まだ決まってなくて」

 申し訳なさそうでいて、それでいてどこかニヤついた表情。それが癇に障った。


「ちょっと。自分が何を食べたいかくらいすぐわかるでしょう」


 その甲高い声が店内に響き渡る。

 水をうったように静まる店内。

(しまった。つい言葉がきつく)

 ところが次の展開は愛美子にはまったく予想外。

 なんと拍手が沸き起こり、歓声が響き渡るのだ。

 明らかに絶賛されている。

「ツンデレだ」「リアルツンデレだ」「天然のツンデレなんているんだ」

 そう。まさにツンデレそのものを「再現」していたからだ。

 しかもサブカルチャーに疎い愛美子はまったくわかってない。つまり演じてない。天然だったというわけである。

 それが受けた。

(え?……なに? なんなんスか? なんで今ので褒められて。ツンドラとかシンデレラって?)

 彼女には未知の領域だった。


 レジ打ちはこの時点ではかなめの担当だった。

 しかし客を見送るというのもメイドたちの仕事のうちだった。

 きつく当った相手が帰るとなり、愛美子は「失敗」を取り戻そうと「見送り」にきた。

 下手に出るのもあり女言葉を意識する。しかしいざとなると気恥ずかしい。

 白い肌に赤い頬がなんとも可愛らしく色気が有る。

 恥ずかしいのをこらえて、精一杯可愛く女らしく言う。


「また……来てくれないと嫌なんだから……」


 たまらないのが客である。

 金髪の美少女が自分に向かって恥じらいの表情で「またこい」と。

 そして演技くささはまったくない。

 こんなものを直撃されれば陥落必至。


 アキバ巡回の予定を変更して、再び列の最後尾に並ぶその客であった。


 てんてこ舞いになりながらも閉店を迎える。

「はぁーっ。疲れたッスよ」

 本当に椅子にへたり込む愛美子。

 気を使っていてもつい年下相手には尊大な態度に出てしまう。

 そのたびに後から甘い口調でフォローするのだが、それが結果的にリピーター増産に繋がっていた。


「何とか初日が終わりましたね」

 立ったままの沙羅。彼女の「芝居」は幕が上がったばかり。


「はぁー。視線て本当に突き刺さるんだな。うーん。もうちょっと『色気を抑える下着』というのも考えた方がいいかも」

 ボリュームはないものの、プロポーションを美しく見せていた麻耶がモニターの結果をそうとった。


「楽しかったですぅ」

 肉体的に最年少。さすがにタフなラビである。

 その言葉がウソでない証拠か、満面の笑みを浮かべていた。


「皆さんお疲れ様。さぁ。あとは掃除をして引き上げましょう」

「はーい」

 かなめの号令で一同はもうひと踏ん張りをする。

「瀬能。皿洗いを手伝ってくれ」

「うぃっス。任せてください。ナツメさん」

 愛美子の疲労は女として接客という気疲れである。

 単純な皿洗いとかなら問題なく、むしろ喜んでやっていた。


 こうして第一日目は終わった。


 帰路に着く。電車の中の美女と美少女六人はあまりに目立つが、それは仕方ない。

「それにしてもいくら開店セールといっても、今日は半端じゃなく客がきましたね」

「宣伝の効果かな」

「宣伝?」

 確かに自分たちもやってきたがビラ配りだけでこんなに?

「家についたら教えてあげるわ」

 電車の中である。会話は極力女らしくしようとみんな心がけていた。

 そこはさすがに元々男。しかも全員。

 だから「女の実態」を知る者がない。

 故に彼女たちのイメージで「女らしく」していた。

 だから本物はそこまでやらないような部分まで、きちんとする傾向があった。


 セキュリティの充実したマンションの六階。

 まだ出来たばかりで入居者がいなかったこともあり、全員分を確保できていた。

 ここがいわば「女子寮」となっていた。

 愛美子は「生まれたままの姿」とはいえないが、一糸まとわぬ姿でバスルームにいた。

 いくら疎くてもここではもうツインテールはほどき、ブロンズのロングストレートになっている。

 それをまとめてタオルを巻いていた。

 教わったのではなく、ロングヘアがまと割りつかないようにしていたらここにたどり着いた。

 湯船に浸かるときも最初は髪の毛をつけていたが、やたらに重くなるし、抜けた毛が今度は自分の体に張り付いたり、排水溝にゴミを詰まらせる原因となり、ちゃんとまとめるクセが出来ていた。

 それなら短くすればよさそうなものだが、周囲にもったいないと説得されて断念。

 もっとも自分で理想の姿を口にしたのが跳ね返ってきている。

 それだけに鏡を見ると切りたくなくなるのも本音だった。


「はぁ。大変だったな。じろじろ見られて」

 生粋の女ではないので、そんなに男にじろじろと見られた経験がなかった。

 それがかなり疲れた。

「あいつらスカートの中まで見てたんじゃないか?」

 それほど無防備に感じた。

 誰もいない自分だけのはずの浴室なのに、思わず膝をそろえて、ギュッと足を固く閉じる愛美子であった。


 女の肉体になじみ、女性服になじみ、仕草や態度が段々に女性化していた一同だが、男性客の視線を浴びるようになってからそれが加速されていくことになる。


 風呂から上がり室内着に。ジャージの上下。

 体育会系だけにこの格好がなじみだったし、楽だった。

 これは生粋の女でも室内着にしているものがいたので咎められなかった。


 髪を丁寧に拭き水分を取る。

 長いだけにきちんとしよりしないといけないのが僅かな間に理解でき、風呂上りでの習慣となっていた。

 その際の仕草も段々に女らしくなっているのだが、それが「当たり前」になっている愛美子は自覚しない。


 一通り終えてふと携帯電話を見るとメッセージが入っている。

 さすがに留守電機能くらいは使える。再生して見るとかなめからで「反省会」をしようというものであった。


 ジャージ姿でかなめの部屋へ。

 全員いた。そろいもそろって楽な格好だった。

 部屋の主であるかなめはバスローブ姿。「同性」だからと安心していた。

 一応は移動する面々はそれなりに着ていた。

 特に沙羅は外出着そのまま。メイクも落としていない…というかしなおしている。

 彼女なりの『女』のイメージだった。

 たださすがにゆったりとしたものを着ていた。

 母性的な印象も手伝い、実際は違うのだがマタニティドレスのイメージがある。


 麻耶はTシャツにスパッツ。上はともかく下は結構女性的。

 プロポーション浮き彫りだが、きちっと下着を着けているらしく問題のない状態だった。

 ラビはジャンバースカート。締め付けがない分、楽ということらしいが充分女の子らしかった。

 ナツメは男物のワイシャツとズボン。

 短い髪や無口なイメージであるものの、実は結構スタイルがいい。

 男物で逆にそれが際立っていた。

 胸はないのだが、それがモデルのように印象出来た。


「みんな集まったわね。それじゃ初日の反省会」

 実験で女性化しているのに、メイド喫茶での反省会がいるのか?

 そう思う愛美子だが、このシステムが実用化され、将来的に女性として職に就くことを考えると、それをまっとうできるかが大いなる観点。

 わざわざ男性の視線を浴びる職業にしたのはそういう目的もある。

 もちろん女性ならではのスキルを持つものがいないのも理由。


 反省会と言いつつお菓子とジュースでのおしゃべりだった。

 麻耶。愛美子。ラビは肉体的に未成年。

 他の面々は成人女性だったが、アルコールがどういう影響を与えるか恐くて提供できなかった。


「あのー。今日はすいませんス」

 愛美子が殊勝に謝る。

「なにが?」

 心底わからないという表情のかなめ。

「いえ。客に対してあんな態度で」

「ああ。あれね。そうね。他じゃまずいわね。でも」

「でも?」

「ウチの店でならいいわ。たぶん受けているから」

「はぁ? 受ける? あんな態度のウエイトレスがいたら、女でもぶん殴りたくなるスよ」

 もっともな愛美子の主張。

「本当に貴女はサブカルに疎いのね。でもいいわ。ウチの店限定で認めてあげます。ほどほどにああいう態度で接客するように」

 愛美子はわけがわからなかった。なんであんな態度で怒られないんだ?


 愛美子の携帯がなる。

「はい。もしもし」

 電話の相手が千藤とわかっていたから出た。

 ちなみに実家の親は息子が娘になったのを知っている。

 元に戻れる保証を聞かされたら二つ返事。

 少々女性として細やかさを身につけろ。そういうつもりであった。

 だから一応親も電話に出ていい相手。

 しかしそれ以外となるとこの場の面々。そして千藤くらいしか電話に出られない。

 そのせいでもなかろうが、気を使わない相手にリラックスした会話をしていた。

 それがやや引き締まった表情になる。

 電話を手で塞ぎ、一同に内容を伝える。

「あの……これから先輩が来たいというんで抜けていいスか?」

「たぶん今日の感想を訊きたいと思う。だからここに来てもらったら?」

 それをそのまま伝えたら、千藤も了承した。


「お邪魔しま……うひゃ。こりゃすげぇ」

 なにしろ美女と美少女たちが無防備な服装で自分を迎え入れたからだ。

 千藤からすると後輩の『愛美子』も美女の一人だが、彼女たちからしたら千藤は『同性』だった。

 「男同士」ゆえの無防備である。


「いらっしゃい。千藤のお兄ちゃん」

 実は本来の年齢は大差ないのだが、すんなりと千藤をお兄ちゃんと呼べるラビである。

「よう。ラビちゃん。相変わらず地球を防衛できそうな声だなぁ」

 属性のないものには意味不明の一言である。


 ちなみに千藤に言わせると「いかにもコスプレ好きそうな声」がかなめで、「街中で巴投げをしそうな声」が沙羅。

 「浪人をパンチ一発でふっとばしそうな声」が麻耶で「ゲッターで居合い切りをしそうな声」がナツメだそうである。


「さて。さっそく今日のことを聞きたいが」

「いやもう。大変だったスよ。平日なのにめちゃ混みで」

 ここで『約束』を思い出す愛美子。

「そう言えばかなめさん。理由を教えてくれるって?」

「そうね。そうだったわね」

 言われて彼女はモバイルパソコンを持ってきた。

 愛美子たちの目前でネットにつなぐ。

 ファーストページは『Twinkle Star』のサイト。

 しかもそこには自分たちが実は男で、理由がありこんな女の肉体になっていると書かれていた。


「な…なに考えてるんスかぁーっ。ばらしてどうするんスよ」


 激昂する愛美子だが、千藤は理解したらしい。

「なるほど。そういう『設定』か」

「へ? どういうことスか? 先輩」

「お前みてーのがぼろ出してもいいように、そういう設定にしてあるんだろ」


 つまりメイドたちは全て本来は男で、理由ありで少女の姿になっている。

 だから時折男としての地が出る…そういうことになっていた。

「だっから愛美子はいくらがさつでもクレームつかなかったわけか」

 麻耶が納得したように言う。

「なにしろ店名からして略すと『TS』ですしね」

「て…ティー…エス? なんスか? それ」

 TS。TranceSexual。性転換の略。

 『少年少女文庫』の読者でもない限り、知らなくてもさほど恥ではない言葉(笑)


 愛美子だけを考えたわけではない。

 当のかなめからして、ずっと人前で女性として振舞えるか自信がなかった。

 だから逆手にとって「元男の少女」という設定の店だったのである。

 ウェイトレスは生粋の女の子。しかし設定として元・男と言うのを演じている。そういうことである。


「それはわかったスけど、それでどうしてあんなに繁盛したスか?」

「あー……まぁ世の中にはそういうのが好きな人間も多いと言うこった。ああ、こいつはいいデータだ。収穫だったな」

 後半の言葉は目つきが鋭くなり、ハンターのような匂いを醸し出していた。


 こうして初日は何とか終わった。

 しかしまだ『女』として『メイド』として駆け出したばかりにすぎない。

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