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少年と二人のまとまらない色々

作者:南正太郎
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2013.01.17 思うところがあったので文中の大学名を変更

 ある秋の放課後のこと。
 テストはこの間終わったばかり。にわかに体育祭や文化祭の話が出始めてきているものの、本格的な準備はまだまだ先だ。
 いつもよりも緩やかな時間の流れを感じながら、藤白貴和(ふじしろたかかず)は帰宅の準備をはじめる。配布物をファイルに入れ、筆記用具を筆箱にしまい、机の中身を無造作にまとめて学校指定のメッセンジャーバッグに詰め込む。全部持って帰らなくていいのに、と幼馴染の紀佳(のりか)によく言われるが、いちいちどれを持って帰ってどれを置いていくかを考える方が面倒くさいと貴和は思う。
「さて」
 さて、今日はどうするかな。
 椅子から立ち上がり、バッグを左肩にかけ、机の横にぶら下げていた人民帽をかぶったところで、ふと思案する。クラブはもともと帰宅部だし、今日はいつもの課外活動もない。いわゆる予定なし、である。
 こんな日は誰かと一緒にのんびりとおしゃべりでもしながら帰るのが定番なのだが、あいにくと教室を見渡しても仲の良い顔は見当たらなかった。しかたない、青山先輩でも誘って帰ろうか。そう思って教室の引き戸に手を掛けたそのとき。
「おっ……と」
 扉が勝手に開いた。いや、正確に言えば廊下側の人物が貴和より先に戸を引いただけなのだが。
「あ、カズくん。ちょうどいいところに」
 開いた扉の先には、貴和がよく知った少女が立っていた。
「ちょうどいいところって日本語おかしくないか? 俺に用事があってわざわざ2年の教室まで来たんだろ」
 手厳しい指摘を受けた少女は、眠たそうな表情のまま目線を左下にやる。
 あ、また何か下らないこと考えてるな、と貴和は思った。考え事するとき、彼女はこういう仕草をよくする。
「……心を読んだな」
 そしてこのセリフである。
 貴和は大きくため息をついた。もちろん貴和にそんな漫画のような能力は備わっていない。生まれは二畳台の区立病院、育ちは始新台の古びた団地。どこからどう見てもそこらに掃いて捨てるほど存在する、ありふれた人間だ。
「いや、だってさ。紀佳(のりか)って俺以外に2年の知り合いとかいないだろ? 学年違うんだからさ」
「カズくん、将来は探偵ね。殺人事件起こったらよろしく」
 紀佳と呼ばれた少女はそう言うと、ゆっくりと後ろ髪をかきあげた。小さな指の間をつややかな黒髪がすべり落ちていく。
「んで、いったい何の用なんだ?」
「あ、そうだった。……ちょっと来て」
「俺、今から帰ろうとしてたところなんだけど」
「いいから。どうせ今日は課外活動もないからって、青山さん誘って帰ろうとしてたんでしょ。残念でした。今日は青山さん、体育委員の仕事あるから忙しいみたい」
「……心を読んだな」
「カズくん、分かりやすすぎ」


 紀佳に連れられてやってきたのはA棟の3階だった。
 生徒の気配が絶えないB棟、理科室や図書室などが集まるC棟と違い、ここA棟は空き教室が多く放課後でもひっそりとしている。貴和だって、こっちには滅多にやってくることがない。カップルか逢引をしたり、不良がタバコを吸ったりするのに使われるらしいと聞いたことがあるが、比較的真面目な高校なので冗談半分の噂なのだろう。実際にこうして廊下を歩いていても、まったくと言っていいほど人の気配がしない。
 足早に歩く紀佳と、案内されるがままにその横をついていく貴和。裏山とB棟に挟まれているからか、まだ日も高いというのに、廊下は驚くほどに暗かった。人気の少なさも手伝って、既に下校時間が過ぎてしまったかのような錯覚に陥ってしまう。かすかに聞こえるブラスバンド部の演奏が、かろうじて今が放課後であることを告げていた。
「着いた」
 とある空き教室の前で紀佳が立ち止まった。スニーカーで小さく床を擦り、そのまま貴和に向き直る。
「着いたって、この教室? 鍵掛かってるんじゃないのか」
「ここ、昔から鍵が壊れてるの。先生たちはまだ知らないみたいだけど、結構有名。それよりえっと……どこから説明すればいいのかな」
 紀佳は左下を見る。彼女のことだ。また何か下らないことを考えて貴和を驚かそうとしているのだろう。いつもそうだ。さっきみたいに、おとぼけてみたり、変な思いつきを試してみたりして貴和を困らせるのが好きなのだ。
(まったく……)
 長い黒髪と155cmの小柄でほっそりとした体型。顔だって可愛い方だ。胸がないのが玉に傷かもしれないが、それだって気にしない奴は気にしないだろう。いつだって眠たそうな顔つきをしているけれど、実は人一倍頭の回転は早い。本当によくできた幼馴染だ。いつまでも自分とこんなことをしてないで、さっさと男の一人や二人でも作ればいいのにと貴和は思う。
「……まあいいや。とりあえず入ってから説明するね」
 そんな貴和のおせっかいをよそに、紀佳はさっさと引き戸を開いて空き教室へと入ってしまう。その後を追って貴和も教室に入る。
「おー。ちゃんといい子にして待ってたか。えらいえらい」
「退屈すぎてもう少しで勝手に出ちゃうとこだったよ、まったく」
 教室の真ん中あたり、乱雑に並んだ椅子のなかのひとつに、男の子が座っていた。
「って誰この兄ちゃん」
 男の子は貴和の姿を確認するやいなや不審そうな眼差しを投げてよこした。歳の頃は小学4年生くらい。ほっそりとした首筋と、どこぞのスーパーにでも売ってそうな水色のシャツ。子供用と思しきジーンズは生意気にもダメージ加工がされている。
「……えっと、どういうことだ?」
 頭がついていかない。ここは確かに党立真揺(まゆらぎ)高等学校の校舎内であったはずだ。A棟がいつの間にか小学校になっただなんて聞いたことがない。飛び級? そういえば弟の学校にも一人いるらしいが……。
「さっきの時間、私たちのクラスは体育だったんだけど、その帰りにこの子がふらふら歩いてるの見かけたの。叱られるから帰ったほうがいいよって言ったんだけど、なかなか聞いてくれなくて……」
「なんだよー。いいだろ、ちょっとくらい歩いたって。バレやしないよ。バレたらバレたで適当な言い訳するしさあ」
 男の子はふてくされた様子で足をぶらぶらと前後に動かす。高校生用の椅子は少しサイズが大きいようだ。
「なるほど。これは困った事態だな」
「でしょ。でも本題はここからなの。驚かないで聞いてね。……この子、人間じゃないの」
「はぁ?」
 紀佳が何を言っているのかよく分からなかった。またいつもの様に下らない冗談を言っているのかと思ったが、紀佳はいたって真面目な話をしているらしい。彼女の声色や表情がそれを物語っている。
「人間じゃないって一体――」

「ヒューマノイドだよ」

 少年が二人の会話に割って入る。反射的にそちらを向くと、男の子が誇らしげに手の甲を貴和に向けていた。
上海人偶機器人工学(SDR)サマリー17シリーズ第3世代男性型。型番はSUM17M3JP1980、ロットナンバーは093108160801009。嘘だと思うなら兄ちゃんの携帯端末でコレ読み取ってみなよ」
 少年の手の甲には刺青のような刻印が見える。正方形の領域を埋め尽くす無数の市松模様。広告などでよく見かける2次元コードだ。
「さっき私の端末で読み取ってみたら、この子の言った通りの情報が出てきた。どうやら本当みたい」
「本当なのか……」
 ヒューマノイド。人を高度に模した自立型のロボットである。西側諸国や中国では既に実用化されており、一般社会にも徐々に浸透してきていると聞く。だが、経済が自由化されて間もないここ日本では、まだまだ滅多にお目にかかれない代物だ。
「普通の男の子だったら、『気を付けてね』って言って放っておけばいいのかもしれないけど……。でもこの子ロボットでしょ。見つかったら多分、大騒ぎになるよ」
「確かにねー」
 男の子が会話に割って入る。
「日本じゃまだヒューマノイドは珍しいし、それに僕って実はすごく値段が張るんだよ。Aクラス車が1台買えるくらい。転売目的で誰か悪い人に誘拐されちゃったりして」
「だったらなおさら早く家に帰った方がいいだろ? 何なら俺達が送ってやるから」
「やーだね。頭の悪そうな兄ちゃんには分からないかもしれないけど、僕にも事情ってやつがあるんだよ」
「へえ、すごい。見ただけで分かるんだ。カズくん、黙ってれば勉強できそうに見えるのにね」
「悪かったな見かけ倒しで……。ていうかお前が言うなよ」
 貴和の成績は中程度であって、勉強が苦手なのはむしろ紀佳の方だ。どれくらい苦手かと言うと、3年生のくせして2年生の貴和に勉強を教えてもらうほどである。
「そんなことより、結局これからどうするんだ?」
 脱線しかかった話を強引に戻す。とは言っても男の子に帰る気がないならば、貴和たちに取れる対応は2つ。説得を諦めるか、力づくでつまみ出すか。貴和を呼んだ、すなわち男手を呼んだということは、紀佳は後者を選択しようとしているのだろうか。
「そうね……」
 紀佳は小さくつぶやくとポケットに手を入れ、男の子の方へ向かってゆっくりと歩き出す。その表情は貴和の場所から見えない。ただ、紀佳が少年との距離を一歩縮めるごとに、少年の表情に緊張が浮かんでいっているように思われた。
 紀佳は少年の前で立ち止まると、ポケットから赤い花柄のハンカチを取り出す。
「じっとして」
 少年の小さな手を、紀佳の白い手が包み込む。紀佳は、片手に持っていた赤いハンカチを、素早い手付きで少年の手に巻いた。
「これでロボットだって分からない」
「なるほど。まあ僕がポケットに手を入れとけばいいんだけどね」
「何かの拍子に手を出しちゃうかもしれないでしょ。これで準備完了。じゃあ行こっか。どこが見たいの?」
 紀佳の言葉に、ふてくされていた少年が一気に笑顔になる。確かにこうしてこちらのやりとりに一喜一憂する姿は、そこらの小学生にしか見えない。多少生意気かもしれないが。
「やった! 姉ちゃん、話分かるね!」
「どういたしまして。それとカズくんも付き合ってね」
「えっ、俺も!?」
「そのために呼んだんだから」
「そうだぞ。旅は道連れ世は情け、って言うじゃないか」
 こちらを振り向いた少年と目が合った。
 ハンカチを巻いた小さな手と、期待に満ち溢れた眼差し。一瞬、その目の中に七色の円環が浮かんでいるのを貴和は見逃さなかった。円環の正体は眼球部分の半導体素子が織りなす干渉縞である。
「よろしくな。兄ちゃん!」
 虹を閉じ込めた瞳が、まぶしく輝いていた。


 3人はA棟を上から順に歩いて回ることにした。
 教師の多いA棟はできれば避けたかったのだが、B棟は同じような教室ばかり並んでいるので、せっかく案内するなら理科室や図書室のあるA棟の方がいいだろうと紀佳と話し合ったからだ。ちなみに教師に声をかけられたら、姉を探しに高校までやってきた紀佳の弟であると答える手筈になっている。
「ここが視聴覚室よ。ビデオみたりするところ。あっちが図書室でその隣が情報室。コンピューターが沢山あるの」
 部屋の前を通るたびに、紀佳は少年に簡潔な説明をしていく。本来なら中に入って見せてやりたいところだが、生憎と副教室は文化部が使っているか、さもなくば鍵が掛かっているところばかりだ。
「ここが理科室。実験とかするところ」
「実験ってどんなことするんだ?」
「顕微鏡使ったりするのよ」
「顕微鏡なんてどこでも使うだろ。顕微鏡で何してんの?」
「……カズくん、パス」
「えっ、お、俺!? ていうか俺、顕微鏡とか高校入ってから使ってないんだけど!?」
「あ、そうか。カズくん、生物選択してなかったっけ。じゃあ化学でもいいよ」
 貴和はしどろもどろになりながら、直近の実験を説明する。とは言っても、実験なんて適当に器具をいじって教師の指示通りレポートを書くだけだ。その内容が一体どんなものなのかは貴和もよく分かっていない。
「ああ、なるほど。ボイル・シャルルの法則の確認か。あと気体定数でも求めてるのかな?」
 だがそんな貴和の説明を受けて、男の子は実験の内容をすんなりと理解してみせる。顎に手を当てて思索を巡らせるその姿は、ずいぶんと大人びて見えた。
「へぇ、すごいね。高校の勉強も知ってるんだ」
 紀佳は感心した様子で手を叩く。人間ならば天才小学生とでも呼ばれていたのかもしれないが、この子はヒューマノイドだ。知識の習得だってボタンひとつでできるのかもしれない。つい半月ほど前のテスト勉強を思い出して、自分も機械になりたいと思う貴和だった。
「あれ藤白?」
 背後から名前を呼ばれ、反射的に振り返る。一瞬、教師かと思ってどきりとしたが、そこに居たのはよく知ったクラスメイトの姿だった。
「何やってんだこんな場所で。それにその子……」
 クラスメイトの視線が紀佳の傍らに立つ男の子に注がれる。
「ああ、この子は――」
「お前らの隠し子か?」
 紀佳との仲をからかわれるのは日常茶飯事だし、男女と幼児の組み合わせから親子を連想するのも人の常だ。でも、それにしたって隠し子はないだろうと貴和は思う。
「バカ違うっての。迷子だよ」
 冷やかされるのは慣れっこであるが、さすがに部外者がいる前だと色々と気まずかった。本当に付き合っているのだと勘違いされたらどうしようかと心配になってくる。
「大体、隠し子とかこの子の年齢的にありえないだろ」
「いや分からんぞ。お前ら付き合い長いらしいじゃないか。ひょっとすると」
「小さい頃一緒に入ったお風呂で過ちがあったの。カズくん、好奇心とか旺盛だったから」
「……頼むから話をややこしくするのはやめてくれ」
 冷やかしを適当にかわして友人と別れる。
 さすがに初対面の人間だから警戒していたのか、男の子が3人の会話に一切立ち入ることはなかった。
「友達?」
「あ、ああ。悪いな変な話してしまって」
「いいよ別に。面白かった」
 面白かったというのは、楽しかったという意味なのか興味深かったという意味なのか。いずれにせよあまり面白がられても困る話である。
「それより気になったんだけどさ。ここの学校って変わった制服なんだな」
「まあな。かっこ悪いだろ?」
 直轄市内の話に限るならば、区立の高校はすべからく学ランとセーラー服である。私立は例外もあるがほぼすべてブレザーである。ではここ、”党立”真揺高校はどうなのか。党立というのがポイントであり、党とはほかでもない共和国の指導政党たる日本労働党のことである。すなわち――
「人民服を着てる高校生なんてはじめて見たよ」
 そう。真揺(まゆらぎ)高校の制服は人民服である。帽子からズボンの裾まで全身がカーキ色。しかも男女の区別なく全員が同じ服装であり、特に女子にまでズボンを履かせている点において内外を問わず生徒からは非常に評判が悪い。
「高校を選ぶときは、党立だけはやめといた方がいいぞ」
 貴和は苦笑する。貴和も紀佳も中学からの内部進学組だ。小学生の頃は制服がどうだとか特に考えもせず、ただ家から近いという理由だけで選んだのだが、今となっては間違った選択だったと思う。
「ご心配なく。僕は高校行かないから」
「あ、そっか。ロボットだもんね」
 少年の手に結ばれたハンカチ。それ見た紀佳がはっとした様子で言った。そうだ。この子はヒューマノイドなのだ。学校になんて行く必要はないのだろう。仕草や受け答えがあまりにも自然なのでつい忘れてしまう。
「ロボットだからとか関係ないよ。僕は行かない、っていうだけ。学校に通ってるヒューマノイドだって沢山いるよ。ていうかそっちの方が多数派だと思うけど」
 そんな話をしながら階段を降りる。踊り場ですれ違った女子生徒に怪訝そうな顔を向けられるが、もはや貴和も紀佳も気になどしていない。
「へぇ。どうして学校に行かないんだ?」
「行かないっていうか、既に行ってるっていうか……」
 2階の廊下に出ると、突き当りの窓から夕日が差し込んでくる。
「僕、大学生だから」
「……へ?」
 素っ頓狂な声が出た。紀佳は相変わらず眠そうな表情のままだが、内心はおそらく驚いているのだろう。
「飛び級ってやつだよ。ほら隣の真浜(まはま)大学。あそこの工学部に通ってるんだ。勉強はほかのヒューマノイドよりできたからね。高度知能発達エミュレーションとかいう研究プログラムの一貫だから学費は全額メーカー持ち。ホントありがたい話だよ……ってあれ? 言ってなかったっけ?」
 言っていない。しかも真浜大学といえば国内でも五指に入る名門ではないか。それなら、さっきの実験の話をすんなり理解したのも頷ける。まさか大学生に高校化学の話をしていたなんて思いもよらなかったが。
「じゃあこの高校に忍び込んだのも、ひょっとして……」
 紀佳が窓の外に目をやる。高校を囲う塀の向こう側に立ち並ぶ何棟もの四角い建物。男の子が通っているという真浜大学の敷地だ。
「そうだよ。単に大学から近かったから。ホントは中学校の方に忍び込むつもりだったんだけどね。道に迷ってたところを姉ちゃんに見つかったってわけ」
 高校に小学生らしき男の子が忍び込んできたというだけでも珍しい事態なのに、しかもそれがヒューマノイドで、おまけに大学生ときた。一体、1日で何度驚けばいいのか。
 とは言え、男の子からしてみればそのほとんどが必然だ。偶然の要素というと忍び込んだ後に紀佳に見つかってしまったという点だけである。真浜大学に在籍しているヒューマノイドの少年が、学校に忍び込もうとしてすぐ隣の真揺中学にやってきた。ただそれだけの話である。よくある話だ。傍からみるとものすごい偶然が積み重なったように見えても、視点を変えればそれはすべて必然であったのだ。
「そういえば、どうして高校に忍び込もうと思ったんだ?」
 男の子の素性が明らかになると、新たな疑問が浮かんでくる。今まで偶然だと思っていたものが必然だったのだ。だとすれば、彼がそもそも学校に忍び込もうとしたのも、ひょっとすると単なる思いつきなどではなく――
「……別に。ちょっとどんな場所なのかを見てみたかっただけだよ。僕、高校とか通ったことないし」
 なるほど。確かに飛び級で大学にまで行ったのなら、普通の学校生活に憧れることもあるだろう。中高をすっ飛ばして大学まで行くのがどんな心地なのか貴和には想像もつかないが、未知の世界に対する憧れというものは人間だけでなくヒューマノイドも持っているということだろう。だが、
「ホントに?」
 紀佳が疑問を差し挟む。貴和も同感だった。果たしてそんなことのために、わざわざ塀で囲われたこの場所にまでやって来るだろうか。思いつきで忍び込んだのなら、どうしてあそこまで頑なに帰ることを拒んだのだろうか。
「そうだな……」
 男の子はその場に立ち止まると、見定めるように紀佳と貴和を交互に見つめた。また少し傾いた太陽に照らされるその姿は、もはや少年とは呼べないほどに落ち着いている。
「うん。まあいいか。二人にはお世話になったし」
 男の子はそう言って少し困ったような笑みを浮かべてみせる。
「そうだな……。ここじゃなんだし、一度あの空き教室に戻ろうか」
 瞳の中の虹が、夕日に照らしだされていた。


「そういえば名前言ってなかったね」
 少年ははじめて出会ったときのように、椅子に腰掛け足をぶらぶらと動かしている。
「僕はアキラ、そっちの二人は?」
「アキラくんね。遅れちゃったけど、私は古江紀佳。この高校の3年生。こっちが……」
「藤白貴和だ。紀佳の友人。歳は一つ下の17歳」
「紀佳に……貴和……ね」
 音の響きを確かめるように、少年はゆっくりと二人の名前を反芻する。貴和は何も言わず、その様子をただじっと眺めていた。
 ここでアキラを紹介されてから早1時間。気付けば太陽はすっかり低くなってしまい、空き教室の闇はさらに深みを増している。下校時刻がすぐそこまで迫っていた。

「友達のヒューマノイドがね……死んじゃったんだ」

 アキラの表情は、暗がりに隠れてよく見えない。
 だがその声色は、さっきまでと少しも変わらない。どこか生意気そうな子供のそれだ。
「情報疾病に感染しちゃってさ。閉律症を併発してそれ以来ずっと眠ったままだったんだけど、復旧の目処が立たないからって廃棄されちゃった。1週間前のことかな」
 降って湧いてきた重い事実。あまりに深刻すぎてどう受け止めればいいのか貴和には分からなかった。友人が死んだという言葉だけが頭の表層を上滑りしてしまう。
「昔行ってた小学校の上級生でさ。同じヒューマノイドどうし、よくふたりで一緒に過ごしてた。僕が大学へ行くようになってからは、めっきり連絡も途絶えてたんだけどね。中学校に進学したっていうのは風の便りで聞いてたから、上手くやってるんだろうと思ってたけど……」
 アキラは昔を懐かしんでいるようだった。貴和も紀佳も微動だにせず、ただじっと、その言葉に耳を傾けている。
「その友達が死んじゃったときにね、こう思ったんだ。なんだかもったいないなあ、って」
「もったいない……。どういうこと?」
「そうだね。それについては……」
 まだ暗がりに目がなれない。少年のシルエットだけが、藍色の薄闇を黒く切り取っている。アキラはしばらく顎に手をあてたままの姿勢で何かを考えていた。
「……ちょっと長くてややこしい話になるけどいい?」
 紀佳がうなずく、貴和もうなずく。
 望むところだ。興味本位の詮索から始まって、気づけばこんな身の上話になってしまうとは思いもよらなかった。下世話な野次馬根性を出してしまったからには、最後まで付き合うのが筋だと貴和は思う。
「じゃあ、まずは僕たちヒューマノイドの仕組みから聞いてもらおうかな。えっと、僕らの頭にはFIANC(ファイアンク)っていうプロセッサが使われてるんだ。CPUみたいなものだね。ただし、一般的な計算機なんかで使われてるCPUと違ってFIANC(ファイアンク)はニューラルプロセッサなんだ。ニューラル……つまり人のシナプスや脳神経ネットワークを極限まで模したデバイスというわけ。ここまでは大丈夫?」
 突然始まったロボット工学の説明にたじろいでしまう。CPUすら上手くイメージが付かないというのに、それより高度なコンピュータの話をされて理解できるとは思えなかった。
「えーっと……なんだ……その……つまり、そのファイなんとかってヤツは人工的に作った人の脳ってことか?」
 アキラの言葉を継ぎ合わせながら、何とかそれらしい解答をひねり出す。科学というより、国語の問題を解いているような気分だった。
「うん、そんな感じ。理解が早くて助かるよ。じゃあここで問題。プログラミングはどうやってると思う?」
「プ……プログラミング……?」
「だってそうでしょ。コンピュータだけ用意しても、プログラムを書かないと動かないのと同じで、いくら人の脳を模した演算装置を作ってもそれを動かすルールがないと正常に動作しないわけで」
 確かに、コンピュータを動かすには基本ソフトが必要だ。それは貴和にも分かる。分かるが、じゃあヒューマノイドの場合はと問われても、馴染みが薄すぎて何とも答えることができない。隣をうかがうと紀佳が目を回していた。
「これは非常に難しい問題だ。今日び二人が持ってる携帯端末ですら、そのプログラムは本にすると何万ページ分もの分量になるわけだからね。生物の、しかも人間のそれともなると、一体どれほどの量になるのか。そもそもそんなプログラムが書けるのかすらわからない」
 大学生の本領発揮と言わんばかりである。話に熱が入って周りが見えなくなっているのか、それとも二人に理解させるのをあきらめたのか、アキラは切々と説明を続ける。ようやく闇に慣れてきた目には、心なしか楽しそうな表情が見えた。
「そこで科学者たちは考えた。自分たちにプログラムが書けないなら、ロボット自身がそれを書けばいいじゃないか、ってね。つまり、僕らは環境との相互作用を通じて、プログラムを逐次書き換えてるようにできているんだ。もちろん、いわゆるプログラムと違って符号化なんてされてないよ。人工シナプスが作るネットワークそれ自体がプログラムの役割を果たすんだ。
 人間もそうでしょ? 生まれた時は歩くことも喋ることもできないけれど、環境との相互作用を通じて少しずつ脳神経ネットワークを最適化していくんだ。手足を闇雲に動かしてみたり、言葉にならない声を発してみたりしながら、身体や言葉の使い方を脳に刻んでいく。ヒューマノイドだって同じだよ。歩くことも喋ることもままならない状態、自分が誰だかも分からない状態から始まったんだ。最初は研究所の科学者たちが親代わりだったって聞いた」
 途中はよく分からなかったが、最後の方は何となく理解できた気がする。というか紀佳の方はついてきているのだろうか。
「つ、つまり赤ちゃんみたいな状態からスタートして、誰かが育てた……ってこと……よね?」
「うん。その理解であってるよ」
 おお。すごいぞ。ちゃんとついてきてるじゃないか。五十歩百歩な自分のことを差し置いて貴和は感心する。
「へえ。アキラくんにも赤ちゃんの頃があったんだ。やっぱり幼稚園とかに通ってたの?」
「通ってないよ。僕に赤ん坊の頃なんてないから」
「え……? だってさっき」
「うん。確かに言ったよ。“ヒューマノイド”は赤ん坊みたいな状態から始まって、人間みたいに成長していくってね。でもさ、これって『人間みたい』どころか、ほとんど人間と変わらないじゃない。赤ん坊みたいな状態から育てて一人前にして、それからヒューマノイドとして出荷するっていうんじゃ手間がかかって仕方がない。
 FIANCのデータをコピーして使うってものひとつの手だけど、それだと元になったヒューマノイドのコピーが何体もできることになっちゃう。記憶も癖もオリジナルとまったく同じ。それじゃ具合が悪いんだ。メーカーはまっさらな状態で出荷したい。ヒューマノイドに求められているのは身体の動かし方と一般常識だけ。余計な過去の記憶や個体差だけを選別して消去する必要があったんだ」
「わかった」
 紀佳がぽんと手を叩いた音が教室に響いた。
「コンピュータを使って教育するんじゃない?」
「おお、なるほど」
 確かに、機械に教育をやらせれば手間が省けるし、一度に大量のヒューマノイドを育てることもできそうである。なかなか真実味のある意見だと思えた。
「けっこういいアイデアだけど、残念。コンピュータがヒューマノイドを育ててもダメなんだ。符号化された言葉のやりとりだけだと知能の発達に大きく偏りが出ちゃう。身体感覚を通じた経験って僕らが思ってる以上に知能形成に寄与してるんだよ」
「…………」
 あ、しょげてる。
 付き合いの長い貴和には目線の動きや姿勢で何となく紀佳の気持ちがわかった。はたから見れば相変わらずの表情だが。
「こうなったら 洗   脳 (ブレインウォッシュ)しか……」
「やめい」
「まあでも発想としては近いよ。もちろん洗脳なんてしない。でも脳の情報を選択的に消去する、という点では確かに洗脳と同じだね」
 紀佳の冗談が当たらずとも遠からずだったらしい。貴和の背筋がわずかばかり寒くなる。
 洗脳。物心ついた頃には既に過去の存在だったが、つい数十年前まではこの国でも頻繁に行われていたらしい。インターネットの噂によると、今でも思想犯や政治犯などを対象にした秘密裏の洗脳が行われているのだとか。
「そんなことできるの?」
 ヒューマノイドの脳が人と同じだと言うならば、特定の記憶だけを消去するなんて、それこそ洗脳でもしないかぎり無理に思える。紀佳の疑問は真っ当なものに思えた。
「できるんだなこれが」
 怪訝そうな気配が伝わったからだろうか。アキラは一層嬉しそうに、まるでとっておきの玩具を自慢するかのように、抑揚を付けて、ジェスチャーを交えて説明する。
「ウチの会社が考えついたシナリオはこうだ。
 まず、赤ん坊のヒューマノイドを沢山作って、色々な状況でそれを育てる。当然、知識や性格には自ずと差が出てくるけど、一般的に必要とされる体の動かし方や言語能力、生活の知識なんかは、どの個体にも共通しているはずだろ?
 だから、こいつらのデータを足し合わせて平均を取ってやればいい。そうすれば、上手いことに個人的な記憶や癖だけが消えて、一般的な情報だけが残る……って寸法さ。
 赤ん坊のヒューマノイドが250体。これが第1世代。次にその第1世代の情報を足しあわせた第2世代……5歳児のヒューマノイドが500体。現在はさらに次の10歳、第3世代のヒューマノイドが1000体作られていて、そのひとりが僕というわけさ。最終的には4000体分の情報を足しあわせた第6世代までが製造される予定だよ」
 あまりに壮大な計画に言葉を失った。
 何百人分の記憶を持って生まれてきて、自分の記憶も何百人という誰かに引き継がれていく。その重さを想像すると気が遠くなりそうだった。
「わかるかい? 僕らの記憶はね、受け継がれるんだ。もちろんそれは別の誰かの記憶と混ざり合って希釈されてしまうんだけど、それでも確かに僕らの記憶は次の世代に引き継がれる。人間みたいに遺伝子を持たないヒューマノイドにとっては、記憶こそが自分たちがこの世に居た証明なんだよ」
 既に日は落ちかけ、薄暗かった教室はもはや漆黒の闇に包まれていた。かすかに聞こえていたブラスバンド部の演奏もいつの間にか聞こえなくなっている。
「僕が死んだ友達のことを『もったいない』って思ったのはそういうことだよ。失われた記憶は、本来なら次の世代に受け継がれていくべきものだったわけだからね。だから僕が代わりに、その記憶を受け継ごうと思った。その子が中学校でどんなことをしていたのかを、一体どんな場所で何をしていたのかを、知りたかった。もちろん僕はその子自身じゃないから、それはあくまでも僕の記憶なんだけどね。でも、それでも残しておきたいって、そう思ったんだ」
 アキラはそこまで言い切ると、小さく鼻をすする。

 すこし長い話だった。すこし難しい話だった。すこし悲しい話だった。けれど、聞いてよかったと貴和は思う。
「いい記憶を引き渡せそうか?」
「まあまあかな。違う学校だし、そもそも中学じゃなくて高校だし、制服はダサいし。まあそれでも大体の雰囲気は掴めたよ」
 ヒューマノイド。
 名前は聞いたことあったけど、彼らが実際にどんな連中なのかは知らなかった。機械だから堅物なのかなとか、冷たいのかなとか思ってた。
「じゃあ、そろそろ帰るか? もうとっくに下校時刻過ぎてるぞ」
「あ、待ってカズくん。暗くて鞄が見つからない」
「電気つけちゃえば? すぐ消せば先生にばれないでしょ」
 実際の彼らは、ちょっと話したくらいじゃ見分けが付かないくらいに人間そっくりなんだけど、人間と違うところも少しあって。
(でもきっと、根っこの部分では同じなんだろうな……)
 アキラが電灯のスイッチを入れ、数秒遅れの光が教室中を煌々と照らし出す。
「うっ、まぶしいな」
「ずっと真っ暗な中で話してたからね」
「そんなことより姉ちゃん、さっさと鞄探しなよ」
「あ、そうだった。えーっと……」
 紀佳は必死に辺りを見回して目的の物を探すが、見つかるはずがないことは誰の目にも明白だった。
 鞄は、紀佳の肩に掛かっていた。
「おい紀佳、肩」
「…………あ」
「そういうボケは学校出てからにして欲しいんだが」
「ち、ちがうって! ホントに気付かなくて……!」
「わかったわかった。それよりアキラ、さっさと電気を……ってどうしたんだ?」
 アキラはその場に屈みこんで苦しそうにしている。体調でも悪いのかと一瞬ひやりとしたが、なんてことはない。震える肩と、漏れ出る笑い声。あまりの可笑しさに腹を抱えているだけだ。
「よかったな紀佳。バカ受けだぞ」
「…………嬉しくない」
 二人のやり取りに耐え切れなくなったのか、目に涙まで浮かべてアキラは一層大きく笑い出す。
 そういえば、この子がこんな風に笑うのを見るのは初めてだ。この姿をもう少し見ておきたい気がしてきて、貴和は電気も消さず、笑い転げる少年の姿をただひたすらに見つめていた。


後半説明書だけどドンマイ☆

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