挿絵表示切替ボタン
▼配色







▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる
大学生北野京子の恋愛事情 作者:夜野うさぎ
しおりの位置情報を変更しました
エラーが発生しました

ブックマークしました。

設定

更新通知 0/400

設定を保存しました
エラーが発生しました

カテゴリ

ブックマークへ

以下のブックマークを解除します。
よろしければ[解除]を押してください。

ブックマークを解除しました。

8/28

8 図書館迷路

 次の日の講義が終わった後、私は学部の図書館にやってきた。
 初期の『洛中洛外図屏風』数本を比較するためだ。
 美術のコーナーに向かって、屏風の写真集を探す。

 大判の絵巻物の写真集、狩野派などの画派ごとの写真集に関連書籍。とはいっても、ここにある著作はほとんどが美術史のカテゴリのもので史学のものは少ない。
 学者さんの基盤となる専攻が違えばアプローチの方法や資料の扱い方も違うから、うかつに同じ土俵に載せられないんだよね。もちろん、その事を理解した上で、どちらの系統も読まないといけないんだけど。
 これがわからないと読む方としては何が正しいのかわからずに混乱してしまうんだよ。

 人差し指をのばして背表紙をゆっくりと確認しながら、ちょうど良さそうな資料がないかと探していると、一冊の本が目に入った。

『洛中洛外図屏風に描かれた世界』(群馬県立歴史博物館、米沢市上杉博物館、林原美術館、立正大学文学部編)

 この図録は、平成二十三年から四年にかけて3つのミュージアムが主催した展覧会の図録だ。数ある洛中洛外図の優品が一同に展示されたそうだけど、その頃の私は興味がなかったし展覧会自体を知らなかった。
 とにかく棚からその図録を抜き出して、近くの閲覧スペースに向かう。

 閲覧スペースには、今日も何人かの学生が勉強をしていた。中にはイヤホンで音楽を聴きながらノートに書き込みをしている人もいる。
 私も目立たないところを選んで、早速、持ってきた図録を開いた。

 問題としている『上杉本』は中世に描かれた初期の一群に属する。同じく初期に属するものには『歴博(れきはく)甲本』『歴博乙本』の洛中洛外図があり、さらに『歴博甲本』と『上杉本』の間に制作された洛中洛外図の模本である『東博(とうはく)模本』がある。
 まずは、これらを想定される成立年の順番に並べよう。

『歴博甲本』―16世紀(大永五年・1525年説あり)
『東博模本(の原本)』―模本は江戸中期、原本は1540年代説あり
『上杉本』―永禄8年(1565年)
『歴博乙本』―織豊期(1580年代ごろ)

『上杉本』以外は成立年代の諸説があるから、上に書いたのは一つの説にすぎなくて、まだ確定的なことはいえないだろう。
 実はさっき持ってきた『洛中洛外図屏風に描かれた世界』には、『歴博乙本』が収録されていない。
 そこでipadを起動して、国立歴史民俗博物館のwebギャラリーで確認することにした。


 各屏風の特徴とかは省いて、まず法華宗寺院がどれだけ描かれているのかを調べてみよう。
『歴博甲本』は、本能寺、妙覚寺、頂妙寺の3ヶ寺。
『東博模本』は、妙覚寺、本覚寺、本法寺の3ヶ寺。
『上杉本』は、妙顕寺、本能寺、妙覚寺、頂妙寺、本国寺、本満寺の6ヶ寺。前は1ヶ寺を見落としていたようだ。
『歴博乙本』は、妙顕寺、妙覚寺、頂妙寺、本国寺の4ヶ寺。

「うわぁ。『上杉本』はダントツで多いな」
 思わずそうつぶやいた。
 『上杉本』にだけ6ヶ寺も描かれていることは、それだけ重要視しているという意味かな?
 いずれにしろこれは『上杉本』の特徴と指摘できるよね。
 でも、まだこれは調査(リサーチ)の段階で、これからその理由を探るのが本題なわけで。
 ……今まで宗教史は避けていたけど、どうやら法華宗の展開について調べる必要がありそう。
 なにしろ、お寺の名前だけじゃ、正直にいって何だかわからないもの。

 とりあえず、今、調べたことをノートに書き留め、荷物を置いて私は再び席を立った。

 高い天井の空間に、大きな本棚が規則正しく並んでいる。その中を宗教史のコーナーを探して、書棚の間をゆっくりと歩いて行く。
 棚のラベルを見ながら次々へ進んでいくうちに、いつのまにか全然違う理化学系のコーナーに迷い込んでいた。

 あれれ? 今、どこにいるんだろう?

 目の前の棚には、『プラズマ現象と気候学』『流体力学入門』などといったタイトルが並んでいる。
 まさか図書館で迷ったとは、とても恥ずかしくて言えない。
 素知らぬ風をして、あたかも物理専攻になったつもりで本棚を眺めつつ、元の場所へ戻ろうと歩く。

 ――うん?
 一瞬、視界の端っこに見覚えのある人影がよぎった。

 振り返って確認すると、そこにいたのは啓一くんだった。
 本棚の陰に隠れて、なにか手紙らしきものを読んでいる。
 その表情は、どこか悩んでいるように眉をしかめていた。

 声をかけてあげたいけれど、今はだめだ。
 ……だって、私は啓一くん自身のことを何にも知らないし、あの手紙の内容にうかつに踏み込んじゃいけないような気がする。
 それでも……。
 後ろ髪を引かれるような気持ちになりつつも、私は啓一くんから視線をそらして閲覧スペースを目指して歩きはじめた。


――――。
 さてと、元の閲覧スペースに戻ってきた私は、一端、入り口のフロアマップを見に行く。
 やっぱりフロアマップで場所を確認しなかったのがだめだったと思う。
 宗教の棚はNDC分類上では哲学の並びにあって、どうやら書棚もそれに従っているみたいだ。
 今度は迷うことのないようにルートを確認した。

 それにしても、今まで宗教史は避けていただけあってどう調べればよいのか見当がつかない。とはいえ、日本史にしろ西洋史にしろ、宗教史は避けることができないんだろうけど。
 そんなことを考えながら哲学のコーナーにたどり着く。ええっとどこの棚かな?

 ようやく見つけた宗教の棚を見つけて、本を探しはじめた。
「ええっと、大正なんとか大蔵経。ぱ、パーリ語?」
 よくわからないお経典の本とかが並んでいる。……もしかして、ここのジャンルって教えの内容が分類されてる?
 だめだ。ここじゃない。――今日は運が悪いなぁ。

 肩を落としながら通路を歩いていると、
「おっと。さっそく調査?」
と声がかけられた。この声は、啓一くん?

 振り返ると、確かにそこに啓一くんが立っていた。
 啓一くんは私の顔を見て、
「なんだ? 御機嫌ななめか?」
と言いながら、私に一冊の本を差し出した。

 河内将芳著『日蓮宗と戦国京都』(淡交社)

 えっ? これって?
 驚いて啓一くんの顔を見上げる。
「これがいいと思うぞ」
「な、なんで?」

「馬鹿だなぁ。考えていることくらいわかるぜ。……というより、レファレンスに尋ねればいいのに」
 うう。確かにそうなんだけど。人に尋ねるのは、なぜか緊張しちゃうのよ。

 何も言い返せないでいると、
「それに迷ったんじゃないの? この図書館で」
とぼそっと言う。
 み、見られてた? 急に顔がほてってくる。は、恥ずかしぃ。

 啓一くんの顔を見られずに視線が下がる。
 ぽんと肩を叩かれて、「協力するって言ったろ? ほれ、行くぞ」と言う啓一くんの後について、歩いて行った。

 本当に叶わないなぁ。
 前を歩く背中がやけに頼もしく見える。

+注意+
特に記載なき場合、掲載されている小説はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている小説の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による小説の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この小説はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この小説はケータイ対応です。ケータイかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。
小説の読了時間は毎分500文字を読むと想定した場合の時間です。目安にして下さい。
↑ページトップへ