10
ライブハウスを出ると、九時を過ぎていたが、まだ、多くの人で通りはごった返していた。
「水嶋」
「はい?」
カズホは、ナオに左手を差し出した。
「まだ人で一杯だ。迷子にならないようにな」
「は、はい」
手を繋いで、二人は駅に向かって歩いた。
カズホは、もっとナオと一緒にいたいと感じていた。ナオも同じ気持ちだったのだろうか、二人は相当ゆっくりと歩いていたようで、何人もの人に追い抜かれていった。
「水嶋。ありがとうな。今日は最高に楽しかったよ」
「ううん。私は何もしていないよ。お父さんにもらったチケットを渡しただけ」
「そんなことはないよ。……ああ、そうだ。水嶋のお父さんにもよろしく言っておいてくれよ」
「う、うん」
二人は、しばらく黙って歩いた。
土曜日の夜の渋谷は、昼間よりも人が多いくらいで、酔った若いサラリーマンや学生のグループが騒ぎながら練り歩いており、二人にぶつかって来るように向かって来る一団もあった。そのたび不安げな表情を見せるナオを守るように、カズホは、ナオを引き寄せたり、ナオの前に立って、酔客を睨み付けたりした。
女性に対するエチケットとか、男性としての義務感に駆られて行動しているのではなく、ナオを守りたいという自分の気持ちに正直に従っているだけだった。
カズホは、今まで何人もの女の子と手を繋いで歩いたことがあるが、そのほとんどは、女の子の方から求めてきたものだった。自分から手を繋ぎたい、守ってあげたいと思った女の子は、ナオが初めてだった。
(俺が水嶋を守るんだ。小さくて、泣き虫で、運動音痴で、そして誰にも言えない悩みを抱えている水嶋は、他の誰でもない、この俺が守る!)
カズホは、知らず知らず、ナオの右手を強く握っていたようだ。
「あっ」
ちょっと痛かったのか、ナオが声を上げた。
「あっ、すまん。痛かったか?」
「ううん、大丈夫。……でも、佐々木君の手って大きいんですね。ベースを弾くには良いのかも」
「別に、男としては普通の大きさだと思っているけどなあ。水嶋の手がちっちゃいからじゃないのか。これでよくピアノが弾けるなあ」
「そ、そんなに、ちっちゃいちっちゃいって言わないでください」
「ははは。ごめん。……でも、そんなちっちゃな水嶋が可愛いんだよ」
「……か、可愛い?」
いきなり、カズホから「可愛い」と言われて、ナオは思わず立ち止まってカズホを見つめた。カズホも手を繋いだままナオを見つめていた。二人は多くの人が行き交う歩道の真ん中で向き合った。
「そうさ。いつだったか、水嶋は、自分は可愛くないって言っていたけど、今日の水嶋はすごく可愛いよ」
「……」
「いや、本当は、ドールで毎日会っている時も、水嶋が可愛いことに気がついていたのかも知れない」
(そうだ。水嶋が単にジャズが好きなだけの魅力の無い女の子だったら、俺は、毎日、ドールであんなに話をしただろうか?)
カズホの心の中にレナの言葉が響いてきた。
『カズホの気持ちを、ナオちゃんにちゃんと伝えてあげて』
(俺は……、水嶋のことを……)
カズホは、またナオの手を引いて歩き出した。
「なあ、水嶋」
「はい」
「やっぱり、一緒にバンドをやろうよ」
「……」
「テクニック的にも全然、問題ないって証明済みだろ」
「……」
「それに、俺……、もっと水嶋と一緒にいたいんだ」
「えっ」
「一緒にバンドをすれば、もっと一緒にいられるだろう。ドールだけじゃなくって、学校でだって、ずっと話していられる」
「駄目です。私は……駄目なんです」
「水嶋。その駄目な理由を俺に打ち明けてくれないか。前にも言ったけど、水嶋と一緒にバンドができるためだったら、俺は何でもするよ」
「佐々木君……」
しかし、ナオは、なかなか言い出してくれなかった。
二人の周りには駅に向かう大勢の人がいた。カズホは、ナオが話しづらいかもと考えて、どこか静かな所に行こうと考えた。
丁度、通りに面して小さな児童公園があった。街灯の光でそんなに暗くはなく、人影は見えなかった。
カズホは、ナオの手を引いて公園に入り、ブランコの前に連れて来た。ナオの手を離し、カズホは二つあるブランコの一つに座った。自然に、ナオももう一つのブランコに座った。
カズホは、前を向いたまま、ナオに話し掛けた。
「水嶋」
「はい」
「レナと俺の間にあったことは、レナから聞いているんだろう?」
「うん」
「レナは、素敵な女性だし、バンドメンバーとしても最高の奴だよ。でも、やっぱり相性というのがあるのかな、レナと恋人という関係になることは考えられなかった」
「……」
「でも、水嶋とは、もっともっと仲良くなりたいって、いつも思っていた」
「……」
「ドールで水嶋と話している時が楽しくて、……ずっとこのまま一緒にいたいと思っていた」
「……」
「今日はすごく楽しかった。もちろん、大好きなアリス・クレイトンのライブを観ることができたからってこともある。でも、俺は水嶋とずっと一緒にいられたから楽しかったんだ。水嶋と一緒にいられたから……嬉しかったんだ」
ナオは、何かに耐えられなくなったように項垂れて、体を震わせていた。
「私は……私は……どうしたら良いの? どうしたら……」
ナオの目から大粒の涙がこぼれた。
「水嶋。俺と一緒にいることが水嶋の悩みを大きくしているんだとしたら、俺がその水嶋の悩みを打ち砕く! 絶対に!」
ナオはしばらく俯いていたが、意を決したかのように顔を上げ、カズホの方を向いた。
「分かった。佐々木君なら、私を苦しめる呪文を解いてくれるかも知れないから……」