第五十話 前田家に参りて候う
準備は万端整った。
後はその時が訪れるのを待つだけ。
しかし、一つ大事な用事が有った。
前田家にご訪問しないといけない。
前田家に文を送っても相変わらず『荒子に来い』と書かれているだけ、一体前田家に何が起きているのか?
俺は信広様に許しをもらって荒子に向かうことにした。
供はいない。
途中まで小六と一緒だったが小六には津島で小一と色々やってもらわないといけない。
これが無駄にならなければ良いのだが、何かしら問題があるといけない。
そして前田家、これが罠だったとしたらどうしよう?
しかし蜂須賀党や商人連中の話ではそんな事はないと言っていた。
とにかく荒子に行って前田家を説得する。
これが今回のミッションだ。
それに例の日も近づいている。
あまり時間はない。
荒子城か、城というより大きな屋敷だな。
堀があるが空堀だ。
水堀は川や湖等水源が近くにないと無理だ。
いくら水源が豊富な尾張でも水堀はほとんどない。
有るのは空堀だけ。
そしていつもの冠木門だ。
その冠木門の前に兵がいる。
衛兵だろうか?
「止まれ。何者だ!」
「えっと、この書状を受け取った者です」
俺は前田家の書状を渡す。
「しばし、しばしお待ちを」
書状を受け取った兵は脇に有る小さな扉から中に入って行った。
おお、そういえばそんな扉が有ったな!
映画やドラマでお馴染みの門の中の小さな扉だ。
城巡りや寺巡りで大きな門には必ずああいう扉が有った。
こっちにもそういう扉が有ったんだ。
待たされる事数分。
兵はかなり慌てて戻ったのか息を切らせていた。
「ど、どうぞ。お入り、下さい」
そう言うと冠木門が開かれた。
おお、門の明け閉めを初めて見た。
清洲も古渡もいつも開いていたからな。
不用心だと思っていたが、人の出入りが激しい所の門は開けっ放しの方が楽なのだ。
清洲と古渡は朝夕に門の開閉がされる。
荒子はあまり人の出入りがないのか?
そして、門の先に待ち構えていたのは槍の稽古に励む人達だった。
五十人ほどの人達が一心不乱に槍を突いては引く動作を繰り返していた。
ひたすら無言で突いている。
その中に犬千代がいた!
「犬千代!」
俺は犬千代に声を掛けるべく近づいたが、近くの稽古していた人達に槍を突き付けられて近寄れなかった。
しかし俺の声に気づいたのか。
犬千代が小走りに近寄ってくる。
「藤吉様!」
「何、藤吉様だと?」
すると槍を突き付けていた者達は一斉に槍を下ろして俺を解放した。
犬千代に案内されて俺は荒子城の中にいた。
正確には荒子屋敷の一室と言っていいだろう。
目の前には小袖姿の犬千代と、その隣に座る男性がいた。
「その、藤吉様。父です」
「これは。拙者は木下 藤吉と申します。以後お見知りおきのほどを」
俺は両手をついて深々と頭を下げる。
しかし、向こうからの挨拶はない。
頭を上げて良いのか判らなかったが、少しだけ頭を上げてちらりと見てみると、怖~い顔をした人が睨んでいた。
父と呼ばれた人が俺を睨んでいる。
俺は頭を上げきる事も出来ずただ頭を下げている。
困った。
何で俺は睨まれているんだ。
俺が頭を下げて少しした後戸が開かれた。
俺は頭をひねり戸が開いた方を向くと、年配の女性が茶請けを持って入ってきた。
そして、俺を見ると口に手を当て少し驚いた顔を見せると茶請けを下ろし、つかつかと犬千代達の方に歩いていく。
「いつまで客人に頭を下げさせるですか!」
「うひ。いや、その、お前」
「言い訳無用! 外に出ていなさい!」
「ひゃ。すまん、俺が悪かった。だから機嫌を直せ。な」
「で、て、い、き、な、さ、い」
「分かった! 出ていきます」
「呼ばれるまで外で待機! 良いですね!」
「は、はい!」
一連のやり取りの後に父と呼ばれた人は直ぐ様部屋を出ていった。
「ごほん。失礼致しました。顔をおあげくださいませ」
俺は言われるがまま顔を上げる。
そこには犬千代が年を取ったらこうなるんだろうなと思わせる人がいた。
「あの、藤吉様。は、母です」
「犬千代の母、妙と申します。藤吉殿。夫利春の無礼、申し訳ございません」
そういうと今度は妙さんが頭を深々と下げた。
「あ、いえ。私は何とも思っておりませぬ。顔をおあげください」
「そうですか。では」
妙さんはそういうと躊躇せずに顔を上げる。
「はぁ~、母上」
少し呆れた声を出す犬千代。
珍しいな犬千代のこんな態度。
「犬千代。いい婿を見つけましたね。でかしました」
そう言って妙さんは両手を合わせて嬉しそうに答えた。
「あの、婿と言うのは?」
「文に書いてませんでしたか?」
文に書いて?
「いえ、ただ『荒子に来い』とのみ」
「まあ、あの人はまったく! ですが、まあいいでしょう。藤吉殿。吉日を選んで婚儀を行いましょう。早い方がよろしいでしょうから準備は進めていたのです。中々藤吉殿が来られないので心配していたのですが、こうしてこの前田家に参って頂いたのです。準備が無駄にならくて良かったです。そうそう利久は前田家を継ぐ気がございませんので、藤吉殿に前田家を継いでもらいます。『前田 藤吉』うん、悪くない響きです。あ、後で息子達を紹介致しますわ。息子達は藤吉殿の事を今か、今かと待っていましたからきっと藤吉殿の事を気に入ってくださいますわ。でももし藤吉殿が息子達を気に入らなかったら言ってくださいまし。私が息子達を教育し直しますので安心してください。あら、いやだ。私ったらお茶も出さずにお話ばかりですみませんね。こちら粗茶ですがどうぞ」
思わずぽかーんとなってしまった。
そして勧められるまま茶を飲む。
「あ、美味しい」
「あら、お気に召して頂けましたか?この茶葉は津島に出入りしている者から譲って貰った物なのですが、中々手に入らない茶葉ですのよ。あ、そちらの」
「母上!」
「なんです。犬千代」
「その、藤吉殿と話を」
「あらあら、まあまあ。私としたことが気も効かせず。ではまた後でお会いしましょう。藤吉殿失礼致します」
「あの、母上」
「いきなり押し倒したりしたらダメよ。でも、口吸いくらいはしなさいね」
「母上!」
「では、藤吉殿」
妙さんは嵐のような人だった。
「申し訳ありません」
「いや、犬千代が謝ることはないよ。それより………」
「その、婿云々は母上の早とちりですので。そ、その。でも、藤吉殿が、よ、よ、良ければ、私は」
何となく分かった。
どういう流れでこうなっているのか分からないが、ただ一つ分かる事が有る。
利久だ! あいつしかいない!
利久め~~!
俺はこの後前田家の面々と顔を合わせた。
父親の利春殿は仏頂面をしていたが妙さんが利春殿の頭を叩いて挨拶をしてもらった。
なるほど、犬千代は妙さんを見て育ったんだな。
犬千代の兄『前田 安勝』殿を紹介された。
そして弟二人も。
そして話は俺と犬千代の婚儀の話になったのだが………
俺は婚儀は市姫様の承諾がないと出来ないと言って説得した。
しかし、多少でも強引に婚儀を進めようとする妙さんと犬千代を嫁にやりたくない父利春殿で大論争。
妻に頭の上がらない利春殿は主命という大義名分を盾に妙さんの前に立ちはだかった。
がんばれ利春殿!
しかしそこは今まで前田家を差配してきた妙さん。
利春殿の弱みを使って攻める。
両者譲らずその日は泊まっていく事になった。
もちろん一人で寝たよ!
寝所に犬千代が居たけど追い払ったよ!
朝目覚めるとここに何しに来たのか思い出した。
そうだよ、俺は前田家を味方に引き入れる為に来たんだよ!
何て無駄な日を過ごしたんだ!
しかし、この日も無駄な時間を過ごす事になった。
利春殿と妙さんの話は平行線で、俺が口をはさむ余地はなかった。
しょうがないので安勝殿に話を通す。
安勝殿は犬千代から話を聞いていたので準備は出来ていると答えてくれた。
準備は出来ていたのだが犬千代が持っていた利久の文が問題だった。
利久は犬千代に『自分に何かあったらこの文を家族に渡せ』とその文を預けていた。
父利春と母妙に会った時に思い出した犬千代はその文を二人に渡した。
そしてこの騒動である。
安勝殿は兄らしいと笑っていたが俺としてはいい迷惑である。
しかし、犬千代の事は市姫様に言われていたので、いつか話をしないといけないと思っていた。
これはいい機会になったと思う。
よし、犬千代と話そう。
そう思った矢先、その知らせがやって来る。
俺が待っていた待望の知らせが!
屋敷に駆け込んで来たのは蜂須賀党の者だ。
俺も見知っている彼からの報告には。
「斎藤山城守が動きました!」
前田利春の妻の名前は創作です。
お読み頂きありがとうございます。
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