掌編――手紙
机の上にピンクの封筒が一つ。
ミノルはかれこれ十五分もそれを穴が開くほど見つめていた。クラスメイトの秋山がそれを取り上げるまで。
「なんだこれ。ラブレターか?」
その台詞に、何ら興味を示さなかったほかのクラスメイトが一斉に振り返った。
「し、知らねぇよっ。登校してきたらここに落ちてたんだっ」
ミノルは意識して『落ちてた』と強調した。決して置いてあったんじゃない、と。
しかし、そんな思惑を看破してか、秋山はにやにやしながらその封筒を透かし見るようにかざした。
「へぇ~。ってことはお前より早く来た誰かがお前の机に置いたってことだよなぁ」
「だから知らねぇってば。も、もしかしたら、誰かが床に落ちてたこれを拾って俺の机にお、置いたのかもしれねぇだろっ?」
助けを求めるようにミノルはクラスの中を見回した。男子は面白いことが始まった、とばかりににやにやしたり冷やかしたりするばかり。女子はといえば、『馬鹿な男子』といわんばかりに眉をひそめてぷいとそっぽを向くか、興味を失った顔をしているだけだ。
「ほんとは靴箱にあったんじゃねぇの?」
秋山は追及の手をゆるめない。ミノルはたまらず声を上げた。
「違うってばっ! た、田辺も知ってるだろっ、下駄箱で一緒になったんだからよっ」
名指しされた少女は、ため息をついて振り向いた。さらさらロングヘアが舞う。和装が似合いそうなクラス一の美少女がクラス一背の低いミノルの幼なじみであることを知らない者はいない。
「ばっかじゃないの。開けてみたらいいじゃないの。手紙が入ってるんなら名前ぐらい書いてあるでしょ?」
大和撫子も真っ青、な彼女の台詞に、もっともな意見だ、と秋山はさっそく封筒を開けた。
「なんじゃこりゃ」
予想外の台詞に、クラスの誰もが振り返った。
秋山が持っている封筒から、一輪の花がこぼれ落ちた。ピンクの封筒に合わせたように、紅色の花弁。
「桜……じゃないよなあ。こんな時期に咲いてる桜なんてないぜ」
「これは……花海棠だ」
「ハナカイドウ? なんじゃそら」
秋山の言葉を、ミノルは聞いていなかった。顔を上げると、クラス一の美少女を探した。
「なぁに、花って」
「たしか花言葉があったわよねぇ」
クラスの女たちは俄然、騒がしくなった。花言葉なら任せなさい、と言い始める者もいた。が、そんな言葉をミノルは聴いていなかった。
椅子を蹴ってクラスを飛び出すと、ミノルは走り出した。思い当たる場所――体育館の裏へ。
息を切らして立ち止まると、彼女は立ち上がった。彼女――もちろん、田辺だ。田辺桜子。
「遅かったじゃない」
「ごめん」
「忘れてるのかと思ったわよ」
そう言って見上げた彼女の視線の先には、あの花が群れて咲いていた。
「一年経ったんだね」
「そうね。ちゃんと咲いてくれてよかったわ」
根元近くの不自然な亀裂とコブ。それは一年前の入学式の日、桜子のために枝を折ろうと登ったミノルの体重に耐え切れずに折れてしまった痕だった。
始業前の鐘が鳴る。思い出に浸っていたミノルは我に返った。
「いけね。授業が始まる」
「ねえ、みー君」
戻ろう、と言いかけた言葉をさえぎって、彼女は言った。
久しく聞かなかったその呼び方に、どきん、と心臓がはねた。口の中から飛び出しそうなぐらいに。そう、ミノルは思った。
ゆっくり顔を向けると、彼女はクラスで見せたことのない表情をしていた。真剣で、でも泣きそうな顔。
「返事を聞かせてくれない? 一年前の返事を」
一年前の彼女の問いかけを、ミノルは思い出していた。木を折ったことでうやむやになってしまっていた、あの問いを。
ミノルは目を閉じ――そして開けた。
「耳、貸して」
言われるままに彼女は身をかがめ、ミノルの前に右耳をさらした。
その無防備な耳に、そっとキスをした。昔と同じように。
文字通り桜色に染まった彼女の顔を見上げ、ミノルは何か言った。が、その答えは始業を知らせる鐘の音にかき消された。
「戻ろうぜ、さくら」
差し伸べられた手に手を重ね、彼女は微笑んだ。
花海棠の木が、そよと笑った気がした。