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昆布を食べて!!
作:N澤巧T郎



夜空に月がきれいに浮かび上がっている。残業明けの目にはちょっと染みる。道を曲がると、赤いちょうちんがほのかな光を纏っていた。

夕食抜いてずっと残業してたからな。ちょっと腹ごしらえとしますか。

暖簾をひょいっと右手で持ち上げて、「やってる?」と言う。

「やってるもやってるってえ〜のっ。ヒックッ」

赤い顔したオヤジが焼酎ビンを片手にそこにいた。こりゃそうとう前からやっていたのだろう。こりゃ商売どころじゃないな。

「あ〜、今日はいいや。それじゃあ」

「ああ!!ちょいと待ちなさいっての。え?おい。俺が酔っ払ってるとでも思ってんのか?ヒック。この通り、ぜんぜん平気なんだよ〜ん」

オヤジの言っているとおり、これが普通だとしたら、ヒックというのは癖なのだろうか。そして、顔が赤いのはそういう肌の色なのだろうか。もしそうなら、たぶんオヤジはモンゴロイドではない。

「いいから座れっての。ほれほれ。たーんとサービスしますさかい。さかいってのはあれか?引越しのってか?アッハッハッハッハッハ!!ヒックッ」

一瞬、駆け足で逃げ出そうとも考えたが、目の前でぐつぐつと音を出しているおいしそうなおでん達を見たら、やはり食べないわけにはいかない。

「それじゃあ、お言葉に甘えて」

そう言って座った途端「へい、おまち」と、いきなり昆布が皿に4個ほど乗せられて出てきた。

「え?あの、頼んでないんだけど」

「え?なに?頼んでないの?え?昆布だよ?昆布なんだよ?」

昆布だからなんなんだ。一体何が言いたいのかさっぱりわからない。

「あの……大根」

そう、俺は大根が食べたいのだ。やっぱりおでんと言ったら大根だろう。

「大根?ホントに?昆布じゃなくて?」

「ええ。大根」

「昆布だよ。だって昆布だよ。いいの?いいのね?昆布なんだからね!?」

「あの、いいから大根」

「んもう。わかってないなあお客さん。昆布を何もわかってない。わからろうとしてないよお客さんはあ」

そのとおりだ。昆布なんてわかろうなんて思ってないし、わかりたいとも思ってない。いいから大根をくれ。胃がもうウズウズしっぱなしなんだから。

「はいよ。おまっとうさんでしたあ」

「お、やっと来た来た。このシャキシャキした感じがいいよね。ってなんで大根の頭の葉っぱとか付いてる部分なんだよ!!ぜんぜん染み込んでない。汁がぜんぜん染み込んでない。実をちょうだい。だし汁のよくしみこんだこんの部分!!」

クレームを言うと、オヤジは「ひょっひょっひょっ」と笑って「な〜んだ。根ね。根の部分ね。そう言ってくれないとわからないじゃない。普通大根って言われたら根の部分って思っちゃうでしょ?」

なんだそれは。ここの店の常連客はそうとうすごい趣味をしているようだな。大根といったら根って思っちゃうくらい頻繁に出しちゃうんだもんなあ。どんだけ草食なんだっていう……ん?

「最初から根って思ってんじゃねえか!!大根って言ったら根の部分って思ってんだったら、それ出しゃいいだろうよ!!なんでわざわざ頭の部分を出すんだっつの」

「お客さん……わかってるねえ。はい、昆布」

「だから大根をくれって。なんでそんなに昆布を押すの?大根食いたいって言ってんでしょ?わかったら昆布って、景品じゃないんだから。注文に応えてよちゃんと」

オヤジは「ひゅ〜」と深く一回ため息をつきながら昆布を戻し、「わからずや」と、すねた子供みたいに言った。

わからずやで結構だ。だから大根をいち早く咀嚼させてくれ。

「はい、おまっとうさんでした。ヒックッ」

「待ってました待ってました。このね、すこし硬くてコリコリした感じなんてやっぱり大根。ってこれはゴボウ!!皿からはみ出してますけど?一本まるごと煮ちゃった!?普通切るでしょうがって、そんなことより大根はどうしたんだの!?」

「ほら、大きな根っこって言ったらゴボウでしょうよお客さん」

「ゴボウは大きいって言うより長いだろうよ。長根だよ」

オヤジは「はっ!!」と、ものすごい驚いたような顔をした。そして「うぷっ」と、口を塞いで後ろを振り向いた。何かがこみ上げてきたのだろう。そのあと鼓膜へ入ってきた音についてはなにも語るまい。オヤジは「はあはあ」と言いながらこちらを振り向いて言った。

「お客さん。その通りだ。ゴボウは長い!!大きくない!!あんたは偉い!!はい、昆布!!」

「いらねえっつの」

オヤジは「えっ?」みたいな顔でこちらの顔を覗き込んで来る。

「さっきから言ってんでしょう。いらないって。昆布でも長根でもなくて、大根をくださいって」

オヤジは「あっ、大根ねうん。大根大根」と言ってゴボウを戻すと、衝撃的な一言を告げた。

「あのね、売り切れ」

ガッデム!!それなら最初から言ってくれよ。

「まったく、頼むよオヤジ」

「娘をやった覚えはな〜〜〜い!!!!」

「もらった覚えねえよ。一体なんだよいきなり。オヤジ違いだよそれ。早とちりし過ぎ。状況を考えてくれ」

「産んだ覚えもな〜〜〜い!!!」

「そりゃ男だもん。産んだ覚えがあったらすごいよ。ぜひ聞かせて欲しいくらいだ」

「聞いてくれるのか。うんうん。ありがとう、ありがとう」

そう言ってオヤジは涙ながらに「まあ、これでも食べて、ね。はい、大根」。

「だからいらねえよ!!何回繰り返せば気が済むんだってあんじゃねえか!!在るじゃないの大根が!!それを最初から出してくれって!!」

「いらないんだったらしょうがないねえ。それじゃあ昆布しかないわ」

「ごめんなさいごめんなさい。つい勢いあまって言っちゃっただけじゃん。そんな意地悪なこと言わないでよ。ありがたくいただきますから。ね。ほら、皿から手を離して。ほら、離してって、ほら、離せっての」

まったく意地の悪いオヤジったらありゃしないな。あるんなら最初から出せっての。そんで昆布なんて出すなよな。でもやっと大根が食べられる。長かったなあ。長い道のりだった。さてと。

「頂きます」

「頂いちゃって頂いちゃってえ。ヒックッ」

大根に箸をおいた瞬間。箸は大根の中へ溶けていくように吸い込まれて行った。なんというやわらかさだろう。大根の割れ目からは染み込んでいたダシ汁が一気に流れ出てくる。そしてヨダレも流れ出てくる。両方とも止めることは出来ない。

4分割しようと思ったが、ココは2分割で十分だ。箸で持つと崩れそうになったので口を近づけて一気に口の中に放り込んだ。大根からあふれ出た旨みが広がること広がること。噛む必要などどこにもない。少し触れる程度で簡単に大根は崩れた。

口の中で十分に幸せを楽しみ、ゴクリという音を出して飲み込んだ。今まで空っぽだった胃の中で、大根が染み込むような感覚を覚えてしまう。胃を通り越し、体全体へ浸透して行くようだ。もういても立ってもいられない。残りの半分を口に急いで運ぶ。

「うまい」

頭から出た言葉ではない。体から出た言葉だ。体が上手いと感じている。こんなに上手いおでんは、初めて食べた。

「どうだ?うめえか?うめえだろうよ。うめえだろうよ。そりゃそうさ。あんだけ時間をかけりゃ腹が減って当たりめえだもんなあ。ヒック」

そうだったのか。そうだったのかオヤジよ。ワザと空腹にさせていたのか。それならいらないお世話だよ。夕食抜きでずっと残業してたんだから。腹は最初から減り減りだったんだよオヤジ。

「腹が減ればよう。こんなに美味くなるんだよなあ。こんなに幸せになれんだよなあ。ヒック。だけどよう。最近はみんな腹が減ってないんだよなあ。必死で働いてねえからよう。ヒック」

必死で仕事をすれば腹が減る。腹が減れば飯が美味くなる。そして、また美味い飯が食いたいから必死で働く。なんて素晴らしい善循環なんだ。そうか、そのことを教えてくれるためにわざわざ頼んでもいない昆布を出し続けたのか。

「わかった。わかったよオヤジ。あんたの気持ちはわかったよ」

「そうか。ありがとよ。お客さんならわかってくれると思ってたよ。はい、昆布」

「だからいらねえって。やっぱわかんねえわ。わからん。昆布はもういいから。なんなのここは。おでん屋なんでしょ?昆布屋じゃないんだからさ」

オヤジは少し困った様子を見せ、カミながら答えた。

「こ、こ、コブン屋?」

「おでんみたいにコンブを言ってもダメ。まったく別の物になってるでしょ?コブン屋だったら一体親分はどこにいるんだって事になるじゃん。もういいから。次は卵ちょうだい。卵」

「へいへい。わーりましたっよ。わーりました。ヒック。はいよ。卵」

「そうそうそう。これね、飛び散らないように袋を開けてね、一気に流し込むのがいいんだよね。ってこれ卵ボーロ!!!勝手にポルトガル語をつけないで!!煮卵が中に浮いてるでしょ?それを頂戴。屋台の下から出してきたからちょっと変だなあって思ったけど。普通だったら気づかないで食べちゃうところだよ?もう」

こっちはまだまだ腹が減ってるんだ。食いたいんだから素直に出してくれよ。お願いだから。

「はいはい。わかってますようだ。ようだってのはあれか?SF映画の、星の戦争で出てくる師匠ってか?カッカッカッカッカッ!!」

星の戦争って、直訳にもほどが在るっての。家に帰ったほうが良かったかな。

「はあ〜……」

「おいおいどうしたってのよ。落ち込んじゃってよう。ヒック。そういうときはこれ。はい、こ」

「昆布はいいから」

一瞬オヤジは止まり、「あ、はいはい」と言って昆布を戻す。この一連の作業を、あと何回繰り返せば胃袋は満たされるのだろうか。不安を覚えつつも注文してしまう。

「いいから卵くれって」

きっと卵も美味いに決まっているから。なぜなら空腹ほど、最高の調味料はないのだから。

「はい卵」

「そうそうそう、この卵を割ってね、このホカホカの白いご飯にかけて一気に食べれば。うん。美味い!!って何で生なんだよ!!煮込んだのくれって言ってんでしょ!!ったくもう。美味しいからいいけどさ」

「卵のお供に。はい、こ」

「いらないって」

オヤジは「……」と、動きを止めてこちらと目を合わせる。

夜は静かに更けて行く。



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