掌編――夜明け
その日、麻子はどうしても寝付けなかった。
明かりを消し、ベッドに横になって無理やり目を閉じてみても、逆に目が冴えるばかり。
目覚まし時計の、闇に浮かぶ蛍光グリーンの針が午前三時を指した時、あきらめて麻子は起き上がった。
この調子では眠れそうにない。明日――いや、今日が土曜日でよかった、と彼女は思った。寝不足のまま会社になんか行けやしないもの。ましてや昨日の今日。どんな顔をすればいいのだろう。
ため息を一つついて、枕元に置いていた携帯電話を取り上げた。蓋が開くのに反応して点灯した液晶画面には、メールと不在着信を知らせる表示が点滅している。
二十通のメールと、三十回を越える不在着信は、どれも同じ番号からのものだった。
メールを開くこともせず、麻子はため息をまた一つついて、携帯電話を閉じた。
急に暗くなったように感じた部屋は、彼女を陰鬱な気分にさせた。
それが彼女を落ち着かなくさせたのか、切りそろえたばかりの髪を右手でもて遊びながら、携帯電話はしっかりと左手に握ったまま、開けたり閉めたりを無意味に繰り返していた。
どれぐらいそうしていたのだろう。
ふと気がつけば、細く開けた窓から朝を告げる鳥の声が耳に入ってきた。カーテンを開けると、窓の外の世界は雲の上に薄く垂らした水色の絵の具のように青かった。吸い込まれるように、麻子は空を、青い世界を見つめていた。
その青がどんどん薄く白く変化していく。
窓から流れ込む朝の冷気が、パジャマ姿の麻子を包む。
近くの電線にすずめが群れてさえずっている。
目の前の道を通る車の音が、バイクの音が、バスのアナウンスが、眠っていた世の中が、再び動き始めたことを告げる。
そして、太陽がその姿を覗かせたとき、麻子はなぜか、自分が泣いていることに気がついた。
麻子は、まだ左手に持っていた携帯電話を開き、一通のメールを送った。
「さ、寝よ」
そうつぶやいて、ベッドにもぐりこんだ彼女は、すぐに夢の世界へと落ちていった。
握ったままの携帯電話の液晶画面には、『ごめん』とだけ書かれたメール画面が表示されていた。