掌編――老恋
空が青い。
私の記憶の中では、いつまでも空は青いままだ。
何を見て笑ってるんです? と妻。
空を見上げて微笑んでいるときは、記憶の中を旅している、とよく知っているからだ。
今日は春の沖縄だよ、と答えると、妻は、あら、誰と行ったのかしら、とすねた声を出す。
君はいなかったな、というと本当にすねたようで、妻は家へ入ってしまった。
風が心地よい。あの日の風もこうだったろうか。
どこまでも続くサトウキビ畑を、真っ青な空の下でかくれんぼをしたものだ。
傷だらけだろうがどろだらけだろうがびしょぬれだろうが、何も構わずにひたすら遊び続けていたあの頃。
まだ、光を失う前の、大好きだったあの空。
あの時、微笑んでくれた彼女は、今もあの空の下で笑っているだろうか。
寒くない? と妻。
気がつけば、ずいぶん長い間記憶の旅をしていたようだ。
肩にかけられた暖かいものはきっと、手編みのショールだろう。最近凝っているのよ、と言っていた。
旅は終わったの? と妻。
ああ、と私。
いつか君と沖縄へ行きたいな。私が今見ている空を、君に見てほしい。
妻がくすっと笑った気がした。
何か可笑しいことを言ったかな? というと、妻は車椅子越しに後ろから抱き付いてきた。
あなたには内緒にしていましたけど、昨日から私たち、沖縄にいるんですよ、と。
きっと私はとても変な顔をしていたのだろう。妻はさらにくすっと笑った。
あなたの入院中におうちを引っ越したの、飛行機に乗るのはあなたの負担になるから、寝ている間に移動したのよ、と妻。
不意に幼い頃の感覚がよみがえってきた。青々と茂る木々、真っ赤なハイビスカス、どこまでも晴れ上がった空、オレンジと白の瓦屋根。
白い道、うっそうとしっげる並木、そして……サトウキビ畑。
お昼ごはんを済ませたら、散歩に行きましょう、と妻。
妻の手を引きとめて、もう一度プロポーズしたら、受けてくれるかい? と聞くと、妻はくすっと笑ってキスをしてくれた。