第十二話 蝉の七日と蜉蝣の一日の場合
それからというもの、私とルルちゃんは休み時間や教室移動などの、ちょっとした合間に話をするようになった。ただし、彼女の方から話しかけてくることは無くて、常に私から意識的に話しかけるような……そんな間柄。
ルルちゃんとは、まだほんの少ししか話をしていないのだけど、彼女の頭の良さ、その回転の早さには本当に感心した。私とは、いや、普通の中学生とは物の見方、感じ方が全然違う。
例えば、あの蝉の抜け殻の話の時もそうだった。
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「でもさ、蝉って土の中に七年も潜ってて、やっとこさ外に出てきても一週間くらいしか生きられないって言うじゃない? それってなんか可哀そうだよね」
「ナナちゃんは、どうして蝉が可哀そうだと思うの?」
そう言って、ルルちゃんはメガネの真ん中、ブリッジという部分を指でククッと押し上げた。
私は眼鏡を掛けてる人の、この仕草が好き。
「どうしてって、土ン中に七年だよ? わたしたちって、いま十三歳じゃない。もしも、ウチらが蝉だとしたら、人生の半分以上も暗いくらーい土の中ってことでしょ? そんなの考えらんないよ」
「蝉は種にもよるのだけど、三年から二十年近くを幼虫として地中で過ごすの」
「はぁ!? ニジューネン? にじゅうねん、って二十年!?」
「いつもは二回繰り返すけど、今回は三回も繰り返したね」
「え? 何のこと?」
ルルちゃんは、意味ありげな顔で口に手を当てて微笑んだ。
「……何でもない。それでね、『一週間しか生きられない』と言うのは俗説で、だいたい蝉は一か月くらいは生きるのよ」
「へえ。それは知らなかった」
「ところでナナちゃん、蜉蝣は知ってる?」
「カゲロウって、あのトンボの小さいヤツみたいな?」
「うん。水辺で良く見る、あのトンボの小さいヤツみたいな」
ルルちゃんは、よくオウム返しで返事をする。本人でも気が付いていない癖なのかな?
「わたし、釣りに行くときには、カゲロウを釣り餌に使ってるよ」
「カゲロウを釣りに? どうやって使うの?」
「ん? ああ、カゲロウの幼虫を活き餌にするんだよ。こう、針に引っ掛けてね」
私は右手をJの形にして、その親指にカゲロウの幼虫を引っ掛けるようなジェスチャーをして見せると、ルルちゃんは長い前髪に隠された眉を寄せた。
「それって、なんだか可哀そう」
「あんた、このタイミングで、そーゆーこと言っちゃう?」
私が大袈裟に肩を竦めると、釣られてルルちゃんが笑った。
「カゲロウの幼虫を釣りに使うのは知らなかった」
「そっか。じゃあ、今度一緒に魚釣りに行こっか」
「私、魚釣り、したこと無いよ」
「いーよいーよ、わたしが教えちゃる!」
「……嬉しい」
また、ルルちゃんは小さな身体を更に小さくして微笑んだ。うはあぁあ、可愛いなぁ。こいつ。もっさり可愛い。
その頭をうりうりと撫でまわしてやりたい衝動に駆られながらも、「いや、私はノーマルだ」と自分に言い聞かせる。
「で、なんでカゲロウ?」
自分はノーマルである事を守る為にも話題を変えて、いや戻してみた。
「カゲロウはね、水の中で生まれ育ち、半年ほどで成虫になるの。そして彼らは空を飛び、せいぜい一日、二日で寿命を迎える。だからカゲロウは、『一日限りの儚きもの』とも呼ばれてるの」
「エフェメラ……きれいな名前だね」
ルルちゃんは、こくん、と頷いて話を続ける。
「ねえ、ナナちゃん。蝉とカゲロウ、どちらが可哀そうだと思う?」
「ううーん、今の話を聞いちゃうと、なんか難しいな」
「蝉もカゲロウもね、子孫を残す為だけに成虫になるの。パートナーを探すためだけに土の、水の中から空に飛び立つの。でも、すぐに死んじゃうから、パートナーに巡り合っても一緒にいられるのは短い間だね」
私は今まで蝉やカゲロウをそんな目で見た事は無かった。
「もし、私が蝉やカゲロウだったとしたら、好きな人に巡り合えても短い間しか一緒にいられないのだとしたら―――」
「……だとしたら?」
「暗い土の中で、冷たい水の底で、大空に憧れながら、好きな人を夢見たまま……静かに死んでいきたい」
そう言ってルルちゃんは、自分の肩を抱いて薄く笑った。
*****
話せば話すほどに不思議なヤツ、それがルルティアという女の子だった。
彼女は何だか難しい話をするんだけど、それが全然、嫌味じゃない。ルルちゃんの話を聞いていると、妙にわくわくした、でもそわそわするような、不思議な気持ちになる。
あ、そうだ。蝉の抜け殻の使い道、聞くの忘れてた。今日のお昼にランチに誘って聞き出してみよう。
「ルールちゃーん、お昼、一緒にたーべよーっ」
って誘えば良いのか? 違う。私のキャラじゃない。
「おい、ルルティア。メシ行こうぜ」
……あたしゃ男か。
誘い文句に悩んでいると、リコに先手を打たれてしまった。
「ナナエルさん。お昼、リコたちと食べませんか?」
うっ、しまった。このお誘いを断ってルルちゃんに声を掛けるのもなぁ……。
そう思い悩んでいるうちに、ルルティアは他の女の子たちに誘われて教室を出て行ってしまった。
「あー、うん。良いよ。一緒に食べよ」
手に入りかけた獲物を横取りされたような無念な気持ちを胸に秘めてそう答えると、リコはぴょんぴょんと例の喜び方で飛び跳ねた。ま、悪い子じゃなんだけどね。ただ、何ていうか、面倒くさい。そして、その取り巻きもまた、面倒くさい。
リコの父親はどっかのレストランの料理長だという。よって、彼女の弁当はビックリするほどゴージャスなのだ。おかずの彩りから盛り付けまで凄く手が込んでいて美味しそう。自然、リコの周りには料理に興味のある女子が集まった。
彼女たち「リコ料理会」(私が勝手そう呼んでる)は、ランチの度に弁当の品評会をしている。で、私の弁当? 当然、セニングん家のだっての。
机を寄せ合い、ランチョンマットの上にそれぞれの弁当を並べる。赤、青、黄色に花柄。ほほう、みんな弁当箱からして違うね。
「わあ。ナナエルさんのサンドウィッチ、とっても美味しそう」
リコが、無造作に机に並べた私の唐揚げサンドを見て言った。
「ん? あぁ、美味しいよ。幼馴染んちが弁当屋さんでさ。そこのなんだけどね」
「ナナエルさんのお母さんは、お弁当を作ってはくれないんですか?」
「あー、うん。朝から忙しいからさ」
「そうなんですかぁ。リコのパパは、早起きしてお弁当、作ってくれるんですよぉ」
てめぇ、ケンカ売ってんのか? オラァ!? って思ったけど、私はウフフ、と「リコ料理会」の面々に合わせて笑っておいた。この手の女性団体は敵に回すと後が怖い。
私はさっさく定例弁当品評会を始めた料理会の面々の前で、誤魔化すように「いっただっきまーす」と唐揚げサンドを頬張った。
ふん、確かにお前らの弁当は小奇麗で美味しそうだけど、この唐揚げサンドの素晴らしさには敵わなんぞ。ちょっと固めのライ麦パンを薄く切ってそこに新鮮なレタスを挟みこみたっぷりのピリ辛マスタードソースを絡めた柔らかでいて歯応え抜群の唐揚げからほとばしる肉汁の豊潤さたるや……って、あれ? 唐揚げ……?
「ナナエルさん、どうかしたんですか?」
「あ、いや、何でも無いよ。あはは」
うそ……これ、唐揚げ入ってないよう……これじゃあレタスサンドじゃないか。思わず泣きそうになったが、こいつらの前でそんな顔はしていられない。
「わぁーきれーい」とか「やだーおいしそー」などと、食べるのそっちのけで品評会を繰り広げる女子の前でしゃきしゃきレタスを噛みしめていると、やっぱり悲しい気持ちになってきた。こんなことならルルちゃんと一緒に食べれば良かった。彼女なら、きっと面白い話で慰めてくれるはず。その時――――
「おーい、ナナ、もう喰っちまったか?」
突然、クラスの出入り口からの聞き慣れた声。
「ちょっ、セニング!? クラスには来るなっ、て言っただろうがっ!」
ニヤニヤと笑いながらツカツカと歩み寄ってきたセニングは、「皆さん、御食事中に失礼」と言って、私の前に手提げ袋を置いた。
「……ちょっと。あんた、何しに来た?」
小声で毒づきながらセニングに訊く。学校内では話しかけんな、って言っておいたのに。
「お前、んなこと言っていいのか? これ、唐揚げサンドだぞ」
机の上の乗せた手提げ袋を指さしてセニングが言う。
「親父がさ、『ナナの弁当に唐揚げ入れ忘れた!』って悶え苦しんでいたから親孝行に持ってきてやったんだ」
「え? ホント!? ありがとね」
あぁ、良かった。レタスサンドじゃ六時間目まで持たないところだった。
「それからな……」
セニングが顔を寄せて耳元で一言二言囁いた。私は「うん、わかった」とだけ言っておいた。
「では、失礼。みんな、ナナと仲良くしてやってね」
ニヤニヤにやけるセニングに「あ、はいっ」と、耳まで赤くしながら頭を下げるリコ料理会の面々。
セニングが立ち去った後、みんな口々に「ねえ、誰!? いまの誰!?」と興奮気味に訊いてきた。
「ああ、あれ? ただの弁当配達の人」
それだけ答えて真正・唐揚げサンドを口いっぱいに頬張った。むふ~ん、ジューシー!!
あれやこれやと聞いてくる女子たちに適当な返事を返しながら、セニングが帰り際に耳打ちした内容を噛みしめた。
――――ナナ。お前、二年の女子に目ェつけられてんぞ。
このポニーテールのせいか? まったくもって面倒くさい。