掌編――春 その2
風が吹いた。街路樹の葉ずれの音が夜の公園を移動していく。
ベンチの男は顔を上げた。
「ああ……君か」
何もない虚空を見上げ、男はつぶやいた。
「そう、リストラでね……家? 追い出されたよ。離婚届はもう出したって。家は慰謝料代わりにもらうから出て行けって」
うなだれる。足元には数十本の吸殻の山が風で崩れている。
「親権もなにも……息子? 俺の顔も覚えてなかったよ。おじさんだれ、だってさ……」
震える手で胸ポケットを探ると、タバコを取り出してくわえようとしたが、手の震えがおさまらず、取り落としてしまった。
拾おうとした手から風がタバコをさらう。
あきらめて、男はベンチに座りなおした。
「だめだって言うのかい……最後の一本だったんだがなあ……」
胸ポケットから空箱を取り出すと両手でもてあそんだ末にひねりつぶした。
「それにしても寒いな……」
男は缶コーヒーの缶を取り上げ、その軽さに飲み干したことを思い出して名残惜しそうに缶を振った。
「ああ、二月じゃなくてよかったよ。いや、そのほうがよかったのかな」
自嘲のような笑みを浮かべて、胸ポケットをつい探る。
「笑うなよ……人間ってのは、体に悪いものが好きなんだ。やめられないんだよ」
上着のポケットやズボンのポケットもまさぐるが、もう何も残っていなかった。
仕方なしに足元の吸殻に手を伸ばした。が、どれも根元まで吸い尽くしてしまっていた。
「ああ……もう終わりか」
ベンチにもたれかかって、男はもう一度空を見上げた。
その視界をいくつもの花びらが横切っていたが、男には見えていなかった。
「約束だからな。 ……持って行ってくれ」
男の動きが止まる。
ひときわ強く、風が吹いた。
「あーもう、いやんなっちゃう。こんなの、もう買い手つかないわ。シロ、あんたには金輪際貸し出さないっ」
男の頭の上で、黒猫が怒りの声を上げた。否、直立ネコ型宇宙人、である。
「吼えるなよ、クロ。こういう結末になるとは誰も思わなかっただろ? 俺のせいじゃないって」
男の膝に丸まっている白猫は、抗議の声を上げた。
「あんたに貸し出したボディ、いくつ廃棄処分にしたと思ってるのよっ! この間から連続でミソつけてくれたおかげで、キャンセル食らいまくってるんだからねっ! 今日という今日は、きっちりリース料払って貰いますからねっ!」
「あ、それ無理。文無しだし」
「……ぬぁんですってぇ~っ?」
全身の毛を逆立てて吼えつく。
「この『幸せな地球人家庭体験ツアー』にどれだけコストかかってるか知って言ってんの? 二度と顔出さないで頂戴っ!」
クロが飛び掛ると、シロはひょいと飛びのけた。
「待ちやがれっ!」
逃げるシロめがけてクロは怒りに任せて突っ込んでいった。
「あら、猫が喧嘩してる」
「ほんとだ。春ねえ」