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キューピット

作者: ほみち

柔らかい春の風をうけ、まどかはなんとなく目を閉じた。歩みを止め、全身の力を抜き、雑草のようにそこに立っていると、景色と溶け込めそうな不思議な感覚に陥る。なんだか春の風に優しく抱きしめられているみたいだと思い、まどかは少し微笑んだ。


春との長い抱擁を終えると、やがて風が吹き抜けていった。気まぐれな風達はまどかの頬を撫で、そのあと桜の花と絡まってどこかへ行ってしまった。だからまどかは、名残惜しげに目を開き、また歩みを進めた。


まどかには行くべき場所があったのだ。


町で1番高いビルの屋上で、望遠鏡を覗くと、朝っぱらから吐いているオッサンが見えた。今日のターゲットはあの人だ。

望遠鏡の中と、手元のデータを照らし合わせると、間違いない。やっぱりあの人。


まどかは盛大にため息をついた。どうせなら、悩める女の子の恋を助けたかった。


商売道具の弓矢を取り出し、深呼吸する。

このキューピッドの矢で討たれた者は、どこかの誰かと恋をする。自分の為には使うことはできないので、そうやって、定期的に他人に恋の訪れを告げるのがまどかの仕事だった。


もう一度 望遠鏡を覗くと、オッサンの背中を摩っている好青年の姿が。

あ、あれは!

密かに思いを寄せている、竹内くん!


まどかは激しく動揺した。

もし手元が狂って、竹内くんに当たってしまったら…!

ターゲットではない者を討ったという規則違反に加えて、私以外のどこかの誰かと恋をすることになるなんて…!


まどかは緊張のあまり、軽く吐いた。

まどかは胃腸が弱いのだ。


震える手で、キューピッドの矢を構え、祈るように放った。


「うっ!」と、オッサンの声。

ちゃんと刺さったらしい。よかった。

正直もう、オッサンの恋の行方なんか、どうでもよかった。


ドキドキしながら、まどかがもう一度 望遠鏡を覗くと、もう竹内くんはいなかった。


ホッとした反面、いなくなってしまったことにがっかりしながら、次のターゲットを探した。


仕事に集中し、また誰かの恋の訪れを待っていた。




その後 まどかは、3人に矢を放った。


就活中の紳士、婚活中のOL、部活中の学生。みんな何かしらの活動をしていた。


問題なく仕事を終え、帰ろうとした矢先、女性の悲鳴が聞こえた。望遠鏡を覗くと、悲鳴をあげた女性が何かを指さしている。その先には、歩いている竹内くんが見えた。

このまま進んだら、工場現場の真下を通る竹内くんの頭上に、鉄骨が落ちてしまう。


「危ない!!」とまどかがどんなに叫んでも、遠くの竹内くんには届かない。


鈍い!気づけよ竹内くん!二つの意味で!


まどかは咄嗟に弓矢を構えた。規約とか恋とか、もうどうでもよかった。


「うっ!」と竹内くんの声。

瞬間、竹内くんの目の前に落ちる鉄骨。


あんまりギリギリだったので、まどかは最悪の事態を回避できたことにちょっと気持ちが追い付かなくて吐いた。

まどかの胃腸は、繊細なのだ。


胃が痛むほど吐いて、ふと手元を見ると弓矢は無かった。違反したからだと分かっていたし、悔いは無かった。


「さようなら、竹内くん…」

最後に一目見ておこうと望遠鏡を覗けば、最初に悲鳴を上げた女性(さっき討ったOLだ!)にお礼を言っている竹内くん。悲しくて切なくて、まどかの空っぽの胃がきゅうっとなった。



帰り道、春の風は追い風で、もうまどかを抱擁してくれなかった。


「ああ、何かいいことないかなぁ…」

誰にともなく、まどかは呟く。


「うっ!」急に胸の辺りがチクンとして、次いで心がポカポカしてきた…気がした。


「あのぅ…大丈夫ですか?」

見慣れない男性が、まどかに声をかける。「具合が悪いんですか?」


「いえ、平気です……」まどかはドキドキした。これが、恋かなあ。


ほら、ほら!と春の風が背中を後押ししてくれている気がした。

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