赤の章 4
エドモン・バルビエは、共和国陸軍飛行学校を3年前に主席で卒業し、当時、各地の紛争などで既に勇名を馳せていたアルベール・フォンク飛行小隊に入った。もっとも、当時はまだ、彼の名は隊名にはされておらず、陸軍第12空戦隊、第1中隊、第2飛行隊と言うのが正式名称ではあったのだが。
そして、当時から現在に至るまで、エドモン・バルビエは、今ほどの緊迫した状況に立たされた事は、唯の一度とて無かった。つまりは、今までは彼に戦慄を覚えさせるだけのパイロットは存在せず、仮に存在していたとしても、その戦慄をはるかに上回る信頼感を持った真紅の隊長機が常に身近に在ったのである。
今、エドモン・バルビエは、上昇しつつ右に旋回している。再度、敵機の後方に自機をつける為だ。
「うるさい三枚羽め」
エドモンは、前後を確認しつつ毒づく。同時に周囲と、自機を見える範囲で見渡すと、見える範囲だけでも損傷が酷い。これでは、もう過酷な格闘戦は、10分と持たないだろう。だが、同時に、敵機にも損傷が確認出来た。優劣は、つけ難い所だ。
旋回しつつ、至近で敵機の右側胴部を見ると、深緑色の機体に、斜めに入った白線が4本見える。
「たしか、ベーゼル帝国のエース認定は10機以上だったはず。10機撃墜で白線1本だから、40機以上か」
そうして、状況確認をしてみると、ノエルの戦っている三枚羽も白線が3本入っている。
「だとすると、フォンク隊長の相手にしている黒い奴は何だってんだ?」
旋回を終え、敵機の後ろに何とか出ることが出来たエドモンは、機銃を撃つ。当たらなくても良い。旋回性能が劣る分、少しでも機体を軽くしたかったのだ。エドモン自身、小柄な部類に入るので、他の二人程には敵機の旋回性能に悩まされてはいなかったのだが、もう少し軽くなれば、旋回性能も五分に近くなると考えての事だ。そして、エドモンも「性能が五分なら、この程度の敵には負けない」と、考えられる程のエースパイロットなのである。
ノエル・アジェは、アルベール・フォンクと同年の25歳で、陸軍工兵隊上がりのパイロットだ。だが、アルベール・フォンクとノエル・アジェが異なるのは、フォンクは、まがりなりにも士官学校出身であることに対し、ノエルは中学校卒業後に軍隊に入った、一平卒上がりのたたき上げであること。それでも彼は、飛行機に憧れを抱き、工兵隊に在籍しながら飛行学校の試験を受け、見事に合格し、18歳と5ヶ月の時に晴れて、陸軍飛行学校所属の飛行曹長になったのだ。以来、順調に武勲を立て、昇進を重ね、一年前には、ついに中尉になったのだ。
ただ、幸か不幸か、丁度、同じ時に、さらに大きな武勲を立てていたアルベール・フォンクは少佐になり、本人は全く望んではいない事ではあったが、自らの名を冠した空戦隊を編成する羽目に陥ってしまったのである。本来、空を飛ぶ事と空戦以外には興味の無い彼のこと、面倒で仕方が無かったはずのその仕事の中で、唯一の救いは「幹部の隊員は選べる」という事であったのである。「その権利だけは最大限行使してやろう」と、不純な決意を胸に秘めてアルベール・フォンクは、飛行学校時代の旧知であった彼に白羽の矢を立て、自らの直属として招いたのである。
そして今、そのノエルもまた、自機の所々に被弾していた。現在のところ、6対4で負けているだろうか。しかし、彼は、エドモンとは違う発想で格闘戦を展開していた。
「敵を油断させて、弾丸と燃料を使い切らせる」という発想だ。宙返りなど、あまりアクロバット的な戦い方をせず、あえて、敵機の後ろに出ようともせず、敵機より僅かに下、あるいは上を飛び、蛇行する。敵が焦れて、他の見方機の救援に行く素振りを見せると、旋回して後方を取り攻撃するのだ。「手堅い闘い方」と言えば聞こえは良いが、アルベール・フォンクなどは、「嫌みったらしい闘い方だな!」と、右眉を吊り上げて非難する戦い方だ。とは言え、この闘い方は、アルベール・フォンクとの模擬戦でも、5回に1回は勝利することが出来る闘い方なので、このように実力者相手の場合は有効なのであった。
「まったく、やってられんな、これじゃ整備班に締め上げられちまうよ!」
愛機についた弾痕を僅かに確認しつつ、ノエルはぼやいた。そのぼやきとは裏腹に、彼の口の中は乾燥している、焦りと憔悴の為だ。それも仕方が無い。今、この時は、たった一つのミスがあるだけで、機体と生命を同時に失う事になるのだから。
一方、アルベール・フォンクの方は、簡単に言えば膠着状態にあった。一方が宙返りで後方に付けば、もう一方は旋回してさらに後方へ食らい付く。その繰り返しが、幾度と無く続けられていた。
そんな中、アルベール・フォンクは一つ、気が付いた事があった。
「確かに、旋回性能は向こうの方が上だが、加速性能、上昇性能は僅かだがこちらが上だ」と言うことだ。だからと言って、このまま尻尾を巻いて逃げ帰るのは性に合わない。
「さて、どうするか・・?」
そう考えた刹那。
アルベール・フォンクは、油断した。僅かに回避行動が遅れたのだ。左翼に弾丸が数発命中した。飛行に支障が無いとは言え、これではもはや、急上昇や急旋回に幾度も耐える事は出来ないだろう。
「ちっ・・・」
腹を決めるしか無さそうだ。「勝利か死か」。元々、戦闘機乗りになると決めた時から、自分はそう決めていた。幸い勝てる手段はまだ、ある。だがそれも、これ以上被弾したら無理だろう。
「それも、かわされたら?」
簡単な事だ。一人の撃墜王が、消えてなくなるだけ。いや、一人の人間が死ぬだけだ。
「俺の消していった命の数に比べれば、何のことも無い」
背後に付けた黒い三枚羽は、相変わらず、ピタリと付いてくる。射線が定まると決まって撃ってくる。
「全く、良い腕をしているよ」
アルベール・フォンクはペダルを最大限に踏み込んだ。エンジンの回転数も同時に最高になる。さらに操縦桿を手前に引き、一気に上昇をする。
50、100、150、200、250メートル。そこで、エンジンを切り、減速する。この手は、失敗すれば後は無い。滑空しているだけの戦闘機など、ただの的になるだけなのだ。それでも今この場で生き残るには、これしか手段が無いのだ。そして、眼下に黒い三枚羽を捕らえる。奴は殊勝にも速度を落とさず、旋回して、また後方に付こうというのだ。
「嫌な奴だ」
「真紅のニューポール」は機首を下方に向け、滑空してゆく。滑空しつつ、黒い三枚羽に向けて機銃を撃つ。
まさか敵も、そのままエンジンを切って降下してくるとは考えもしなかったのだろう。そこに、黒い機体のパイロットに油断が生まれた。僅かに判断が遅れたのだ。着弾は、僅かだが、あった。胴体後部と、右翼上部を貫通している。急旋回も宙返りも、もう、無理だろう。
「さて、とりあえず目的は果たしたが・・このエンジン、ちゃんと付いてくれるかな」
まず、操縦桿を手前に引き、僅かだが飛行機の下降を止める。しかし、ある程度の速度は保たなければ墜落する事になる、上昇は出来ない。
「敵の領内で不時着なんて冗談じゃないぞ」
飛行機から身を乗り出し、幾度か、非常用のエンジン点火装置を引く。1度目、失敗。2度目、失敗。
高度は徐々に下がる。1500メートルも切り、点火装置を引くことも10回を超えた、その時、再度、轟音を響かせ、エンジンが蘇った。
一度、大きく旋回し、太陽の位置を確認すると、僅かだが西に傾いてきているようだ。
「早く片付けよう」
そう思い、機首を上方に向け、再度、大空の戦場に戻る為に上昇する。
だが、アルベール・フォンクの機体に残された銃弾は少なく、機体の損傷も激しく、燃料さえも心もとない量になっているのであった。 |