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お題掌編

掌編――カフェにて

作者: と〜や

 からん、とくぐもった鐘の音に迎えられ、私はいつものように窓際の席に歩み寄った。

 家から駅まで散歩がてらに歩き、駅の立ち食いそば屋でそばをかきこんだあとのひとときは、いつもこの店ですごすことに決めているのだ。

 白いシャツにネクタイ、ひざ下までの紺のスカートという制服姿の女子おなごが冷たい水と熱いおしぼりをくれる。

「本日の日替わりコーヒーはモカマタリでございます」

 長い髪を馬の尻尾のように結い上げた女子はとびきりの笑顔でそう言う。

「では、それを頼む」

 少々お待ちください、と女子は店のカウンターに戻っていく。

 いつものように新聞を広げる。

 女子が珈琲を持ってきた。牛乳も砂糖も入れずに一口飲む。珈琲は何も入れない方が私は好きだ。何かを入れてしまうと、珈琲の味がまったく分からなくなってしまう。モカマタリという珈琲は初めて飲むものだったが、私は気に入った。苦味が強いわけでもなく、すっぱさが強いわけでもない。においも味も実に深い。こういう新しい味に出会えるのは嬉しいものだ。日替わり珈琲が好きな理由の一つでもある。

 昼食の時間には遅い時間だが、このカフェは人気があるのだろう、半分ほど空いていた席も、すぐに埋まっていく。

 空いていた隣の席に小太りの女子二人が座った。私の横に座ったのは息子の嫁ぐらいの年のようだ。その向かいに座ったのは、息子の娘ぐらいの年だろう。おかあさん、と呼んでいることから、この二人は母娘のようだ。顔も体格もよく似ている。

 それほど近い席ではないが、女子の声というのはよく通る。遅い昼食と日替わり珈琲を頼んだのが聞こえた。モカマタリというのを飲んだことがない、という話も聞こえた。きっと、私と同じでよい出会いになることであろう。

 おもわずほころんだ口元を引き締める。隣の話を聞いていると思われるのも尺だ。

 掲げた新聞に心を戻し、私は今日の記事を読み進めることにした。今日の特集記事はパソコンのことのようだ。

「今日はお父さんは?」

 聞きなれた言葉に、再び私の心が飛んだ。娘の言葉のようだ。

「家で寝とるよ。夕べからまたおなかが痛いって言うから」

「具合悪いの?」

「金曜日あたりから調子がよかったんだけどねえ。病院の結果が良かったらしくて。で、ご飯三杯も食べてね。夕べからまたおなかが痛いっていうから、おかゆさん作ったけど、欲しくないって言うからねえ。」

 年を取ればどうしてもどこかしら壊れてくる。急におなかが痛くなることは私もよくある。

「自分の分だけ作るのも面倒だしねえ。だからそこらにあるもので済ませちゃって。そしたら真夜中にまたおなかがすいてねえ」

「分かる分かる、うちも尚吾さんいないときにはカップラーメンとかで済ますもの」

 そう言うものなのだろうか。うちのは私がいても大した料理は出さないが。今度私が出かけた時に、何を食べたのか聞いてみよう。

 珈琲と料理が運ばれてきて、話は中断したようだ。

 私も珈琲に手を伸ばした。既に少しぬるくなっていた。

「日曜日もカラオケに行こう言うて誘いの電話があってね。一人で行っておいでって言ったら、なんでお前は来ないのかって怒り出すし。わたしは店の準備があるから行ったって一時間ぐらいですぐ帰らなきゃだし、それだったらお金がもったいないって怒るし。ぎりぎりまで向こうにおって、それから戻ってきて、ばたばた店の準備するのもしんどいのに、なんでそれが分からんのかねえ。忙しいときに限って寄ってくるんだから」

 娘がうなずく。

 これは私も同意する。一人で出かけるほうが楽ではなかろうか。女子の買い物は長いし、うろつくだけでなにを買うでもなし、無駄なばかりだ。疲れるだけで実がない。一人でこうやって好きなところだけ歩けるほうが気も楽というものだ。

「うちも同じよ。仕事してる時に限ってかまってほしそうな顔するもの。こっちがかまって欲しいときにはちっともかまってくれないどころか、邪魔者扱いするのよね」

 これは、どうだろう。少なくとも私はうちのにうるさくかまったことはない、と思っているが、うちのがどう思っているかは分からない。もしかするとそう思っているのかもしれないな。

「服も出かけるときにはやれこの服は気に入らないだのこのズボンは年寄りに見えるだの文句ばっかり。そんなに言うなら自分で選んでくれりゃいいのにねえ」

「自分で選べって言ったらどこにしまってあるか分からないっていうしね。自分の服はここにあるって何回言ったって覚えやしないんだから。脱いだ服もそこらへんにほったらかしにしてスーツも何もかもくしゃくしゃにしちゃうし」

 耳が痛い。何がどこにあるかなど考えたこともなかった。うちのに全て任せてあるからだが……。

「そりゃあんたがやるしかないわ。まあがんばんなさい」

 ちらりと娘のほうを見やると、娘はなぜか嬉しそうに笑っていた。

 ぬるくなった珈琲を飲み干し、新聞をたたむ。

 手洗いから戻ってくると、二人は既に席を立ったあとだった。

 金を払い店を出る。湿った空気が私を包む。

 右手に提げた洋菓子の紙袋がなんとなく気恥ずかしかった。

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