変れる心
次の日。
昨日今日の午前中で仕事の流れなどを教えてもらい、午後からは簡単な仕事を割り振られ、俺と高嶺さんは書類とにらめっこをすることになった。
俺の左隣で仕事をしている高嶺さん。真剣な眼差しで書類を見つめている。
そんな横顔を見ていても、佐山に見えて仕方がない。
もし、佐山と一緒に仕事をしていたら、こんな感じになっていたのだろうか。
「さやま……、じゃなかった、高嶺さん。この書類どうしたっけ」
「もうっ。名前の方で呼ばれたと思ってびっくりした」
ちょっと怒ったような表情で俺に向く。
つい間違えて佐山と言ってしまった。
「ああ、すまない。高嶺さんって言いづらいんだよ。沙耶って名前で呼んでいいか?」
「えっ?」
「いいや、勝手に呼ぶからよろしく」
「ちょ、ちょっと……」
「迷惑か?」
「いえ、そう言うわけではないのですけど……」
「あ、あと、その他人行儀な言い方もなるべくならやめて欲しい。同じ立場だし、なんだかそう言われるのに慣れなくて」
「秋月さん」
「なんだ?」
高嶺さんは俺の言葉に細い眉をしかめ、毅然とした言葉で続けた。
「ここは会社ですよ? 社会の中です。そんな学生みたいなこと言わないで下さい」
「……それはそうだが」
律儀だな。
「まったく、男の人って、みんなこうなの?」
膨れて、俺にそっぽを向く。
「あー、すまん、気を悪くしたら謝る……。ただそのほうが気が楽になると思ってさ。仕事だからって、そんな肩肘張るのも疲れないか? 俺も分別はわきまえるからさ。外ではそんなことはしない。約束する」
「あ……その、ごめんなさい」
「えっ?」
急に俯いて淋しそうな表情を見せる高嶺さん。何か悪いことをした、申し訳ないといった感じだ。
「秋月さん、色々気を使ってくれたのですね」
ああ、そうか。
「まあ、仕事熱心なのは良いけれど、あまり神経質になるのも疲れちゃうからさ。楽に行こう」
「はい。ありがとうございます」
ふと、高嶺さんの表情がほころんだ。
その笑顔の瞳が、佐山とかぶって。
俺の心にささくれ立ったような痛みが走る。
「ちがうちがう。ありがとう、だけでいいって」
「はい」
「もっとくだけよう。な」
「はい。そうします」
嬉しいけれど、それに喜んではいけない。そんな葛藤が駆け巡る。
この靄みたいなものは、なくせないのか。
振り払おうにも、俺の中のなにかがそれを許してくれなかった。
再び、書類に目を落としても、頭に入っていかなかった。
「どうしたの?」
眉間に指を当てた俺を怪訝に思ったのか、心配げに俺に問いかける。
「あ、ああ、すまない……」
さっきまでの堅苦しい物言いじゃなくなってる。それが嬉しい反面、思い出すことは変わらなかった。
「疲れてない? ちょっと休んだら?」
「そうだな、ありがとう。一息入れてくる」
背広の内ポケットをまさぐり、タバコとライターを取り出した。
確かこの会社では喫煙室があったはずだ。新入社員でという躊躇があったけれど、そこに行きたくなった。
「あら、タバコ吸うの?」
「ん? ああ」
「だめだよ。体に悪いよ」
体に、悪い。か。
そういえばタバコを吸い始めたのはいつだったろうか。
学生の頃、吸っていた奴らを見て、あんな体に害のあるもの吸うものかと思っていたのだが。
そうか。
佐山がいなくなって、俺、自分を傷つけたくなって。
半ば自虐的に吸うようになったんだった。
「タバコ……。やめたほうがいいか?」
「何か理由があるんだったら、とめないけど」
「いや……。吸っていても何も得することはない。やめることにする」
「ごめんね。いやな女だと思った?」
「いや。そんなことはない。言ってくれて感謝さえしてる」
俺も変わらなくちゃいけない、か。
何本か残っていたタバコの箱を握り締めて、ゴミ箱に投げ入れた。
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