人の死とはどういう理屈なのか、答えは簡単だ。脳が機能停止する脳死などは未だに死か否かと議論は続いているが、単純な話、死とは心臓が止まる事だ。
焼死。凍死。溺死。轢死、水死、失血死、餓死病死爆死撲死圧死窒息死。人の故意による死因や殺人を併せると刺殺、絞殺、薬殺射殺斬殺封殺狭殺減殺殴殺。
あらゆる死の概念はしかし、近年に想定された話に過ぎず、論理学や倫理学といった学術的解釈の内在しない、文明という世界観の有り得ない時代は、果たして、死という急な現象をどう受け止めていたのだろうか。
シトシトと、霧雨は降りやらぬ。
「死は決して免れない現象。では、どうやって死を受け止めていた?」
少女は、シャッターの降りた商店の軒下で雨宿りをしながら、小さな折りたたみ手鏡を見つめながら呟く。独り言の様に思えるその問いに、しかし答える声があった。
「さぁね……悪魔とか死神のせいにしたんじゃねぇの?魂を抜くとかそんなカルト臭い話」
答える声は、少女の小さな唇が発していた。実はこの少女、二重人格者であり、『少女』と『少年』の人格が同時に表に出ているのだ。
「中世ヨーロッパの、ごく限られた貴族階級にしか伝わらなかった思想でしょ、それは。文明と言っても差し支えはないから却下。そもそも悪魔は人間の堕落に関する事象のみの話で、人の生死をどうにか出来るのは神しかいないって言われてたのよ。死神については『死者の魂を連れ去る』意味を持つ存在……即ち、『死者ののち』に関する話で、直接『現状の死』に関わる訳じゃない」
「……ギブアップ」
少女は独りでに、二役を演じる様に語る。ニンマリと微笑み、続けた。
「文明のない頃、意志のない死体は人々にとっても未知の事象だった。そこで考えたのが、死という現象を死者がもたらしたものという結論」
「……ハァ?そりゃ順序が逆だろ。いくら文明がなかったからって、死に関する倫理ぐらいはあった筈だ」
「じゃあ聞くけど、倫理ってのは何を以て結論にたどり着くのかしら?同一の現状や情報を組み立てて尚、違った答えが出るからこそ議論というものが存在するのでしょ?」
凛として『少女』は語り、『少年』は押し黙る。
「前に話したわよね?ポストホーク・エルゴ・プロプテルホーク(事の後で、故に、事のせいに)。人の死という『今』は、死者という『過去』に冒されたせいとされ、故に人は死という現象から逃れられなくなった」
『少女』は辺りを見渡し、雨を流す排水溝を見つけた。排水溝のフェンスには落ち葉やゴミが引っかかっていて、霧雨による水の流れをせき止めていた。
「ちょっと話を変えるわね。思いつく限り、殺人犯にでもなったつもりで死体の処理法を考えてみて」
「……俺が?」
「アンタがよ」
「そうだな……山に埋める、海に沈める、燃やす、犬や鰐に喰わす、……こんぐらいかな?」
「まぁそんなもんでいいでしょ。順を追って考えていきましょ」
呟きながら、『少女』は更に辺りを見渡し、どこぞの誰かが道端に捨てたのだろう、コンビニ弁当のゴミを拾い上げた。中には割り箸が入っていて、『少女』は一本の割り箸だけを取ってゴミを元あった場所に置く。
「まずは熟練技術が必要なく、かつ死体を固定していられる土葬から。けど、実は土葬は、そこまで簡単な話ではない。死体なんて気味悪い物を村や町付近に置いておきたくないにしろ、持ち運ぶには重たい荷物を持って遠くに行くのはそれだけで労力が必要になる。
例え山に持っていったとしても地中深くまで穴を掘るのは想像以上に体力を必要とし、更にバクテリアの分解による効果を求める事は難しい。気温、湿度、分解する微生物や昆虫など纏めて条件が整っている日本的風土というのは世界的に稀なのよ。
山岳や狭谷じゃ穴を掘る事自体が困難、では沼地や湿地はどうかと言うとこれもNG。地下水面が高い為に軽く掘っただけで水が染み出してくるし、無視して深くに埋めたとしても腐敗ガスのたまった死体が浮かび上がって、雨によって土壌が垂れ流れて再登場するって訳。アルカリ質の土壌じゃ齢化の恐れもある」
「レイカって何だ?」
「土中のナトリウムと死体の脂肪分が化学反応を起こして死蝋化する現象よ。有り体に言えば、人間石ケンね」
「……うへぇ」
霧雨は、気付けば本格的な雨に変わり始めていた。ザァザァと流れる雨は、排水溝のゴミを徐々に動かしながら突破口を開こうとしている。
「で、こんな感じで土が洗い流される事で死体が上がってきて、清掃生物の手によって掘り返される。後はグチャグチャに腐って喰い荒らされたオロクが顔を出すからこそ死体遺棄の犯罪も露見しちゃうって話よ。さて、次は海葬だっけ?」
「……まだ続けるのかよ」
「海に沈める場合、これは何より迅速に処理できる上に死体との接点も少なく、経済的にもお得なのは確かね。でも、水中の清掃動物や微生物による効果は陸ほどじゃなく、期待は薄い。流したぐらいじゃ潮の流れで沿岸に上がってくる事もあるし、沈めるにしても同質量以上の質量が必要となる」
「アルキメデスくらいは知ってる」
「そう、ありがと。でも実際には死体内部に発生した腐敗ガスもあるから、より質量の重い重量が必要となる。実際、鉄アレイやバーベル程度じゃ海中を浮いたり沈んだりして漂う事になるし、話によれば大型冷蔵庫に括りつけられた死体が浮上してきたというのもある。
コンクリートに漬けて沈めるってのは、運搬が大変でアシがつきやすい。効率には乏しいわね」
『少女』は手鏡を片手に、割り箸をシャッターの隙間に挟んで勢いよく折る。綺麗に半分になった割り箸を見て薄らと笑う。
「次は何だっけ……あぁ、火葬か。火葬は確実に死体自体を抹消する究極の処理方法よね。知ってる?火葬圏の文明には、肉体を持った亡霊というものは存在しないのよ?これは『死』を伴う『死者』に対する最大の先制攻撃だわ。何せ、死体は動かない」
何がそんなに面白いのか、クックッと笑い声をかみ殺す『少女』。『少年』は鏡越しにうんざりしてみせた。
「さて、火葬、火葬ね。火葬ってのは、如何に熱を死体に通すかがキーになってくる。但し相手は水分含有量の多い人間……一筋縄じゃいかない」
「ドラマみたいにガソリンをブチ撒いて火ぃつけりゃいいじゃん」
「近代的ねぇ……まぁいいや、例えばガソリン等の液体燃料を用いた場合、熱は上昇する性質を持つ為に上手く熱を伝える事は出来ない。ガソリン自体の熱如きじゃ表面が黒こげになるだけで、地面に面した箇所をひっくり返せばレアどころか生肉が顔を出す。というより、火葬場の高温気体循環装置をつけた専用炉で焼いたところで、摂氏九〇〇前後の熱で六〇分はかかるのに、ガソリンで焼却しきる事は出来ない。まぁ、あれは身元の特定を困難にしたり、死亡推定時刻を発覚できない様にする為なんだけどね。それも歯形を調べりゃ一発なのよ。
……っと、燃料として薪を使った場合、実に二一立方メートル分の木材(二一七本分)を必要とし、しかも熱を伝える為には熱源より効果的に一定距離を保ちつつ、回転させて緻密に焼かなきゃいけない。焼き肉みたいなもんね。インドのカーストには火葬屋なんて職業がいてそれを生業にしていた程に手間がかかり過ぎるし、何より精神的抵抗が大きい。コロシの場合は人目に付く事も考えなきゃいけないにしろ、煙や臭いがスゴいのでそれどころじゃなくなる。
そもそも、人間の肉食についての魅惑は、人間性への疑惑を生み出し、戦争と殺人こそが食肉に対する報いである」
「誰の言葉だ?」
「さぁ、忘れちゃった。焼き肉屋の親父か精肉店のオバサンじゃない?」
やがて、雨は本降りになってくる。バケツをひっくり返した様な大雨という表現にある様に、まさしく水の塊がザバザバと落ちてきている様だ。
「さて、最後は獣葬か。これは一言で言えば、汚い。死体を早く食べてもらわないと腐って異臭が漂う為に、食べやすい様に鉈で肉を骨からこそぎ落としてグチャグチャに叩き潰してから獣に喰わせなきゃいけない。余程、精神的に杜撰な人間でない限りは耐えきれなくなる。獣葬を職業にしていたカーストもいたとは言え、依頼するにしても費用がかさむ。
しかも犬はどこにでもいるけど、自分の飼ってる犬に喰わせるのはまた抵抗があるし、野生の犬を捕まえて喰わせて放すと、人骨をくわえた犬が周囲を歩くという奇妙な現象を生む事になりかねない。犯罪の場合は、自宅でライオンを飼うかプールに鮫でも飼わなきゃ不可能ね」
「……そりゃ珍妙な光景だな」
「さて、こんなモンかしら。理解は追い付いた?」
「それなりに」
よろしい、と『少女』は頷き、左手に手鏡を、右手に折った割り箸を持ったまま、水が溜まり始めた排水溝に近付く。
「さて。この様に、人間の文明というのは死体の遺棄という戦いの上に成り立っていたものなのよ。それは死者による侵略を防ぐ為であり、死という概念から免れる努力の賜でもある。
死体をそこらに転がすというのは不衛生そのものである。臭いし気持ち悪い。でもそれだけならば、先の様に実に幾多の処理方法を考える必要はない。何故なら、土葬にしろ海葬にしろ、人目に付く事が滅多になくなるし、どこで死体がどうなろうと関係なくなる。まぁ、伝染病とかの心配もあるけど、そんな知識すらない頃の話だし。
……ならそれだけで一安心な筈なのに、どうしてわざわざ『死体』を滅却する必要があったのか。それこそが『死者』との戦いなのよ」
例えば、と『少女』は排水溝のゴミを靴底でどかして溜まっていた水を排水し、ゴミの山に割り箸を突き立てる様に刺した。
「土に埋めた死体が、清掃動物により掘り返されたり雨により土壌が流されたりして出てきた場合、その過程を知らない人がどう思うか」
割り箸は奇しくも、埋められた人の腕の様に、気味悪く映る。ザバザバと雨がゴミの山を崩し、ボトリと倒れる。
「倫理や論理なんて関係なしにこんな光景を見て、始めに思う事は『死者が蘇る』だった。この突き出した腕はきっと蘇ってる途中だ、ってね。更に翌日に様子を見に来ると、死体はなかった。だったら『もうきっと蘇っているに違いない』と思う筈よ。決して過程となる清掃動物が持ち去ったとは考えない、そういう知識がないから」
「主観性を含有する情報……か」
「そう、正解。後は蘇った死体を見た人が言い触らして『死者は蘇るもの』という固定観念が出来上がる。更に墓周辺に清掃動物の足跡があれば『蘇った死体は獣に化けて歩いていった』という尾ひれがつき、『人の大きさの獣はいない、なら霧になって消えたか蝙蝠になって飛んでいった』という背びれがつく。人の間のネットワークに乏しい当時において、主観を含まない情報というのは存在しないから、これは事実であると噂が広まる。噂好きなオバサンやOLも同じよ」
ため息を吐いて一旦区切り、その間に『少年』が喋りだした。
「だから、いくら当時の人間が主観に頼った情報を聞いたにせよ、倫理くらいはあった筈だ。『人が変身する』なんて馬鹿げた話を信じる訳が――」
「変身するのは『人』ではなく『死者』よ。腐乱して肉が変色し、皮膚が腐敗ガスにより弾け、骨が露出し顔や腹が膨れ上がり姿勢を変え……この変形が微生物による分解なんて考えもしなかった人々にとっては身の毛も弥立つ化け物に『変身』したとあれば、獣に変身するなんて簡単だと思わない?」
「……」
『少年』は押し黙る。
「こうして蘇った死体は獣に姿を変え、生者に『死』を送り、新たに出来上がった死者を同族に仕立て上げていった。こうして人々は『死』を、ひいては『死者』を恐れる様になり、死体をどうにか蘇らせない為に様々な手段を試していった」
『少年』が空を見上げると、あれだけ降り注いでいた豪快な雨はあがり、通り過ぎた雨雲の隙間からは太陽の光が漏れていた。もはや、少女には雨宿りしている意味などない。
少女は手鏡をデニムのポケットに無造作に仕舞い、太陽の下を優雅に歩く。雨が上がったばかりなせいか、周囲に人がいない事を確認した『少年』は呟く。
「二つ、質問がある」
「うん?あんまり話さないでよね、他の人に変に思われちゃうし。……で、何?」
「どうしてそんな話をしようと思ったんだ?」
「暇潰し。黙って雨宿りしてんのも楽しくないし、折角『二人』いるんだしね。お話くらいはしなきゃ」
少女は語りながら歩く。その意志は『少女』と『少年』、両方の意志と行動であり、どちらが表にいるのかは『二人』にも分からない。ただ、『少年』は語りたがっているのに対し、『少女』は今はあまり話したくはない様だ。
「訊きたい事はもう一つある」
「……どうぞ」
「その話、何か聞いた事があるんだが……」
「そりゃそうでしょ。ない訳がない」
『少年』と『少女』は空を見上げ、薄っぺらい雲がフィルタをかけた太陽を見上げ、同時に呟く。
「吸血鬼に似ている」
『二人』の言葉は、口から出た瞬間に一つに交わった。 |