第四話 スペードのジャック
誰が作ったか知らないが、一部の生徒の間で知られているとあるランキングがある。
誰が主催しているかも知らないが、学園裏サイトで月一で行われているそのランキングの名は……
《ミス言之原ランキング》
名前のとおりのランキングなわけだが、これには学年別に全学舎統一の人気女子が1位から10位まで刻まれる。
第一学年での結果はこんな風になる。
10位 三枝美姫【陸上部/B学舎】
9位 浅間輪音【生徒会/A学舎】
8位 香久山悪夢【生徒会/A学舎】
7位 誓野凛々華【帰宅部/C学舎】
6位 女屋魅世【生徒会/C学舎】
5位 歌川詠【遊戯部/C学舎】
4位 斑鳩流禍【バレー部/B学舎】
3位 信濃シエスタ・イール・ファーレアート【生徒会/A学舎】
2位 空倉空【帰宅部/B学舎】
1位 毒島詬【遊戯部・文芸部/C学舎】
先程の女子、空倉空は学年別のランキングの上位に常に名を連ねる人物だ。
本人がそれを知っているかは、解らないが。
ただそんなに人気な女子と、放課後の教室で二人っきりで会話が出来るとは、運が悪い俺にしては幸運だったなあ、と良い気分でシャワーを浴びる。
なんだか頬が熟れたトマトのように色付き、ほてって熱かった。
日もまだ堕ちない内に一日の汚れを洗い流す。
運動部の皆さんよりも一足早く、さっぱりさせて貰った俺は更衣室を出ると
「あ、メグちゃんじゃん!」
と三枝に声をかけられた。
もう冬になるというのに、布面積の少ない陸上のユニフォームを着た彼女の身体はいい感じに暖まっていた。
「試験どうだった?」
「……ヤマがことごとく外れた……。」
酷いほど、ヤマが当たらない。狙い澄ましたかのように、ピンポイントでゴリラは俺の記憶の死角をツいてきた。
「まあ追試でもあったら、私が勉強手伝ってあげるね!」
「……ありがと。じゃあ、その時はお世話になるよ」
そう言ってくれた三枝は、「じゃ、私シャワー浴びてくるね〜」と一言いい、我慢ならなかったのかシャワールームへと飛び込んでいった。
辺りは大分暗くなってきた。
寒さを凌ぐのも一段と大変になる。
一応制服の上にコートを着ているし、手袋は二枚重ね。
マフラーに耳を守る為にニット帽を深く被る。
鏡でちらっと見たが、随分背の低い不審者だった。
学舎内で厚着してもアレなので、マフラーとコートに帽子は身につけずに、俺は自分の教室へと戻った。
居るわけないのに、まだ空倉が居たら……なんて考えながらの足取りだが、まあ辿り着いても誰もいなかった。
もう完全に日沈み、だだっ広い校庭にはナイターが燈る。
野球部は今だ熱心に活動中だった。
野球部の練習が終わったのは21時の少し前。彼らがグラウンドを整備している間に俺は教室を立ち退き、そして諦めて学舎を出た。
外へ出た瞬間に、身体中に纏わり付くように冷気が俺を包み込む。
コートを着て、マフラー、手袋とニット帽子の完全装備で俺は歩き出した。
長野県に属するここら一体の11月の平均気温は5〜7度。
今日の最低気温はマイナス2度。
そう考えると野宿って結構命に関わるんじゃないかと心配になる。
けれどまあ、これだけの段ボールと新聞紙と防寒着があれば死ぬことはないだろう。
腕時計は止まっているが、公園の時計が23時をお知らせする。
「本当に何もない公園だなあ……」
公園のベンチに座りながら、思わず独り言を呟く。
ここは山吹公園という、焼けたウチのアパートの近くにある公園で、言之原学園まで徒歩20分かかるかかからないかくらいの所に位置する公園だ。
遊具こそ無いが、大きな一本の“守り桜”というデカイ桜を中心に、いくつかの桜の木が立っていて、春は花見スポットになる。
今も、春だったら街灯に照らされた綺麗な夜桜が堪能出来ただろう。
ビュオオオッ
「うわっ……さっぶ……!!」
風が吹く度に、身体を縮こませて熱を逃がさない努力をする。
暇つぶしに新聞紙を手に取り、テレビ欄を確認するが……テレビなんか見れない。
しかたなく興味もない記事をパラパラとめくると、ある事件の内容が新聞紙の大部分を使って書かれていたのが目に止まる。
《切り裂きジャック再来??》
そう書かれた記事には、最近ここらへんで起きている女性限定の切り裂き魔の事が書かれていた。
「……愉快犯って奴か……。馬鹿馬鹿しい……」
一笑に伏してやった。
かの有名な通り魔、切り裂きジャックを模倣したような殺人鬼なんて、ただの構って欲しいだけの愉快犯にきまっている。
《てんてんてててーん》
俺のポケットの中でケイタイが騒いだ。
「……誰からだろ?」
コートの下のポケットの中を探りケイタイを探り当てる。
「……ッ!!?」
一瞬、背筋が冷たいものに這われるような気がした。
おかしい。ありえない。……だってこのケイタイ……今朝からずっと充電が切れていたのだから。
何の理由で電源がついたのかは解らないが、恐る恐るケイタイを開き、メールを見る。
《こんにちわ》
そうとだけ書かれた、知らない差出人からのメールがそこには在った。
「なんだよ……!これ……。……何なんだよ……」
ザッ ザッ ザッ ザッ ザッ ザッ
ゆっくりゆっくり、俺しか居ない公園に誰かが入って来た。
誰かが……後ろに居る。
その気配だけは解った。
「……はぁ……はぁ……」
心臓が早鐘を鳴らす。
喉の奥まで心臓に叩かれているような感覚に襲われる。
恐怖を拭おうと、何かの間違い勘違いだと言い聞かせようと……恐る恐る背後の何かを確認する。
「……ッ………!!?」
心臓が喉に詰まったのかと思った。
嘘だろ?
何で……女子限定じゃないのかよ!?
何で……俺なんだよ……!!
後ろに居たのは黒いコートと帽子で顔を隠した大男。
そしてその両手には、灘と鋸が握られていた。
「……さようなら」
そう件の殺人鬼は言った。
「あ……あッ…………うあ……」
声が上手く出ない。発音しようと喉を鳴らすと、震えで喉が上手く鳴らない。
ザッ…… ザッ……
そうしている間にも、殺人鬼は一歩一歩確実に俺との距離を縮める。
最初は10mはあった間合いも、8……7……と、どんどん狭まって行く。
「……あっ……」
動かそうとしても、動かない足。
恐怖が強すぎて、膝の間接が動かない。
動いてくれ。……動いてくれなきゃ、俺……本当に死ぬ……。
たのむ……! わかってくれよ!!俺の身体!!
「うわあああああああああああああッ!!」
死ぬ気の雄叫び……というモノを俺は初めて上げた。
全身の細胞を震わすその雄叫びは、硬直して動かなかった身体を解き放つ。
先まで動けなかった身体の関節が、じわりじわりと温度を宿し、生きる為に死ぬ気で稼動する。
「うわああああああっ!!」
叫びを上げたまま、殺人鬼に背を向けて俺は全速力で走った。
厚着が邪魔だったが、そんなのを気にする暇も余裕もなく、死にもの狂いで殺人鬼が入ってきたのとは反対の公園の出入口に向かって、俺は走った。
後ろから追いかける殺人鬼の足音も聞こえる。短距離走は自信があるが、プレッシャーで足元が覚束ない……
ブチッ!!!
「うっ…わああああっ!!」
俺は勢いよく、飛び込むように前方に倒れた。死の宣告が書かれたケイタイも前に投げ出される。
……靴紐が切れた……!
確かにあたしくもない靴だ。運動用ではないし紐は絶対に切れないものじゃない。
でも……《今》靴紐が切れるなんて、ないだろ……。……嘘だろ!?
「キヒッ……」
子供のような高い笑い声が頭上から聞こえる……。
殺人鬼はもう、俺の真後ろまで来ていた。 見下すように、這いつくばって倒れる俺を後ろから見ているのだろう。
俺の目の前の地面に、殺人鬼の影が落ちていた。
「さようなら……」
殺人鬼が灘を振りかぶるのが……地面に落ちた影から見えた。
やばい……死ぬ!と、そう思う暇もなく…………
ガキンッ!
ガランッガラガラッ……
という音が聞こえて、灘が俺の頭の横に落ちる。
「うわあっ!!」
全くなにが起きたか解らない。
何故、振りかぶられたはずの灘が俺の顔の横に落ちた?
さっきの音は??
這いつくばったまま、身体を捻り後ろを確認すると……
そこには、灘を失ったとはいえ鋸を構えた殺人鬼がいた。
距離はほとんどない。あの長さの鋸なら今すぐにでも振りかぶれは切られてしまうほどだ。
「……ひっ……!」
しかし、良く見ると殺人鬼の注意は俺に向いていなかった。
仁王立ちをしたまま、横を向いていた。
そしてその視線の先には……
「……空倉!!」
そこで、殺人鬼に舐めるように見られていたのは “神の愛娘”こと空倉空だった。
この最悪な状況にこんなに似合わない女の子はいない。
「……時崎くん!逃げて!」
「は?……あっ……!!」
殺人鬼の視線は、またこちらに戻り鋸を振り上げる。
せっかく空倉が稼いだ時を、ただ驚愕してただけで棒にふってしまった。
ガキンッ……!!
さっきと同じ音が響き、鋸が殺人鬼の手中から宙へと投げ出された。
……今度は見ていた。なにが起こったのか。
殺人鬼の握っていた鋸の、柄に……直径15Cmくらいの大きめの石が命中して……それで殺人鬼は鋸を落とした。
そしてその石を投げたのは紛れもなく、空倉だった。
「早くっ……!時崎くん!!」
「うわあああああっ!!」
聞いたこともない空倉の必死な声のおかげで我に戻った俺は、そのままクラウチングスタートの如く走りだした。
必死の叫び声でアドレナリンでも分泌したのか、自分が思うよりもスピードが出ていた。
「ああああっ……………。」
死にもの狂いで走り、公園から飛び出し学園の方へ続く道に出た俺は、肩で息をしながら重大なことに気付いた。
「か……、空倉は……?」
後を追ってくる気配もない。……となると、空倉はまだあそこにいるのか?
「……そんな……、俺…………女の子を置いて一人で……」
あんな華奢な女の子が、殺人鬼を相手にしているはずはない。逃げてるはずだ。
でももし、俺一人で逃げてしまって彼女は逃げるタイミングを失ったとしたら?
まだ犯したと決まったわけでもないのに、罪悪感が込み上げる。
逃げ出して、まだそんなにたってない。
今なら、まだ何も起きてないかもしれない……けれど……。
俺は決死の覚悟で殺人鬼の恐怖を跳ね退け、踵を返して公園の方へ走り出す。
俺が行ったって戦えないし、怖い。けれど……助けを呼ぶくらいならできる。
「だれかああああああッ!!助けて下さいっっっ!!殺人鬼に女の子が襲われているんです!!だれかああああッ!!」
情けない。助けを呼ことしか出来ないなんて……。
それでも警察を呼ぶ手段も、殺人鬼に立ち向かう勇気もない俺は、叫び続けるしかなかった。