7.In the slums a solitary girl and a solitary boy.
土砂降りの雨が、母と小さな私を濡らした。
「いい? ×××。お母さんが戻ってくるまで絶対にここから離れちゃ駄目よ。絶対に。お母さん、すぐ戻ってくるからね。だから良い子にして待ってるのよ? ×××は良い子だから出来るわよね? じゃあまた後でね、×××」
その時、母が私のことを何と呼んでいたかは忘れた。
私の本当の名前だけが記憶から抹消されて、母の言葉だけは忘れることが出来なかった。たぶん、忘れられないのだろう。
母が迎えに来ることは、二度と無かった。
小さな私には、置いてけぼりにさえたその狭く薄暗い貧民街がとても広く感じて、怖くなって、泣き出したくて、それでもただただ母が迎えに来てくれるのを待っていた。
傘を持たない私は、屋根を探そうと立ち上がり、そしてやめた。
母が言ったのだ。ここを離れるな、と。
迎えに来てくれることを願う私にとって、その言葉は絶対だった。
良い子にしていなければならない。
ここを離れては、母が迎えに来たときに困るかも知れない。私が居なくなったと、心配するかも知れない。
迎えに来てくれるかは、分からないけど。
私は、何日も何日もそこから離れなかった。
母が迎えに来ないと完全に悟ったのは、その日から一週間経っての事だった。
「お前、そんなんだと死ぬぞ」
焦げ茶色の毛の、私より年上の少年が話しかけてきた。着ている物はぼろぼろで、とても服とは呼べそうになかった。布に近いものだった。
「なんで?」
私は訳が分からず、首を傾げた。本当は少し、分かっていたのだけど。
それでもそれを認めてしまったら、自分が自分でなくなるような気がしてどうしても理解できなかった。
「……早く屋根を探せよ! 濡れっぱなしだと風邪引くぞ! こんなところで風邪なんて引いたら一発だぞ!」
「でも、ここから離れたら、お母さんが」
「迎えになんかくるもんか! お前は捨てられたんだよ! いらなかったんだよ!」
捨てられた。
捨てられた。
いらなかった。
そんなことは言われなくても知っている。
ちゃんと、分かっていた。
「そんなの知ってるよ!」
私の剣幕に少し驚いて、その子は泣きそうになって言った。
「それじゃあ……」
「知ってるよ! 知ってたよ! でも、もしかしたら迎えに来てくれるかもしれないじゃん……! 良い子にしてたらさあ……」
「……とりあえず、おれんちに来いよ。本当に死んじまうぞ」
その子の言うとおり、私は知らない内にかなり衰弱していた。
一週間ずっと濡れっぱなしだった私は、身体はおろか、心も冷え切っていた。
「ここがおれの家……といっても元は知らない誰かさんのなんだけどな」
「ここ?」
目の前にあるのは窓ガラスが割れ、荒れ果てた小さな小屋だった。
貧民街でよく見かける、元は知らない誰かさんの家。何人もがここに住み、そして何人もがいなくなっていた。
「おれの名前はユーリ。えっと……一応名字もあったんだけど、それは言わねーでおくな」
言わない訳は分かっている。
この子も捨てられたんだ。
「私は」
自分も名前を言おうとして、気づいた。
「名前、忘れちゃった……」
「あ、そう? じゃ勝手に呼んで良い?」
ユーリはそんな私を気にもせずに言った。少しだけ、嬉しかった。
「じゃあお前『ちび』決定な」
「……それはちょっと」
その時、確かに土砂降りの雨が少し弱まった。
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