66.アリスの孤城 【不吉は音もなく忍び寄る】
至って普通の日常と。
*
12月23日。クリスマスイブの、イブ。天候は、いつもに比べて比較的温かいが、雪空。この調子だと、お昼には降り出すだろう。
ここはレスティナ国中央街、メトロポリス――より少し東にある、比較的栄えた街。簡単に言うのなら、中央と東地方ソナチネの真ん中辺りにある街だ。
その街にある、小さなアパートのドア前に、世外れの都合屋クウヤ・アンダーグラウンドが居た。
彼は小さな子犬のヒデヨシを両腕に抱えて、素晴らしい笑顔と、素晴らしく他人行儀な言葉遣いで、同じくドア前に立っているこの部屋の持ち主、道外れの始末屋レオラリアナに質問した。
「一つ、聞いてもいいでしょうか? レオラリアナさん」
「なんだい、とっても優しいクウヤ君」
こちらも少し形式張った口調で答える。言わずもがな、笑顔が多少引きつっている。クウヤが非の打ち所もないほどに素敵な笑顔をするときは、大抵が心の底から怒りを感じているときだ。
「聞いていた話と、状況が違うんですが? 説明よろしいでしょうか?」
「何言ってるんだい、とってもとっても優しいクウヤ君? オレはちゃんと言ったじゃないか。掃除を手伝ってくれと」
「掃除? これを掃除と呼ぶんですか? 依頼を受けた身として差し出がましいようですが、一言言っても良いでしょうか、レオラリアナさん」
「ああ、いいともさ」
「死ね!」
「ひどっ」
クウヤが笑顔を崩して、それはもう凄い怒りの表情で低く怒鳴った。怒鳴り声にびっくりしたヒデヨシが、クウヤの腕の中で忙しなく首を振る。
「背後から突然刃物をずぶりと刺されて死ね!」
「さらに追い打ち!?」
「夜道に気を付けて歩けよ、レオラ」
「しかも犯人お前!? 何これ、犯行宣言!? 死の予告!?」
一通りの掛け合いを終えて、クウヤは脱力した。
彼の目前には、散らかりに散らかった部屋があった。いや、もうそれを『部屋』と呼んでいいのかすら分からない。というか呼んじゃいけない気がする。ここから先は別世界、次元の違う場所のように思えた。
がっくりきているクウヤにこの部屋の住人、レオラが済まなさそうに謝る。
「いや、その、悪かったな? なんていうか…最初はカノンに手伝って貰おうと思ったんだけどな。ホラ、あいつの家って結構散らかってるだろ? 本とか本とか本ばっかりで。それで、あいつに頼むよりは、お前に頼んだ方が早く片づくかなーって思って……ごめんな?」
「…いいよ、別に。報酬も払ってくれるんだろ? ただ、予想を遙かに超えたゴミ屋敷でちょっとやる気が無くなっただけだよ。……なんでこんなになるまで放っておくの?」
こんなになるまで――つまり、足の踏み場が無くなるくらいに汚くなるまで。普通なら、そこまで行く前に、少しは片付けようと思うだろうに。クウヤの純粋な疑問に対して、レオラは心底不思議そうに答える。
「え? でもそれなりに住めるぜ? こう、ゴミ袋を隅っこに固めていってさ」
「………はぁ」
クウヤは隅に固められたゴミ袋のロッキー山脈を見て、こっそりと「この駄目人間」と呟いた。そして、溜息。どうして僕の周りはこうも駄目人間が集まっているのだろう? 類は友を呼ぶってやつか。いや、なら自分も駄目人間だと認めることになる。
「そういや、今日はヒデヨシだけか?」
クウヤの腕の中で大人しくするヒデヨシを見て、レオラが尋ねた。いつもの大きな犬とデブ猫がいない。とはいえ、こんな所に居ても困るだけだのだが。
「ああ。流石に3匹も連れてこれないしね。ノロマとハカセは今日はお留守番。仕事仲間の都合屋に貸してあげた」
「貸した?」
「そ。なんでも、最近の生活に癒しが足りないから、アニマルセラピーとかなんとか」
「へぇん、アニマルセラピーねぇ。癒されるのか、それ」
「効果抜群だよ。動物好きには堪らないね」
「そうなんだ」
「ちなみに、僕はそれほど動物が好きって訳じゃないから、そんなに癒されてないけど」
「なんじゃそら。どこからつっこめば良いのか皆目見当付かねーよ」
「で。僕は何をすればいいのかな」
「取りあえず、部屋に人を呼べるくらいに綺麗にしたいデス」
「ラジャりました」
ドア前に立つこと20分。ようやくクウヤとレオラは部屋へと入った。
クウヤがここに来たのは、今日の朝一番に掛かってきた電話の所為に他ならなかった。
『もしもしクウヤ?! クウヤだよな!? いやこの際クウヤじゃなくてもいい!』
「……おはよう、レオラ」
『良かったクウヤだー! 早速用件なんだけど、お前今日ひま?』
一方的な電話の相手はレオラだった。レオラがまるで何かのお誘いのように気軽に「ひま?」と聞いてきたので、何も考えずに「うん、ひまだよ」と答えたことに、彼は後々後悔する。
用件というのは、レオラからクウヤへの部屋掃除の依頼だった。
『世間はもうクリスマス一色なんだよ。っつーわけで、今日中に部屋を綺麗にしたいんだ。なに、ちょっと一人では片づかないかなーって程度だし』
「クリスマスね。もうそんな時期かぁ。あれ、君にクリスマスを家で過ごすような恋人って居たっけ?」
『ちげーよ、もっと凄い人が遊びに来るんだよ』
「だれ?」
『師範代…』
「うっわ、ご愁傷様」
『だろ? 報酬はちゃんと払う。頼むから手伝ってくれー』
「了解。2時間ちょいでそっちに着くよ」
と、言うわけで。
約束通り2時間後にここに着いたのがついさっきの話。まさか気軽に引き受けた部屋掃除が、こんなにも酷い有様とは予想だにしていなかった。まだまだ精進せねばなるまい。
「さて、どこから掃除しようか」
「オレがいる物といらない物に分けていくから、お前は本棚と机周りの整理をよろしく」
「一番しんどい所じゃんか」
「気のせい気のせい」
ヒデヨシが一声鳴いた。
*****
やはり、空はその重い雲を持ちこたえることが出来ずに、はらはらと雪を降らし始めた。そんな中、例のアパートの一室では2人と1匹がへとへとになっていた。
「見違えたね」
「だな」
人間、やろうとおもえば案外何でも出来るのだ。ただ、やろうと思わないから、出来ないだけで。
「お疲れさまっしたー」
先ほどの面影など微塵もないほど綺麗な部屋で、レオラが労いの言葉を言った。
「全くその通りだよ」
「いやー、ほんと助かったわ。正直、明日までには無理かなって思ってたからさ。でも、やっぱりクリスマスは家族で過ごしたいからな」
「そういうもんなの? 和国では、クリスマスは大概が恋人か友達と過ごすんだけど」
「国によって違うもんさ。こっちなんか新年は友達同士で祝うしな」
レオラが冷蔵庫の中を覗きながら答える。中身はほとんど空だった。彼の後ろでは、クウヤが行儀悪く絨毯の上に寝そべっていた。その胴の上には、ヒデヨシも寝そべっている。
「ああ、お正月っていう概念が無いのか。和国とは真逆だね」
「そうらしいな。なんならさ、来年は裏町のみんなで集まって、なんかパーティーしようぜ…って、お前は実家に帰るのか」
「んー? いや、帰らないと思うけど」
「むしろ帰ってやれよ…」
戸棚を開けて、紅茶の缶を出す。蓋を開ければ見事に空っぽだった。コーヒー豆も同じく。
レオラは一度キッチンからリビングへ戻った。
「クウヤー。悪いけど、飲み物が何にも無いからその辺で買ってくる」
よっ、と掛け声と共に起きあがりながらクウヤが、お腹の上のヒデヨシを渡す。抱え上げられたヒデヨシはしっぽを左右に振っている。
「なら、ついでにヒデヨシの散歩もよろしく。今日はまだ一回も行けてないから」
「おっけ。何が飲みたい?」
「任せる」
「へいへい」
コートだけを上に羽織って、レオラがヒデヨシを貰い受ける。
「行ってきまーす」
無言で手だけを振って、クウヤは答えた。視線はレオラ達の方ではなく、一定の方を見つめている。がちゃん、と扉の閉じられる音がしてから、クウヤは遠慮なしに視線の先の大きな本を手に取った。
「うわ、ちいさー」
それはアルバムだった。小さい頃のレオラ――正確には、その当時はまだ『アゲハ』だったが――そして斡旋所主催のパーティーで会った、あのセリ・オーシュの若い頃が写っていた。
2人とも、同じ顔をして笑っている。
その中にクリスマスの光景を写した写真があった。プレゼントをもって満足そうに笑う昔のレオラ。クウヤは、それに昔の己を重ねた。父がいて、母がいて、兄がいたクリスマス。
「……お正月に、一回帰ってみようかな…」
ぱたんとアルバムを閉じて、クウヤは綺麗に元の位置に戻した。
とんとん
クウヤが座り直したと同時に、控えめなノックが響いた。レオラではないだろう。わざわざ自分の家のドアをノックする人はいない。しかし、客でもないだろう。ここは『家』であって『店』ではない。レオラは公私を分けて生活しているのだから。
なら、誰だろうか。
疑問を残しながらも、クウヤは扉を開けた。
「くすくす…こんにちわ」
『コンニチハ! ボクハ フラン!』
「……えっと、どうしたのかな?」
扉を開けた先には、薔薇とリボンとレースを巧みに使って可愛らしく作られた、ゴシック調の真っ黒なワンピースを着て、その長いふわふわの銀髪を服とお揃いのカチューシャで纏めた少女がいた。
「貴方は道外れの始末屋さん? くすくす、くすくす…」
『ボクハ フラン! 一緒二遊ボウヨ』
少女の両腕に囲われた真っ黒な兎の人形が、不気味に喋った。
*
至って異常の非日常。
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