5.げに恐ろしきはその場の流れ
門の中へはいってからの出来事は、時間が早く過ぎてしまったように感じられた。
ろくにカノンの心の準備も出来ないまま、門よりも豪勢な扉を開け、赤い絨毯の敷かれた通路を怯えるように歩く。
どうしてこんなことになったんだろう、と自問自答を繰り返すカノンの隣を、少女は堂々と歩いていた。その手は、カノンが逃げ出さないようにしっかりと彼女の腕を掴んでいる。
「お帰りなさいませ、ミシェルお嬢様」
深々と頭を下げる初老の男性。どうやら執事のようだ。少女――ミシェルは慣れているのか、すたすたと執事の顔も見ずに、歩きながら答える。
「ただいま、ピーター。パパはどこ?」
「はい。旦那様ならいつもの書斎に……」
「ありがと」
ひらひらと手をふるミシェルに、ピーターは失礼と思いながらも引き留める。
「あの……お嬢様?」
「何かしら?」
「そちらの方は?」
そちらの方。ミシェルが逃がさないように引きずっている、金髪蒼目のそちらの方のことだ。
「あ、どーもー。カノン・ソリティアでーす。街外れの便利屋やってるんで、何かお困りのことがあったらいつでも来てくださーい。お安くしときますよー」
「さあさあさあ、行くわよ便利屋さん!」
「まじですか? 心の準備は無しですか?」
嵐の様に去っていくミシェルとやる気のない金髪少女を、執事長のピーターは見送ることしか出来なかった。
「うえ! おれ一人で行くの?」
例の書斎の扉の前で立ち止まるカノン。
ピーターと別れてから数分と立たないうちに着いてしまったそこで立ち竦んでいた。どうやらミシェルによると、カノン一人でペットを飼う許しを得て欲しいそうだ。
「便利屋でしょ! ファイト! なせばなる!」
「棒読みで応援されたって、やる気萎えちゃうよ!」
「四の五の言わずにさあノック! きっと新しい世界が待ってるわ!」
「そこはきっと地獄だな……間違いないな」
ここまで来たら、もう逃げられない。カノンは意を決してその地獄への扉をノックした。
「どうぞ」
中から、とても威厳の感じられる声が聞こえた。威厳と言うよりも、威圧感と言った方が正解のような気もする。
とにかく、入りづらい「どうぞ」が聞こえた。
「し、失礼します」
頑張ってねー、という悪魔の声が聞こえたが、今のカノンには届かなかった。
扉の向こうの世界へと、カノンは踏み込んだ。
それから数分後――。
ペットの交渉が終わったのか、部屋の中からカノンが現れた。ドアの前でずっと待っていたミシェルが、ぱっと立ち上がる。期待と不安の入り交じった目で、カノンの傍へと駆け寄って。
「便利屋さん! パパはどうだった?」
「うん……まあ。その、ちょっと……」
「どうだったのよ?!」
「ご、ごめんなさい」
一言目が、謝罪のことば。詳しい内容は聞かなくても良さそうだ。申し訳なさそうに両手を合わせるカノンの姿だけで、部屋の中のことは容易に想像がつけた。
「無理、だったんだ……」
「あははははー……ごめん」
二人の周りの空気が重くなる。
「おや? お二人とも、どうなされました?」
エプロン姿のピーターの姿が見えて、少しだけ、空気が軽くなった。
*****
「そのまま帰るのもなんですし、私の作ったケーキでもどうです?」と、ピーターに誘われ、カノンは庭園でミシェルとちょっとしたお茶会をした。
出された紅茶と、ケーキは最高に美味でカノンの気分は上々だった、が。やはり、ミシェルの周りの空気は重い。
「あの、さ。交渉が失敗してから言うのもなんだけど、『生き物を飼う』って言うのはその時の気分で決めたりしちゃいけないんだよ。そいつらだって……まあ生きている訳なんだし。どうしても犬を飼わなきゃいけないって思える時がくるまでさ」
慰めるつもりでカノンが言う。
タダ同然の依頼とは言え、成功しなかったのだから責任はカノンにある。たとえそれがどんな依頼であれ、きちんとこなしてこそ便利屋だ、と師匠に教えられたからというのもある。
「だって……欲しいんだもん。犬、飼いたいんだもん」
「ミシェル、もしも犬を飼えたとするな? そこでお前はその犬の全てに責任を負えると誓えるか?」
「ちゃんと、世話ぐらいするわ! 馬鹿にしないで!」
カノンが声を荒げるミシェルの頭をそっと撫でた。馬鹿にしたわけではない。それはミシェルだって分かってることだった。
「世話だけじゃない。例えばその犬が病気になってしまったら、その犬が息を引き取るその直前まで、看取れるか?」
「それは、死んじゃうってこと……?」
「ああ。病気じゃなくたって、犬の寿命はヒトよりも短い。必ずその犬はお前より早く死ぬんだ。そんな他の生き物の一生の責任をお前は負えるのか? 全部、見届けてやれるのか?」
俯くミシェルを見てカノンは席を立った。ごちそうさま、とピーターに礼を言う。
「また、遊びにこいよな。失敗したお詫びに、次は無料で依頼受けるからさ」
「うん」
二人、いつになるか分からない約束を指切りした。
「はあ……悪いことしたかなー。うん、したよな。確実におれ、悪い奴……」
屋敷を出ていくカノン後ろのポケットには、数の記された紙。そう、小切手が収まっていた。
「でもおれ、真面目に今月やばいんだよ……言い訳だけどさ」
カノンがあの部屋の中で、ミシェルの父親に『娘に犬は飼えないと説得してくれ』と依頼されたのは火を見るより明らかだった。依頼の順番よりも、依頼料の多さで優先順位を決める。まあ、基本といえば基本だ。
「本っ当にごめんな、ミシェル」
大きな門に向かって、そう呟くカノンは複雑な表情をしていた。至極、複雑な。
*****
控えめなノックの音が響く。その後に、静かな声が聞こえる。
「ミシェルお嬢様、失礼します」
あの時よりも少しだけ年をとったピーターが部屋に入ってきた。
「何かしら?」
「お茶をお持ちしました」
ピーターが綺麗な女性にカップを渡す。ありがと、と微笑みながら答えるその人は、とても綺麗な笑顔を浮かべていた。
「何か良いことでもありましたか?」
「あら、どうして?」
もうすっかり大人になったミシェルが訊く。
「いえ……とても楽しそうなお顔をしていたものですから」
「そうね。昔の事を思い出していたのよ。犬がもの凄く欲しかった時のことよ。貴方は覚えていて?」
ピーターが懐かしそうに目を細めた。古いアルバムを取り出して眺めるように、微笑みを浮かべながら。
「お嬢様が、あの便利屋の方とお友達になられた時のことですね」
「ええ、そうよ。あの人のお陰で生き物たちの尊さを学ぶことが出来たわ。軽はずみで犬を飼わなくて良かった。心からそう思うのよ」
「それはそれは……ところであの方のお名前はなんと言いましたかな?」
ミシェルが苦笑いをする。
「ふふ、ピーターも忘れちゃったの? 私も思い出せずにいたのよ」
「確か何かの曲名だった気がするのですが……おや? お嬢様、こちらのご本は?」
ミシェルの手によって開かれている本をピーターが見る。
その本は、子犬の写真が表紙になっていた。
「ああ、これね? 私、今度犬を飼おうと思うの。今なら、その生き物の一生を共に過ごしてゆける気がするの」
あの便利屋さんに最後に会ったのは何時だったかしら?
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