151.Violetina![軍人と郵便屋と情報屋と]
噴水広場である意味名物にもなっている手品上手な軍人は、今日も今日とて噴水の縁に座ってのんびりと春の陽気を楽しんでいた。
肌を撫でる風も数日前に比べてどこか暖かい。確実に春が近付いてきている証拠だ。午前の仕事が長引いたためすこし遅めのランチになってしまったが、そのおかげであたたかい日差しを浴びられるのならば頑張った甲斐もあるというものだ。
そんな素晴らしい午後を存分に味わいながら、ユーリはハムエッグサンドを一口で飲み込んでうららかな昼休みを堪能していた。
「平和だなあ……」
「ヘイ! 相変わらずさぼってるわね、ユリリン」
「アディオス、俺の平和な昼休み!」
うららかで平和な休憩時間はものの三分で終了を告げた。激務のご褒美であった和やかなランチタイムを妨害してきた郵便屋は、ユーリの了承も得ずに隣へ座る。
「あのなぁ……俺が毎回さぼってるなんて思ったら大間違いだぞ。今日のはれっきとした昼休みなの!」
「ま、そんなこたぁどうでもいいんだけどね」
「渾身の無罪証明をばっさりと!」
ちょうど郵便屋もお昼を取る時間だったのか、すぐそこのパン屋で買ったと思わしき紙袋からチョコチップの乗ったマフィンを取り出して一口齧りつく。
それを見てユーリも残りのレタスサンドを取り出した。
「今日は何通くらいラブレター配った?」
「いやあ、今日はちょっと別の仕事があってね。ラブレターは配ってない」
「へー。珍しいこともあるもんだな」
「珍しいことといえば、残念ながらキミのお目当てさん、たぶん今日は来ないわよ」
「はあ?」
「カンカンに決まってんじゃない。あんた、カンカン見る為にいつもここでさぼってんでしょ?」
「はあ!?」
郵便屋の妙に確信を持って出された発言にユーリの口から色んな物が出る。咽るユーリを横目に郵便屋はぱくりとマフィンをひとつ片付けた。ここまで動揺を隠さずに表現する人間というのも珍しいものだ。
「他にももっと良いサボり場所はあるだろうに、わざわざこんなとこ選ぶのにはやっぱり訳があるんでしょ? っつーか、市場に買い物に来るなら必ずこの噴水広場を通るものね」
「……郵便屋って、本職は探偵か何かなわけ?」
なんとか落とさずに済んだ残りのレタスサンドを口に放り込みながら、ユーリは苦い顔をして言った。
「勘よ、勘。実際どーなのよ、カンカンのこと好きなの? なんならラブレター渡してやるわよ?」
「いらねーよ。ぼったくられそうだ」
「あら、よく分かってるじゃないの」
にやにやと人をくったような笑みで詰め寄る郵便屋に対して、空になった紙袋をくしゃくしゃに丸めながら、ユーリ自身もくしゃりと顔を歪めて言う。口元を緩めて、自分自身では笑っているつもりだった。郵便屋にどう思われたかはわからない。
「好きとか嫌いとか、そういう感情で行動してるわけじゃないよ」
「おっ? 言っておくけど小難しい哲学は苦手よ?」
「哲学とかじゃなくて、俺はただ言われたことをやってるだけ。……頼まれたんだ、ジンさんに」
一瞬だけ、二人の間に沈黙が下りた。
それは気まずさからくる静寂ではなく、その人を思い出すために必要な静寂だった。
「葬式の後、お前が俺に持ってきただろ? ジンさんから俺宛ての手紙」
「あー……あれね」
「それに書かれてたんだよ。『もしも俺が死んだら、代わりにカノンのことを頼む』って」
遺書なんてもらったの初めてだったよ。
そこに悲観の色は見えず、ただそうだったという事実を述べるだけの淡々とした声だった。ユーリの中でのジンは、思い出にするほどまだ古くはなかった。それは郵便屋も同じだった。彼女の意識もまた、ユーリと同じく二年前へと戻っていた。
「あの戦争に行く前にさ、あんたも手紙書かされたでしょ。いわゆる遺書ってやつ? あの当時、アタシのいた部署がそれを預かる仕事してたんだよね」
「あったあった。一応何かあった時の為だって、全員が予め書かなきゃいけなくてさ。何書きゃあいいかわかんなくて困ったなあ」
当時のことを思い出しながら、ユーリは空を仰ぐ。ぼんやりとした薄青が広がる、春らしい空だった。
「あんた、誰に書いた?」
「俺? あー……と、たしか父親と母親に一通ずつだったかな」
バーガンディ家の面々を思い出しながら、あの頃の自分が誰に宛てた手紙を書いていたのかを記憶の引き出しを片っ端から開けていく。自分と同じく軍部に所属していた父、家のことを任されていた母。それから、自分と年の離れた可愛いこども。
「あ、従兄弟にも書いたな。弟みたいに可愛がってたからさ」
誰に書いたかは思い出せても、一体何を書いたかまではよく思い出せなかった。きっとありきたりな言葉を無理やり並べて作っただけの文章だったのだろう。手紙を書いていたときはまだ、死ぬということがそこまで現実味を帯びていなかった。
ふ、と吐息が漏れた方を見れば、郵便屋が眉をひそめながら口元だけで笑っていた。いつも誤魔化しの無い感情で笑う彼女にしてみれば、それはとても珍しい表情だった。どうしようもない感情を誰にも悟らせまいと、何かを隠して浮かべた笑みのまま彼女は言う。
「普通はさ、そうなんだよね。みんな家族に書くの」
手持無沙汰になった両手をいじりながら、彼女もユーリと同じように空を見上げる。
「だけどあいつだけは違った」
まるでそこに『あいつ』がいるように、恨みがましい目でぼんやりとした空を睨みながら続ける。
「あいつ、カンカンには何も書いてないの」
「…………」
「あんなにも大切にしてたくせに、手紙を残してなかったの。馬鹿みたいでしょ? あんたや、他の仲間にはたくさん手紙書いた癖に、カンカンにだけ書いてなかったのよ」
本当馬鹿みたい、と今度は地面を一生懸命這う蟻に向けて吐き出すように呟いた。そんな彼女の様子を目の端に映して、ユーリは相変わらず上を見上げた体制のまま答える。
「あの人、賢いくせに頭悪いとこあったから」
細めた双眸に映るのは、ただの青い空だけだった。
*****
「……誰?」
控え目にノックされた扉を開けて、アルルは容赦のない第一声を放った。扉の向こうには、眠そうな顔で突っ立っている青年が一人。どこかで見たような気もするし、見ていないような気もする。ただひとつ言えることは、この場に立っているべき人間で無いということ。姉から押しつけられた仕事の手伝いを頼んだのは、紛れもなく自分の弟弟子であるフィンだったはずだ。
二人の間に妙な空気が漂う中、青年の後ろからひょっこりとサスケが飛び出した。ぱたぱたと一生懸命羽ばたく姿はどこか微笑ましい。
『遅くなって申し訳ありません、アルル。お仕事のお手伝いに参りました。ハクト殿、ほら自己紹介を!』
「あ……忘れてた」
サスケに促されてようやく青年は自分がやるべきことを思い出したらしい。ぽんと両手を叩いて、そのまま右手の甲に書きこんだメモを読み上げる。
「良い意味でも悪い意味でも奇跡を起こす……仲間外れの都合屋ハクト・ローズマリー。本日はご利用アリガトゴザマス」
「なんて不安感を煽る謳い文句だ!」
「そう……じゃあミラクルメーカー、ハクト・ローズマリーでも可……」
「驚くほど嫌な予感しかしない!」
頭を抱え込んで玄関口に座り込むアルルを、ハクトは未だに眠そうな目で見降ろした。ひどい言われようだったが、彼に落ち込んだ様子は微塵も無い。他人の評価は気にしない主義らしい。
「サスケ、一体これはどういうことだよ! フィンが手伝いに来てくれるんじゃなかったのか!?」
『そ、それは……』
一時間ほど前、アルルはフィンに斡旋所の情報整理を手伝ってくれるように応援要請の電話をした。以前同じ情報整理をした者同士でやれば手っ取り早く終わるだろう、そう予想しての電話だった。そんな身勝手なアルルの頼みに受話器の向こうでいささか不満そうな声を出していたものの、確かに了解の声を聞いたのだ。それは間違いない。
ならば、ここに居るのはハクトとサスケではなく、フィンとサスケとセットであるほうが自然なはずだ。
アルルの八つ当たりにも似た感情を今にもぶつけられそうになっているサスケの隣で、ハクトはまたぼそりと言葉を発する。
「アルは忙しい、フィンも忙しい、俺は暇。だけど俺は道がわからない。サスケは道を知ってる。……答えはひとつ」
“ひとつ”の部分を強調しながら、ハクトは立てた人差し指をアルルに向けた。探偵にでもなったつもりなのだろうか。
残念なことにハクトとの付き合いがゼロに等しいアルルには、その少ない言葉から多くの情報を読み取るのに時間がかかってしまう。
まるで異国の言葉を翻訳するようにサスケが丁寧に言葉を加える。
『つまりですね、今日はフィンの仕事が詰まっていましたので、かわりにハクト殿がお手伝いに来たというわけです。私は道案内として同行させていただきました』
ここまで時間をかけて分かったことは四つ。
唯一の頼みであったフィンは手伝いにこれないこと。代理のハクトには期待出来そうもないこと。結果、これだけの情報整理を自分でなんとかしなければならないこと。
そして、
「俺、絶対に都合屋と相性悪いわ」
世外れと名のつく都合屋の少年を思い出しながら、アルルは自分の不運を呪った。
*****
「そういやカンカン、花の街行きの列車に乗っていったらしいわよ」
そろそろ二人の昼休みも終わりに近づいてきた頃、立ちあがった郵便屋が駅の方向へ視線を送りながら誰ともなしに言った。つい数分前、マフィンを買ったパン屋のおばさんから聞いた確かな情報である。
「へえ。そーなんだ」
あまり興味をそそられなかったのか、特に食いつくこともせず簡素に返事をするユーリに呆れた顔を隠しきれない。
「……呑気ねー。まさかヴィオレティナを忘れてたってオチじゃないでしょうね?」
「こんだけ騒がれれば嫌でも思い出すって。現に軍部内も例に漏れずいまはスミレの香りでいっぱいだしな」
朝から軍部にしてはずいぶんと平和な光景を目にしてきたユーリは、いまだに浮ついた雰囲気が漂っているであろう仕事場を思い出しながら面倒臭そうに言った。こういう行事はきちんと参加した記憶が無いユーリにとって、いまの職場ははっきりいって疲れる。そんなに深い意味もなく、社交辞令として渡されるスミレを、どうやって受け取るのが正解なのか未だに分からないでいるのだった。
予想していたよりも薄い反応をもらった郵便屋は、興味を持たないユーリのことを責めるようにカノンの話題を引き延ばす。
「カンカンがヴィオレティナの季節に花の街に行ったのよ? 絶対に何かあるに決まってるじゃない! 気になんないの?」
「別にこれといって気にはならないかな」
「なんでよ?」
まるで気にならないことが罪だとでもいうように、郵便屋は強い口調でユーリを責める。自分の思っていた方向に話が進まないことがよほど面白くなかったらしい。
そんな彼女の心境を知ってか知らずか、ユーリはその理由をいたってまじめに答える。
「カノンがスミレを渡す相手はもうずっと前からジンさんって決まってんの。だから別にヴィオレティナだからって気になるようなことはなんにもないわけ」
勝ち誇ったように言ってのけたユーリの真向かいで、郵便屋は小馬鹿にしたように鼻で笑う。負け惜しみでもなんでもなく、心底馬鹿にした態度だ。
「ははあ、あんたの頭って意外とポジティブに出来てんのね。どうしてそこでカンカンが他の誰かからレヴィンのスミレをもらうかもしれないっていう想像が出来ないのかしら?」
「……他の誰か?」
思ってもみなかった選択肢を与えられて、ユーリの思考が一時停止する。そして想像してみる。花の街の、たとえばおしゃれなカフェで誰かと待ち合わせをするカノンを。
目の覚めるような白いスミレの鉢植えを抱えて彼女の元へやってくる“誰かさん”を。
カタカタと動くユーリの脳内映写機はだんだんと軋んだ音を立てて、とうとう最後のシーンまで上映することなく役目を終えた。
「じゃあ逆に聞くけど、誰がカノンにレヴィンのスミレを渡すんだ?」
まったく想像出来なかったユーリは、答えを求めるように郵便屋の顔を伺い見る。
思いがけない疑問をぶつけられたため、しばらく目を瞑っていろいろなパターンを想像してみるが、郵便屋の脳内映写機も途中で動かなくなってしまった。というよりも、答えに値する映像を思い浮かべるには、少々想像力が足りなかったのだ。郵便屋が知っている限りで、カノンへスミレを渡す可能性があるのはせいぜいシオンくらいだ。
「さーて、仕事に戻らなきゃ」
考えることを放棄して、彼女はついさっきまでの会話を無かったことにした。
そそくさと噴水広場を後にする郵便屋の背中を見送りながら、ユーリも仕事に戻るため立ちあがる。
「他の誰か、ねえ……。無い無い」
まるで自分に言い聞かせるかのようにして、その場を去った。
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