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140.きみのためのノスタルジア(いつかそんな日が来る前に)
「死にたいので、殺してくれませんか?」
 カノンの向かいに座っていた少年が、出された紅茶に手も付けず、まるで犬の散歩でも依頼するかのような気軽さで言い放った。
「やだ」
 拒否の言葉を返された少年は、きょとんとした顔でカノンを見つめ、それから自分の後ろを振り返る。だが、そこには誰も居ない。
「……お前に言ったんだよ、お前に!」
「僕にですか? おかしいなあ、ここって何でもしてくれるんじゃないんですか? ほら」
 見て見ろと言わんばかりに、自分の持つ紙切れを指差す少年。その紙切れには、長ったらしい謳い文句が書かれていたが、要約すれば何でもする旨が書かれていた。
 紛れもなくこの店のチラシである。二日ほど前に、カノンは確かにそのようなことを書いた覚えがあった。なるほど、チラシの効果は絶大だったというわけだ。
「そりゃそうだけど、何でもっつったって限度がある」
「なるほど、誇張広告ですか。訴えられますよ?」
「あのなー……大体名前も知らない人間からいきなり『殺せ』って言われてハイ分かりました、なんて言えるわけな」「クウヤ・アンダーグラウンド」
「……なに?」
「何って、名前ですよ。僕の。これで殺してくれるんですよね?」
 クウヤと名乗った少年は、そう言ってカノンへにこりと何の疑いもなく笑いかけてくる。
 そんな相手の様子に、カノンは頭を抱えた。
「お前とは話が噛み合わない……」
「そうですか? ばっちり噛み合ってますよ」
「他を当たれ」
「無理です」
「なんで」
 ただ殺してもらうだけならこの店に拘る必要は無いだろう、とカノンが言い掛けるが、それよりも先にクウヤが答える。
「だって、もうお金ほとんど残って無いですもん」
「……はぁ?」
「旅費が尽きたんです。宿代もそろそろきつくなってきたし、なるべく今日中に殺して欲しいんですよね」
 特に悲観するわけでもなく、ただあるがままを話すクウヤに、カノンはますます頭が痛くなった。これはまた面倒な客がやってきたものだ。
「お前の財政事情なんて知ったこっちゃねぇよ。もう一度言うが、他を当たれ」
 言い終わると同時にカノンはソファーから立ち上がり、近くに掛けてあったジャケットを羽織り、乱雑に置かれた本の上にあったポシェットを肩から掛けた。
 外出の用意を始めたカノンに、クウヤも立ち上がりながら不思議そうに聞く。
「どこに行くんです?」
「昼飯。今日はもう店じまい。お前は帰れ」
「そういえばお腹空きましたね。もうそんな時間でしたか。僕もご一緒します」
「いらねーよ! ついてくんな!」
「まだ話はついてませんよ」
「お前、さっきのおれの話聞いてたか? 依頼は受けない。はい、話ついた!」
「それじゃあ困るんですよー」
「おれもいま厄介な客に絡まれて困ってる」
「なるほど、これが『困るのはお互い様』ってやつですね」
「それを言うなら『困ったときはお互い様』」
 カノンが逃げるようにしてドアから出る。その後を置いていかれまいとクウヤが追いかける。
 二人の噛み合わない会話がどんどんと小さくなっていく。
 ドアが乱暴に閉められたお陰で鐘が鳴る。しばらくカランカランと乾いた音を響かせていたが、それからまた静かになった。





*****





「いいか? これ食ったら絶対に帰れよ」
 城下町の噴水広場前にある安くて美味しいと評判のレストランは、今日もかなりの賑わいを見せている。丁度お昼時だということもあってか、店内は混雑をきわめていた。
 店内よりも比較的静かなオープンテラスでは、カノンとクウヤが互いにメニューを広げていた。
 午後の日差しのお陰で、小春日和のように暖かい。冬ももう終わりに近付いているらしい。
「ここってカノンさんの奢りですか?」
「お前な……」
 図々しい発言に米神を抑えるが、ちょうどこの席から見える噴水広場に見知った顔を見かけて、カノンはにやりと笑った。
「いいぜ。奢ってやる」
「本当ですか? 助かります」
 どうやら財布の中身がほとんど無いというのは本当らしい。
 改めてメニューを隅から隅まで読み始めたクウヤに、カノンは質問を投げかけた。
「お前、見たところこの国の人間じゃなさそうだけど、どっから来たの」
「……あっちの方ですかね?」
 噴水広場とは反対の方向を指差してとぼけた答えを返すクウヤに、カノンは呆れた声を出す。
「何ソレ、超適当なんですけど。あ、すいませーん!」
 右手を挙げて、そばを通りかかった店員へと声を掛けた。
 店員は笑顔で返事をし、すぐに小走りでこちらまでやってきた。
「お待たせいたしました。ご注文をどうぞ」  
「おれはフリットミストとパルメザンチーズのリングィーネ。お前は?」
「えーと、ワタリガニのトマトクリームパスタと自家製ベーコンとホウレン草のシーザーサラダ」
「とりあえずこんだけで」
「かしこまりました」
 店員が去っていくのを見届けて、クウヤが話を続ける。
「イギリスです」
「ん?」
「イギリスから来ました」
「ふーん。なんだ、お前東洋っぽい顔立ちしてるから、てっきりそっち系の国の人かと思ってた」
「イギリスから来ましたけど、別に英国人って訳じゃありませんし、イギリスの前は違う国にいましたよ」
「……あっそ」
 屁理屈にも似た言葉を返されたカノンは、投げやりに相槌を打った。クウヤとの会話の所為で、頭痛が増えたのは気のせいでは無いだろう。
 明らかに不機嫌な彼女を目の前に、クウヤはグラスに入った水を一口飲む。別に出身地くらい話したって問題は無いだろうが、自分が一体誰なのかを特定されるようなことは極力避けたかった彼としては、これ以上この話は続けていたくなかった。
 続かない会話の代わりに、クウヤも質問を返す。
「僕も質問良いですか」
「どーぞ」
「貴方、あの家に一人で暮らしてるんですか?」
 グラスに入った水越しに映るクウヤを、カノンは少し考えた風にして覗きこんだ。
「んー。今はまあ、そんな感じかな」
「じゃあ部屋の壁に掛かってあった写真の人は誰なんですか? 誰か男の人と貴方が写っていたように思いますけど。父親……にしては若すぎますよね?」
「何だと思う?」
 カノンが問い返す。クウヤがその答えを探していると、さっきとはまた違う店員が両腕いっぱいに皿を持って料理を運んできた。
 湯気と共に漂ってくるその匂いを嗅いで二人は空腹だったことを思い出し、テーブルの上に並べられたパスタやサラダをもくもくと食べ始める。
「父親で無いとしたなら……お兄さん、ですかね?」
「じゃあそれでいいや」
「何ですかソレ、超適当なんですけど」
「お前よりマシだろ」
「いい勝負だと思いますよ。すいませーん、タコのカルパッチョ一つお願いします」
 異常な速さでパスタを完食したクウヤが、サラダを頬張りながら追加の注文を出す。
 近くに居た女性店員が、別のテーブルの空き皿を抱えながら、器用に伝票を取り出した。
「あ、おれもそれ食いたい」
「じゃあカルパッチョ二つ」
「お姉さん、包み焼きピッツァとライスコロッケも追加で」
 かしこまりました、と店員が営業用の笑顔を浮かべて隣のテーブルへと移動する。
「次、おれからの質問」
「どうぞ」
「なんでイギリスに居たのに、わざわざこの国へ来たわけ? イギリスの方が色々と進んでるし、何かと便利だろ。正直、この国が他の国より安定してるとは思えねーし」
 フォークを相手に向けながら、カノンは心底不思議そうに聞いた。観光で来たわけでは無いのだから、何か理由があるに違いない。理由もなくわざわざ来るような国ではないからだ。
「うーん。最初はイギリスで、どんな人間でも始末してくれる有名な始末屋さんに会おうと思ってたんです」
「ほーお。どんな人間でも?」
「ええ。とても腕が良いらしくて、人殺し一家皆殺しの依頼も成功させたとかなんとか。噂ですけどね」
「そんなに凄腕なら、なんでその人に依頼しなかったんだ? しなかったから、おれの所に来たんだろ?」
「痛い所を突いてきますね。僕だって本当はその始末屋さんに依頼したかったんですけど、どうやら偽情報を掴まされたみたいでして、」
 話の途中だったが、場の雰囲気にそぐわないほど笑顔を見せて店員がドン、と大皿をテーブルのど真ん中に置いた。
「追加の包み焼きピッツァとライスコロッケ、カルパッチョでございまーす!」
「「どうも」」
 手に持っていた皿をテーブルに置き、代わりに空いた皿を慣れた様子で下げていく光景を無言で見つめるクウヤの向かいでは、カノンは早速ライスコロッケを頬張っていた。
 店内はまだまだ忙しいのか、慌ただしそうに帰っていく店員を見届けて、クウヤは話を再開した。
「イギリスに居るって聞いていたのに、随分と昔にレスティナへ引っ越しちゃってたみたいなんです。気付くのが遅かった所為で、こっちへ来て早々にお金が無くなっちゃいまして」
「さっきから言おうと思ってたけど、実は馬鹿だろお前」
「事実なので言い返せませんね」
「それで、妥協しておれの所へ来た、と」
「全くその通りです。イギリスからだと中央のメトロポリスにも行けなくて、ソナチネに来るのが精一杯だったんです。結局、ぎりぎりで来られるのがこの城下町で、これからどうしようってあそこで困っていたんです」
 カルパッチョをたいらげながら、フォークで噴水広場を指し示す。
 広場では子供達が集まって、何やら楽しそうに声をあげている。パフォーマーでも居るのだろうか。何かを取り囲むようにして、それは遠くからでも目立っていた。
「そしたら、風と一緒に何かが飛んできたんです。足元に」
「その『何か』っていうのが、さっきお前が見せてきたチラシだった。で、汽車に乗る余裕も無いお前は、近くに店を構えていたおれの所へ行くことにした。こんなとこか」 
「C'est juste!」
 正解を言い当てたカノンに、クウヤがこの国では滅多に使われることのない言語で答えた。
 一瞬、訝しげな顔をしたカノンだったが、すぐに溜息を吐いて空になった皿の上にフォークを放り投げた。
「……英国の前は仏国にでも居たのか? お前、本当にどこから来たんだ? 英語はかなり流暢な方だけど、英国人ではないみたいだし……」
「この国の人間じゃないことは確かですよ。それに英語は教養として学んでいただけのことですし、仏語だって話せるのはこれだけです。知り合いがフランスに住んでいて、これが口癖だったもので。貴方こそ、仏語が話せるんですか?」
「語学は好きな方だけど、仏語はまだ聞きかじった程度だな。おれも軽い挨拶くらいしか話せない」
 話が途切れると、二人はほぼ同時に手を挙げる。それに気付いた店員が、テーブルの前に立ち止まって伝票を取り出した。
 テーブルの上にあった大量の料理は、いつの間にか全てたいらげられていた。綺麗に端へと寄せられた空き皿達は、気持ちいいくらいに何も残っていない。
「お会計ですね?」
「や、デザートの注文で。おれはカフェ・ラッテとミラノ風パンナコッタ」
「僕は日替わりデザート四種盛り合わせ……あー、でもなぁ……やっぱりこっちも捨てがたい」
「何、なんか悩んでんの?」
「日替わりっていうのも気になるんですけど、ピスタチオのジェラートも美味しそうなんですよー……」
「ふーん。両方食えば?」
「え、良いんですか?」
「いいよ」
「じゃあ両方で」
 ぱたりとメニューが閉じられる。
 笑顔を浮かべているはずの店員の頬は、少し引きつっている。
「す、すぐにお持ちいたしますね」
 伝票には、とてもじゃないが二人分の量とは思えないほどの料理名で埋まっていた。
 そんな店員の心も知らずに、カノンはグラスを片手に持ちながら、右肩を回しながら解した。
「正直な話、詮索すんのも尋問すんのも面倒になってきた」
「同感です」
「お互い、質問はあと一回な」
「いいですよ」
 その答えに、人差し指を立ててカノンがにやりと笑う。クウヤは相変わらず薄く笑っているだけだ。
「なんであんな依頼をしてきた」
「……どうしてそんなこと聞くんです?」
「別に。ただちょっと、気になっただけだよ」
「具体的に、どの部分がですか?」
 改めて問われたカノンは、首を傾げたままのクウヤから目を離して、頬杖をつきながらぼんやりと広場を見つめた。
 噴水の近くにあるベンチには、パフォーマーとそれに群がる子供達の他にも、何人かの人間が疎らに座っている。誰かとの待ち合わせでもあるのか、しきりに腕時計を見る人。母親の買い物が終わるのを待ち続ける子供。和やかな雰囲気が漂うあの場所に、目の前にいる少年も座っていたのだろう。
 そして、一人考えていたのだろうか。どうやったら、自分が死ねるのかを。
「カノンさん?」
 何も喋らないカノンを不審に思ったのか、クウヤが怪訝な声で彼女の名前を呼んだ。
 呼ばれた方向へと振り返りながら、カノンはしっかりと彼の目を見つめる。
「お前、死ぬって言うことをちゃんと理解してんのかな、って」
「おかしなことを聞くカノンさんですね。理解していなかったら、あんな依頼しませんよ」
「死んだら何も無いんだぞ? 全部終わってしまう。お前だけじゃない。お前が死んだら、家族が悲しむ」
「悲しんでくれるでしょうか」
「喜ぶ人なんて居ない。少なくとも、おれの家族はそうだと言っていた」
「あの男の人ですか」
「そうだ」
 しっかりと頷く彼女から、クウヤは自然と目を逸らした。何故だか、直視するのが憚られたのだ。
「そうだとしても、僕は居ない方が良いと思うし、死ぬなら早めに死んでおきたいんです」
「居ない方が良いって……そんな人間が居るわけないだろ」
「居るんです。実際にこの僕がそうなんですから。僕のこと何も知らないくせに、勝手なこと言わないでください」
「それはお前が何も言わないからだ」
 ぴしゃりと言い放たれた言葉に、唇を噛む。クウヤの両手がきつく握りしめられたのを見て、カノンは少しだけ息を吐き出した。
 見た目よりも大人びて見えた彼だったが、いまではむしろ、外見より幼いように見える。
「でも、僕だって……」
「別に嫌なら話してくれなくたっていいさ。話すことを強要したい訳じゃない。ただ、何も言わない癖に、分かってもらおうとするなってことだ」
 突き放すような言葉のあと、二人の間に沈黙が降りた。
 カチャカチャと食器が運ばれる音、周りの談笑、フォークとナイフがぶつかる音、広場の人間の声。たくさんの音で溢れているはずなのに、まるで二人の周りだけ現実から切り取られたかのように、無音だった。
 クウヤはずっと拳を握りしめて、俯いていた。あれからカノンと眼を合わせようともしない。怒っているのだろうか。それとも。
 気まずい空気に耐えかねていたカノンだったが、甘い匂いと共にやってきた店員によって、少し空気が軽くなった。
「お待たせいたしましたー! カフェ・ラッテとミラノ風パンナコッタのお客様ー」
「あ、おれです」
「それから、ピスタチオのジェラート、日替わりデザート四種盛り合わせでございます。ご注文は以上でお揃いですね? それではごゆっくりどうぞー」
 ほとんど駆け足に近い速度で厨房へと戻っていく店員の後ろ姿は、あっという間に小さくなった。
 運ばれてきたカフェ・ラッテにストローを差して、上に乗っていたクリームごと飲む。程良い甘さと冷たさが口の中に広がって、カラカラだった喉を潤す。
 その味を十分堪能して、今度はスプーンへと持ち帰る。ここのパンナコッタはレオラが贔屓にしていた。きっと美味しいに違いない。
「……やっべ、滅茶苦茶うめー」
 期待通り、今までに食べたどのパンナコッタよりも美味しかった。満足げに頷くカノンが向かいを見れば、クウヤはまだデザートに手を付けていなかった。
 いつまでああやって俯いているつもりだろうか。呆れた様子でカノンが話しかけた。
「お前も食えよ。ジェラートが溶けるぞ?」 
「何故、殺して欲しがるのか、と聞きましたよね」
 カノンの忠告は受け取ったらしく、平たいスプーンでジェラートを掬い取り、口に運びながら先程のカノンからの質問を反芻した。
「……ああ。聞いた」
「強いて言うなら、誰かの所為で死ぬのが嫌なんです」
「はあ?」
 ぴた、とジェラートを食べる動きが止まる。次はフォークに持ち替えて、もう一つのデザートへと手をつけ始めた。
 盛り合わされた四種類の小さなケーキたちは、鮮やかな彩りで見る人の食欲を誘う。定番の苺ショート、ミルフィーユにタルト、粉砂糖が振りかけられたガトーショコラ。どれも一口で食べきれる大きさに作られている。
「吐き気がしませんか。誰かの所為で死んでしまうだなんて」
 サクサクとパイ生地を崩す音が、ラジオのノイズのように混じってくる。
 一番手前にあったミルフィーユを一心不乱にフォークで崩しながら、クウヤは話を続ける。
「よくある話でしょう? 誰かを庇った所為で死ぬ。誰かに間違われた所為で死ぬ。誰かを助けた所為で死ぬ。誰かに恨まれた所為で死ぬ。誰かの、誰かに、誰かが、誰かを。誰かという存在の所為で死ぬ。それは時に知り合いだったり、全くの赤の他人だったりする。そんな理由で死ぬなんて、馬鹿みたいじゃないですか」
 ぐちゅり、と苺が無様に潰された。
 果汁とクリームがどろどろになって、皿の上に広がる。
「だから、僕は僕だけの為に死にたい」
 最後の最後で、やっとカノンと眼を合わせたクウヤは、また先程のように小さく笑っていた。
 綺麗に飾られていたはずのミルフィーユはぐしゃぐしゃに潰されて、カスタードクリームの間でジャムみたいになった苺が、何かを連想させてグロテスクに見えた。そのデザート皿の上では、まるで惨劇が起きたかの様で。
 次の標的はタルトにしたのか、またフォークで壊し始めるクウヤ。
 今度はザクリとクッキー生地が崩れる。
「……おれ、思ったんだけどさ」
「はい?」
「それって『誰かの所為で死ぬのが嫌』なんじゃなくて、『自分の所為で、誰かが死ぬのが嫌』の間違いなんじゃねーの?」
 カノンの質問にも似た科白に、クウヤの動きが止まる。
 辛うじて全壊を免れたタルトを手掴みで取り上げて、カノンはぱくりと一口で食べてしまったが、クウヤはそれについては何も言わない。
 何も言わない代わりに、少し力無く息を吐いた。
「図星なんだろ」
「……とにかく、死んでからでは遅いんです。だから早く死んでおきたいんです。早く。手遅れになる前に、出来るだけ早く」
 まるで言い聞かせるように、何度も何度も同じ言葉を繰り返す。
 そんな壊れた蓄音機のように呟きつづけるクウヤの頭に、手刀が振り下ろされた。カノンだ。カノンが、容赦の無い勢いでクウヤの脳天を直撃した。
「った……!?」
「お前、明日荷物まとめてもう一回ここに来い。死んでも来い」
 痛みを訴える頭を抑えながら見上げると、カノンが口をへの字に曲げて自分を見つめていた。
「……は?」
「金無いんだろ? ちょうど今人手が足りなくて困ってたんだ。うちで働け」
 決まりだな、とさっさと納得してしまったカノン。うんうん、と両手を組んで一人頷いた。
「ちょっ、何勝手なこと言ってるんですか!」
「うるせーな、もう決めたの! 文無しは黙って言うこと聞けよ。お前、まさかタダで殺してもらおうだなんて思ってた訳じゃねーだろうな?」
「貴方より常識を弁えているつもりです。ちゃんとお金は払いますよ」
「嘘吐け。お金が無いって散々言ってたじゃねーか」
 事実を突きつけられて、思わず後ずさる。かといって、いつまでも尻込みしていられない。
 クウヤもカノンの勢いに負けじと声を張る。
「今は無いですけど、持ち物全部売ってお金を作るつもりです! どうせ死ぬんだから、いらないものばかりですし」
「じゃ、百万ミーリア」
「は?」
 間抜けな声を出したクウヤの鼻を、人差し指でぐいぐい押す。
「殺しの依頼は高額なんだよ」
 にやりと笑ったカノンの顔は、勝ち誇ったように自信で溢れている。
 法外な値段に一瞬だけ呆けてしまったクウヤだったが、すぐに我に返る。そして、テーブルを両手で叩いた。辺りに派手な音が響く。
「ちょっと待ってください! それにしても高過ぎやしませんか? 別に暗殺や事故死偽装なんてオプションはいらないし、同意の上の殺しじゃないですか!」
 声の大きさも尋常ではなかったが、ソレよりも会話の内容が内容だっただけに、周りは一時的にカノン達のテーブルを注目する。が、すぐにまたいつもの店内へと戻った。
「おれは滅多に殺しは請け負わないの。だから、特別料金だ。おれしか頼る人が居ねーんだろ?」
「せめて半額とか、」
「半額にしても良いけど、お前金あんの?」
 財布の中身など、見なくとも分かる。覚えられないほど持ち合わせていないからだ。
 ぐ、と言葉につまったクウヤを、カノンが今まで以上に嬉しそうな笑みを零して笑う。
「足りないんだろ?」
「…………足りない、かもしれませんけど」
「じゃあ決まりだな。おれん所に住み込みで働け。あの家、おれには広すぎるんだよな。お前が住めばちょうどいい広さになるだろ」
「そんな勝手な!」
 どんどんと進んでいく話に歯止めをきかせようと、カノンの声以上に大きな声でそれを遮るが、さらに上乗せするようにカノンは話し続ける。こうなってしまえば、もう彼女のペースを乱すのは至難の業だ。
「もし明日来なかったら、お前の生きてきた中で一番恥ずかしい出来事を大声で暴露しながら宿まで押し掛ける」
「いやいや……そんな。またまたご冗談を」
「おれの友達にさ、おれになら格安で情報あげるって言ってくれてる情報屋が居るんだ。いい奴だろー? 横の繋がりが多いのが、便利屋の特徴の一つですよ? お客様」
 にこり、と営業用の笑顔を向けられて、クウヤの頬を冷や汗が伝った。
 逆らってはいけない。そんな雰囲気だ。威圧感と言っても良い。
 便利屋の特徴だとか、情報屋の友達だとか、クウヤにはそれが本当の話かどうかなど分からない。ただ一つ確信を持って言えることがあるとすれば、「この人なら絶対にやる」という嫌すぎる確信だけだ。
 もう一度、目の前の人間を見る。眼が合うと同時に、またにこりと笑いかけられた。
 逆らっても無駄だ。クウヤは諦めたようにして、椅子の背もたれへと崩れ込んだ。
「絶対に行きます。本当に。約束します。だから絶対に押し掛けに来ないでください、宿の人に迷惑です」
「よし、よく言った」
「無理矢理言わせた癖に……」
 一体自分は何をしているんだ。わざわざこんな辺鄙な国にまで来て、最終的に便利屋で働くことになりました、だなんて、本当に訳が分からない。
 明日になれば、今の会話は実は夢だった、なんてことにならないかな。
 もうこれ以上その話をしたくなくなって、クウヤは伝票を片手に違う話題へと変えた。
「ところでカノンさん。本当にこんなに奢ってもらっていいんですか?」
「言っておくけど、おれは払わないよ」
「え!? だって、奢ってくれるって言ったじゃないですか! 僕、本当にお金持ってないですよ!?」
「大丈夫大丈夫。なんの心配もねーよ」
 伝票を持って絶望的な顔をするクウヤにひらひらと右手を振って、そのままその指で噴水広場を指し示す。
 カノンが示した噴水のちょうど正面側には、一箇所だけ子供の群れが出来ている。
「あそこで子供に囲まれながらトランプしてる軍人が見えるだろ? あれ、おれの知り合い」
 言われてみれば、子供達の真ん中には深い紺色の軍服を見に纏った軍人らしき人間が見える。
 年齢はまだまだ若そうな青年がトランプを一輪のガーベラに変えると、周りの子供達からは拍手と歓声が沸き上がった。
「で、あの手品上手な軍人さんがどうかしたんですか?」
「言ったろ? 知り合いだって。あの人が全部払ってくれるから」
「……いいんですか?」
 良いわけが無いが、彼女のシニカルな笑みを前にそんな常識など通用しないことは、さっきのやりとりで十二分に分かっていた。
「いいんだよ。どーせまた仕事サボってんだから。弱味握られるようなことをしてるのが悪い」
 貸せ、と一言だけ言って、クウヤから伝票と取り上げると、カノンはオープンテラスの柵を跨いで軍人の元へと駆け足で近寄る。
 傍へやってきたカノンに、軍人が嬉しそうに笑いかける。その後、彼女の右手に握られた伝票に気付くと青い顔をしてすぐさま逃げ出した。トランプが派手に散らばるが、それよりも派手に軍人が転げた。カノンが伸ばしていた足に引っ掛かったらしい。
 ぎゃあぎゃあと騒ぐ二人。その周りで囃し立てる子供達。
 一段と騒がしくなった広場を呆れた目で見つめながら、クウヤがぽつりと呟く。
「…………これからどうなるんだ、僕」
 全く予想が付かない自分の明日に、溜息を吐いた。





*****





「で、クウヤはおれの所で一緒に暮らしながら、便利屋見習いとして働くことになったわけ…………って、寝てるし」
 話し終えたカノンの隣で、シオンは小さく寝息を立てて眠っていた。
 どうやら話の途中で眠ってしまっていたらしい。子供特有の高い体温のお陰で、二人を包む毛布はとても暖かい。
 シオンの額にかかった前髪を手で梳かして、しばらく弟の顔を見つめる。楽しい夢でも見ているのだろうか。その寝顔はどこか笑っているようにも見えた。
「ふあーあ……今日は疲れたな。おれも寝よーっと……」
 涙の滲んだ両目を擦りながら、カノンはごそごそとベッドの奥深くまで潜り込む。
 夢の中へと沈む前に願うことは、かつての同居人のこと。
 どうか嘘吐きで傷付きやすいあの子が、優しい夢を見られますように、と。














おやすみ、ノスタルジア。





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