11.ある日の記録
【八月二十日 晴れ】
昨日の雨がすっかり止んで、今日はすごく良い天気でした。
軍から電話があって、軍に行くのをすっかり忘れていたことに気付きました。
ユーリさんにもの凄く怒られました。最悪でした。
でも天気が良かったからどうでもいいです。
*****
賑わう城下町から離れた、小さな丘の上に小さな家。そこから鳴り響く、電話のベルの音。
カノンは洗濯物を干している最中だった。
「はいはーい…っと」
慌てて家の中へ入り、電話の音が切れる一歩手前で受話器を上げた。間一髪だ。
「もっしもーし。金さえ積めば何でもする便利屋ですけど、何かご用ですか?」
『………』
一度受話器から耳を離して、カノンの頭の上に疑問符が飛ぶ。
「あのー、もしもし?」
『……にが…』
僅かに男と思われる声がした。さらにカノンの周りには疑問符。
「にがい?」
『なーにが、便利屋ですけど、だ!』
大きな声を聞いて、カノンが両手をポンと鳴らした。
「ユーリさんじゃん! おっはよー」
『おっはよー……じゃなくて!』
バーガンディとカノンに呼ばれた青年の声が大きすぎるのか、カノンは耳から受話器を少し離した。それでも耳が痛かったらしく、しかめっ面をした。
「もう朝っぱらからなんなんだよ? どうせそれ、軍の回線使ってんだろ。さぼんなよコラ、この給料泥棒が」
『さぼ……! 仕事だ仕事! お前があれから一週間経っても来ないから!』
「あれから?」
カノンは一週間前、エリザ・マッキンリーから依頼を受ける前に話した電話の内容を思い出していた。一字一句間違わず。
*
「はい、こちら犬の散歩から、気になるあの人の尾行までどんな内容でもこなす、街外れの便利屋です」
『こちらはソナチネ地区警察軍のマースだ。街外れのカノン・ソリティアか?』
「はい? ええ、おれの事ですけど。軍がなんの様ですか?」
『お前、またなんかしでかしただろう。エルト財閥の遺産相続の……』
「だーかーら、その件に関しては、おれは知りませんってば! っていうかユーリさん、ちゃんと仕事してんのか?」
『ユーリ・バーガンディ少尉はいま先日溜め込んでいた書類を……って、あいつは今関係無いだろう!』
「うわ、怒らないでくださいよー……ったく、マーサル将軍って暇人なわけ?」
『何か言ったか?』
「いーえ、おれは別に何も言ってませんよ」
『……まあいい、話を戻すぞ。エルト家は軍の上層部とも深く関わっている家だ。裏町業者が関係者を誑かしているかもしれない、と上が五月蠅い。関わっていようが無かろうが、とにかく話が先だ。明日軍に来い』
「はあ!? なんでそうなんだよ! 軍の手柄を横取りしてどうなるんだよ!」
『別に横取りしたとは言っていない。話が聞きたいだけだ。いらん疑いを掛けられるのも嫌だろう』
「……あーもー分かりましたよ、行けば良いんでしょ、行けば?」
『最初からそう言えば良いんだ。では明日な』
「はい明日ね、はいはい分かりました。じゃ。あ、ユーリさんに仕事しろよって言っておいてくださいね」
*
両手を合わせて、ぽんと音を鳴らすと同時にすっきりした声を発する。
「ああ、あの時の!」
『思い出すの遅くない!?』
カノンは受話器を持ち直して笑った。
「ごめんごめん、すーっかり忘れてた!」
『ああもう! 思い出したんならさっさとこっちに来い! また俺が怒られるだろう!』
「そう怒りすぎると禿げるよー?」
カノンはバーガンディ家の家長を思いだした。この人の祖父は確か、髪の毛が無かった筈だ。
『……俺は絶対に禿げないからな!』
きっと相手も同じ人物を思いだしていたのだろう。カノンは苦笑した。
「で。おれはいつ、そっちに行けば良いわけ?」
『今すぐに来い』
「明日じゃなくて?」
受話器の向こうでぷっちんと切れた音がした。気がする。
『明日なんかにしたら、お前また忘れるだろうがー!』
「やだなあ。おれの記憶力の素晴らしさと凄さはあんたが一番知ってるじゃん。ね、ユーリ・バーガンディ少尉」
『素晴らしさと凄さだけじゃなくて都合の良さも知ってる! お前思い出そうとしたことなら完璧に思い出せるけど、思い出そうと思わなかったらそれはもう完璧に忘れてるだろう! 昔からよくお前に痛い目に遭わされたからな! 確かあれは神経衰弱が得意だって言ったおれに「じゃあ今月のお互いの給料を賭けて神経衰弱ね。あ、ハンデとしておれからカードをめくらせてくんない?」って言ってきたときだ! お前は一回目の、』
「……ぐー……」
『って、寝るなあ!』
これだけ長電話をしておいて、ユーリ・バーガンディはまだ元気なようだった。流石軍人。鍛えられている。
「違いますよー、寝てませんよー、ちょっとー目を瞑っていただけですよー」
『語尾を上げ調子で伸ばすな、語尾を。とにかくだ。絶対に今すぐ来い!この電話を切ったら直ぐだ!』
「えー」
『えー、じゃない! そうじゃないと、俺また怒られるだろう!
「ユーリ・バーガンディ、お前はろくに雑用も出来ないのか? たった一人の一般市民をここへ連れてこれば良いだけだろう。違うか?
それともあれか? お前はあの嘘くさくてどうにも信用ならないあの便利屋と何か裏で通じていたりするのか? まあ私には関係の無いことだがな。しかしだな、極力裏町との接点は作らない方が身のためだぞ。偉大なバーガンディ家の名に汚名を被せることになるかもしれないからな」ってな!』
「うわー、ものごっつそっくり! 物真似殿堂入り決定! それってマーサル将軍の真似だよな?」
『それは企業秘密。俺は偉大なるマーサル将軍にお仕えしている身でありますから……とまあ冗談はおいといて。ってな訳だから、忘れんなよ』
カノンが外の方に目をやると、さっきよりずっと晴れていた。この様子だと、億が一にも雨が降ることは無いだろう。
「ちゃんと行くって。師匠にも『嘘は吐いてもいいけど、約束だけはちゃんと守れよ』って言われたしな。嘘は吐いていいのかよって子供心に思ったことの方が覚えてんだけど」
『あはははっ! ジンさんらしいなぁ。あの人、生きてる内に約束を破ったことなんか無かったんだろうなぁ』
「さもありなん」
『じゃ、またな』
「じゃーね、ユーリさん」
同時に電話が切れる。虚しい音が耳元で鳴り響くので、すぐに受話器を元の位置へと戻した。電話は、話した後に襲ってくる言いようのない孤独感が嫌いだった。
カノンは首を左右に動かして、溜息にも似た深呼吸をする。それは溜息だったのかもしれない。
「はぁ……面倒くさいなあー」
カノンは干しかけの洗濯物を一気に物干しへと移して、出かける支度をした。
「名前が似てるから、なんか名前で呼ぶのが嫌なんだよなー、ユーリさん」
街の方へ走っていくカノンの頭の中では、かつての家族が思い出されていた。
ユリウス・シュトラス。顔はもう覚えていないけど。
*****
【八月二十日 晴れ 追記】
軍へ行ったらマーサル将軍に会いました。
なんか舌打ちされたから、取りあえず笑顔で挨拶しておきました。社交辞令、社交辞令。
あの人が裏町を嫌っているのは師匠が生きていた頃から重々承知の上なのでへっちゃらです。
帰りに、ユーリさんにケーキを奢らせました。満足です。
今度、師匠の墓参りに行くそうです。
明日はまた雨かもしれません。
同じ名前なのに、違う人。
神様、これって酷くない?
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