102.「最悪だ」と彼が言った。
「次の曲がり角、約五十二歩」
フィンが前方を行くハルナに言葉をかける。ハルナはというと、あれからずっとフィンのコートを引っ張って歩いている。それにも関わらず、一切の疲労を感じさせない顔色を見ると、見かけに寄らず体力に自信があるらしい。見かけ通り体力の無いフィンがそんな彼女に声に不満を漏らした。
「ウェストテール。もうちょっと丁寧に運んでくれない? 石畳が足に引っかかって痛いんだ」
運んでもらっている身にも拘わらず、ずうずうしく注文を付けてくるフィン。彼の神経の図太さを知りたいとハルナは心の中で毒づいた。
「……じゃあ自分で歩きなさいよ」
「えー、面倒臭いよ。キミが勝手に連れてきたくせに……ボクが親切にもこうやってアルルの家に案内してあげてるっていうのに。四回に至る不法侵入について何も追求してないのに。ねえ天国にいるナチー、世の中は理不尽だよー」
首根っこを掴まれたままフィンは、天を仰ぐ。恐らくそこにいるであろう自分の師に向かって現状の不満をたらたらと零していた。
「分かった、分かったわよ! 丁寧に運ばせて貰います! お加減はいかがですか、全体観測様!?」
「まあまあってところかな。あ、今で丁度三十歩くらいだね。もうすぐ大きな十字路に出るはずだから、左に曲がって約三十二歩。右手に細い裏路地を見つけたら、そこを約四十六歩ね」
そこまで言って、くあ、とあくびを漏らした。それを聞いたハルナが呆れて溜息を吐く。
「……よくもそこまで落ち着いていられるものね。あの現態観測が『生きる気力を失った』だなんて言ってたのよ? ただ事じゃないわ。悩みなんて皆無に見えるあの現態観測が、何かを思い詰めてるなんて……!」
「どうせ下らないことに決まってるよ」
即答だった。フィンの返事に、ハルナが苛立ったようにフードを勢いよく引っ張った。その反動で、フィンが少し苦しそうに呻く。
「もうっ! 全体観測は薄情ね!」
「……これでも、キミよりはアルルとの付き合いが長いつもりだよ。アルルは人騒がせな奴なんだ。こんなことで一々構ってられないよ」
兄弟子を思い出しながら、フィンはもう一度空を見上げた。
「だよねー、ナチ。アルルは昔っから、大袈裟な奴なんだよねー」
「ちょっと、気味悪いから止めてよ! 本当に展開観測がいるかと思っちゃうじゃない」
「まさか。キミは幽霊の存在を信じているの? 見解観測ともあろう情報屋が、根拠のない噂に惑わされているなんて知ったら、世間の笑いの種だろうね。ああ可笑しい」
全然面白く無さそうにフィンが呟いた。ハルナはそんな彼を殴り飛ばしたい気持ちを抑え、その怒りを歩みの原動力へと変えた。立派な人間だ。
だが、少し後ろを見やる所を見ると、幽霊の存在は否定しきれないらしい。その彼女の行動を見て、フィンはまた声を出した。
「ナチー、ウェストテールが幽霊を信じてるよー」
「もう止めてってば!」
十字路を左に曲がって、少し進めば右手に細い裏路地。フィンが言うには、そこを四十六歩進むらしい。どうして歩数まで完璧に記憶しているのだろうか。それが彼の『全体観測』たる所以なのだろう。彼は誰もが認める、ナチを越える情報屋なのだ。ただ、彼自身が認めていないだけ。恐らく、この先もずっと。
ハルナは早くアルルの家へ着くように急ぎ足になる。アルルが心配なのもあるが、フィンと二人っきりというのもなかなか疲れるものがある。どうせならサスケに付いてきてもらえば良かった。そうすればもう少し楽だったろうに。
ハルナが後ろを恨めしそうに見たが、フィンは目を瞑って心地よさそうにうとうとしていた。人に引きずられながら、よく眠れるものだ。それともこの揺れが心地良いのだろうか。驚き半分呆れ半分の顔でハルナはもう一度前を見た。が。
「………あれ? 行き止まり?」
ちゃんと言われたとおり歩いていたのだが、いつのまにか塀には蔦が生い茂る行き止まりに到着してしまっていた。誰も使っていないような場所だ。蔦に巻き付かれた塀が、とても哀れに見える。
「ちょっと全体観測。アルルの家は何処よ? なんか行き止まりっぽいけど……」
「ここだよ」
ハルナに預けていた全体重を久しぶりに自分の両脚へと戻し、フィンは行き止まりの塀へと手を掛けた。未だ理解しきれていないハルナにろくな説明もせず、ぴょんぴょんと何度か飛び跳ねて、勢いを付ける。
「全体観測?」
「せーのっ、と」
出っ張った煉瓦に両脚を上手に乗せて、半分ほどの高さまで飛び乗ったフィン。頑張ろうと思えば上れる高さだが、頑張ろうと思わなければ上がれる気がしない高さ。そこをフィンは慣れた様子で、所々に出た煉瓦に足を掛け、ようやく一番上の塀へと跨った。
その様子を、口を開けたままハルナが呆然と見上げていた。
「……何してるの、ウェストテール。早く上らないと置いていくよ」
「え! あ、ちょ! ちょっと待った! すぐ上るから!」
ハルナも見様見真似で塀をよじ登る。フィンが足を掛けていた場所を文字通り手探りになって這い上がりながら。多少不格好な形になるが、これしか方法が無いのなら仕方ない。
大幅にフィンよりも時間がかかったが、それでもなんとか塀の上へと辿り着けた。
「け、結構コツがいるわね」
「慣れれば大丈夫だよ」
今度はひょい、と先程とは反対方向へとフィンが飛び降りる。そこは草の生い茂った庭のような場所で、落ちた衝撃を押さえるクッション役になっているようだ。
結構な高さに一瞬戸惑ったものの、意を決してハルナは飛び降りて、
「いったー!」
失敗した。
労るように腰をさすりながら、次に彼女の目が映したのは、書庫が三つあるフィンの家よりも大きな屋敷だった。
「…でか……現態観測ってお金持ちだったの?」
「さあね。でもこれは元々アルルの家だった訳じゃないよ」
「あら、そうなの?」
「うん。昔聞いた話だけど、アルルがナチの元を出て一人暮らしするときに、格安で買ったんだって」
「格安? こんなに立派なのに? 変な話ねー」
庭の草を掻き分けて前を歩いていたフィンがくるっと百八十度回転し、彼女の方を向いた。素早かったので、ハルナが思わず身構えてしまった。
「そう……変な話。変だから安いんだよ。分かる? ウェストテール」
意味深な台詞を放つ。最初は首を傾げていたハルナだったが、思い当たる節があったらしい。何かを思いついた表情を見せた後、見る見るうちに顔色は青くなっていった。変な話イコール、奇妙な話。
「も、もももも、もしかして!」
「………いわくつきの物って、大概安いよね。タダ同然で手に入ったり」
ハルナが引きつった笑顔になる。人は恐怖のボーダーラインを越えると、笑ってしまうのだろうか。首を左右に何度も振って力一杯否定したが、フィンが潜めた声でハルナへと耳打ちするように呟いた。
「出るんだって……この屋敷」
ハルナから離れたフィンは、普段無表情なくせに、今に限ってうっすらと口角をあげる。極々自然に微笑んでいる。それが余計に恐ろしく感じて、ハルナはがしっと彼の腕を掴んだ。
「……痛いよウェストテール」
「この腕を放しちゃ駄目よ。お願いだから!」
やりすぎたか、とフィンは少し後悔した。体力の有り余るハルナに腕を掴まれると、少しばかり痛い。だが自業自得なので何も言えない。今度はフィンがハルナを引っ張る形になって、アルルの家の玄関へと歩き始めた。
「何年ぶりだろ、アルルの家に来るの」
「あ!」
「……なに?」
ハルナが信じられない物を見たような目でフィンを見る。まさか本当に出たのだろうか。だが彼女が言いたいのはそういうことではない。
「そういえば全体観測! あなた、外に出られてるじゃない!」
「……気付くの遅くない? というか、知らなかったの? てっきり知ってるものだと思ってたよ」
「初耳よ! 良かったわねー、苦手なことが克服できて!」
よしよし、と頭を撫でようとしてくるので、フィンは出来るだけ自然に避けた。過剰なスキンシップはお断りだ。適度でもお断りだが。
「置いていくよ…」
「ごめんごめん」
立派な取っ手に手をかけ、時計回りに回す。すると簡単に扉が開かれた。意外なことに鍵はかかっていなかったようだ。
「不用心ねー」
「そうかい? 鍵を閉めてても侵入者っていうのは入ってくるんだから、結局同じじゃないの?」
前科のあるハルナの耳にはとても痛い言葉だった。もちろんフィンはそれを分かっていて言っている。扉を大きく開け放ち、二人が中へと入る。一応『生きる気力を失った』人がいるという緊急事態だ。断り無く入ったとしても問題は……まあ無いとは言いきれないが。
「あらあら? 同じ情報屋同士、協力し合うことも必要だと思うわ。それに金品は盗んでないわよ」
「当たり前だよ。それじゃあ本当に泥棒じゃないか。といっても、情報を盗み見してる時点で泥棒とさして変わらないんだろうけどね」
「まあまあ、情報は共有し合うモノよ。独り占めは良くないわ」
都合の良い台詞をハルナが放った途端、ゆっくりと閉まっていたはずのドアが、誰かの手によって勢いよく閉じられた。大きな音が響く。予想外の展開に、ハルナがより一層の力を込めてフィンの腕を掴んだ。
「な、なに!?」
まだ昼前のはずだが、陽の光が入りにくく、照明が点いていない所為で廊下は暗い。フィンが慣れてきた目を凝らして辺りを見回す。特に違和感はない。
「……もしかして、本当に出たりしてね」
「やだ! 冗談はやめ、」
ハルナが本気で嫌そうな声をあげると同時に、フィンは目の端に何かが映った気がした。暗くてよく見えなかったが、確かに何かが動いた。
その瞬間。
がし。
「あ」
「―――ッ!?」
フィンとハルナの腕が、何者かによって掴まれた。ハルナが声にならない叫びをあげる。
そして、腕を掴んだであろうその人物が、嬉しそうな声を発した。
「つーかまーえた!」
その声を聞いて、フィンは脱力気味に答えた。
「捕まった………来なきゃ良かった……」
「まあまあそう言うなよ、フィン。ひっさびさに兄貴分に会えた喜びを全身で表現しようぜ!」
「いままさに全身で表現してるよ。ああ、最悪だってね」
完全に暗闇に慣れたフィンの目が捕らえたのは、わざと眼鏡をずらして掛けている人物。暗い所為でよく見えないが、本来なら赤みがかった茶色の髪を持つ、アルル・キャラメリゼだった。
▼現態観測アルル・キャラメリゼが現れた! どうする?
■帰る
■とりあえず帰る
■とにかく帰る
フィンは 帰る を使った!
腕 を 掴まれて帰れない!
アルル の攻撃!
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