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93.アリスの孤城 【大切なもの】
 空っぽだったから、何かで埋め合わせたかった。
 人形の願いは、ただそれだけだった。





 *





 開かれた扉。そこから入ってきた二人の人間を見て、アリスは力無く首を横にふるふると振った。
「嘘よ……どうして貴女達がここに居るの? クロックもミス・マッドもコヒナタも、一体何をやってるのよ?」
 そうは言ってみるものの、彼女の中では既に答えは出ていた。
 三人共、負けたのだ。目の前に立つこの便利屋と、その仲間達によって。
 自分はまた、一人になってしまったのだ。
「もうお終いだ、アリス。シオンを返してもらうぞ」
「香葉月さんの家宝と、妹さんの形見もですよ」
 朝飛の声が、カノンの後ろから聞こえる。彼女よりも一歩遅れて、朝飛もアリスのいるこの部屋へと入った。
「姉さん!」
 アリスから、いとも容易くシオンは離れていく。アリスの大切なモノになるはずだった、シオンが。
 彼の走っていく先は、見なくとも分かる。アリスは呆然とその光景を見ていた。自分の持っていないものを、簡単に手にする―――取り戻してしまった、カノンを。
「だ、め……」
 アリスは首を振る。そして、右手のナイフを握りしめる。しっかりとした感触がそこにはあった。だけどこれはアリスの『大切なモノ』ではない。アリスが欲しかった物ではない。
 さっきまで繋ぎ止めていた、あの腕。あれではないといけない。
「……駄目よ! シオンはアリスのモノなのよ! どうしてそっちに行くの!?」
 カノンの目の前までやってきていたシオンが、叫ぶアリスの方を向く。
「僕は君の大切なものじゃない。違うんだよ」
「違わない! 嫌よ、アリスから離れていったら許さない! こっちに戻ってこないと、あなたの大切なモノを壊すから! あなたの姉を、カノン・ソリティアを殺すから!」
 脅しと変わらないその台詞を聞いてカノンはアリスの方へと歩き出す。が、それはシオンの腕によって阻まれる。
「……シオン?」
「僕はもう守ってもらうだけは嫌なんだ。大切なものは、自分で守らなきゃいけない。アリス、君が姉さんを傷付けたら、僕が必ず、君を殺す」

 ごす、と鈍い音が聞こえた。朝飛が表情に出ない程度に、少し驚いていた。
「殺すとか、簡単に言っちゃいけません」
「……ごめんなさい」
 頭を押さえ、涙目になりながらシオンが謝った。口に出す前に手を出す姉の癖は、きっと治らない。
 不満そうに唇を尖らせる弟の頭をくしゃくしゃと撫でて、カノンはアリスへ声を掛ける。
「と、いうわけだ。後はお前の後ろにある、それ。それも返してもらう」
 カノンの言う、アリスの後ろにある物達。たくさんの裏町業者達から目の前の少女と、その仲間達が奪い取ってきた『大切なモノ』。
 どうやら粗末な扱い方はされていないらしく、綺麗に保存されている。
「全部返すわ……返すから、シオンをちょうだい。ねえ、シオンと交換してよ……! アリスも欲しいの。大切なモノが欲しいの!」
 シオンを通り越して、カノンの服を掴む。必死になって懇願してくるアリスに、カノンは言葉を返せなかった。
 朝飛も朝飛で、アリスに何を言えばいいか分からなかった。何かを欲しがるという行動が、朝飛には分からなかった。彼も、彼の弟も、何かを欲することがなかった。
 沈黙が沈黙を呼ぶ。朝飛は目の前の三人を凝視していた。
 その所為で、彼の横を誰かが駆け抜けたことに気が付かなかった。 

「カーノーンッ!」
「うおっ!?」
 突然何者かに背後から飛びつかれて、カノンはバランスを崩す。それと同時に、アリスも手を離す。蹌踉けながら振り向くと、そこには見知った顔があった。  
「レオラ……?」
「おっす。約束、守ったぞ」
 右手で指切りの形を作って、赤眼の彼は笑った。それにつられてカノンも笑った。
「ちょっと遅いんじゃねーの?」
「酷いな。これでもボクにしてみれば全速力だったよ」
 気が付けば、扉の近くにいる朝飛の隣には、黒髪が二人。フィンと朝葉香がいた。
「わたくしも約束を守りましたわよ」
 これで部屋の中は一対三から一対六になった。どう足掻いても、アリスに為す術は無い。
 カノンから離れたアリスは、その後ろにいるレオラへと眼を向けていた。 
「……アゲハ…」
 ぽつりと、呟く。殺人鬼一家の末っ子だった彼ですら、便利屋の彼女の元へと集う。
 自分と同じ血が流れているというのに。
「……どうして? なんで、アリスにだけ大切なモノが無いの? アリスはただ、みんなの持ってるそれが欲しいだけなのに……どうして?」
 答えの出ない質問は、まだ続く。
「……なんで、アリスばっかり悪いの? アリスがパパとママを壊したから? どうして裏町業は悪くないの? 同じ様なこと、してるじゃない」
 朝葉香も言っていた。裏町業は、犯罪者と変わらないことをしてるんじゃないかと。
 空夜は違うと言った。だけど、理由が見つからなかった。レオラは、答えなかった。
 カノンはその問いに、迷いもせずに答える。
「同じだろうな。きっと、他の人から見ればそう見えると思うよ。だけど、違うようにも見えると思う。見え方なんて、人それぞれだ」
「それじゃあ、答えにならないわ……」
「ああ。答えなんて幾らでもあるさ。おれは、おれの思ったようにするだけだ。これがおれの答えだ」
 カノンは迷いもせずに、答えた。
 アリスが困惑したように彼女を見る。アリスには、答えが見つからない。
「分からない…分からないよ。アリスが人形だから?」
「違うだろ」
 アリスとは別の声が響いた。
「お前は人形じゃない。人間だ」
「ううん。アリスは人形なの。あなたは知らないかもしれないけど、人形なの」
 カノンはもう一度同じことを言う。
「お前は人間だよ。おれと同じ、人間」
 
「人間なんかじゃない……!」

 アリスの持っていたナイフが、音も立てずに絨毯の上へと落ちた。
「アリスは人間なんかじゃない! 人形なの! パパとママは人形を作るのが上手だったから、アリスも二人に作られたの。そうに違いないわ。だって、二人は人形が大好きなんだもん! いつもいつもいつもいつも人形の話ばかり! 今度はあれを作ろう、これを作ろう……全然アリスのことなんて見てなかった! パパとママが好きなのはいつだって人形だった! みんなみんな、人形なの! アリスは二人が大嫌いだった。コンテストが終わるまでの我慢だって思ってたけど、結局同じだった!」
 悲痛な叫びが、木霊する。
「だから壊してやったのよ。全部全部全部、壊したのよ! バラバラにして、分解して、作り直そうと思ったのよ! アリスを見てくれるように、作り直そうと思ったの。なのに、パパもママも動かなくなっちゃったの! あの日から、アリスは、空っぽなの!」
 言い終えたアリスは、力を失ったように膝を床へ付いた。ぶつぶつと、壊れたように何かを呟いていた。
 誰も何も言わない。きっと、何も言える言葉は無い。カノンはそう思った。
 だけど、声がした。
「二人のことが、大好きだったんでしょう?」
 世外れの都合屋と、似た声。朝飛がアリスに向かって言った。
「大好きで大好きで、なのに自分を見てくれなくって、悲しかったんでしょう? 二人のことが、大切だったんでしょう? だから、二人を殺してしまった今、大切なモノが見つからない」
 アリスの表情は、見えない。床へと視線を向けたまま、彼女が返事をする。
「そう…見つからないの……アリスはあの日から、ずっと一人なの。それが嫌で、仲間を探したの……マッドとコヒナタとクロック。なのに、また一人になっちゃった」
 それは嘲笑ともとれる笑みだった。だがその表情は誰にも見えない。項垂れたままの自分を、彼等はどんな目で見ているのだろう。何度も何度も一人になる、滑稽な自分を。
 
 
「本当に、一人なのか?」
 

 レオラの声に、アリスは項垂れていた顔を上げる。銀色のウェーブの掛かった髪がさらさらと動く。
 彼女のレオラよりも少し茶味掛かった赤い眼が、大きく開かれた。
「クロック……」
 この部屋に居る誰よりも大きな男が、アリスの前までやってきた。そして、彼女をカノン達から隠すように――そう、庇うように立った。
「すまないが、俺達のことを見逃してはくれないか?」
 シオンもレオラも朝飛もフィンも朝葉香も、カノンを見る。
「負けた分際で、こんなことを頼むのは卑怯なことだと分かっている。だが……」 
 ふ、とカノンが笑った。
「見逃すも何も、おれ達はあんたらを捕まえるつもりなんてねーよ。そういうのは、警察軍の仕事だ。裏町業の、少なくとも便利屋であるおれの仕事じゃ無い」
 そして彼女はレオラの方をちらりと見る。
「……あー…オレもそんなつもり無ぇよ。そんな依頼、誰からも受けてねーからな」
 その言葉に続いて、朝葉香も了承する。
「カノンがそう言うのなら、仕方ありませんわ」
「そんな面倒なこと、ボクはすすんでやろうとは思わないね」
 フィンも同意する。 
 だが朝飛だけは違った答えだった。
「いくらなんでも、それは無理です」
 全員の目が朝飛に向けられた。その視線を気にもとめずに朝飛は続ける。 
「弟が、怪我を負わされました」
 静かに言葉が紡がれる。
「ミステリアス・マッドさんから教えていただきました。あの毒は、死なない毒だと」
 死なない毒。彼女の新作であったあの毒は、時間さえ経てば平常に戻るのだと、彼女自身から聞いていた。
 その事実を知らなかった人を代表してレオラが朝葉香へと真偽を問う。

「そうなのか?」
「ええ。わたくしにもそう言っていましたわ。解毒剤のいらない毒だ、と」
 だから、もういいだろう。そう言いたげに朝葉香が朝飛を見る。それでも彼は喋り続ける。

「だけど、弟の苦しみは半端無かったはずです。それなのに、黙って見逃せとか、許せというのは都合が良すぎるんじゃないんですか? 家族を傷つけられて、なんとも思わない人はいません」
 全てを言い終えて、朝飛が前へと出る。クロックがアリスの前に立ちはだかっていた。
 

 ぱん


 小気味良い音が反響した。朝飛を除く、部屋にいた全ての人間が驚いた。
「これで、おあいこです」
 ニコリとも、ニヤリとも言い難い笑顔で朝飛は言う。
 彼の目の前には、頬に平手打ちを喰らったクロックが居た。
「……なかなか、痛いものだな。初めて殴られた」
「本気を出した時の僕は、まだまだこんなもんじゃありませんよ」
「本気じゃなかったのか」
「今度こんなことしたら、次はグーで殴りますよ。すっごく痛いって仲間内から大評判です」
 右手で拳を作って、クロックの目の前へと突き出す。それを見て、苦笑気味にクロックが返す。
「そうか……怖いな」
「ええ。ですから、もうこんなことはしないって約束してください」
「ああ」
 約束。その返事を聞いて、朝飛は綺麗に笑った。





*****





 全てが終わった。
 アリスの部屋には、元の様に人形だけで埋め尽くされていた。もう他人から奪い取った『大切なモノ』は無い。残らず全て、カノン達が持って帰った。シオンも含めて。

 クロックは、アリスの決断を待っていた。

 彼はアリスの従者。これからどうするのかは、アリスが決めること。
「アリス」
「………」
「アリス。これから、どうする?」
 朝飛と悪事はしないと約束した。ならば選択できる道は二つ。警察軍へと向かうか、このまま逃げ続けるか。
「そうね……どうしましょうか」
 アリスは、初めて彼に微笑んだ。
 いや、笑うことはよくあった。自分を騙すかのように、無理矢理笑う彼女なら何度も見ていた。だけど、目の前の笑顔は、彼が初めて見る笑顔だった。
「アリスね、考えてみたの」
 クロックに言う。
「間違ったままかもしれないけれど、世界の道から外れたままかもしれないけれど、アリスは、アリスの思う様にしようって。だから、警察軍には行かない」
「そうか」
「でも、ちゃんと償う」
「そうか」
「それでいいよね?」
「アリスがそれで良いと思うなら、それで良いのだろう」
「だから、」
 少しだけ寂しそうに。
「クロックも、クロックの思うようにしてね」
 クロックは不敵に微笑む。
「なら、しばらくアリスについていこう。アリスがちゃんとやっていけるか、不安だしな」
 アリスはそんなクロックに抱きついて、何度も「ありがとう」を繰り返した。
 そして気付いた。彼は、大切な人だと。


「屋敷を、出ましょう」
「ああ」
 誰にも知られないうちに、出よう。そう決めた。
 アリスはたくさんある人形のうち、黒いフランを手に取る。そして、他に持っていくモノは無いか辺りを見回す。持っていくのは、必要最低限の物だけで良い。どこにいくかも、どうなるかも分からないから。
 そこでアリスの視線が止まった。
「あれも、持っていかなきゃ」
 それは数え切れないくらいにある人形達の、一番上に置かれた新しいフラン。アリスが両親を殺した日、キッチンに置かれていた新しい桃色のフラン。
 アリスがそれに手を伸ばして、スイッチが入ってしまった。
「あ」
『ボクハ フラン! キミノ名前ハ?』
「くすくす……同じことを言ってるわ。アリスよ。アリスって言うの」
『アリス? アリス! アリスニ 言イタイコトガアルンダ!』
「……なぁに?」
 初めて聞くフランの台詞に、アリスは戸惑いながらも答えた。
『今日は十歳の誕生日だね。おめでとう、アリス』
 懐かしい声だった。
『パパもママもお仕事が忙しくて、寂しい思いをさせてしまっているね。ごめんね。だけどパパもママもアリスのことが大好きだよ』
「パパ、ママ……」

『アリスのことが、世界で一番大切だよ』

 音声が、途切れた。アリスは新しいフランのスイッチを切って、それを抱きしめた。
「ごめんね」
 きつくきつく、抱きしめた。
 桃色のフランの足裏には『For Alice』と刺繍が施されている。
「ごめんね……ごめんね…」
 三度目の謝罪を終えて、アリスは呟いた。
「ありがとう……」





 *





 もう、空っぽなんかじゃない。








そして孤城には、誰もいなくなった。




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