8.I fell in the hell of despair. There is no hope anywhere.
私の父は軍人で、今はもうどこにも居ません。
私の母はとても弱い人で、私を迎えになんて来ません。
私の名を、今では誰も覚えていません。
私の隣で微笑むこの人は、私を一人にしないでしょう。
*
ユーリと出会って、二週間が経った。
「何見てるんだよ、ちび」
私の視線に気づいたユーリが、ぶっきらぼうに言った。
「うん別にー……ていうか、ちびじゃないから!」
むっとして、私が拗ねると、ユーリは少し考えてにんまり笑った。
「じゃあ、金髪とか?」
すかさずユーリが言い返してきた。この数週間で分かったこと。ユーリは私より年上の癖して、私より子供っぽいところがある。
「それ名前じゃないし……」
俯いて答えると、ユーリが私の顔をのぞき込んできた。
「でもちびは嫌なんだろ。よし金髪ちび決定な!」
「異議あり!」
「いいじゃん別に。お前の金髪、綺麗なんだからさ」
綺麗なんかじゃない。そんなきらきらした言葉と自分は、とてもかけ離れていた。
薄汚くって汚れていて、埃だらけ。服もボロボロで。
綺麗じゃないって分かり切っている。なのに、ユーリが言うとまるで本当に綺麗になったんじゃないかって思ってしまう。それほどまでに、ユーリの存在は大きかった。
「でもま、良い名前が見付かるまではちびのままな」
「そのうちでかくなるよ」
顔が自然と笑顔になる。これもユーリのお陰だろうか。彼に出会えて良かった。彼のお陰で私は救われた。
ユーリだけは私を見捨てないと思った。
「さてと、朝ご飯でも探しに行くか」
私はすっと差し出された手を取るのに戸惑った。一緒に出掛けるのは、初めてだった。貧民街は危ないから、何も知らない奴が出て行っちゃ駄目だとユーリが言っていた。
だから、ユーリに手を差し出されるのも、初めて。
なかなか手を取ろうとしない私を見て、ユーリは無理矢理私の手を取って歩き出した。
「ついていっても、いいの?」
小さな声で訊いた。
ユーリは私の方を見ずに、ぐんぐん進んだ。私の手を握ったまま。聞こえなかったのかも知れない。本当はついていったら迷惑かも知れない。足手纏いになるかもしれない。
「私、ついていってもいいの?」
ユーリの足が止まった。
私がユーリの返事を待っていると、ユーリはまた歩き出した。歩きながら、言った。
「俺とお前はこれからもずっと一緒なの! まだお前のこと少ししか知らないけど、俺たち二人はもう家族なの! もう決定事項だかんな。異議は?」
かぞく、家族。もう一人じゃない。一人じゃなくても、いいんだ。二人でいても、いいんだ。
相変わらずこっちを見ないユーリの耳が、赤くなっていることに気づいて、笑った。
「ない、よ」
笑いながら、そう二人で笑いながら、この薄暗く狭い路地を抜けた。
道は、確かに明るかった。
ユーリだけは、私を見捨てないと思った。
「うおー! 今日はめちゃくちゃあるな!」
ごみ箱の中を覗いて大声をあげる。
「ユーリ声でかい!」
それを私がたしなめる。
町のごみ箱を漁る幼い私たちは、きっと誰よりも惨めで、可哀想な存在だったことだろう。
私たちのことを、通り道を抜ける町の人は哀れみの目を向けながら見て見ぬ振りをする。それでも私たちは幸せだった。
「朝ご飯確保!」
「ついでにお昼ご飯も確保!」
二人で顔を見合わせて、笑って手を繋いで、今日もあの「元は知らない誰かさん」の家に戻る。窓ガラスは相変わらずはずれたまま。
私たちは一日一日を必死で生きていた。明日はご飯が無いかも知れない。今日は飢え死にしないですんだけど、明日は死ぬかも知れない。私たちとそう変わらない子が両親に甘えて笑顔で家族と並んで歩いているのに、私たちは。
だけどそれが私達の常識で。それが私達の世界で。一人が、二人になれただけで、幸せで。
誰にも頼らず、守ってくれるはずの親にも見捨てられて、それでも二人でいればなんとでもなる。そう思った。そう思いたかった。思っていたかった。
ユーリだけは、私を見捨てないと思った。
ユーリと出会って三ヶ月目のことだった。
その日はまた雨が降り出していた。梅雨明けは未だらしい。そのせいか昼だというのに、暗くて不気味だった。
「ユーリ、遅いなぁ」
私はボロ小屋のなかでユーリの帰りを待っていた。
時々、乱雑に置かれた缶やバケツに雨が入って、ぽちょんと間抜けな音が響く。
今朝は雨が降っていたので小屋の当番と食料探索の当番にわかれていた。
見ての通り小屋はボロボロなので、雨が入り込んでくる。なので今日は二手にわかれていた。
「それにしても、遅い。遅すぎる」
朝早くに出ていったのにも関わらず、ユーリはまだ帰ってこない。
食料が見つからないのか、それともこの暗さで時間感覚が狂っているのか。
「行っても良いよね。ちょっとくらい小屋を離れても浸水したりしないよね、うん。きっと大丈夫。よし」
一人で納得して、私はいつも食料を漁る町へと駆けた。
傘なんて便利なものは持っていないから、濡れるのは仕方ない。
いつもの道の走っていると、貧民街で顔なじみのおじさんに止められた。
「おい、お嬢ちゃん!」
「あ、おじさん! こんにちは」
「もしかしてユーリを探してるのか?」
私が言い終わるその前に、おじさんが尋ねた。どうして分かったのだろう。きっと、それくらいいつも一緒に居たからだ。
「うん。よく分かったね」
「なら、もうあいつに関わるな! いいな!?」
普段は優しいおじさんが、途轍もなく怖い形相で叫ぶように言った。
「……なんで?」
次に放たれる言葉が、私達の世界を崩壊させる。
「あいつ、軍の機密情報を盗んでやがった!」
突然のことで何がなんだか分からない。理解できない。
「な、なに言ってんの? ちょっとおじさん、いくらユーリが悪ガキだからってそんな……」
「嘘じゃない! あいつ指名手配だったんだ! こんな貧民街にゃそんな噂ちっとも回ってこないから知らなかったが、この話は確実だ!」
「うそ!」
叫んだ声は、掠れていた。
「嘘じゃない、本当のことなんだ! 嘘だと思うなら大通りに行ってみろ! さっき軍のヤツらが大通りにやってきて、ユーリのこと探し回ってた。きっと連行する気なんだよ!」
「大通り……」
「ああそうだ。そのかわりユーリの知り合いだなんて言うんじゃねぇぞ。お前まで捕まっちまう。極悪犯を匿っていた、なんて言いがかり付けてな! 幾ら子供でも貧民街出身だ。軍は容赦しない……っておい! お嬢ちゃん!」
ユーリが軍の機密情報を盗んでた? ユーリが指名手配されてた?
ユーリが連行される? ユーリはどうなるの?
雨はまだ止まない。
寒さと冷たさで身体の感覚が鈍くなる。
「ユーリだけは、私を見捨てないと思ってたのに」
その呟きは、誰にも聞こえなかった。
たとえ君が悪魔だったとしても。
BGM:Re:Re:/ASIAN KUNG-FU GENERATION
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