成仏宣言撤回中
気が付けば、私は幽霊になっていた。
死因は知っているし、それが何年何月何日の何時頃であったのかも覚えている。
けれど、なぜ唐突に良く見慣れた自動販売機の横で私の意識が覚醒したのか、そこが分からなかった。
とにかく、あれこれと時間をかけて考察した結果、受け入れがたくはあったが、幽霊と呼ばれる存在となってしまったのだという結論に至る。
じっとしているのも落ち着かないので適当に徘徊してみれば、更に信じがたいことにお仲間さんが沢山いた。
生前は全く気が付かなかったが、霊というのは本当にそこかしこにいるらしい。
現世のしがらみから解放されたからか、やたらとフレンドリーな霊が多かったのには驚かされた。
これもいわゆるカルチャーショックというものに当たるのだろうか。
もちろん、そういった霊の他に、いかにも怨霊だとか悪霊だとかにカテゴライズされていそうな恐ろしい存在もいた。
先人、いや、先霊から忠告を受けていたこともあって、不用意に近づいたりといったことはしなかったので、今のところアレらの被害を受けたということもない。
そして、徘徊を続ける内に耳にした、とある情報。
その情報について興味をそそられた私は、なぜか寄合所のような雰囲気を醸し出している共同墓地の霊集団に向かい歩を進めていた。
「あのー、ちょっとお尋ねしても良いですか?
さっきそこで聞いた話についてなんですけど……」
端の方に立っていた青年の霊に話しかけてみれば、意外と暇だったのか、新しい話題に敏感なのか、墓地の霊たちが揃ってこちらに好奇の視線を向けてくる。
予想外の反応に、私の肩が少しだけ跳ねた。
「ほほー、見ない顔だな」
「貴女、新人さん?」
「あ、はい。昨日からです。宜しくお願いします」
あっという間にぐるりと取り囲まれて、咄嗟に身を固くしてしまったけれど、それでも何とか気を取り直して頭を下げる。
すると、周囲からは朗らかな笑顔が返って来た。
「おやまぁ、ご丁寧に」
「若い女の子、大歓迎ー」
「了解、了解」
「昨日とかマジ新人じゃん。よっしくー」
「おう、よろしくなぁ」
ざっと見まわしてみたけれど、誰からも敵意は感じられない。
初対面の私相手でも警戒することなく気さくに対応してもらえるようだと分かり、身体の緊張を解いて小さく安堵の息をつく。
別段人見知りというわけでもないが、やはり全く新しいコミュニティと接触する時は緊張してしまうものだ。
「で、何だ。聞きたいことっつーのは」
「その、あまりに荒唐無稽な話なので、もしかしたら私がからかわれただけ……かもしれないんです、けど……」
「構わん構わん」
「新人のお嬢さん馬鹿にするような輩は、ここにはいねーから大丈夫だって」
「そもそも、聞いてみない事には判断もつかないよ」
「そーそー、とりあえず言ってみー」
「あ、えっと、じゃあ、はい。言いますね」
本当はすぐに話してみても良かったのだが、あえてワンクッション置いた。
霊の世界の常識が分からない現状、万が一にも彼らを不快にさせ敵に回すことのないよう予防線を張っておく必要があると思ったからだ。
現世と違って意味があるのかは分からないが、これで言質は取ったことになる。
それでも不安そうな顔は変えないまま、私はゆっくりと口を開いた。
「とっくにお盆も終わったのに、例のナス、乗り回してる男がいる……って」
何を言っているのか分からないと思うけれど、私も何を言っているのか分からない。
例のナス、とは野菜のナスに折った割り箸等で足をつけた精霊馬のことだ。
お盆という単語を入れたので、細かな説明は付け足さなかった。
むしろ、細かな説明をするのが恥ずかしかったから、それをしなくても良いような言い方を選んだ。
生きていた頃の自分なら、絶対にこんな意味不明すぎる話を口走ったりはしなかっただろう。
もうこの身体に血は通っていないはずだが、少しだけ頬が熱くなるのを感じた。
ともあれ、私の話に思い当たることがあるようで、皆はすぐに納得顔で頷いて、次々と情報を提供してくれる。
「あー、はいはいはい」
「確かにアレは知らなきゃ言い辛いわな」
「ナスに乗ってる男のことなら知ってるよ」
「てか、アイツを知らねぇ奴はこの辺にゃいないんじゃね?」
「まだ悪霊まで堕ちてない、現世に残っている幽霊たちを成仏させたいとか言って、面白おかしく過ごしている私たちをやたらと追い回すんだ」
「迷惑な話だわ」
「我々は彼のことを成仏ナスおじさんと呼んでいる」
「ヤダこわい」
「いや、そんなおっかない奴じゃあねぇんだけどな」
怖いと言ったのは彼らの思考回路とネーミングセンスに対してなのだが、さすがに口には出さなかった。
面白おかしく過ごしているという一言が不穏すぎて、ちょっとどうしたらいいのか分からない。
そうして私が内心で慄いている間にも、彼らは和気藹々と会話を続けていた。
「そういや、あのナスたまーに鳴くんだよー」
「マジで。俺聞いたことねーわ」
「どんな鳴き声なの?」
「ブルルルーとか、ヒヒーンって感じ」
「そりゃキュウリの方じゃねぇか」
「ナスのくせにキャラブレしてんっすね」
「……あのぉ、ナスが鳴くことに対して抵抗はないんですか」
黙っていようと思ったのに、まるでツッコミ不在のコントでも見せられているかのようで、そのもどかしさについつい口を挟んでしまっていた。
そして、すぐに後悔した。
「およそ普通のナスじゃねぇからなぁ」
「人を乗せられるサイズの時点で、ねぇ」
「なんか、そういう新種の生き物ってことにしてるわ」
「ワシの見立てによれば、アヤツの足にはアフリカ黒檀が使われておるな」
「え、アフリカなの。日本の木じゃないのアレ」
「てか、俺は何でアイツの身体が曲がるのか不思議でなんないわ」
「そういや、紫って成仏って意味なんだって、地獄のぬー〇ー先生が言ってた」
「へー」
私の耳が彼らの発する言葉を拾う度に、今までの常識が音を立てて崩れていく。
正直もう、あまり真面目に考えたくはなかった。
いくら創作物に溢れていた現世に生きた人間だとはいえ、想像力にも限界というものがある。
大体、霊の世界だからと言って、精霊馬のような珍妙な生き物が実在するなんて、そこからおかしな話なのだ。
いくら相手が死んでいるからと、実際にあの小さなナスに乗ってあの世に帰っていると考える人間など、そうそういないだろう。
そもそも牛を模したものであるわけだし。
などなど、グルグルと思考しているうちに何だか頭痛がしてきたような気になって、私は眉間を軽く揉みほぐした。
周囲の霊たちは揃ってナスの話に熱中しているようで、もはやこちらの行動を気に掛ける者などいはしない。
もうこのままこっそりフェードアウトしてしまおうかと、少しずつ後ずさりを始めてみたのだが、突然どこからか好みのハスキーボイスが絶賛展開中の混沌空間にズッパリと切り込んできて、反射的に足を止めてしまう。
「暴れ〇坊将軍になりてぇー」
瞬間、それまで和やかムードであったはずの集合墓地に戦慄が走った。
「うおわぁあ、噂をすれば成仏ナスおじさんだーッ!!」
「みんな、散れっ、散れぇーー!」
あっという間に墓地の霊たちがてんでにバラバラ散開して、意図せず開けた視界に暴力的な紫色が飛び込んでくる。
「イぃヤぁああああッ!
本当にナスが生きて動いてる、しかもめっちゃデカいぃー!」
「さすが新人は反応が良いなぁ」
どこからか響いた完全に他人事の暢気な感想に、怒鳴って返せるだけの余裕は無かった。
体高2メートルはありそうな黒紫色の艶々とした皮に張りのある美味しそうなナスが動いているその姿は、それだけで私の精神に多大なるダメージを与えていた。
慄き立ち尽くす私の前で、時代遅れかつ質素な着物を羽織った年の頃は四十手前程であろう男がナスの上で卒塔婆を振り回している。
「ええい、まったく。誰が成仏ナスおじさんだ、俺は神だっ」
「えっ!?」
不機嫌そうに表情を歪めた彼がただひとつ変わらない好みのハスキーボイスでそんな信じがたいことをのたまうものだから、私は咄嗟に驚きの声が隠せなかった。
神と言うには、彼の姿はおよそ間が抜けすぎているのではないだろうか。
だけど、私の声に反応する者はおらず、隠れた墓石や灯篭や木の陰から顔を出した霊たちが、またとぼけた会話を延々と繰り広げ始める。
「ナスに乗る神様とかいんの?」
「聞いたことが無いわねぇ」
「だよなぁ」
「ケッ。神とか嘘つけ、おっさん」
「いくら日本に八百万の神がおわすからと、アンタみたいな神々しさのカケラもない奴がいてたまるか」
「そーだ、そーだぁ。フカしこいてんじゃねーぞぉ」
「うーるせぇーッ!
悪霊にもなりきれねぇ中途半端な浮遊霊どもが、無駄に溜まってんじゃねーぞコラぁー!
成仏しろオラー!!」
怖がっているようで、どこかナメた態度の霊たちが口々にブーイングを飛ばせば、分かりやすくキレた自称神の男がナスを駆り卒塔婆を振り回しながら彼らを追い立て始めた。
まぁ、気持ちは分かる。誰だってムカつく。
あちこちから上がる悲鳴に、私はただ遠い目を向けることしか出来なかった。
「ぎゃー!」
「やめろーやめろー」
「痛い痛い、卒塔婆で叩かないでーっ」
「ちくしょー、せめて錫杖みたいな格好良い得物使えってんだ!」
「そういうのはもっと高位の神に言えバカヤロー!」
「なんだよ、おっさん下っ端かよ」
「だったら何だってんだテメェ!」
「おや、図星のようだ」
「うわーッ、こっち来ないでー!」
すでに何人も卒塔婆で叩かれているようだったけれど、それで誰かが本当に成仏して消えてしまう、ということは無かった。
しかし、ただ乱暴されているだけなのかと思えば、違う。
どう表現すれば良いのか難しいが、何となく霊たちに溜まった淀みのようなものが叩かれる度に少しずつ祓われているような気がするのだ。
本当に感覚的なものなので、正解かどうかは分からないが。
「速ぇよー、ナス超速ぇよー」
「ゆっくり帰ってもらうためのナスなんじゃねぇのかってんだチクショウめ!」
「ナスに棒刺してボーナスってキャラとか思ってたけど、全然違ったっていう!」
「お前いくらゆとり世代でもそれはねぇーわ」
「えっ、俺バブル世代だけど」
「えっ」
「くっそ、牛のくせに速いとか、どういうことだこんにゃろー」
「異議あり異議ありぃーっ」
「当然だろうがボケぇー!
ネズミの野郎が狡っからいマネしなきゃあ、牛が一番早かったっつーんだよ!」
「現代日本人が十二支の順位に納得してると思うなよーっ」
「そもそも、牛を模してるだけでナスはナスだから一緒にすんなぁー」
うん、今この場面だけは私は霊側を支持する。
「今なんつったテメェー!
俺の相棒ナス子馬鹿にしたら許さねーぞコラぁ!」
「ナス子って、そいつメスかよ!?」
「ナスにオスメスあるの?」
「名前だっせぇー」
「逆にナスに同情するレベル」
「シャラぁーップ!
いい加減にしとかねぇと、マジで強制除霊すっぞオラオラオラぁー!」
「うわーーーっ!」
「おっさんが本気出しやがったぞーッ」
「ひぃぃ逃げろー逃げろー」
「ぎゃあああ、マジで存在が薄くなってってるぅーッ!」
「無理やり昇天げられたくなかったら、テメェで成仏しやがれってんだ!
とどまり過ぎなんだよお前らはぁ!」
「ほっといてくれー!」
「まだまだ現世にアイラブユーっ」
「ってかぁ、そろそろ成仏しようかと思ってたのにぃ、強制されたらやる気なくなるぅー」
「なー」
「お前ら、母ちゃんに勉強しろって言われた学生か何かか!」
それにしても、無駄に現世事情に詳しい自称神である。
本気がどうのと言って、霊たちもかなり真剣に逃げ惑うようになってはいるが、誰も共同墓地から出て行かないのは彼らがここに縛り付けられた地縛霊か何かだからなのだろうか。
それとも、例え本気を出したとしても、自称神の彼が自分たちを消してしまうはずがないと、そう信じているからなのだろうか。
口は大概悪いけれど、何だかんだで男が優しい性格をしていることは初見の私にも簡単に分かった。
と、そんなことをつらつら考えていると、それまでこちらを見向きもしなかった彼が、ようやく私という存在に気が付いて怪訝そうに近づいてきた。
「…………あん?
なんだ、お前は逃げねぇのか?」
トントンと卒塔婆で自分の肩を叩きながら、男は鼻息を荒げるナスの上からこちらを見下ろして言う。
明らかにそれらしい音や温度や湿り気を感じるが、ナスのどこに鼻があるのかは謎だ。
「あー、えっと、私はその……。
逆にこう、未練もないのに何で霊化したのか分からないって方向の者です」
「ふーん?」
言えば、彼は首を傾げながら顔を寄せてきた。
近い。
あまりに近くまで来るものだから、一瞬キスでもされるのかと思ったけれど、さすがにそれは勘違いだった。
鼻先でピタリと止まった接触間近の親密距離で、心の中の動揺を隠す様に視線だけで目の前の男を観察してみれば、意外と端正な顔立ちをしていることが分かる。
いけない。声が好みなのと合わせて、余計にドギマギしてきた。
それから数秒もしないうちに傾けていた身体を起こした彼は、ひとつ頷きを見せながら今までにない落ち着いた声でこう言った。
「……あぁ。安心しろ、大丈夫だ。
お前はまだ四十九日経ってないだけだ」
「しじゅー……えっと、聞いたことはあるかと思うんですけど……」
さすがに意味までは分からない。
そもそも、精霊馬の存在を知っていたことだって奇跡なくらいの現代っ子なのだ、私は。
眉を八の字にして頭を掻けば、自称神は小さく肩を落とし深くため息をついた。
「はぁーあ。んだよ、最近の奴は四十九日も分かんねーの。
アレだ、あの世の行き先が決まるまでちょいと待っててくれってこった」
「あ、そうなんですか」
「……ふ。お前、その間ヒマだからって、悪さして悪霊になったりすんなよな」
「はぁ」
最後にちょっとイラズラっぽい笑みを見せて、再び彼はナスの手綱を引き墓地の霊たちを追い回すべく去っていった。
その顔に一発サヨナラホームランを決められ花火まで上げられてしまった私は、心の中で自称神のことをナスに乗った中年と呼んだ上で、四十九日過ぎても成仏せずに彼に構ってもらおうと、あざといことを考るのだった。
ちょっと遅すぎる気もするけれど……私の初恋、始まった。
おまけ
「……おい、四十九日はとっくに過ぎてるはずだろうが。
お前、何でまだいやがる」
「そうですねぇ。
現世に未練はありませんが、貴方に未練がありまして」
「えっ。俺に、み、未練て。お前、えっ」
「ちょこちょこ神話でも聞きますし、神が人間と夫婦になるのは変なことじゃないですよね」
「っめおぉ!?
ばっ、だっ、だだだ騙されねぇよ俺はそんな大体俺が良くても相棒のナス子が」
「ナス子さんとはご満悦撫でられ中のこのナス子さんでしょうかねぇ」
「うわあああ将を射んと欲すればもうナスが炒られてるぅうううう!?」
「私は生前、そこそこ名の知れたモフリストでしてねぇ。
日々撫でてやっている内に、これこの通り」
「っそんな、腹まで見せやがって!
最近よく小屋を抜け出してると思えば、この裏切りナスぅーーッ!!」
「棒が刺さってるから辛うじて分かるだけで、背も腹も大差ないような」
「というか、あの生物に背とか腹とかいう概念があったことに驚きだよ」
「何はともあれ、嬢ちゃんガンバ」
「ワシら応援するぞいー」
「ひゅーひゅーYOU達くっついちゃいなYO」
「チョット外野ウルサイ」
『キェァアアア!?
ナスがシャベッタァァアァアアァア!!』